先月、友人を誘って運慶展に出かけました。お目当ての一つは重源(ちょうげん)上人坐像(東大寺俊乗堂。国宝)、源平の争乱で焼失した東大寺を復興した僧侶の坐像です。運慶は、貴族社会から武家社会に移行する過渡期に活躍した仏師で、日本のルネサンス彫刻と称賛する人もいて、圧倒的な力強さと徹底的なリアリティなどで、人々に感銘を与えています。
重源上人坐像も、その息づかいが聞こえてきそうな、生き生きとした姿で彫られています。厳しさとともに優しさも感じられる老僧の像からは、彼に対する作者の優しい眼差しや尊敬の念が伺えました。仏師として復興に尽力した運慶、あるいはその一門の人たちだからこその作品ではないでしょうか。年2回、重源の命日と東大寺初代別当の法要の日だけに一般公開される貴重な像を、360度の角度から手が届くほどの間近で心行くまで拝観させていただきました。
重源上人は23年かけて東大寺を復興しました。その間、勧進活動や巨木調達などで全国を回り、復興を果たし総供養を行った3年後に亡くなっています。86歳でした。この時代としてはかなりの長寿です。像からも、老いてなお精悍なオーラを感じることができます。東大寺復興という大きな目標と、それを成し遂げるための東奔西走の活動が長寿につながったに違いありません。 (参照:東大寺を再建した重源)
運慶展は大人気で、1ヵ月の展示期間で60万人が訪れ、寒空の中での入館待ちが60分にもなり、急きょ、最後5日間の閉館時間を17時から21時に延長しています。「史上最大の運慶展」と銘打った展示物の数々からは、運慶ら仏師たちの、人などへの観察眼の確かさと、仏師としての細部にわたる強いこだわりを感じました。だからこそ、1000年近くの時を経てもなお人々に感銘を与えるのでしょう。東西を問わず、大切に引き継がれていくものには、作者のそれだけの並々ならぬ努力、深い見識、究めた技などの総合力といったものがある、そういものだけが後世に残る、と改めて思いました。
今年の総決算です。
1.家族
家族に特別の変化はありませんでした。平穏な日々ということのようです。
2.友人たち
中学・高校時代、大学時代、会社員時代、それぞれの友人たちと楽しい時間を持てています。
3.趣味
最大かつ唯一と言える趣味、ウォーキングでは年間3746キロ歩き、1日平均10キロを達成しています。
また、東海道歩き旅は今年で8回目、お伊勢さんまでの466キロを13日で完歩しました。70歳までは続けたい、と始めた歩き旅、次の目標は80歳までは、ということでしょうか?
4.旅行
海外は北イタリア、台湾、ポルトガル、国内は金沢、青森、山形、奈良に出かけました。友人が新車を購入したので、2組夫婦で出かける国内旅行が2回もありました。旅行は暮しの一部、といった感じになっています。ありがたいことです。
5.日々の思い
今年も抜歯で悲しい思いをしています。この3年間で3本の抜歯、全て、若いころに神経を取り除いた歯です。残った歯は全て神経が通っているので大切にしていきます。
6.日々の暮らし
「住みたい街ランキング」でわが街の人気が上昇中で、関東上位3位に迫る勢いです。すぐ近くに家電量販店ができ、ますます便利、早速洗濯機を購入しました。おかげで脱水時の驚くほどの騒音から解放され、静かな日々を取り戻しました。
7.仕事
今年から、春と秋のベストシーズンに2週間ほどの長期休暇が取れるようになりました。春は東海道歩き旅、秋はヨーロッパ街歩き、となります。
また、私が70歳までは頑張るから、と言っていた勤務先事務所のボス、まだまだ頑張ってくれそうです。来年は勤務11年目に入ります。
友人から「正倉院展に行こう」との電話、展示会は遠い奈良ですが、本人は行く気満々です。しかもわずか「1泊で」と。つい最近新車を買ったので出かけたいに違いありません。それにしてもかなりの遠出、片道6時間以上かかるので、せめて2泊にしたかったのですが、私の勤務先での調整がつかず、1泊となりました。出発は6日後、ホテルをどうにか確保して出かけました。
往復860km、私と同じ70歳の友人が一人で運転します。友人の奥さんと私の妻が後部座席で仲良くうとうとする中、運転で眠気がこないように助手席の私がいろいろと話しかけます。とりとめのない話なのですが、これが楽しいのです。だいたい、一緒にいて楽しくなければ、旅行など行けません。朝6時過ぎに家を出て、友人宅最寄駅で車に乗り込み、高速で奈良へ、ホテルに車を停め、正倉院展に到着したのが14時半過ぎ、8時間半ほどの道のりでしたが、それだけの価値がありました。
1300年前の美術工芸品、シルクロードを通ってはるばるやって来たもの、当時の日本で作られたもの、いずれも時間をかけ、手間をかけ、丁寧に作られています。日本で作られたものでも、図柄や形は異国風で、仏教をはじめとする異国文化を積極的に取り込もうとしている、寛容で開かれた天平期の空気を感じることができます。展示物には戸籍や地図もあって、国家が形成されつつあることを示しているとのことでした。奈良から遠く離れた関東の地「下総国葛飾郡大島郷」の戸籍もありました。そこには「刀良(とら)」という男性や「佐久良賣(さくらめ)」という女性の名があり、天平の寅さんが柴又近くに住んでいたことが分かります。1300年も昔の人がとても身近な存在に思えてきます。
毎年開催されている正倉院展、行きたいと10年来思い続けてきたという友人は、今回その願いが叶い、展示物の大きな写真と詳細説明が載った本を記念に購入しています。何か嬉しそうで、そんな友人を見ても、やはり来てよかったと改めて思うのです。翌日は、復元された朱雀門、興福寺、なら仏像館、東大寺、薬師寺などを訪れました。興福寺阿修羅像の憂いを秘めたようなお顔、薬師寺の平山郁夫画伯「大唐西域壁画」の山頂残雪の鮮やかな白、などが特に印象に残りました。たくさんの仏像を拝観しましたが、それぞれが丹精込めて作られた美しく素敵なお顔でした。
最後の薬師寺を午後3時50分に出発したので、往路での時間実績から、私と妻が乗る電車の終電ギリギリになりそうでした。終電に乗り遅れたら家まで送って行く、と友人は言うのですが、そうなると友人は片道40kmを往復しなくてはなりません。結局、途中休憩を短縮するなどして、終電の30分ほど前に友人宅最寄駅に到着、午後11時45分に帰宅することができました。前日朝6時に出て、翌日夜12時近くに帰宅するという、2日間まるまる遊んだ奈良でした。70歳を過ぎた者がやるような旅ではないのかもしれませんが、お互い元気だということでしょう。運転手さん、本当にご苦労様でした。感謝、感謝です。
東急池上線1日無料開放、品川区と大田区を走る全長10.9㎞の池上線、その知名度アップのための開通90周年記念イベントです。10月9日、「109」で「東急」となる、3連休最終日の体育の日でした。せっかくなので池上線まで行くのも無料で、と自宅から池上線の駅まで40分ほどを歩きました。爽やかな秋晴れ、自宅近くの多摩川を渡れば大田区、河川敷では少年サッカーチームのゲームを家族が観戦しています。「選手だけでなく家族も、朝から頑張ってるんだ」とか「(東急も)太っ腹!!」とか妻と話しながら丸子橋を渡りました。
池上線の最寄り駅は雪が谷大塚、駅に着くと大勢の人の流れ、配布している1日フリー乗車券を受取ってホームに行くと大変な混雑です。やって来た電車も満員、降りる人の分だけ乗れるという感じでした。何とか乗車して、まずは日蓮宗大本山の池上本門寺へ。このお寺への参拝者のためにできた池上線ですから、ここが最大の見どころとなります。池上駅からお寺へと大変な人の流れができていました。高台にある本門寺からは、池上線沿線の町並みが一望できます。
大きな商業施設がなく住宅が中心の街、同じ東急電鉄の東横線や田園都市線と比べるととても地味で、「住みたくなる街」ランキングにはなかなか入りません。そこで地元と協力してのこの大イベントとなったようです。当日限定の割引クーポン、人数制限はあるものの、洗足池の無料ボート、戸越銀座商店街の無料コロッケ、人気番組「ブラタモリ」さながらの「池上線地形セミナー&ツアー」など盛りだくさん、フリー乗車券とイベントカタログを駅で配布しているのも地元の方々のようでした。
本門寺門前で「ごまおはぎ」を買って、日蓮様が足を洗ったという洗足池へ。ここもたくさんの人、たまたま空いていたベンチに座り、池を眺めながら「ごまおはぎ」をいただきました。しばらく池を眺めて過ごしてから、戸越銀座商店街へ、長い商店街は人また人、夜のニュースで、「こんな人出は初めて、嬉しい!!」と商店街の方が話しています。20代のときにこの近くに住んでいた妻は、かつて買物をしていたお店を捜しているようでしたが、確かなものは見つからなかったようです。20代は遠い昔となっていました。
最後は蒲田駅、名物の羽根つき餃子をいただきました。蒲田での夕食後、妻は歩き疲れたとか言って池上線から、有料の大井町線、目黒線と乗り継いで帰りましたが、私は雪が谷大塚駅から歩いて帰り、全て無料、を貫いています。
このイベントで配布されたフリー乗車券は21万枚、1人が何回か乗り降りするので、輸送人員はその倍以上、42万人以上はあったはずで、大成功でしょう。1日の輸送人員が23万人の路線に42万人以上ということで、乗車した電車は全てがすし詰め状態、定刻運転など望むべくも無く、改札ゲートで滞らないように乗車券を入れずに出る様に案内されるほどでした。それでもみんな和やか、このイベントを大いに楽しんでいる様子、我々二人も1日たっぷり楽しみました。太っ腹の東急電鉄に感謝です。
季節の良いときに旅行に行きたい、と勤務先のボスに頼み込み、秋のポルトガル旅行が実現しました。直行便のないポルトガルは15時間ほど、飛行機の狭い座席で長時間過ごすこと、キツイ時差ぼけになることで、歳をとったら厳しく、ヨーロッパにあと何回行けるかわからない、と訴えたのです。
おかげで、ベスト・シーズンでの旅行となりました。今までは、ボスが旅行に出かけない限り、良い季節での旅行はできなかったのですが、これからは毎年行けるようになり、来年の秋はどこに行こうか、と妻と話したりもしています。
春のお伊勢さん歩き旅と秋のヨーロッパ旅行、春休みと秋休みを2週間近くとるという、会社員(一応)らしからぬ休暇取得です。私が首にならないのは勤務先事務所の七不思議、とボスのご友人が教えてくれました。そうできるだけのボスとの信頼関係が築けている、ということだと思うのですが・・・。
こうして出掛けたポルトガル、リスボン、コインブラ、ポルトに計10泊、12日間の旅行でした。国土が日本の約4分の1なのでゆったり旅行、のつもりでしたが、意外と忙しく、疲れました。歩きにくい石畳でかつ坂道が多かったこともあるかもしれませんが、歳のせいもあるのでしょう。元気なうちに、ますます色々なところに出かけなくては、ということのようです。
季節は最高でした。毎日快晴で、歩くと少しは暑いものの、爽やかな秋の風と気候、一瞬雨に降られましたが、それはスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラでのこと、ポルトガルでは全て良い天気だったと、妻と喜びあっています。食事も、今までのヨーロッパ旅行で最良だったように思います。海に面した国なので、海の幸に恵まれています。
海辺のリゾート地ナザレを散策中、魚を焼くいい匂いにつられて入ったレストランでの鰯の炭火焼き、結構大きな鰯が4匹ほど出てきたときは、食べられるだろうか、と一瞬思いましたが、とても美味しくて、二人で一気に平らげました。タコは、何でこんなに柔らかいのと思うくらい上手に煮込んであって、マリネでも、リゾットでも、太い足をパンに挟んだホットドックでも、全て美味しくいただきました。名物の干しダラ、バカリャウは、グリルよし、オーブン焼よし、コロッケよし、でした。
馴染みの食材で食べやすい、ということだったのかもしれませんが、美味しいレストランだったこともあったかと思います。今回は、全ての夕食が夜7時以降になったので、開店時間の遅い人気レストランにも行くことができました。夜8時ごろに入ったときは空席が目立つレストランでも、9時半ごろに出るときは満席で盛り上がっています。今までは、朝早いことが多く、夕食を早く済ませていたのです。現地の人たちの生活リズムに合わせることが、美味しい外食をいただくコツだったのかもしれません。
大航海時代に繁栄したポルトガルだけに、重厚さで圧倒される歴史的建造物、当時の光り輝く神々しさや荘厳さを想像させる装飾の数々を楽しむことができます。ポルトにあるサン・フランシスコ教会では、金泥の彫刻群が、天井、壁、柱を覆っていました。植民地から得た富を、このような建造物や装飾につぎ込んで、それが国の衰退の一因にもなったと言われるほどの歴史的遺産、一度は見ておく価値があります。
老い先短いこの身、来年の秋はどこに行こうか、何を見ようか、いまから楽しみです。
以下にもう少し書き留めました。興味がありましたらお読みください。
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今回スリに狙われました。観光客で混雑するリスボン28番トラムで財布を入れたポケットに手を突っ込まれたのです。突っ込まれた感触があったので、振り向くと中年男性、顔を覗き込むように見ていると、次の駅で降りて行きました。幸い、財布を袋に入れて紐でバンドに固定していたので、盗まれることはありませんでした。近くにいた若いカップルが見ていたようで、スリだった、と後で言ったので間違いないでしょう。
3人組だったようで、若い男性が手すりを塞ぐように不自然に立ち、私が高い手すりに両手で捉まるよう仕向けての犯行でした。妊娠しているので席を譲ってと、妻を立たせた若い女性も一味だったようで、一緒に降りていきました。日本人夫婦を狙ったようですが、妻は席を立ってからもバッグをしっかり抱えていたので、何も盗まれることはありませんでした。海外旅行での危機管理が功を奏しました。
でも、出会ったポルトガル人のほとんどは好感のもてる人たちでした。道や駅でまごまごしていると声を掛けてくれたし、乗車した電車が正しいのかを心配する我々に、みんなが親切に教えてくれました。レストランでのサービスというか、心地良さは、ヨーロッパの他の国とはかなり違う印象です。とても親しみがあり、「美味しかったか?」と訊いてきたりもします。量が多いのでメインは一皿だけ、と頼んでも快く受け入れてくれます。他の国、特にフランスでは、あからさまに嫌な顔をされたり、断られたりします。ポルトガルでの心地良さが、美味しい食事ができた要因の一つだったのかもしれません。
レストラン従業員のキビキビした動きは見ていて気持ちよく、電車の運賃や施設の入場料が半額になるシニア割引は大いに助かり、長距離のバスや電車での無料WiFiは移動中にいろいろと調べることができて便利で、いずれもポルトガルの好印象につながっています。行って良かった、楽しい旅行でした。
定年退職後は「キョウヨウ」と「キョウイク」が大切、と言われたことがあります。「今日、用がある」と「「今日、行くところがある」で、「やることがある」が大切、ということです。
「(皆既日食の撮影で)ワイオミング州のキャスパーに行く」とのメールが届きました。皆既日食やオーロラなどの壮大な天体ショーを撮影するために、何回も海外に出かけている友人からです。いつも素晴らしい写真を撮ってきます。「皆既の時間は2分28秒、この瞬間のために半年も前からあれこれ調べたり、撮影機材の準備をしています」ともあり、嬉々とした気分が伝わってきます。今月の記録的な長雨で「撮影のリハーサルをしようと思っているのですが太陽が出てくれません」とありましたが、メール以降、太陽が顔を出したときがあったので、リハーサルもきっとできたことでしょう。
彼の写真は雑誌や新聞に掲載されるほどの高い完成度で、まさにその道を究めつつあるかのようです。純粋な「興味」とか「感動」から一歩を踏み出し、追い求める、素敵な「やることがある」と言えるでしょう。何ごとも「興味」から始まるのでしょうが、それが「お金」や「必要性」につながらなければ続かない私にはとても羨ましい「やることがある」です。
私も「旅行」にはよく出かけますが、それは、夫婦二人の日々の暮らしに潤いと刺激が「必要」だと考えているからです。妻が行かなくなったら、私も行かないでしょう。その程度のこと、何かに魅了されてどうしても行きたいから行く、ということではありません。
毎日ウォーキングは「健康」のために「必要」、しかも勤務先まで歩けば370円の「節約」になります。週2日の勤務は「お金」と、一応は仕事をしているという姿勢のために「必要」なのです。お伊勢さんまで毎年歩くのは、毎日ウォーキングの目標として「必要」、アスリートが日々頑張るためにオリンピックという目標が「必要」なように。芭蕉が詠んだ「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」といった旅への愛着ではありません。
何か味気ない感もありますが、全て熱心に取り組んでいて、自分としては、「やりたいこと」「楽しいこと」なので、まあまあ「やることがある」いい暮しだと言えるのではないでしょうか。「お金」や「必要性」から続けていくうちに「やりたいこと」「楽しいこと」になった、ということなのかもしれませんが。
私の人生には、「やりたいこと」「楽しいこと」しかなかった、と勝手に思っています。「やりたくないこと」「楽しくないこと」もあったかもしれませんが、熱意がわかないまま続かなかったか、別の道を選んだか、記憶に残らない程度のことだったか、なのでしょう。幸せな人生です。
追:友人が皆既日食の写真をブログに掲載しました。-->こちらでご覧ください。
真夏日が続き、猛暑日の日もあって、2時間半の毎日ウォーキングは汗だくになります。あまりの暑さで、人影も少なく、いつも出会っていた保育園児たちの行列も見かけなくなりました。そんな中、私と同年代と思われる男性3,4人のグループは変わりなく集まっています。小さな川沿いの、桜の木々に囲まれた、木陰の野外テーブルベンチで、持参のペットボトルのお茶などを飲みながら話しをしています。横を通るときに、楽しそうな笑い声が聞こえたりします。ご近所さんで、幼馴染なのかもしれません。楽しそうな雰囲気です。
ウォーキングの度にほぼ出会うので、年間を通してほとんど毎日集まっている様子です。同年代で、時間もあり、毎日でも話が尽きない仲間なのでしょう。気になっていて、ときどき様子をうかがいます。向こうも、話しをやめて近づく私をチラッと見るときがあって、目が合ったりします。穏やかな視線のようですが、「お互い元気ですね」という励ましか、「お互い、他にやることがないので」というボヤキか、おそらくそんなところなのでしょう。
毎日のウォーキングで、勤務先事務所に行く日は、事務所まで3時間半ほど歩くときもあります。到着すると事務所のボスが、「汗びっしょりじゃないの。そんなに歩いてどうするの」とあきれ顔です。今月は、真夏日か猛暑日の日が25日もあり、全国で6300人余りの人が熱中症で救急搬送されたという週があって、死亡者も出ています。「気をつけて歩いてますから」と説得力のあまりない言い訳をするのですが、心配している様子がよく分かります。
これで熱中症にでもなったら、周りからなにを言われるか分かりません。健康のためにやっていることで健康を害してどうするの、とか。ですから無理はしていないつもりです。何か不調の兆候があれば歩きません、が、今月はそんな日はありませんでした。快食、快便、快眠ができている間は大丈夫、と勝手に思い込んだりもしています。
仲間と毎日集う楽しみも、汗びっしょりで歩いて、今日も元気だ、と自己満足する楽しみも、楽しみは人それぞれです。それぞれの楽しみを大切にして、元気に過ごしていきたいものです。
初めて訪れた庄内平野は、田植え間もない若い稲の、勢いのある明るい緑が一面に広がっていました。これが秋になると黄金色に輝くのでしょう。平野を囲む山々は濃い緑、さらに先の山々は薄い青緑、梅雨時の湿り気のある空気の中、平野も山も生命力あふれる美しい緑で溢れていました。
小雨模様のなかを登った羽黒山も、うっそうとしたブナと杉並木の緑に包まれていました。霊場・出羽三山のひとつである羽黒山は、随神門をくぐるとそこからは神域、山頂にある、出羽三山の三神を祀る三神合祭殿までの参道は2446段の石段になっています。途中にある樹齢1000年といわれる国の天然記念物『翁杉』、その大きさに迫る杉の巨木が、ブナ林とともに石段の両側にどこまでも続く様からは、神々しさを感じます。このようなうっそうとした森林がスポンジのように雨を吸収し、地下水となり、川となり、庄内平野の稲を育て、日本海の海の幸を育んでいます。その恵みの源となる山々が、人々に崇められ大切にされてきたのは、自然で、当然のことなのでしょう。
人々の信仰が、2446段の石の参道、随神門からすぐの国宝・羽黒山五重塔、散在する数々の小さな社、そして頂上の三神合祭殿を造ったのです。それは周囲の自然と見事に調和した造形物で、自然と共に生きてきた人々の優しい気持ちを表しているかのようでした。梅雨時には梅雨時の素晴らしい景色に出会うことができました。
参道の中間地点に、力餅や飲み物がいただける茶屋があり、お婆さんと中年女性の二人で営んでいました。お婆さんは83歳、冬季を除く毎日、荷物を担いで1000段以上の階段を登ってきて、電気が無いので、杵でお餅をつくそうです。60年間続けてきたとのことで、とてもお元気、仕事があって、身体を動かすことがいかに大切かを、改めて思いました。お婆さんにあやかろうと、力餅をいただきました。その日についたお餅は、柔らかくてとても美味しかったです。
定年後、妻と二人でいろいろなところに旅しており、そのたびに、初めての風景、初めての体験に出会います。幸せな定年後です。同じく定年となった友人のなかに、年6回も海外に出かけるご夫婦がいます。先日、ランチでご一緒したとき、再来年の4月まで予定が決まっている、と嬉しそうでした。元気なうちに大いに楽しもうということなのでしょう。そんな友人に刺激を受けているのは確かですが、我々はそれほどの頻度にはなりません。まして海外となると尚更です。今回は、「大人の休日倶楽部パス」東日本JR4日間乗り放題の旅で、2泊3日の新潟、酒田、鶴岡と、日帰りの伊豆下田でした。友人とはスケールが違いますが、楽しい旅で、「乗り放題」というお得感の嬉しさもありました。
70歳になっても歩けていたらいいなぁ、と思いながら始めた毎年の東海道歩き旅、その70歳の今年も完歩しました。8回目です。自宅から伊勢神宮まで466キロ、13日の歩き旅でした。
一昨年から歩き旅の楽しさが失われつつあります。それまでは、通しで75キロ歩いた、とか、仮眠2時間をはさんで夜通し96キロ歩いた、とか、6日連続で1日50キロ以上歩いた、とか、まるで荒行のような旅で、それが楽しさでもあったのです。ところが、一昨年、身体が傾いてあまり歩けなくなり、春と秋の2回での完歩となってしまい、昨年は、1回で完歩したものの、帰宅してから2週間ほど疲れが取れませんでした。今年も同様に疲れが残り、70歳を機に歩き方を考え直すときがきたようです。
荒行のような旅はもうできないのでしょう。歳を考えるとそれが当たり前なのかもしれません。健康維持を目的に始めた歩きですから、それで疲れを溜め、健康を害するようなことがあれば本末転倒です。分かってはいるのですが、楽しみが奪われたような寂しさもあります。
自分の歳や体力に見合った歩き旅、妻は、「日光にしたら」と言います。自宅から150キロほどで、到着後に観光する余裕すらあるかもしれないし、日光なら妻も電車でやって来るかもしれません。返事はしていません。歩き旅、無理してまでやるようなことではないのですが、少し無理した目標でないと、完歩することでの達成感や喜びがありません。「少しの無理」と、「歳」や「体力」との見極めが難しいところです。
箱根下山で出会った男性は、歩くのが大好き、とのこと。海抜0メートルの海岸から歩き始め、富士山頂浅間大社奥宮に海水を奉納すること16回だそうです。箱根下山の、芦ノ湖から三島のご自宅までの20キロほどは、いつものウォーキングコース、といった感じでした。77歳だそうで、話を聞いてとても元気づけられました。私も、私なりの目標設定をして、いつまでも元気に歩き旅を続けたいものです。
勤務先事務所を2週間以上休んで出勤した日、「また来年も行くつもりです」とボスに言うと、「まだ行くの」と少しあきれ顔でした。疲れが取れていないときだったので、「たぶん」とだけ答えています。でも、来年の春には、喉元過ぎれば何とやら、で、またお伊勢さんにいそいそと出かけて行くような気がします。何にこだわるかは人様々、それがその人のアイデンティティ、好きにさせて、などと言いながら。
桜の開花がいつなのか毎日のようにチェックしていました。旅行日程が決まっているので、できれば見ごろ、せめて少しでもいいから咲いててほしいとの思いからです。ところが、ところが、当日になってみると、五分咲きか満開という桜の最も美しい日々、そんな最高の見ごろは数日しかありません。稀な幸運に恵まれた旅だったと言えます。
今月初旬の金沢城兼六園、下旬の角館武家屋敷と弘前城への旅、いづれも屈指の桜の名所、桜の時期に一度は訪れたいと誰もが思うのではないでしょうか。そんな思いが、最高の形で実現したのです。金沢も角館も抜けるような青空を背景にした桜、弘前は時々降る小雨のなかでの桜、いづれも美しく、大満足でした。
何百本、何千本と咲く様は実に見事です。特に、日本三大桜名所のひとつである弘前城には約2千6百本もの桜があり、こじんまりした優しいお城のいたるところで競うように美しく咲き誇っています。この地の人々が、100年以上前に植樹し、世話をし、楽しんできました。雪国の人々の思いがこもった、控えめだが美しい、春の訪れを告げる桜なのです。
金沢は毎年恒例の会社の同期会でした。1年ぶりの再会ですが、相変わらず気の置けない愉しい仲間です。金沢城近くの宿だったので、みんなで夜桜見物に出かけ、日本三名園である兼六園で、夜桜だけでなく、霞ヶ池の徽軫灯籠や眼下に広がる市内の夜景などをみんなで賑やかに楽しみました。
角館と弘前は、昨年10月に会津若松に車で出かけた友人夫妻と一緒でした。昨年、車で行こうとしたのですが、東京から700キロほどあるので、運転を苦と思わない友人でも、さすがに車はあきらめて新幹線とレンタカーとなりました。角館の桜はまだつぼみのところもありましたが、有名な樺細工伝承館前のしだれ桜は満開で、4人でババヘラアイスを食べながら花見を楽しんでいます。弘前は小雨模様でしたが、その素晴らしさに4人とも大喜び、お堀沿いの桜のトンネルを、はしゃぎまわりたい楽しい気分で散策しました。
新幹線角館駅でレンタカーを借りて、角館でお花見、「NIKKEIプラス1 何でもランキング」の「大自然につかる絶景風景」で全国1位となった黄金崎不老ふ死温泉の、岩礁にある露天風呂から夕陽の絶景を眺め、高山稲荷神社で赤い鳥居のトンネルをくぐり、竜飛岬で北海道を望み、川倉賽の河原地蔵尊で子を亡くした親の悲しみを思い、太宰治記念館「斜陽館」で、2,250俵もの米俵が納まる米蔵を持つ広大な豪邸を見物し、吉永小百合さんのJR広告で有名になった鶴の舞橋で広告と同じ構図で写真を撮り、村を守る鬼が鳥居などに鎮座する神社のいくつかを訪ね、弘前城でお花見をするという、盛りだくさんの旅行、4人でわいわいがやがや、運転手さん1人が大変でしたが、津軽の春を堪能しました。
桜あり、名所あり、歴史あり、恵まれたと言える天候あり、金沢の銘菓や海の幸あり、津軽の海の幸山の幸あり、そして友人ありの、何拍子も揃った、記憶に残る旅でした。いろいろなことに、感謝、感謝です。
「B級グルメを楽しんできます」、台北行便への搭乗待ちで妻が友人に宛てたメールです。友人からは「いやいや、A級で!」との返信がありました。9回目の台湾、今回は台南に初めて行きます。台南は「食の都」、しかもいつもは勤務先事務所のボスとの食事が多いのですが、今回は6泊7日のうちの2回だけ、あとは妻と二人だけで心置きなくB級グルメ食べ歩きができるのです。とても楽しみ、嬉々として飛行機に乗り込みました。
台南は、何回も訪れている台北とはちょっと違うな、という印象でした。味自慢の大阪では「大阪は、金を出さずにおいしいものがある。京都は、金を出せばおいしいものがある。東京は、金を出してもおいしいものがない」というジョークが受けるそうですが、台南もそんな大阪に似ているようです。街のいたるところに食事処があり、かつ賑わっていて、食べることへの強いこだわりを感じるのです。
台湾名物「夜市」、たくさんの屋台が出て、たくさんの人で賑わいます。日本のようにイベントのある日だけ、ということではなく、日常的にあって、人々の暮らしの一部になっている感があります。そんな屋台から出世して店舗を構える、それは人々によって時間をかけて厳選された味であり、まさにB級グルメの覇者、そんな店は間違いなく美味でした。
台南の「赤崁担仔麺」、店名ともなっているタンツー麺が美味しい店、離婚後女手1つで子育てをしながら開いた屋台が評判となり店舗を構えたとのこと、タンツー麺はもちろん、牡蠣のスープも絶品でした。「集品蝦仁飯」のエビ飯や「金得春捲」の生春巻など、提供料理が店名というのもいかにも屋台を連想させます。いずれも最高のB級グルメでした。
ところで、ボスにご馳走になった2回は、政治家や芸能人が御用達という台南伝統料理の老舗名店と、世界の首相・皇室・VIPをもてなす最高級の会員制レストランでした。食材はよく分からないものもありますが、とにかく美味、お腹がいっぱいでも、残さずつい食べてしまいます。たくさん出された料理、それぞれの全てを平らげました。B級グルメだけでなく、友人が言う「A級」も大いに堪能することができたのです。
台南駅前でバス待ちをしているときに日本語で話しかけてきたお年寄、昭和3年(1928年)生まれで、生まれたときは日本人、日本語で教育を受けた、とおっしゃっていました。同じバスに乗り、同じバス停で降りての別れ際、どこに行かれるのですか、と尋ねると、饅頭を買いに行く、とのことでした。しっかり歩く後姿を見ながら、美味しいものを食べるためにバスで出かける、だから更に元気になるんだ、と思ったりしています。食いしん坊は元気で長生き、なのかもしれません。
「運転免許を返納した」と、新たに交付された運転経歴証明書なるものを見せてくれました。大学同期の友人です。便利だが一歩間違うと凶器にもなる自動車、高齢者の運転による事故が社会問題となっているなか、道義心の強い彼らしい決断です。普段走っている道路で間違った道に入った、と決断に至ったひとつのきっかけを話してくれました。その程度のことで、と思えないこともないのですが、そこが彼らしい潔さです。
かく言う私も返納しました。道義心、といった高尚な気持ちのかけらもなく、単に、更新時の視力検査に自信がなかったのです。免許更新時期になったので新しいメガネを作ろうとメガネ屋さんに行くと、度のかなり強いレンズでも運転視力がでませんでした。これ以上強いレンズだと医者の診断書が必要です、と言われました。数日後、目の調子が良さそうなときに別の店に行きましたが、同じ答えでした。そこで、メガネを作るのをあきらめたのです。
ここ数年、近視が進んでいるのを感じてはいましたが、これほどまでになっていたとは。日常生活にはあまり支障ないのでさほど気にしていませんでした。悪化ぶりを目の前に突き付けられた思いです。元気に過ごしていても、静かに、でも確実に老いが進んでいます。
版画家の棟方志功さんは極端な近視で、メガネが板に付くほど顔を近づけて板画を彫ったそうです。制作過程をテレビで見たことがありますが、女性モデルの肌に触れんばかりに顔を近づけていた姿が印象に残っています。制作のためであれば人目もはばからない、目が悪くても自分の目でしっかり確認して描く、そんな気迫に圧倒され、湧き上がるような強い制作意欲を感じました。身体の一部機能が衰えたたときに、どのように暮らすか、で大切なことは、強い目的意識なのかもしれません。私が尊敬する三浦敬三さんも、スキーで滑る、という強い目的意識をもって、100歳近くなっても毎日のトレーニングを欠かしませんでした。先人の生き方や知恵に学びながら、老いへの道を元気に歩んでいきたいものです。
アメリカ赴任を機に取得した運転免許、47歳、23年前でした。歳でもあり、赴任までの期間も短かったため、いくつかの教習所に「無理です」と断られたことや、取得後最初の運転となった赴任先のシカゴで、1台分空いていたところへの駐車がどうしてもできず、同僚に頼んだこと、などを懐かしく思い出しました。アメリカでは、歩いているのはアライグマぐらい、という広くて安全な道を、3500ccの快適な加速、快適な乗り心地の車で、3年半の駐在中、実にいろいろなところに出かけました。日本では一度も運転していません。先日、免許証返納によって発行された運転経歴証明書を受けとりました。免許証そっくりなのですが、「自動車等の運転はできません」と赤字で書いてあります。少し寂しい思いもしています。
2度目のミラノ、ヴェネチアは充実した旅でした。14年前に初めて訪れたときは、ツアーだったので、効率は良いものの、次から次へと味わう間もなく見物していった感がありましたが、今回は全て自由行動、思うところをゆっくり旅することができました。まさに「2度目の旅は断然楽しい!」です。
1度目は行けなかったミラノの『最後の晩餐』やヴェネチアのサン・マルコ寺院、今回はしっかり訪ねています。ヴェネチアではヴェネチアングラスのムラーノ島やカラフルな家が並ぶブラーノ島に渡り、周辺都市のパドヴァ、マントヴァ、トリノ、ベルガモなどで街歩きを楽しみ、教会や宮殿を見物しました。
教会や宮殿の重厚な建造物、内部のいたるところにある装飾、彫刻、絵画、どれをとっても人々のとてつもない時間、労力、こだわりを感じるものばかり、巨大な装飾が黄金に輝いているとこともあります。中世におけるイタリアの繁栄、その重厚さ、華麗さを実感せずにはいられません。
ヴェネチアのサン・マルコ寺院の壮大で重厚な建造物や、黄金や宝石、七宝によって聖人たちを描いた祭壇画には圧倒されます。パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂内部の壁全てを埋め尽くすジョットのフレスコ画も圧巻です。ヴェネチアの巨大な富、パドヴァの小さな礼拝堂に込められた信仰心の深さに思いをはせました。
トリノ王宮の巨大な広間、絢爛豪華な調度品、壁や天井の装飾、彫刻、絵画、なども溜息の出る思いでした。贅の限りを尽くした絢爛豪華さは日本では見ることができません。経済力の違いもあったかもしれませんが、わびさびや穏やかさの日本にはない、派手さや激しさがあるように思いました。
食事は当然イタ飯ですが、日本のイタ飯とは味付けが違います。といっても日本ではあまり外食しないので断言は難しいのですが、食後の満足感はあまりありません。イタリアに限らず海外ではどこでもそんなもので、違うのは台湾だけです。台湾は、事務所のボスが選りすぐった店での食事ということもあるのですが、そうでなくても満足感が得られるところがたくさんあります。今回、夕食後にホテルで、日本から持参したカップ麺などを食べながら、そんな台湾でのことを思い出していました。
安心、安全は日本ほどではないにしても、注意さえすれば何とかなりそうです。人が集まるところでは大きな銃を肩から下げた兵士が警備しており、テロの脅威があるのでできるだけ近寄らないようにして、スリや引ったくりの類には、歩く場所や、財布、スマホ、カメラなどの取り扱いに注意します。注意深い行動が必要ではあるものの、現地に行って、現物を直接見て感じることの楽しさ、素晴らしさは捨てがたく、これからもいろいろなところに出かけて行って、いろいろな体験をしたいと考えています。ウォーキングで体力を維持して。