定年、その後 定年後の日々(毎月1日更新)
「お墓を引き継ぐ人がいなければ、納骨はできません。更地にして返していただきます」といきなり言われました。叔母の葬儀をお寺さんに相談したときのことです。親も、兄弟も、子供もいない叔母は、このままでは、夫のいるお墓に入れないのです。お袋の妹で、享年96歳、小さいころから可愛がってもらった我々兄弟で、葬儀をして、姉がお墓を守ることとなりました。
78歳になる長兄が肝臓癌で大きな手術を受けました。手術は成功し、癌を全て取り除き転移もないとのことでひと安心だったのですが、術後の経過が思わしくありません。もう、1年以上入院しています。手術後、誤嚥するようになり、嚥下機能改善手術を受けたり、転倒で頭を打ち開頭手術を受けたりしているのです。
部屋に入るなりいきなり、「タヌキはどうしたの!!」と驚いたように姪が尋ねました。背丈70センチほどの信楽焼きのタヌキ、実家の玄関に26年間鎮座し、来訪者を歓迎していましたが、いなくなったのです。実家の売却が決まり、取り壊されることとなり、兄貴家族全員と我々夫婦が実家に集まったときのことです。
「幾分気が弱いのではないかと思われる。そのために栄養も良くない。つとめて健康に留意されたい。勉強の方はあまりあせらずにいてよいと思います」、小学1年1学期の通信簿通信欄での記述です。私は、虚弱体質で勉強のできない子でした。最近実家で見つかったこの通信簿を見ながらつくづく思うのは、よくぞここまで無事これたものだ、ということです。今は、健康に恵まれ、今のところお金に困ることもなく、生活を楽しんでおり、まあまあ幸せな日々と言えます。
愛犬モモの四十九日の法要がしめやかに執り行われました。お骨を納めている深大寺動物霊園での合同法要です。深大寺のお坊様にお経を唱えていただき、成仏を願いました。成仏する、つまり悟りを開いて仏様になる、というのはあのボケーとしたモモからは想像しにくいのですが、犬といえども亡くなれば仏様になるということでしょう。
5月3日、我が家の愛犬モモが亡くなりました。あと2週間で14歳でした。口の中にメラノーマという悪性腫瘍ができ、4月初めに見つかった時にはもう手遅れで、取り除くのは無理と獣医さんに宣告されたのです。完全に取り除けない以上、またすぐ再発すると。10年以上お世話になっているトリマーの方も、手術で死んでしまう子も見てるし、美味しいものを食べさせてあげた方がいい、という意見で、我々夫婦もそれを選択しました。でも、覚悟はしていたものの、いざいなくなると寂しさの中に沈みがちです。
「沼津の学校に行くかい?」、母が尋ねたのはわたしが小学生のときです。電車の中でした。外の景色をドアのガラス越しに見つめながら「うん」と同意したのを覚えています。虚弱体質の子どもや知恵遅れの子どもを寄宿舎生活で鍛える沼津の学校と知っての返事でしたから、それ以前に母から説明を受けていたのでしょうが、このときのことしか覚えていません。子ども心にも、それだけ深刻な決意の瞬間だったのでしょう。
実家間近にある線路沿いの細い道、毎週、電車から眺めています。ここを過ぎるとやがて下車駅、以前であればその駅から実家へとここを歩くのですが、いまは別の電車に乗り換えて母が入居している施設に向かいます。もうほとんど歩くことがなくなった、懐かしい、とさえなりつつある道、電車が減速し駅に入り始めるころには見えなくなるのですが、それでも目で追いかけているときもあります。さまざまな思いを抱きながら歩いた道です。
渋谷駅がよく見える窓側の席でお子様ランチを喜んで食べていました。50年以上昔の渋谷食堂でのことです。わたしの弱視を診てもらうために母に連れられて行った病院からの帰りでした。
「遅かったじゃないか」、5時からの食事会に5時少し前に現れた姉に叔母が文句を言ったそうです。叔母は4時前から会場で待っていたのです。叔母の姉である私の母も同様の時間感覚で、一緒に旅行するときに待合せ時刻の1時間ぐらい前から待っていたときもあります。周りが迷惑です。そんな母の不思議な時間感覚を理解するのは難しいのですが、歳とともに母の性格を引き継いでいる自分を発見しつつある私としては気になるところです。
「団塊格差」(三浦展著、文春新書)を読んで両親への感謝の気持ちが更に強くなりました。団塊世代の大学卒業者は22%だそうです。文部科学省「2006年学校基本調査報告」では、私が大学進学した1965年の高等教育機関(大学・短大・専門学校)への進学率は18%程度で、現在の76.2%(2006年)とは進学状況に大きな違いがあったのです。兄2人が大学に進学しており、それを当たり前のように考えていましたが、世間一般以上の両親の努力があったことをあらためて知りました。
幹事会開催の案内メールが届きました。大学卒業50周年記念部活同期会の世話役だった3人で飲もうという誘いです。同期会に一番熱心だった友人からで、東京での市民大学講座のために栃木から出て行くので付き合え、ということなのです。日程調整の結果、講座最終日に新宿で飲むこととなりました。
大学を卒業して今年で50年、この節目を迎えての部活同期の集いを開催することとなりました。積極的に、「やろう!!」いう面倒見の良いのが1人いて、それに引っ張られるように私ともう1人、計3人の世話役トリオでまず連絡先調査から始めました。同期は14名、たかだかこの人数の集まりなのに、事前打合せを3回も、開催当日は2時間前に世話役トリオで集まって最終確認、という念の入れようでした。そのおかげか、14人中12人が参加して、楽しい時間を過ごすことができました。
3回目の「男の料理教室」、今回はバーベキューでした。いつもの友人宅、マンション専用庭園にバーベキュースペースがあります。いつものようにまず男性陣が集合し、買出し、下ごしらえ、火起こしをして、焼き終わって乾杯というときに最後の1人である奥さんが到着しました。この日、奥様方はお客様なのです。
普段から家で料理しているプロ級2人と、普段食べるだけの素人である私ともう1人の計4人の男性による料理、1人はもうすぐ70歳、他3人はもう71歳、大変なことになるのでは、と妻が心配する中、みんなが集まるプロ宅へと出かけました。
友人夫妻との旅行、以前はちょくちょく一緒に出掛けていたのですが、今回は5年ぶりです。友人に、孫ができたり、同居していた叔母さんが高齢となったりで、なかなか出かける機会がありませんでした。昨年に双子の孫が生まれ、お祖父ちゃんとして忙しい日々が続いているのですが、思い切って出かけることにしたようです。久しぶりなので、泊りがけ、2泊3日の旅となりました。
「写真を見ましたが、皆さん楽しそうですね。(中略)来年の同期会にはぜひ参加したいです」とのメールが全員に届きました。毎年開催している会社の同期会に今年ただ1人、海外での仕事のために参加できなかったメンバーからです。メールで行き交うみんなからの写真をカンボジアで見ての思いが綴られていました。
会社の同期を中心としたメンバーで、年一回の1泊旅行があります。若いときからの、家族ぐるみの付き合いなので奥さん方も参加して賑やか、夜遅くまで話は尽きません。関西在住と関東在住に分かれているので、会場は交互もしくは中間ということで、9回目となる今年は京都、桜見物の賑わいが落ち着きモミジの新緑が美しい今月中旬に「エクシブ京都 八瀬離宮」という素敵なホテルに集まりました。メンバーのうち2人が欠席して、15人での宴、楽しい仲間ぶりは全く変わることがありません。
20年ぶりの再会です。若い頃の職場の先輩2人、後輩1人と昼食をとりながら、話が弾み3時間近くも、それでも話題は尽きず、なごり惜しい気持ちのまま散会しました。3人は関西在住、関東在住の私が会える機会は、いままでも、そしてこれからもほとんどありません。それだけに濃縮された時間だった気がします。
中学同窓生との会話が予想外に楽しい。45年間ほとんど交流がなかった割には、共感や納得が多々あるのです。考え方や生き方が似ているためかもしれません。2年前から飲み会を始め、今月初旬に3回目がありました。初回は少しぎこちなさがありましたが、3回目となると最初から本音トーク、それも楽しい一つです。そのうちの一人は大学教授で、大学院を出て就職した大学で今も頑張っています。特に彼と話が合うのですが、それは私も、大学院を出て就職した会社で定年まで務めた同じような道のりだったからかもしれません。
終電での帰宅、久しぶりです。5年ほど前に通ったマスコミの学校、その仲間の一人が結婚したのでお祝いの飲み会がありました。
中学生のときに大好きだった国語の先生、平山先生が5月に亡くなりました。享年85歳、わたしが中1のときは34歳ということになります。とても優しい先生で、国語の時間が楽しみだったのを覚えています。
横浜みなとみらい万葉倶楽部に宿泊したときのことです。夜中の12時過ぎだというのに200席以上ある大広間に人々があふれ、みなさんそれぞれに食事やお酒を楽しみ、従業員たちもキビキビと働いています。その活気には圧倒され、びっくりもしました。若い女性客も多く、初めて見る風景、とても不思議な真夜中の光景でした。
気がつくと校歌を口すさんでいる、そんな日が続きました。卒業してから30年間歌った覚えはなく、在学中もあまり歌わなかった校歌、久しぶりに母校を訪問した先日以降のことです。
東大阪市にある司馬遼太郎記念館を見学しました。司馬遼太郎氏の小説をさかんに読んだのは入社したてのころです。そのころは時間があり、早い帰宅の途中で本を買っては家で読んでいました。
久々の徹夜でした。マスコミの学校仲間である若い世代との飲み会、二次会が夜明け前に終わって、原宿から川崎の自宅まで歩いて帰る途中で夜が明けました。
子供時代を心豊かに暮らすために、なくてはならないもののひとつが友達でしょう。定年後も同じような気がします。充実感を得る糧が、仕事から遊びや趣味に移り、子供時代のように時間を忘れてそれらに熱中するには、一緒に遊んでくれる友達や趣味の価値を分かちあえる友達が欠かせないからです。
同期入社の仲間が1年ぶりに集まりました。昨年3月は10人全員の参加でしたが今回は6人です。メールからは「みんなに会いたい」という気持ちが伝わってくるのですが、海外出張、父親の病気、インフルエンザでの高熱、突然の入院といった、自分ではコントロールできない様々な事象が参加を阻みました。還暦を過ぎたとたんにいろいろな課題が出てきた感があります。
何十年ぶりかの再会でも、たちまち若いころの楽しさが蘇えってくる仲間がいます。白髪などが増えて外見が変わってきているように、さまざまな経験を経て中身も変わっているはずなのに、若いころの主客、強弱といった微妙な相互関係が会った瞬間から再現され、各自が一番居心地のよいポジションに収まって楽しい場となる、そんな感じです。久々の試合で、何の指示もないのに各自が守備位置に着いてそこをしっかり守る、全体として強固なチームワークを示す野球チームのようで、チームワークの良さが楽しさを更に大きくしてくれます。
「上達しましたね」と私の囲碁対局を取り囲む人たちが口々に褒めてくれました。毎週日曜日の囲碁サークル、終了時間間近で他の対局はすでに終わって、メンバー全員が見守るという中で勝利したのです。ルンルン気分で帰宅しました。この日は2勝1敗、1年間続けて初めての勝ち越しです。9目という大きなハンディをもらっての勝利なのですが、それでも勝てなかった今までと比べると大進歩です。「勉強してますね」とも言われました。
今年で10回目となる東海道歩き旅、川崎の自宅から伊勢神宮まで、512kmを79万6千歩で完歩しました。ここ数年、気持よく歩ける日が少なくなり、歳とともに体力の衰えを実感するようになっています。
趣味は「旅行」と「ウォーキング」です。最近、それに「囲碁」が加わろうとしています。実益など求めず、ただただ楽しむ、それが本来の趣味というものなのかもしれませんが、私の場合は実益のない趣味は考えられません。貧乏性なのです。「旅行」は妻と二人、一緒に暮らす智恵を授けてくれます。一人旅はしません、実益が見いだせないのです。毎年の「東海道歩き旅」は一人ですが、これは毎日のウォーキングの励みの元になる、という実益があります。
一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。あっ、という間の転倒、自転車とのすれ違いざまでのことです。なかなか起き上がることができず情けなく、立止まった自転車の女子高校生から「大丈夫ですか」と声を掛けられ恥ずかしくもありました。
真夏日が続き、猛暑日の日もあって、2時間半の毎日ウォーキングは汗だくになります。あまりの暑さで、人影も少なく、いつも出会っていた保育園児たちの行列も見かけなくなりました。そんな中、私と同年代と思われる男性3,4人のグループは変わりなく集まっています。小さな川沿いの、桜の木々に囲まれた、木陰の野外テーブルベンチで、持参のペットボトルのお茶などを飲みながら話しをしています。横を通るときに、楽しそうな笑い声が聞こえたりします。ご近所さんで、幼馴染なのかもしれません。楽しそうな雰囲気です。
70歳になっても歩けていたらいいなぁ、と思いながら始めた毎年の東海道歩き旅、その70歳の今年も完歩しました。8回目です。自宅から伊勢神宮まで466キロ、13日の歩き旅でした。
自宅から伊勢神宮まで、467キロ、11泊での東海道歩き旅でした。今年で7回目、6回目の昨年は足のマメの悪化や歩いているうちに身体が"く"の字に曲がるなどで歩けなくなり、一度帰宅し、また出かけ、3回にわたってやっとの思いで完歩しました。今年も1回で完歩できなければ目的地変更が必要か、と考えていたのでホッとしています。この「お伊勢参り」、年間目標として可能な限り続けたいので
久しぶりにスキーを堪能しました。鎖骨骨折で昨年は行けなかったので2年ぶりです。行こうかどうしようか少し迷いましたが、かなりの寒気団が来て東京でも雪になるとの予報、これは行かなくては、と出かけました。
名古屋港湾岸を走る伊勢湾岸自動車道、片道3車線の広い産業道路、夜10時過ぎ、周囲に民家は無く、人通りも全く無いなか、次から次へと迫ってくる車のヘッドライトを見ながら、草の生えた狭い歩道を一人歩いていました。
今年の東海道歩き旅はスタート間もなくで頓挫、秋に望みを託してすごすごと帰宅しました。原因は足のマメ、初日、小田原までの67kmで雨に降られ足が濡れてマメができ、潰れたマメの痛みのなか、2日目箱根越え、3、4、5日目は痛みと雨で1日30km程度のスローペースとなったのですが、痛みは治まらず6日目の朝ついにギブアップ、JR島田駅から電車で帰宅したのです。帰宅した日に診ていただいたお医者さんは、こりゃひどい、と一言、右足の小指が大きく腫れて爪もとれています。楽しむための歩き旅なのに、こんなになるまで頑張ることなかったなぁ、と自分自身が情けなくもなりました。
男の料理教室、今年も参加し、料理のレパートリーが1つ増えました。と言っても、全てを1人で料理したわけではないので、まだ準レパートリーといったところですが。料理は「カクテキ」、大根のキムチです。料理教室の翌日、友人宅に持って行って一緒に食べ、翌々日、昨日ですが、自宅で食べて、発酵はまだ不十分ながらもさっぱり味で美味しく、これから更に美味しくなる手ごたえを得ました。復習を兼ねて一人で全てをやって、完全なレパートリーにしようという気になっています。
東海道歩き旅、5回目の今年はお伊勢参り、463キロを9日で歩いています。今回はいくつかの新たなチャレンジがありました。1つは、初日に75キロ歩いたこと、自宅から箱根湯本までです。2つ目は、6日間連続で1日平均55キロ歩いたこと、雨で1日休んだ遅れを取り戻すためでもありました。3つ目は、途中2時間の仮眠をはさんでの96キロ歩行、112キロ歩行の予定でしたが、途中で雨となったので96キロとなりました。4つ目は、全体で1日平均50キロ超え、初めてです。
料理らしい料理は小学生のとき授業でカレーライスを作って以来です。男の料理教室、4人が1組となり簡単料理を勉強します。先生の説明、実演が終わると、私以外の3人は材料や包丁を手にテキパキと下ごしらえを始めました。
名古屋までで中止したこの春のお伊勢参り歩き旅、残りのお伊勢さんまでをこの秋、11月に歩きました。始発のひかりで名古屋に行き、途中1泊して2日間で伊勢市駅に到着しています。その後、東京を後から出た妻と一緒に、式年遷宮で賑わうお伊勢さん、東海道宿場町の面影が最も残る関宿、日本一のイルミネーションショーと言われる「なばなの里」を観光しました。
8月10日東京最高気温37℃との天気予報、体温よりも熱い気温はめったに体験できないと、自宅と渋谷駅の往復23キロほどを歩きました。熱中症で死ぬ人がいるというのに、(ウォーキングなんて)とんでもない、との妻の声を背に、自宅を出たのが朝8時半、強い日差しで気温はすでに31℃でした。
毎年恒例となったガーラ日帰りスキー、今回はちょっとだけ滑って、後は温泉でゆっくりする、と友人が往きの新幹線で宣言しました。健康診断でいろいろと悪い数値がでている、このままではそのうち通院が必要になる、と脅かされたようです。前回も同じような数値なのに何も言われなかったのに、とぼやいていましたが。実際に、力を入れると腕が痛くて、ストックもうまく操作できそうにない、とのこと。
3回目の京都への歩き旅、自宅から京都まで11日間で498キロ、1日平均約45キロ、もう一歩も歩きたくない、という瞬間を今回初めて経験しました。その日、妻に電話で報告すると、普通の人はそうなのよ、と軽くいなされましたが。
ここ台北は、昨日までの強い日差しを雲が遮り、蒸し暑さは変わらないものの、まずまずのウォーキング日和です。市内のホテルから北投(ベイトウ)まで約13km、3時間弱の海外街歩きに出かけました。
ウォーキングが低迷しています。先月は88㎞、記録を開始した2008年以降最低の距離、昨年までは月平均400㎞ほどでしたからかなりの落ち込みです。ショッピングサイト構築で忙殺されたためですが、この先月だけでなく、福島原発放射能漏れで3月も199㎞と低調、もともと、母が入居していた施設に週2回行くときの歩きがなくなった昨年1月から長期に低迷していて、叔母の家への週1回の歩きがなくなった今年1月からは更なる低空飛行となっています。
川崎の自宅から京都まで、11日間連続で歩いて合計510km、1日平均46kmの旅が終わりました。1日の最高は56.6km、宿の確保ができずに先にあるホテルまで15kmほど予定外で歩いたときです。最低は36.5km、雨が降ったりやんだりで、雨宿りしながらの歩きとなった日です。江戸時代であれば14日前後の旅、今回11日ですから、江戸時代の人を追い越した、といったところでしょうか。
京都への歩き旅に明日出発、仕上がりは順調、と言いたいところですが不安はあります。3月、4月とあまりトレーニングができていないのです。主な原因は福島原発の放射能漏れ、トレーニングは6時間以上も外を歩くので、飛んでくる放射能物質を吸い込んだり、その放射線を浴びたりするのが怖かったのです。
多摩川の土手に長く続く桜並木、葉がかなり落ちて心地よい木洩れ日です。夏は葉が生い茂り、涼しい木陰を作ってくれ、秋はこうして適度に暖かい日差しを通してくれます。あと数キロで叔母の家、朝8時前後に自宅を出て歩いて20キロほど、ここを通るのは正午から1時ごろ、1日で最も日差しの強い時間帯に、季節に応じた心地よさを提供してくれる桜並木です。平均すると月3回ほど叔母を訪ねていて、ここまで来たときの足の運び具合でそのときのウォーキング度を知ります。疲れて少しもつれ気味のときは「最近歩いてない」、疲れを感じることなく軽やかなときは「よく歩いている」と。
そうだ 等々力渓谷、行こう。我が家のお犬様、モモの朝の散歩中に思い立ちました。日差しの強い日が続く中、その日は曇り、風がとても爽やかで久々のウォーキング日和です。調べてみると我が家から歩いて6.8km、往復13.6km、まあまあ適度な距離です。
「え!こんな細い道」、住宅街からいきなり、人ひとりがやっと通れる細い山道のような上り坂に出たのです。ハンディGPS機に登録した徒歩ルートによるとここを登ることになります。
今年は静岡から京都までを8日間かけて334km歩きました。自宅から静岡までを4日間で168km歩いた昨年のほぼ倍となります。来年はいよいよ自宅から京都までを一気に歩くことができそうです。
昨年の「25年ぶりスキー」の楽しさに味をしめて今年も行ってきました。昨年の話を聞いて今年はおれも行く、と言ってきた友人と二人、共にリタイア組、月曜日午前9時30分東京駅集合です。
久しぶりの学校です。2006年末から中断していた「マスコミの学校」がまた始まり、その再開校記念講演会、計4回講演が開催されているので受講しています。この記念講演会後に本格開校となります。3年前に受講したこの学校がきっかけで、いまの仕事や仲間があるわたしにとっては、たいへんお世話になった母校です。受講の楽しみと、懐かしい人に会える期待で申し込みました。
足のマメは困ります。足指にできるのはまだしも、足裏にできると歩くのがつらく、以前に1週間近くウォーキングを中断したことがあります。わたしの経験では、20kmほど歩くとマメができる危険性が高まるようです。江戸時代の旅は毎日40km程度歩くとのことですが、マメはできなかったのでしょうか。
静岡までの168kmを4日で歩きました。1日平均42kmです。江戸時代には495.5kmの東海道を12日から15日かけ、1日平均40km前後で旅したそうで、それにならっての歩き旅、次は「京都まで」が狙えそうです。
雪のゲレンデを滑る多くの若者をリフトから眺めながら、おれもまだまだ若い、と一人満足していました。ガーラ湯沢、ここは新幹線直結のスキー場で、東京から1時間半、日帰りでスキーが長時間楽しめ、駅には宅配店や大きなレンタル店があって、手ぶらで遊びに来れます。新幹線に乗り込む人々は、スキー板も持たず、街角で出会う人々の姿とあまり変わりません。私もその一人でした。
第二の人生の達人は第一の人生の達人でもありました。49歳の隠居後に天文・歴学を学び始め、55歳から14年間、日本全国を歩いて精度の高い日本地図を完成させ、当時の平均寿命が40-50歳といわれるなかで73歳の長寿をまっとうした、第二の人生の達人、伊能忠敬のことです。
東京の端にある羽田から、海岸沿いを北に歩き今日で6日目、100km歩いて、千葉を過ぎました。歩数計「日本一周歩数計の旅」のなかでのことです。
散歩好きがエスカレートしています。銀座での新年会に、電車であれば1時間前に自宅を出れば間に合うのに、4時間前に出て自宅から銀座までの約20kmを歩きました。また、会社のある築地まで、友人との待合せの浜松町まで、やはり自宅から3、4時間かけて歩いたのです。
定年後毎日2時間以上歩き、67kg台だった体重が64kg台となり、疲れを感じることも少なくなり、歩くことが健康に良いことを実感しています。定年前の通勤時の4.4kmウォーキングに代わり、雨の日は小雨の時間帯を、日差しの強い日は涼しい時間帯を狙っての11kmウォーキングです。この半年で約1,470km、江戸日本橋から京三条大橋までの東海道495.5kmで換算して1往復と往路終点近くまで歩きました。
樋口一葉の「たけくらべ」の舞台となった浅草吉原界隈を、物語の場面を想像しながら歩いてみました。読書とウォーキングという好きなことを組み合わせて、それぞれを倍楽しもうという魂胆です。おかげで、最後まで興味深く読み、何気ない風景も楽しみながら歩くことができました。
大輪の花のような大きな丸窓、そこにはめ込まれた花びらの形をした色とりどりのステンドグラスを通して、明るく柔らかい光が差し込んでいます。バルセロナ近郊の小さな町にあるコロニア・グエル教会です。ガウディ建築の原点で、最高傑作とも言われています。床から伸びるやや傾いた柱は樹木を連想させ、天井を這うたくさんの梁はその枝を連想させます。まるで林の中にいるようです。
両岸に迫る切り立った岩山の間を縫うように、静かに進むクルーズ船、鏡のような海面に映し出される岩山と青空、朝の清々しい空気とあいまって、神々しいばかりの自然の美しさに心打たれました。この風景だけで、今回の北欧夏の旅に出た価値がありました。ノルウェーのソグネフィヨルド、その最も狭いところを巡るクルーズ、グドヴァンゲンという港を朝8時半に出て、フロムという港までの2時間、心洗われる思いでした。
異例の寒波に見舞われたギリシャ、大雪で交通機関が混乱するなかでの観光旅行でした。長距離のバスや電車は通常でも本数が少なくて不便なギリシャ、それが混乱したのですから、ギリシャ語の分からない個人旅行者にとっては不安の多い、多難な移動となりました。
初めてのポーランドでは多くの親切に出会いました。ヤヴォルの平和教会では教会のパイプオルガン演奏を収録したCDをいきなりプレゼントされ、戸惑ったり、喜んだり、ワルシャワの中央駅では広大な構内をバス停まで案内してもらい大助かりでした。いずれもたまたまそこにいた人たちで、CDは教会の受付でわざわざ購入したものらしく、バス停に案内してくれた人は売店で後ろに並んだ人でした。券売機の操作でまごついていると声を掛けてくれたり、乗車ホームの確認ができずに困っていると快く助けてくれました。
「予約は来週です、今日ではありません」と言われて唖然としました。歯医者さんに電車で出かけ、受付で言われるまで全く気付かないという、自分の勝手な思い込みの激しさに唖然としたのです。茅ヶ崎の90歳の女性ドライバーが4人もの死傷事故を起こしたのは、「信号は赤だとわかっていたが、歩行者が渡り始めていなかったので通過できると思った」という勝手な思い込みによるものでした。この異常ともいえる自信は、年齢を重ね、経験を重ねた者特有なものなのでしょうか。歳をとったらより「小心」でいないととんでもないことになりそうです。
ブロッコリが驚きの150円、野菜高騰時期だったこともあり、それを見た途端にテンションが一気に上がりました。産地直売の「道の駅」、広い店内に野菜や果物がところ狭しと並んでいます。イチゴが特産のようで、中央に大きなスペースを占め、沢山の人が取り囲んで買物中です。パックの一つひとつを手に取りながらの、近寄り難い、真剣な雰囲気、達人はまず生産者名を見るとか。我々は、大きさ、形、色、値段を見比べて、2パック購入しました。帰宅後すぐに食べてみると、甘さが口の中いっぱいに広がり、"もぐもぐタイム"に自信を持って推薦できる味と食感でした。
今回の旅のハイライトはパルレモの王宮内パラティーナ礼拝堂でした。多くの教会や礼拝堂を見てきましたが、これほど美しい礼拝堂は初めてです。シチリアが地中海で最も財力ある国に発展したノイマン王朝時代(12世紀)に造られました。黄金色、青、赤、緑のモザイクが壁一面を覆い、900年近くも経つのに、色褪せることなく鮮やかに美しく輝いています。
友人から「正倉院展に行こう」との電話、展示会は遠い奈良ですが、本人は行く気満々です。しかもわずか「1泊で」と。つい最近新車を買ったので出かけたいに違いありません。それにしてもかなりの遠出、片道6時間以上かかるので、せめて2泊にしたかったのですが、私の勤務先での調整がつかず、1泊となりました。出発は6日後、ホテルをどうにか確保して出かけました。
季節の良いときに旅行に行きたい、と勤務先のボスに頼み込み、秋のポルトガル旅行が実現しました。直行便のないポルトガルは15時間ほど、飛行機の狭い座席で長時間過ごすこと、キツイ時差ぼけになることで、歳をとったら厳しく、ヨーロッパにあと何回行けるかわからない、と訴えたのです。
初めて訪れた庄内平野は、田植え間もない若い稲の、勢いのある明るい緑が一面に広がっていました。これが秋になると黄金色に輝くのでしょう。平野を囲む山々は濃い緑、さらに先の山々は薄い青緑、梅雨時の湿り気のある空気の中、平野も山も生命力あふれる美しい緑で溢れていました。
桜の開花がいつなのか毎日のようにチェックしていました。旅行日程が決まっているので、できれば見ごろ、せめて少しでもいいから咲いててほしいとの思いからです。ところが、ところが、当日になってみると、五分咲きか満開という桜の最も美しい日々、そんな最高の見ごろは数日しかありません。稀な幸運に恵まれた旅だったと言えます。
「B級グルメを楽しんできます」、台北行便への搭乗待ちで妻が友人に宛てたメールです。友人からは「いやいや、A級で!」との返信がありました。9回目の台湾、今回は台南に初めて行きます。台南は「食の都」、しかもいつもは勤務先事務所のボスとの食事が多いのですが、今回は6泊7日のうちの2回だけ、あとは妻と二人だけで心置きなくB級グルメ食べ歩きができるのです。とても楽しみ、嬉々として飛行機に乗り込みました。
2度目のミラノ・ヴェネチアは充実した旅でした。14年前に初めて訪れたときは、ツアーだったので、効率は良いものの、次から次へと味わう間もなく見物していった感がありましたが、今回は全て自由行動、思うところをゆっくり旅することができました。まさに「2度目の旅は断然楽しい!」です。
函館から先は全列車運休です、との車内アナウンスに唖然としました。迷走台風、10号が日本海に抜けた翌日の秋晴れの日、ルンルン気分で乗り込んだ北海道新幹線はやぶさ号新函館北斗行でのことです。北海道での台風被害は知っていましたが、函館から先が不通だとは、全く知りませんでした。他の被害が大きく、運休はニュースにもならず、東京駅でのお知らせもありませんでした。
4泊5日で滞在したベトナム・ホーチミン、驚くことが多い街でした。バイクの多さとマナーの悪さにはびっくりです。歩道を走る、歩行者専用の横断歩道を青信号で渡っている前後すれすれを横切る、左折と対向右折が無秩序に入り乱れる、あちこちでクラクションが鳴り響く、といった具合、車のマナーも似たようなものです。それに、どこへ行ってもたくさんのバイクが走っており、排気ガスが気になります。
「本当に行くの?」「無事の帰国を祈る!」といった言葉に見送られて出かけたブリュッセル、新年の3日まで開いているクリスマスマーケットをはじめとして街中が大変な賑わい、テロに対する人々の懸念は全く感じられません。
夜の成田空港第3ターミナル内を、スーツケースとショルダーバックの合計10kgを持って走り抜けました。格安航空会社(LCC)バニラエアー台北発が成田に到着して、搭乗口が開いたのが予定から15分遅れの22時25分、10分後の22時35分発東京行バスに乗ろうと、タラップを降りて、階段を上り、長い通路を走り、入国審査、税関審査を通り、航空会社のカウンター横を走り、バス停に着いたのが22時33分、8分という快挙でした。タラップを降りるときは15番目ぐらいでしたが、入国審査前からはトップを独走、境内を走る西宮神社の福男選びの気分です。このバスに乗らないと、東京駅発最終電車に間に合わない可能性が大なのです。
長野の小布施に「朱雀」という大人気のモンブランケーキがあると聞き出かけました。作りたてを提供するため、朝8時半から朱雀券(整理券)を売り出し、9時半から給仕を始めます。
亜熱帯気候の台北での夏休みでした。勤務先事務所のボスが台湾に行くというので、その間事務所はお休み、北海道へでも行こうかと妻と相談したのですが、我々も台湾に行ってマンゴーかき氷を食べよう、ということになりました。7回目の台湾ですが、初めての夏、マンゴーの季節です。もちろん、台湾育ちのボスにご馳走になろう、という下心もありました。
ゴールデンウィークでの海外旅行は2回目、1回目は37年前の初めてのヨーロッパでした。それから何回も出かけているヨーロッパですが、今回はフィンランドのヘルシンキ、エストニアのタリン、ロシアのサンクトペテルブルク、と初めての国ばかりです。映画「かもめ食堂」の舞台となったヘルシンキを観光し、ムーミンのマグカップを購入、街中が中世のテーマパークのようなタリンを楽しみました。サンクトペテルブルク、旧レニングラードはヘルシンキから高速鉄道で行けることが分かり、急きょ計画に組込み、世界三大美術館であるエルミタージュ美術館や美しいエカテリーナ宮殿を見物しました。
1月1日元日の午前0時30分羽田発でパリ経由南仏ニースへ。搭乗するとすぐに「いつもエールフランスをご利用いただきありがとうございます」とプレミアム・エコノミーにグレードアップしてくれました。妻と2人で10万円以上相当のプレゼント、幸先の良い年明けです。
「ここでの暮らし、独身者は必ず脱落する、と言われていました」とのツアーガイドの言葉が印象的でした。長崎港から南西に約19km、縦480m、幅160mほどの小さな細長い島に鉄筋コンクリートの建造物が所狭しと立ち並んでいて、その姿が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている島でのことです。
スペインに旅行してきました。6月、ベストシーズンです。空に広がる濃い青のスパニッシュブルーと地上一面に咲き誇るひまわりが印象に残った旅でした。紫外線は日本の4倍だとか。肌を刺すような強い日差しですが、日陰に入ると涼しく、空気が乾燥しているのがよく分かります。雨がほとんど降らないとのことで、土地は痩せています。水を引くことができたところだけが緑となり、オリーブ、オレンジ、ブドウなどが栽培され、その向こうの山は剥き出しの岩肌、そんな風景が続きました。
美しい初日の出に今年の健康を祈願しました。羽田空港、搭乗ゲートを通過して機体ドアに向かう途中の大きな窓から拝んだ日の出、昨年は雲で隠れて見ることができませんでした。幸先のよい正月台湾旅行です。今年は事務所のボスがバリ島へ、それからの台湾なので一緒の夕食は1月3日のみ、このため1月1日、2日と夜遅くまで気ままな外出を楽しむことができます。
スイスのチューリッヒを拠点に各地のクリスマスマーケットを巡りました。クリスマスマーケットは6年前の2007年にドイツのフランクフルトを拠点に周ったとき以来です。アメリカのシカゴに駐在していたころ、家々や街を飾り立て、人々が買物に出かけるクリスマスシーズンの楽しい雰囲気が好きでした。前回のドイツは9日間で6都市を訪れましたが、今回は6日間で7都市、ツアーだったのでかなり効率よく周ることができました。その分駈足ではありましたが。
事務所のボスがイギリス、ドイツでのオペラ三昧を決め込んだので、その間を利用して妻と二人でパリに行ってきました。パリ到着が午前4時、6泊して、7日目のパリ発が午後11時半、みっちり7日間で、途中1泊2日で世界遺産の町、リヨンへ行っています。ツアーではないので、自分たちのペースで旅を楽しめます。ノートルダム大聖堂の塔にも上がりました。並ぶので時間がかかり、いままでの慌ただしいツアーでは上がれませんでした。
「お正月は今年も台湾美食の旅」と自慢げに年賀状に書きました。連日豪華な食事となる楽しみの旅行、しかも昨年同様、フライト、宿泊、食事、全てが事務所持ちです。去年の1月にも書いたので繰り返しませんが、ひとつだけ、昨年は行かなかった「明福」というお店のことを。
昨年の夏は「北海道&東日本パス」、普通列車7日間乗り放題1万円の旅でしたが、今年は「大人の休日倶楽部パス」、新幹線も含めた4日間乗り放題1万5千円の旅となりました。普通列車からいきなり新幹線にグレードアップ、昨年9時間以上かかった盛岡が今年は2時間半です。
今年は豪華なお正月となりました。事務所のボスが年末年始を台北で過ごすので、我々夫婦も元日に台北へ、ボスと共に三日三晩の美食の日々となったのです。宿泊もボスと同じ高級ホテル、広々とした部屋、高級なアメニティ、1日2回のベッドメイキングなどがグレードの高さを実感させます。2回目のベッドメイキングは寝るためのもの、高級ホテルでは普通のサービスらしいのですが、初めての体験です。
初めての小樽・札幌観光、札幌大通り公園のトウモロコシが楽しみでした。昨年の「青春18キップ」東北の旅の楽しさに味をしめ、今年は「北海道&東日本パス」、普通列車7日間乗り放題1万円での札幌・平泉の旅です。
ナポリの王宮やチボリの貴族の別荘をゆっくり見物すれば気分は中世貴族、アマルフィの太陽を浴びて海岸の街をそぞろ歩けば気分は陽気なイタリア人、そんな南イタリア10日間の旅、夜はホテルでパソコン操作の日々でした。仕事です。休暇中も仕事が頭から離れないワーカホリックのようですが、本人はバカンスも仕事も楽しんでいるつもり、定年後の気楽な仕事だからでしょう。
夫婦二人だけでの国内観光、宿泊する旅は何十年かぶりです。勤務先事務所のボスがハワイ旅行で、ボスの居ぬ間にどこかへ行こうと、最初はイタリアでしたが参加人数が少なくツアー成立せず、慌ててトルコツアーに申込みましたが、今度は事務所以外の仕事が入りキャンセル、その後仕事がキャンセルとなってしまい、結局落ち着いたのが東北旅行でした。JR1日乗り放題で2,300円「青春18きっぷ」の旅は、ゆったりとした行程と美味しい食事でとても楽しいものとなりました。
ドイツのクリスマスマーケットを楽しんできました。クリスマスシーズンの活気ある街の雰囲気だけでも楽しいのですが、広場などにできるクリスマスマーケットの屋台での可愛い工芸品や暖かい食べもの飲みもの、そこに集まってくる多くの人びとの明るい表情が旅の楽しさを何倍にもしてくれるのです。
お金の使い方は人それぞれです。年金暮らしの知人は海外に一人で遊びに行きます。一人でお金を使って、との奥さんの不満をよそに、お金は使うためにある、と言いながらいそいそと出かけます。私にはなかなかできません。一緒に喜べる人がいないと楽しくないのです。妻や友人夫妻と旅行したり、食事をしたり、たまには若い人にご馳走したり、とかで、一緒に楽しめることにお金を使います。もっとも、その方は誰とでも仲良くなれるので、旅先で知合った人と一緒に楽しむということなのかもしれません。
週2回の出勤日は勤務先事務所まで3時間半以上歩きます。しかし、真夏日や猛暑日が続いた今月はさすがに途中の渋谷まで2時間半ほどとする日がありました。暑い日は、Tシャツ全体が汗びっしょりで事務所に着き、事務所のボスから「何なのそれ!」と呆れられるので、できるだけ汗の目立たない明るい色のTシャツで行くようにしています。
定年退職後は「キョウヨウ」と「キョウイク」が大切、と言われたことがあります。「今日、用がある」と「「今日、行くところがある」で、「やることがある」が大切、ということです。
一眼レフカメラは持って行く気がしない、との友人の言葉に思わず頷きました。同じカメラを持っているのですが、重くてかさ張るのです。必ず持って行っていた海外旅行でしたが、今年7月のベトナムは小型カメラだけにしました。歳のせいでしょう。それに、パーティのような少し暗い所では、ファインダー越しに人の表情をうまく確認することができず、僅かなシャッターチャンスを逃したりもします。片目での視力がかなり落ちているのです。これも歳なのでしょう。
「老後のぜいたく程々に リタイア貧乏が待っている」という記事(日本経済新聞電子版9月9日)に、38歳の会社員が66歳の父親から、家計が苦しいから少し援助してくれ、と頼まれたとあります。家計再生コンサルタントなる人が調べてみると、収入以上に使っている、という単純な図式でした。
「定年後もついてるね」と妻に言われます。勤めている事務所のボスに大切にされているからです。
「梅ちゃん先生」、いいですね。みんなひたむきで可愛い、お父さん2人も。家族の核となって、子どもたちを甘やかすことなくしっかり見守っている、信頼され頼りにもされている。最近のいじめ報道では学校側ばかりが問題のように言われていますが、こんな家庭ならいじめる子にはならないし、いじめられてもちゃんと親に相談する子になるように思うのですが。
いよいよ高齢者の仲間入り、まだ前期高齢者ですが、市から「すこやか福寿手帳」が届きました。気分悪いなぁ、と思いつつもめくってみると毎月1日は銭湯が無料とあります。早速、行ってきました。
叔母が大切にとっておいてくれた26通の絵葉書、アメリカ駐在中に旅行先からわたしが送ったものです。丁寧な保管状況からは、葉書が届くたびに目を細めて読んでいる叔母の姿が想像できます。駐在3年半で26通、だいたい1ヶ月半に1通という頻度、多い時には毎月のように旅行していたことを思い出しました。残業や休日出勤はなし、休暇は1週間から2週間、それが当たり前、という時間に恵まれた暮らしのなかで旅行に精がでるのは当然だったのかもしれません。
江戸時代の色彩は、とても自然で穏やかなものだったようです。昨年「NHKスペシャル 歌麿 紫の謎」で浮世絵にかける歌麿の徹底したこだわりを知りました。放送は、ボストン美術館で封印され、100年近くものあいだ光が当たることなく保存されていた浮世絵、スポルディングコレクション、そのデジタル化映像によって新たな真実が浮かび上がってきた、というとても興味深い内容でした。
定年後、財布の厚みが倍以上になりました。原因は電車の回数券で、残念ながら、お金ではありません。毎週決まっている出かけ先は、母が入院している病院と会社で、それぞれ2電鉄づつ計4電鉄を利用しています。昼間だけ使える時差回数券や休日だけ使える土休回数券などを使い分けて運賃の10%-40%を節約しているので、全部で8種類となり、最大で94枚の回数券が財布に入ることになります。
定年の日は感激も、感動も、感傷もなく終わりました。TVで見るような職場での花束や拍手、自宅での豪華な食事などはありません。仕事で忙しい日々が続く中で、自宅でのそれらしい会話といえば「定年なのに何んでこんなに忙しいんだ」という私のぼやきに「仕事があるだけいいじゃない」という妻の返答があったぐらいです。
10月12日の台風19号で、近くの47階建て高層マンションの地下室が水没し、停電、断水が何日も続きました。エレベータが使えず、料理はできず、トイレも使えません。囲碁サークルのメンバーに住民の方が数人おられ、階段の上り下りで足がおかしくなった、とのことです。電気システムが地下に集中しているタワマンの脆弱さが露見したと、マスコミにも大きく取り上げられました。
勤務先の事務所から見える新国立競技場、新宿御苑の緑の先で頭を出しています。2年前からの何本ものクレーンが姿を消し、工事用の外枠も撤去されて、いよいよ東京オリンピック、という雰囲気になりました。観戦チケットの抽選があり、応募しましたが、当然ながら落選、750万人もの申込IDの中で当たるわけがありません。しかも、競技を選ばないまま締切り前日となり、妻と2人で申し込んだのが開会式と閉会式、おそらく当選確率最低のチケットだったことでしょう。
東京駅発の大型バス、乗客は私と妻と妻のお母さんの3人だけでした。二度の入院や圧迫骨折などがあって、今年はもう遠出はできない、と思っていたお母さんが元気になって我家に来れたので、福島県いわき市にある常夏のスパリゾート、ハワイアンズ行きのバスで出かけたのです。途中、妻の妹と合流した北千住でそこそこの人が乗り込んできました。現地も結構の人、平日とは思えない賑わいです。各所から無料送迎バスが出ているので、豊富な源泉をかけ流した大きな風呂と映画にもなったフラガールのショー、温水プールなどを気軽に楽しめます。
私のガラケーはディスプレイが無いので、出ることができなかったときに誰からの電話だったのか分からず不便な思いをしていました。今月になってやっとディスプレイ付の携帯を購入し従来からの便利さを取り戻しています。といってもガラケーはもう販売していないので、ガラホという、形や操作はガラケーで、中身はスマホという携帯です。
「きれいだねぇ」、うっとりした口調で隣の女性がつぶやきました。浅草木馬館、絢爛豪華な衣装をまとい、美女に変身した男性が妖艶な舞踊を披露しています。美しい顔立ちと美しい身のこなし、夢中になる女性がいるのも不思議ではありません。166席の小劇場は満席、通路に追加された小さな丸椅子も満席、ほとんどが女性で、30歳台から70歳台と幅広く、お洒落をしての観劇です。
騙しだまし使っていた不調の携帯がついに壊れました。10年前に0円で入手した初めての携帯、4年前に壊れて同じ機種に買い替えていますが、小型で、持ち歩きに便利なのでとても気に入っていました。携帯ショップに行くと同じサイズの機種は無く少し大きいものばかりでしたが、しかたがないので、大きくても我慢しようと料金などを訊ねました。
先月、友人を誘って運慶展に出かけました。お目当ての一つは重源(ちょうげん)上人坐像(東大寺俊乗堂。国宝)、源平の争乱で焼失した東大寺を復興した僧侶の坐像です。運慶は、貴族社会から武家社会に移行する過渡期に活躍した仏師で、日本のルネサンス彫刻と称賛する人もいて、圧倒的な力強さと徹底的なリアリティなどで、人々に感銘を与えています。
東急池上線1日無料開放、品川区と大田区を走る全長10.9㎞の池上線、その知名度アップのための開通90周年記念イベントです。10月9日、「109」で「東急」となる、3連休最終日の体育の日でした。せっかくなので池上線まで行くのも無料で、と自宅から池上線の駅まで40分ほどを歩きました。爽やかな秋晴れ、自宅近くの多摩川を渡れば大田区、河川敷では少年サッカーチームのゲームを家族が観戦しています。「選手だけでなく家族も、朝から頑張ってるんだ」とか「(東急も)太っ腹!!」とか妻と話しながら丸子橋を渡りました。
「運転免許を返納した」と、新たに交付された運転経歴証明書なるものを見せてくれました。大学同期の友人です。便利だが一歩間違うと凶器にもなる自動車、高齢者の運転による事故が社会問題となっているなか、道義心の強い彼らしい決断です。普段走っている道路で間違った道に入った、と決断に至ったひとつのきっかけを話してくれました。その程度のことで、と思えないこともないのですが、そこが彼らしい潔さです。
今年の「私の十大ニュース」です。内容は少しづつ変わってはいるものの、タイトルは変わり映えしません。今年もいつものように無事過ごすことができた、ということのようです。ありがたいことです。
「抜歯になると思います」と歯医者さんに言われて慌てました。2年ほど前に抜歯して、自分自身の歯がいかに大切かを知ったからです。歯ぐきに白い点が2つでき、レントゲンを撮ると、かなり昔に神経を抜いた歯の根元が化膿し、骨を溶かし、歯ぐきを突き抜けて細いトンネルができていました。セラミックの被せ物を取り除いて、神経を抜いた跡の根元内側の空洞をきれいにして、殺菌し、1週間様子を見ましたが、1つは消えたものの、もう1つが消えません。
1日40km弱、9時間ほどを5日間歩きましたが、何事も起きませんでした。歩いているうちに身体が左に傾いてきて、腰を痛め、やがて歩けなくなり中断した今年の東海道歩き旅、その原因を突き詰めようとしたのです。
スマホを買いました。東海道歩き旅で、メール送受信やインターネット閲覧が必要になりそうなので。WiFi(無線LAN)専用で使います。電話会社との契約はなく、通信費は一切かかりません、そこが大きなポイントです。
自律神経のバランスが崩れていると感じています。顔が火照ったり、「顔が赤い」などと妻から言われるときがあるからです。自律神経のバランスが取れていないと免疫力が低下して病気になりやすくなる、実際今年になってから、風邪と思われる下痢や発熱がありました。自律神経を整えるためには、昼は日光を浴びしっかり動いて交感神経を活性化させ、夜は暗いところでぐっすり寝て副交感神経を活性化させる、ということのようですが、これがなかなか難しいのです。
手術室に生れて初めて入りました。10月に自宅近くの総合病院で病院祭があり、そこでの見学ツアーに参加したときのことです。入る前に頭と靴を覆うビニールを装着し、手を消毒します。これだけでちょっと厳粛な気分。
先月の自転車との正面衝突事故、今月その現場検証に立ち会い、そこで自転車の危険性を改めて認識しました。周囲に明りが全くない暗闇での事故、自転車が私に気付いてブレーキをかけたのは衝突位置のほんの数メートル先でした。しかもそのブレーキ痕は、私を避けるのではなく、私に向かってきていたのです。
あまりにも気楽で能天気な暮らしに対する警告なのでしょうか、鎖骨骨折で苦しんでいます。自転車との正面衝突、それは前々回の「過信大敵」どころか、「油断大敵」いや「無鉄砲」ともいえる結果でした。
風邪らしい風邪をひいたのは何年かぶりです。数年前の風邪もそうでしたが、何年も風邪をひかなくなったので油断というか、過信がありました。過信大敵です。
大好きな枝豆、このところ毎日食べています。ご近所、といっても1.5kmほど歩くのですが、そこに畑があって65歳前後のおやじさんが一人で野菜を作っていて、お願いすればその場で採ってくれます。おやじさんが畑仕事をしているときしか頼めないのが難点でしたが、最近は朝いるときが多いのでせっせと枝豆やトマト、キュウリ、ナスなどを買って帰る機会が増えました。
安倍総理大臣が主催する新宿御苑での「桜を見る会」、朝8時半開場なので軽く食べて出かけ、会場の軽食をしっかりいただきます。その後に見物場所を確保、良い場所を取ろうと昨年よりも早めに出かけました。
これは白色申告です、と言われてびっくりしました。生れて初めて行った税務署の確定申告相談でのことです。白色申告など知らず、唯一知っていた青色申告だとばかり勝手に思い込んでいました。知識の無さに唖然とするばかりです。
安倍晋三首相からの「桜を見る会」の招待状を事務所のボスからもらい妻と二人で行ってきました。会場は新宿御苑、もうすっかり葉桜ですが、新緑が輝いていて、花とはまた違った春の風情です。御苑に入るのは何十年ぶりだろう、という妻の言葉に、私もそうだと気付きました。事務所から一望できる御苑はとても身近な存在ですが、こうして中を歩くのは何十年ぶりかです。木々の息吹を直に感じて、事務所から眺めるのとはまた違った味わいがありました。
3月1日、新居に引越しました。新築の高層マンションで、駅に隣接し、半径200メートル以内にスーパー5つ、ショッピングモール1つ、大学病院2つ、それに市最大の図書館があり、来年以降ですが、医療モールや更なるショッピングモールができます。歳をとって体力が衰えてもできるだけ人様にご迷惑をおかけしない、可能な限り自立していたい、との思いから購入したものです。
今年の我が家の十大ニュースです。振り返ってみると、ありがとう、の多い1年でした。
来年春、新居に引越します。駅、飲食店街、スーパー、病院、図書館などが雨でも濡れずに行ける便利なところなのですが、占有面積が2割以上狭くなり、結果として1部屋削減となります。このため大幅な断捨離が必要です。
朝ドラを見るようになって、友人から、少しは人並みになった、と言われましたが、最近新聞も読むようになりました。いままでの日経新聞に加えて産経新聞をとるようになり、この産経を読むついでに、ほとんど読まなかった日経も読んでいます。全体的に、日経のほうが信頼できそうですが、産経のほうが面白い。
朝5時前に起きて築地市場へ行ってきました。さすが大東京の台所、世界一の規模で、見ごたえがあります。
我が家にもやって来ました、タブレット、iPadに代表される最先端機器です。ソニー銀行が定期的に実施している抽選で当たりました。当然、ソニーのタブレットです。新聞配達所の各種チケット抽選でも、めったに当たらない第一希望チケットが当たったり、そこそこの倍率のあったマンションが無抽選で買えたり、小さいことから大きなことまでツキが回ってきている気配です。ツキは使い切ったら終わりだよ、と言う人もいますが、いやいやツキに乗って楽しくやっていればまたいいことがあって、ますますつくんだよ、と言う人もいます。後者だといいのですが。
年を追うごとによりいい関係が構築できている、そんな気がします。週2日働いている個人事務所のボスとの関係です。勤め始めて丸4年になろうとしている、その成果というか結果で、人間関係を築くにはそれなりの時間がかかるということなのでしょう。定年後としては、これ以上を望める職場は無い、と考えています。
Tシャツに続き、台湾の烏龍茶を事務所で販売することとなり、ショッピングサイトをリニューアルしました。2回目なのでソフトの中身を少しは理解した上での構築で、われながらよくできた、と一人自己満足しています。細かいソフトのことで誰もわかってくれないでしょうから自画自賛するしかありません。
週2日働いている事務所ではいろいろと美味しい思いをしていますが、それだけではありません。前回報告した台北はこの事務所の仕事でした。台湾からの巨額の義援金を受けて「ありがとう台湾表敬訪問団」を募集したのです。メールで呼びかけると、67人が集まりました。台北集合、台北解散ですが、出発前日までのメールの交換や当日の参加確認など苦労も多かったのですが、学ぶことも多くありました。
あともう少し、これだけ、などと思いながらパソコンに向かっていると、やがて白々と夜が開けてきます。そんな日が何日かあってショッピングサイトが完成しました。無料で開放されているショッピングサイト構築ソフトEC-CUBEをダウンロードしたのが1ヶ月前、それをカスタマイズ、つまり変更して、今日で終了です。実に様々なことを学びました。
そのときマンション5階の自宅でパソコンに向かっていました。激しく揺れて、照明が消え、部屋がギシギシと音を立てています。さほどの恐怖感はないものの、大きな揺れが一向に収まらないので、テーブルの下へと移動、近くにいた愛犬モモを引き寄せて一緒に地震が通りすぎるのを待ちました。
今年は大変な年でした。1月に母が亡くなり、同じ1月に39年間所属した会社を辞め、個人事業の大得意、というよりはほぼ唯一のクライアントを7月に失いました。人生急降下の年、となるべきところを救ってくれたのが3年前からの個人事務所での仕事でした。この事務所が会員制サイトを新設することとなり、今年の後半はその構築に忙殺されたのです。忙しさが、急降下をなだらかな下り坂に変えてくれたと考えています。ありがたいことです。
特上のうな重4,000円、これが昼食、老舗のうなぎ屋さんから取り寄せたお重の大きさは普通、いやむしろ小さめともいえます。でも、厚い肉、脂のほどよいのり具合、とろけるような柔らかさ、秘伝とおもわれるたれの味、まさに極上品です。週2日働いている事務所のボスのおごり、ここではいろいろと美味しい思いをしています。
久々、5年ぶりの新ウエブサイト構築です。働いている事務所で会員制のサイトを新たに立ちあげることとなり、全面的にわたくしにお任せ、というよりも誰もわからないので、やりたい放題、とても楽しく作業しています。
体重が3キロほど減りました。率でいうと4.6%減、6月ごろから減り始め、ズボンがかなりゆるくなっています。最も増えたアメリカ生活での体重と比べると13キロ、17%減で、今や20代のころに戻った感があります。まあ、体重だけですが。
定額給付金は小型デジカメと決めました。欲しいデジカメの価格はぴったし給付金二人分、妻との共同出資となり、色選択権は妻、選んだのはピンクでした。ピンクと聞いて少し引けましたが、まあ、写ればいいか、そんなにどぎついピンクでもないし、と買ってみると、これがかなりのすぐれもの、さすが最新鋭モデルと感心しています。
今年もカルガモが生まれました。12匹のカルガモっ子たちが、わたしの散歩コースにある遊歩道沿いの川で元気に泳ぎ回っています。わき目もふらずにひたすら歩くわたしでも、さすがに足が止まります。小さなカルガモたちが、一直線になって進む姿や、団子になって寝る姿は実に愛くるしく、見ていて飽きません。遊歩道を行きかうほとんどの人は立ち止まり、見守っています。
「川の水も奇麗な様子で驚いた」そんなメールが京都に住む友人から届きました。かれの息子さんが、川崎にあるわたしの家から3kmほど離れたところに住むこととなったので、その周辺の写真を送ったのです。「川崎」という地名が必ずしも良いイメージではない様子がメールからうかがえます。京都郊外の西山、小高い緑の山々、そのふもとで生まれ育った息子さんが安心して住める所なのか、親としては気がかりなことでしょう。
美味しいものに恵まれたおいしい生活です。今年は果物に恵まれています。スイカ、メロン、マンゴー、モモ、ブドウ、ナシと途切れることなくいただきました。スイカは叔母の家のちかくの八百屋さんから、メロンは北海道から、ブドウは岡山から、それぞれ叔母に届けられたものです。
東京の夜の繁華街を歩くと、行き交う若い人たちから元気をもらえる、そんな気がします。今年の夏は若い女性の肌の露出度が高いとのこと、若さが印象に残るのもなおさらなのかもしれません。
左下奥歯が欠けました。コンブ飴を噛んでいるときで、なめていれば欠けずにすんだのでは、と少し後悔しています。12年前にアメリカで虫歯治療した歯で、かぶせてあるセラミックが欠けたのです。歯医者さんに診てもらうと、横が欠けているが機能には影響ないとのことで、しばらく様子見となりました。
ニコンの最新コンパクトデジタルカメラCOOLPIX S51cを入手しました。これがなかなか優れもので、その優れぶりをニコンのホームページに「萩原稔レポート」として掲載します。このため、いまはつねに持ち歩き写真を撮りまくっています。モデルとなるわが家のお犬様モモや、友人、仲間は迷惑していることでしょう。
わが家の必需品、それはインターネットです。とても重宝しています。DVDレコーダーを、ネット情報をもとに、安い家電量販店よりもさらに3割以上安く買いました。クリスマスシーズンのドイツを旅行しようとネットでパッケージツアーを調べましたがコースや滞在日数が気にいらないので、飛行機とホテルをそれぞれネット予約しました。カスタムメイドなので割高を覚悟していましたが、激安パッケージツアーよりもさらに安いのです。
仕事が閑散期に入って暇となり、読書の時間が増えました。繁忙期になれば少しは忙しい生活にもどるので、いまは仕事が完全になくなる将来の疑似体験期間といえそうです。だらだらした張りのない生活を想像していましたが、そうでもなさそうです。