リタイア間近組

 
 
リタイア間近組

セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

定年、その後(2018年)  定年後の日々(毎月1日更新)

No.143:キャベツの効果は大きかった? (12月31日) ページトップへ

常夏のスパリゾート・ハワイアンズ<写真へのクリックで拡大できます>

 東京駅発の大型バス、乗客は私と妻と妻のお母さんの3人だけでした。二度の入院や圧迫骨折などがあって、今年はもう遠出はできない、と思っていたお母さんが元気になって我家に来れたので、福島県いわき市にある常夏のスパリゾート、ハワイアンズ行きのバスで出かけたのです。途中、妻の妹と合流した北千住でそこそこの人が乗り込んできました。現地も結構の人、平日とは思えない賑わいです。各所から無料送迎バスが出ているので、豊富な源泉をかけ流した大きな風呂と映画にもなったフラガールのショー、温水プールなどを気軽に楽しめます。

 出かける前、胸の痛みで夜目が覚め30分以上起きていないと痛みが取れない日が1週間ほど続いていました。逆流性食道炎という、若いころからの持病なのですが、こんなに続くのは初めてです。別の原因では、と心配になり、出かける前日に胃カメラで診断していただきましたが、他に原因は見当たらない、とのことでした。ハワイアンズでも、夜目覚めるのを覚悟して出かけたのですが、全く痛むことなく熟睡しました。翌日家に戻っても、あれほど続いていた夜の痛みが全くないのです。

 温泉効果か、などと考えましたが、私なりの結論は、ホテルの夕食と翌日の朝食で野菜、特にキャベツを沢山食べたのが効いたのだろう、ということでした。診察していただいた医師にそれを尋ねると、「う~ん~」とうなるばかりで、「まあ、キャベツは胃に優しいから」とぽつりとおっしゃいました。納得はしていない様子です。でもそれ以降毎日キャベツを食べるようにして4週間になりますが、夜は快適な睡眠がとれています。

 医師から処方された胃酸を抑える薬、飲みたくはないのですが、夜眠れないよりはいいか、と考えていた矢先のことで、私にすれば偶然の大発見です。このことを勤務先のボスに話すと、「親孝行したからいいことがあったのよ」と、さらに「うちの息子にも言っておこう」と、いい話を聞いたとばかりに力が入っていました。

 食べる物がこれほど身体に影響するものなのか、と驚くと同時に、何を食べるかの大切さを身を持って知ることとなりました。


今年の総決算です。

1.家族
6歳上の長男兄貴が肝臓を患い、悪いところを全て、肝臓の60%を除去しました。その後、肝臓は復元し、もうすぐ退院の見込みですが、兄弟だけに、次は自分か、という思いが頭をよぎります。6年後も健康でいたい、と願うばかりです。

2.友人たち
中学・高校時代、大学時代、会社時代の各友人たちと適度な頻度で会っています。大学のクラブの同期が14名、そのうちの13名と連絡が取れて、来年、卒業50年記念の同期会を開催することとなりました。50年ぶりの人もいて、とても楽しみです。

3.趣味
相変わらずの歩き三昧、この11年間で4万5千キロ、11年間1日も欠けることなく毎日11キロ以上歩いた計算になります。地球一周が4万キロ、伊能忠敬が日本地図を作るために歩いたのも4万キロ、それを超えました。今年は3,855キロ、1日平均10.6キロでした。東海道歩き旅は500キロ、9回目の完歩です。

4.旅行
海外は、シチリア、台湾、ポーランド、国内は姫路城、高野山、いわき市ハワイアンズ、日帰りで行田、清里に行きました。夫婦二人で出かけられるのはとても幸せなことです。台湾は10回目ですが、マンゴの美味しい季節は二回目、思う存分にいただきました。

5.日々の思い
寝たきりになるリスクを低減するためには「人とのつながり」が大切、とNHKの『ためしてガッテン』が言っていたので、地域の囲碁サークルに参加しました。番組の直後ぐらいにサークル開設のチラシが入ったのです。囲碁は初めて、連敗していますが、上達が早い、などとおだてられ、機嫌よく毎週参加しています。NHKの『小さな旅』でサークルが紹介され、世話役の後ろに私が大きく映っていました。

6.日々の暮らし
次男兄貴宅で甥や姪の家族揃ってのクリスマス、昨年のビンゴでもらった10万円貯金箱がいっぱいになり持って行きました。500円玉で200枚以上貯まり、これでクリスマス参加の全員、大人8人、子供3人で美味しいものを食べに行こう、ということに。「おじさん、太っ腹」と姪は言いますが、共働きで懸命に働いている若い人たちを労い、今の年金を支えてくれていることへの感謝なのです。1年間続けてきた500円玉貯金、終わってしまい、一抹の寂しさが残りました。

7.仕事
勤務先事務所の仕事が少なくなり、旅行や友人との飲み会などがかなり自由にできるようになっています。ボスにも時間があり、二人での四方山話で終わってしまう日もあります。それはそれで楽しい時間です。

No.142:ガラケーからガラホへ (11月30日) ページトップへ

 私のガラケーはディスプレイが無いので、出ることができなかったときに誰からの電話だったのか分からず不便な思いをしていました。今月になってやっとディスプレイ付の携帯を購入し従来からの便利さを取り戻しています。といってもガラケーはもう販売していないので、ガラホという、形や操作はガラケーで、中身はスマホという携帯です。

 携帯といえばスマホの時代、あえてガラホとしたのは通話機能以外はあまり必要ないからです。もちろんスマホとしても使えます。それなのにスマホよりも通信基本料金が安い、通信方式や内容に違いは無いように思うのですが、不思議です。不思議と言えばもう一つ、今回の契約では2年間基本料金0円なのです。端末代を一括で支払ったのでこうなるのですが、その仕組みがなかなか理解できません。更にはキャッシュバックなるものがあって、端末代も結局負担0円でした。料金体系が分かりにくい、不透明だと言われるのも無理ありません。まぁ、安いんだからいいか、と割り切ってはいますが。

ガラケー(左)とガラホ(右)と充電中のガラホ(奥)<写真へのクリックで拡大できます>

 ネット検索や地図はスマホのほうが断然操作しやすいので、旅行、特に海外旅行にはスマホが必要ですが、日々の外出にはガラホで十分です。自宅パソコン内のスケジュールやメールを確認でき、LINE無料通話やモバイルスイカにも対応しています。スマホを落として壊したことがあるので、ストラップを付けることができるのもありがたく、差し込み難い小さな充電コネクターでなく、充電台に置くだけなのも便利です。

 電車内で、周りのほぼ全員がスマホに没頭しているのを見ると、この便利なツールがいかに浸透し、当たり前になっているかを思い知ります。そんななかでガラホ路線で行くのはちょっと勇気がいりますが、オーバーに言えば、自分を信じて我が道を行く、しかありません。数年後にはガラケーが使えなくなります。そのときはみんな疑うことなくスマホとするのでしょうが、いやいや、それまでガラケーで十分ならガラホのほうがいいですよ、と私は言いたい。誰も聞いてくれそうになく、そのときになっても少数派でいることになりそうですが。

No.141:親日国ポーランド (10月31日) ページトップへ

 初めてのポーランドでは多くの親切に出会いました。ヤヴォルの平和教会では教会のパイプオルガン演奏を収録したCDをいきなりプレゼントされ、戸惑ったり、喜んだり、ワルシャワの中央駅では広大な構内をバス停まで案内してもらい大助かりでした。いずれもたまたまそこにいた人たちで、CDは教会の受付でわざわざ購入したものらしく、バス停に案内してくれた人は売店で後ろに並んだ人でした。券売機の操作でまごついていると声を掛けてくれたり、乗車ホームの確認ができずに困っていると快く助けてくれました。

 ポーランドは世界一の親日国、と言う人もいます。第1次世界大戦終結後、シベリアに残されたポーランド人の孤児たちを救出し、日本に迎え入れ、ポーランドに送り出したことがあり、それが今でも語り継がれているそうです。CDのプレゼントはそんな背景があってのことなのでしょうか。我々二人だけのために日本語での解説が教会内で流されていたので、訪問の記念にプレゼントしてくれたのかもしれません。十分なお礼を言えないまま、その方は教会から素早く出て行ってしまいました。

 ヴロツワフという、中世の街並みが残る町には小人がいたるところに置かれていて、その数は300体以上と言われています。人々がそれぞれの思いやメッセージを込めて作ったもので、それらを見ていると町の人々に話しかけられているようでとても楽しい気分になります。35体ほどを発見しました。ハトにまたがった妖精、妖精にとってハトは飛行機代わりなのでしょうか。髭を剃ってしまって牢獄につながれた妖精もいます。

ヴィエリチカ岩塩坑内にある礼拝堂<写真へのクリックで拡大できます>

 ヴィエリチカには深さ327m、全長300kmに及ぶ岩塩坑跡があり、その一部の3.5kmほどが見学コースとなっています。岩塩を採取した巨大な空間、奥行き54m、幅17m、高さ12mが礼拝堂となっていて、高い天井からは岩塩で作られたシャンデリアが下がっています。祭壇も周囲を飾る彫刻も全て岩塩、ここで働く人たちが創ったそうです。地下を掘り進み、巨大な空間を削り取る命がけの作業をする人たちの、祈りや慰めから始まったという、壮大で見事な地下礼拝堂、見応えがありました。地下深くで、働く人たちがひっそりと彫った完成度の高い彫刻の数々、異色の世界遺産ではないでしょうか。

 ワルシャワは、第2次世界大戦で占領軍ナチス・ドイツが撤退する際に徹底的に破壊されましたが、戦後、市民の手によって旧市街の一部が見事に復原されました。瓦礫一つひとつをかき集めての復原作業は、ロシア、ドイツ、オーストリアという強大な隣国に何回も分割され、抑圧あるいは抹殺されてきた自分たちの歴史、文化、アイデンティティを、形あるものとして残し、後世に引継ごうとする、希望の作業だったのでしょう。瓦礫からの復原という偉業は、そんな国、そんな人々だからこそ成し得たことなのだろうと思います。1980年、「戦争による破壊と国民の意志の記録」として世界遺産に登録されました。

 名前を知っている程度だったポーランド、楽しいだけでなく、有意義な旅でした。いつでも、旅はいいものです。

No.140:浅草木馬館大衆劇場 (09月30日) ページトップへ

 「きれいだねぇ」、うっとりした口調で隣の女性がつぶやきました。浅草木馬館、絢爛豪華な衣装をまとい、美女に変身した男性が妖艶な舞踊を披露しています。美しい顔立ちと美しい身のこなし、夢中になる女性がいるのも不思議ではありません。166席の小劇場は満席、通路に追加された小さな丸椅子も満席、ほとんどが女性で、30歳台から70歳台と幅広く、お洒落をしての観劇です。

 舞台と客席は近く、役者は観客に目線を送り、観客は役者に1万円札や品物を贈ります。豪華な和服と帯のセットの贈り物もありました。若者が集うコンサートのような熱狂ぶりではありませんが、静かな熱情を感じる真剣な眼差しがあります。役者と観客の一体感があるなか、私と大学同期の友人たち年寄男性5人はちょっと浮いた存在だったかもしれません。他の観客と比べると、さほど真剣な眼差しもなく、拍手や手拍子も少し控え目、1人は芝居のほとんどを寝ていました。しかも客席エリアのほぼ中央で、結構目立ちます。「今日はやりにくいなぁ」と役者が楽屋でぼやいていたかもしれません。

 隣の女性は70歳後半、20年前に旦那さんに先立たれ、いまは娘さん家族と宇都宮で暮らしているとのこと。5日前から隣のリッチモンドホテルに宿泊して木馬館に毎日通い、明後日に帰る、と話してくれました。リッチモンドホテルの会員、とのことなので、かなりの頻度で来られているに違いありません。ある曜日の木馬館座席表を見ると、166席のうち24席が年間予約となっています。週1回、その曜日に年間を通して観劇する、という人のための予約席です。みなさん、いつ来ても、何度来ても楽しい、ということなのでしょう。

座員は、熱演後お客様をお見送り<写真へのクリックで拡大できます>

 小難しいことはなく、美しい容姿や舞踊、笑いと涙の人情芝居や悪を懲らしめる立ち回り、それらを楽しむ、分かりやすい大衆演劇なのです。私も、思わず見とれたり、笑ったり、拍手をしたりしていました。ただただ楽しむ、理屈はいりません。飲み食いは自由、すぐ後ろからスルメの匂いがしていましたが、それも和気あいあいの雰囲気を醸し出し、楽しいものでした。

 3時間半の熱演後は座員がみなさんを外でお見送り、座長は一人ひとりと握手します。70年以上生きてきて初めての体験、感謝を込めて私も握手していただきました。座長との写真撮影を待つ行列もできていて、外人が、「何だろう?」という顔つきで眺めています。これぞ日本の芸能、歌舞伎の流れをくむ大衆娯楽です。この歳まで知らなかった世界を見せていただきました。席を予約してくれた友人、たまたま東京に用事があったとのことですが、わざわざ並んでの予約に感謝、感謝です。観劇の後は、神谷バーでの飲み会となり、浅草を堪能した一日となりました。

No.139:時代遅れのガラケー (08月31日) ページトップへ

 騙しだまし使っていた不調の携帯がついに壊れました。10年前に0円で入手した初めての携帯、4年前に壊れて同じ機種に買い替えていますが、小型で、持ち歩きに便利なのでとても気に入っていました。携帯ショップに行くと同じサイズの機種は無く少し大きいものばかりでしたが、しかたがないので、大きくても我慢しようと料金などを訊ねました。

 ところがところが、私の携帯タイプはもう販売していませんでした。10年前なので当然ガラケーなのですが、今のはガラホと言って、外見はガラケーでも中身はスマホだそうです。外見も中身も純粋なガラケーは完全に取り残されています。

 そこで知恵を絞り、最近使わなくなって、2年縛りが解除されるまで保管しているガラケーがあるので、それを使うことにしました。とにかく今の電話番号が通じないと仕事にも支障をきたすのです。「そんなことできるの??」と疑う妻の言葉を背に、携帯ショップに再度出かけました。対応した店員は即座に「(保管していたガラケーの)解約をしないと(壊れたガラケーの)電話番号は移せません。解約料を支払うよりも、ガラホを新規購入された方がお得ですよ」とガラホを勧めてきました。

 ガラホにすると月々の料金が30%近く跳ね上がるのです。「シムを抜けばいいだけで、解約は不要では?」と尋ねると、シム(SIM)というやや今どき用語に、老人といえどもこれは侮れないと思ったのか、すぐに窓口の女性のところへ相談に行きました。その女性が電話で長いこと相談した後、「解約しなくても移せます」と伝えに来ました。「解約金が必要」などといい加減なことを言って、年寄だと思って甘く見ていたのでしょう。

 ガラケーからスマホに最近買え替えた友人が、調子が悪いことを訴えてもなかなか相手にされず、憤っていましたが、その気持ちが少し分かる気がします。その友人と先日飲んだとき、携帯ショップに再度チャレンジしようと不具合の証拠をいろいろ集めている、と何か張り切っていました。小さいころから激しい競争の中で育ってきた我々団塊の世代を甘く見たらいけません。

簡単ガラケーはやはり不便<写真へのクリックで拡大できます>

 保管していた携帯を使うようになって1週間ほど、ボタンとランプのみで表示画面がない簡単ガラケーなので、ショートメールもできなければ、発信者も分かりません。うっかり出られなかったすると誰からの電話だったのか分からず、へたをすると電話があったことすら分かりません。そろそろガラホかスマホにするか、と妻と話しています。

No.138:「疲れ」のメカニズム (07月31日) ページトップへ

 週2回の出勤日は勤務先事務所まで3時間半以上歩きます。しかし、真夏日や猛暑日が続いた今月はさすがに途中の渋谷まで2時間半ほどとする日がありました。暑い日は、Tシャツ全体が汗びっしょりで事務所に着き、事務所のボスから「何なのそれ!」と呆れられるので、できるだけ汗の目立たない明るい色のTシャツで行くようにしています。

 日々のウォーキングも欠かしませんが、気象庁観測史上初めて都内での40℃超えを記録した「大暑」の日、歩きを控え、家でおとなしくテレビを見ていました。どの局も話題は連日の猛暑、"命にかかわる危険な暑さ"と警告しています。

「60代の自律神経は20代の約2〜3割まで減っている/脳疲労」より<写真へのクリックで拡大できます>

 暑いとなぜ疲れるのか、という話題もありました。人の動作に必要な酸素量や心拍速度を調整している自律神経、この機能が低下すると「疲れ」を感じる、つまり「疲れ」た状態になるそうです。命を守るための仕組みなのでしょう。同じ運動量でも、暑いと自律神経を酷使するので機能が低下し疲れる、とのこと、更には、この自律神経機能、60歳代になると20歳代の25%にまで低下するので老人は疲れやすい、と。私のように70歳代になると16%にまで低下するそうです。低下した自律神経機能を回復させるには「良質な睡眠が最善の解決策」とのことでした。

 友人の奥さんから暑中見舞メールが届き、「毎日暑い日が続いています(中略)何をするのも汗だくです(中略)ご主人は この暑さでも 歩いているのですか?(中略)この頃は昼過ぎからクーラー漬けです」とありました。妻の返信は「毎日暑いですね。私は日中外出しないようにしていますが、ご主人様は暑さを気にしながら歩いています。我が家は高齢者がおりますので(本人が言っています)、一日中エアコンついています」でした。

 "命にかかわる危険な暑さ"ではまさか歩いていないだろう、ということなのでしょうが、しっかり歩いています。当然暑さは気になるので、塩飴をポケットに入れて。まあ、熱中症の危険を忘れない「おまじない」のようなものですが、今のところはこの「おまじない」が効いているようです。また、夏のウォーキングの「疲れ」をとるためには、24時間冷房による快適睡眠、快適居住空間が必要なのです。

 このメールがきっかけで、「暑気払い」と称して夫婦2組での昼食会となりました。11時半にレストランに入り、2次会のカフェを出たのは18時少し前、美味しい昼食と6時間以上の四方山話、この楽しい時間で自律神経機能も大いに高まったことでしょう。良い「暑気払い」となりました。

No.137:3回目の「男の料理教室」 (06月30日) ページトップへ

 3回目の「男の料理教室」、今回はバーベキューでした。いつもの友人宅、マンション専用庭園にバーベキュースペースがあります。いつものようにまず男性陣が集合し、買出し、下ごしらえ、火起こしをして、焼き終わって乾杯というときに最後の1人である奥さんが到着しました。この日、奥様方はお客様なのです。

 総勢7人、骨付き牛肉、ソーセージ、トウモロコシ、ジャガイモ、パプリカのアボガド詰めなどを焼き、スライストマトに薄切りチーズをのせてサラダとしました。見栄えも良く、単なるバーベキューには終わらせない「料理教室」としての友人の工夫を感じさせるメニューです。冷たいビールとともに美味しくいただきました。炭火から取り出したホクホクのジャガイモにバターをつけて食べて、ちょっと幸せな気分になっています。

NHK「ためしてガッテン」の「寝たきり危険度」<写真へのクリックで拡大できます>

 あいにくの小雨模様、傘をさして焼き、庭園の屋根の下のテーブルでいただきました。どんな会話だったか覚えていない、とりとめのない四方山話、6時間ほどの楽しい時間でした。6月6日のNHK「ためしてガッテン」によると、「運動」と「人とのつながり」が無い人はある人よりも「寝たきり危険度」が18倍だそうです。「運動」のみありだと4倍、「つながり」のみありだと2倍で、「運動」よりも「つながり」の方が大切とのことでした。6時間以上も話しが尽きず、日が暮れるころに解散、となるような仲間がいることはありがたいことです。

 最後は妻が持参したコーヒーゼリー、2人が美味しいを連発し他の人の分までもらっていました。料理とは縁遠い2人、手作りデザートには弱いようです。前回、前々回と妻のデザートはおおむね好評だったので、その効果もあったのかもしれません。妻は、「これは簡単なの」と言いながらも嬉しそうでした。

 今回は雨となってしまったので、9月にもう一度バーベキューをやろう、今度は秋刀魚やホタテなどの海鮮で、ということになりました。芝生が美しい屋上庭園、秋晴れの素晴らしいバーベキューになることを願うばかりです。それにしても、面倒見が良く、自宅を提供してくれる友人に感謝感謝です。素晴らしい友人に恵まれていると改めて思います。

No.136:今年の春の旅行 (05月31日) ページトップへ

 「予約は来週です、今日ではありません」と言われて唖然としました。歯医者さんに電車で出かけ、受付で言われるまで全く気付かないという、自分の勝手な思い込みの激しさに唖然としたのです。茅ヶ崎の90歳の女性ドライバーが4人もの死傷事故を起こしたのは、「信号は赤だとわかっていたが、歩行者が渡り始めていなかったので通過できると思った」という勝手な思い込みによるものでした。この異常ともいえる自信は、年齢を重ね、経験を重ねた者特有なものなのでしょうか。歳をとったらより「小心」でいないととんでもないことになりそうです。

 今年の春の旅行は、2泊3日の高野山と4泊5日の台南でした。高野山旅行では友人夫妻との弾む会話、台南旅行では妻との食べ歩き、などで楽しさ満載となりました。目的は「楽しむこと」、楽しみ方は人それぞれ、今回も我々らしい楽しみ方でした。楽しむ基本にあるのは、時間、お金、健康、更には、景色や食事に同じような喜びや共感を得ることができる仲間、そういったものに恵まれることでしょう。何よりも大切なのは、居心地の良さ、そのためには役割分担が当たり前にできることが大切なような気がします。

 友人夫妻との旅行は、行先は4人で決めますが、車の運転やルート、宿泊などは友人が、行く先々での買い物や食事の内容は我々が主に担当します。妻との旅行では、行先は2人で決めますが、買い物や食事は妻が、そこへのアクセスや観光は私が主に担当しています。チームワークで行動する楽しさ、居心地の良さがあります。先の、高齢による「勝手な思い込み」による失敗や、意見の衝突による気まずさは、この居心地の良さを壊す要因になりかねません。お互いが歳をとると特に留意すべきことなのでしょう。

台南・成功大学のガジュマルの樹。大正12年(1923年)、当時皇太子だった昭和天皇が植樹された。<写真へのクリックで拡大できます>

 高野山では、宿坊の早朝勤行で心を清め、時々雨模様の景色に映える新緑に心洗われ、下山後の赤目温泉で煩悩が一気に戻り、美味しい伊賀牛でお腹を満たして帰ってきました。雨の後の、新緑の美しさと赤目四十八滝の激しい流れが印象に残っています。台南では、南国の太陽の下で、汗をかきかき美味しさを求めて歩き回り、途中で、かき氷やサトウキビジュースなどを美味しくいただきました。旬のマンゴの美味しさに感動し、小龍包、タンツー麺、牡蠣の数々の料理などに舌鼓を打って帰ってきました。楽しさ溢れる旅でした。

No.135:東海道歩き旅で転倒しました (04月30日) ページトップへ

 一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。あっ、という間の転倒、自転車とのすれ違いざまでのことです。なかなか起き上がることができず情けなく、立止まった自転車の女子高校生から「大丈夫ですか」と声を掛けられ恥ずかしくもありました。

 9回目の東海道歩き旅、会社の同期会が今年は神戸だったので、翌朝神戸から京都に移動し、三条大橋からお江戸日本橋を目差して歩きました。8日目の静岡県掛川で、宿到着直前、車道との間に鉄柵のある狭い歩道で、対向してきた自転車を避けようとしてバランスを崩したのか、鉄柵の柱につま先をぶつけたのか、よくは分からないのですが、普段であれば決して転ぶような場所でも状況でもないところでの転倒でした。1日中歩いて疲れているとはいえ、今までの歩き旅では無かったこと、かなり落ち込みました。

 コンクリートで右膝を強く打ったようで、結構痛みます。翌朝、腫れてもいたので一旦帰宅し診断してもらうと、骨に異常はなく軽い打撲、とのことでした。翌々日出勤し、その翌朝4時過ぎに、自宅から掛川を目指して歩き始めました。右膝の痛みがあったのでゆっくり歩こうと早めに出たのです。平地や上り坂はあまり痛みは無いものの、下り坂では結構痛みます。これでは箱根越えは無理、と考えていたところ、歩いて2日目の午後になると痛みがかなり和らいできました。そこで、予定通り3日目に箱根越え、もう膝の痛みはありませんでした。

静岡県数カ所で4月最多雨量の記録を更新した雨で増水した大井川。江戸時代であれば確実に川留めでしょう。<写真へのクリックで拡大できます>

 以後順調に歩きましたが、5日目の午後3時ごろから6日目の午前11時ごろまで雨の予報となり、しかたなく5日目は深夜2時に出発しました。宿泊地の藤枝には午後2時に到着、すぐに雨となり、天気予報の精度の高さに驚き、感謝もしています。6日目は最終日、午前10時過ぎに雨が止んだので、急げば新幹線を使わずに帰宅できそうです。昼食は歩きながらのクッキー、などの工夫をして、掛川には午後5時前に到着、在来線で夜9時過ぎ帰宅しました。東海道歩き旅、前半8日、後半6日の計14日で完歩です。

 帰宅翌日に出勤、事務所のボスが「東海道の残り、また歩くの?」と訊くので、「もう歩いて、昨日帰ってきました」と伝えると、「人それぞれね・・・・」と、驚いたような呆れたような様子でした。前回の出勤時、膝を痛めて途中で帰ってきた、と伝えたばかりだったので意外だったのでしょう。

 一旦帰宅して膝を診断していただいたとき、ついでに骨や軟骨の状況も伺いました。何ともありません、若いですよ、と褒められ気分を良くしています。一年を通して歩き過ぎでは、との懸念があったのですが、安心しました。これからも歩き旅ができそうです。

No.134:埼玉(さきたま)古墳群 (03月31日) ページトップへ

 ブロッコリが驚きの150円、野菜高騰時期だったこともあり、それを見た途端にテンションが一気に上がりました。産地直売の「道の駅」、広い店内に野菜や果物がところ狭しと並んでいます。イチゴが特産のようで、中央に大きなスペースを占め、沢山の人が取り囲んで買物中です。パックの一つひとつを手に取りながらの、近寄り難い、真剣な雰囲気、達人はまず生産者名を見るとか。我々は、大きさ、形、色、値段を見比べて、2パック購入しました。帰宅後すぐに食べてみると、甘さが口の中いっぱいに広がり、"もぐもぐタイム"に自信を持って推薦できる味と食感でした。

 この日は、夫婦2組でのドライブ、目的地はテレビドラマ「陸王」の舞台となった行田、もうすぐ行田というところで偶然見つけた「道の駅」、産直が大好きな4人は迷うことなく立寄りました。8の日はお米の日、というのもあって、この日は28日、その場で精米してくれる「こしひかり」を3キロ購入、友人夫妻は10キロ購入しています。ハイテンションのままで店内をうろうろ、1時間ほど買物をして、いっぱいの農産物を抱えて車へ、トランクが満杯になりました。目的地に着く前に、みんなすでに大満足です。

埼玉古墳群で最も大きな、長さ138mの二子山古墳<写真へのクリックで拡大できます>

 行田は武蔵国忍(おし)藩10万石の城下町、「陸王」の撮影場所を見物し、郷土博物館で足袋の町・行田を勉強し、忍城に登城し、名物ゼリーフライをいただき、「陸王・十万石饅頭」を購入しました。最後は埼玉(さきたま)古墳群の見学、小高い古墳の頂上に立つと2キロほど先の忍城が見えます。この規模の古墳を造るのに、1000人で5年がかり、という推定もあり、弥生時代に始まった稲作によって、これだけの人と時間を費やすことができる豊かさと、それを束ねる強いリーダーが各地に生まれたということなのでしょう。

 近畿地方から始まった古墳造り、古墳時代の後半には同じ様式の墓造りが全国に広がり、日本がひとつの思想で統一され、国として成立しつつあることを示している、とのことです。古墳造りは、次の飛鳥時代初期の大化の改新後に禁止されました。人も時間もかかる古墳造りを禁止した「大化の改新」、日本のリーダーが質素であることの原点がここにあるような気がします。古代に触れ、感じ、道の駅の産直野菜で喜んだ日帰りドライブでした。

No.133:男の料理教室 (02月28日) ページトップへ

 普段から家で料理しているプロ級2人と、普段食べるだけの素人である私ともう1人の計4人の男性による料理、1人はもうすぐ70歳、他3人はもう71歳、大変なことになるのでは、と妻が心配する中、みんなが集まるプロ宅へと出かけました。

 「男の料理教室」と銘打ってみんなに声を掛けたプロのご自宅に男性陣が集合、近くのスーパーに全員で買い出し、帰ってからは砥石での包丁研ぎから、買物や道具こそが大切、とのプロの教えです。各自が持参した包丁、私は妻から「あなたは研がないように」と釘を刺されていたので、プロが見本を見せるときに研いでもらいました。後日、よく切れるようになった、と妻にちょっと喜ばれています。

美味しく楽しくいただいた料理<写真へのクリックで拡大できます>

 メニューは「牛すじ大根」「筑前煮」「アボカドとポテトのサラダ」「大根の皮のきんぴら」「ほうれん草のおひたし」で、初心者2人を考慮したものだったのでしょう。結果、妻の心配と期待は見事にはずれ、全て順調に、大変美味しく出来上がったのです。「料理なんて簡単じゃん」との感触すら持ちました。料理ができたころを見計らって、妻ともう一人の奥さんが到着、計6人での宴となり、美味しい料理にみんな大満足、会話が楽しく弾みます。美味しい料理の効果は抜群です。またやろう、ということになりました。

 「簡単」との感触だったので、後日、メニューの中で一番簡単そうな「サラダ」と「おひたし」をごく軽い気持ちで自宅で作り始めました。ところがこれがなかなか手ごわいのです。プロ宅では簡単だった茹でた後のジャガイモの皮剥きに悪戦苦闘、玉ねぎには辛みが残り、おひたしは柔らかすぎでした。

 プロにメールで報告すると、ジャガイモは皮がしわしわになって一部が浮いているような状態にしてから剥く、玉ねぎは水にさらすと栄養分が抜けるのでそのまま放置して辛みを抜く、おひたしは湯の量が少ないとほうれん草を入れた時に温度が下がるので長く茹でることになる、との指導を受けました。ジャガイモを茹でたり、玉ねぎを用意したり、ほうれん草を茹でるお湯を用意したりしたのは全てプロで、肝心なところは彼がしっかり押さえていたのです。そんなこととは知らずに、「簡単じゃん」とは浅はかでした。

 「料理は科学」というのがプロの持論、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」でも、玉子の黄身がトロリとあふれ出すスコッチエッグの作り方を科学的に探究する姿が描かれています。科学は、料理は、人を幸せにするためにある、ということなのでしょう。共に奥が深い。

 自宅での料理から1カ月ほど、再チャレンジは未だです。懲りたのではなく、時間がとれないだけ、と妻には言い訳しています。

No.132:シチリア旅行 (01月31日) ページトップへ

モザイクが美しいパラティーナ礼拝堂(床、祭壇、天井)<写真へのクリックで拡大できます>

 今回の旅のハイライトはパレルモの王宮内パラティーナ礼拝堂でした。多くの教会や礼拝堂を見てきましたが、これほど美しい礼拝堂は初めてです。シチリアが地中海で最も財力ある国に発展したノルマン王朝時代(12世紀)に造られました。黄金色、青、赤、緑のモザイクが壁一面を覆い、900年近くも経つのに、色褪せることなく鮮やかに美しく輝いています。

 イスラム勢力を排除しノルマン王朝を確立したノルマン勢力は、バイキングを祖先とし、海賊となったり傭兵として異国の君主に仕えたりして、異文化に触れていたためか、これを積極的に採り入れ、活用して繁栄をもたらしました。礼拝堂も、壁や床の金地モザイクや大理石モザイクはビザンチン職人、中央身廊天井の木製鍾乳洞造り装飾はイスラム教徒の職人によって創られています。しかし、ノルマン王朝のリーダーシップが失われるとともに異文化間の争いが増え国は衰退していきます。国の繁栄には強力なリーダーシップが必要なのでしょう。

 トラベルにトラブルは付き物ですが、今回はユーロ不足という事態でした。家族経営の小さなB&Bホテルで、クレジット決済ができません。でも現金で支払うと、楽しみにしていた古代ローマ時代のモザイク画見物ができないのです。土曜日で両替ができずにほとほと困っている我々を見かねて、ホテルのご主人が「日本円でもいいよ」と言ってくれました。家族が集まってきて、日本円を初めて見た、と珍しがっていましたが、本当に助かりました。

 この親切なご主人がバス停まで車で送ってくれたのですが、切符売場でバス会社職員と何やら交渉らしき話を始めました。最後に、「セーフ!」と安堵した様子、後で考えると、バスを出す出さない、といった話のような気がしています。バスの乗客は3人、1人は途中の町で早々と降りたので、我々2人の貸切状態だったのです。悪名高いバス会社のようで、突然の運休に泣かされた話がブログにあります。この次のバスは夕方発、モザイク画見物はできません。ホテルのご主人が交渉してくれた、と推測しているのですが、そのおかげです。

 翌日もトラブルが。大晦日でレストランがどこも満席、翌元旦は休みの店がほとんどで、2日間、ホテルの部屋でのカップラーメンとなりました。2日分の水と果物などを買いに出かけてホテルに戻るとき、「『年末年始はシチリア』と言えば聞こえはいいけど・・・・」と妻がつぶやいています。でも、熱々のカップラーメンも悪くはなく、真剣にレストラン探しをしたことも良い思い出となりました。トラブルが楽しめなくては、トラベルは楽しめない、という事だと思います。