リタイア間近組

 
 
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セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

定年、その後(2015年)  定年後の日々(毎月1日更新)

No.107:あやかりたい、三浦敬三さんの「攻めの人生」 (12月31日) ページトップへ

 1日40km弱、9時間ほどを5日間歩きましたが、何事も起きませんでした。歩いているうちに身体が左に傾いてきて、腰を痛め、やがて歩けなくなり中断した今年の東海道歩き旅、その原因を突き詰めようとしたのです。

 最初の2日間は何も持たずに、後半3日間はペットボトルなどで4kgにしたリュックを背負いました。4日目から、左肩甲骨周辺の背中の痛みが出ましたが、身体が傾くようなことはありませんでした。左鎖骨の骨折で肩甲骨が右よりも飛び出していることや、リュックの重みが関係してるのかもしれません。この痛みを和らげようと無意識に体を左に傾けたのでしょうか。

 今回の試し歩きで、来年も歩き旅ができそうだとの感触を得ました。身体が傾く可能性を常に留意しながら、1日40km程度にして、毎日しっかり休んで疲れを溜めず、リュックを出来るだけ軽くして出かけたいと考えています。

三浦敬三さん トレーニングに励む96歳の三浦敬三さんの姿をビデオにとって励みに

 「自立」に向かっていた若いころに対して、「自立」から離れていく老いのとき、「自立の持続」が大きなテーマです。経済的自立、体力的自立、精神的自立、どれが欠けても「自立の持続」は難しくなります。そんななかで、東海道歩き旅の今回の中断は、歩くことで体力を維持しようという私には大きなショックでした。東海道歩き旅の楽しさが、毎日歩く一つの励みになっているからです。尊敬するプロスキーヤー三浦敬三さんが、スキーをやりたくて毎日トレーニングをしていたように。

 三浦敬三さんは90を過ぎてから3回も骨折したそうです。101歳のときにスキー場の階段で雪が崩れスキー板で首の骨を折り、その数か月後に亡くなるという、最後の最後までスキーを楽しんでいた人生、骨折にもめげない「攻めの人生」でした。家に閉じこもりがちだった叔母に、「少し歩いた方がいいよ」と勧めると、「転んだりしたら寝たきりになっちゃうよ」と取り合わなかったのですが、やがて本当に歩けなくなってしまいました。守りも大切ですが、攻めも大切、特に攻めが面倒な年寄りには、そんな気がします。

 ということで、私の今年の10大ニュースのトップは「東海道歩き旅頓挫」です。

1.東海道歩き旅頓挫
結局3回に分けて自宅から伊勢神宮までを完歩、新幹線に4回も乗れました。いつもは1回です。

2.歩いての通勤
事務所のボスにお願いして、週2日の各半日勤務としてもらいました。朝の満員電車に乗ることなく、16kmを3時間半ほどかけて優雅に通勤しています。

3.ウォーキング年間4,561km、1日平均12.5km
4,500kmを越えたのは6年ぶり、母がいた施設に通っていた頃の距離に戻りました。歩き通勤の効果です。目的地を作ることが大切なようです。

4.鎖骨の骨折部分骨癒合せず
昨年10月に骨折し1年以上経ちましたが骨癒合しません。歳なのでもう骨癒合しない可能性大です。日常生活には全く問題はないのですが。

5.例年と同様の旅行
海外旅行4回、国内旅行3回と例年と同じようなペースで旅行しています。経済面、体力面、精神面と充実している証かもしれません。

6.LCC初体験
台湾2泊3日の旅で格安航空会社LCC初体験、若者に混じっての楽しい旅でした。

7.義父の納骨
京都・東本願寺での納骨、内輪での楽しい京都旅行となりました。

8.スマホ購入
ウォーキング中での雨雲チェック、海外でのメール処理や地図利用などで威力を発揮しています。WiFi利用なので月額0円、それがミソです。

9.義母二年ぶりに我家へ
お母さんが我が家に来てくれて、一緒に久能山東照宮に行きました。久々に、富士山を新幹線から間近に見てちょっと感激です。

10.周辺タワーマンション価格高騰
我家周辺のタワーマンションが高騰し、購入時点よりも平均25.6%も値上がりしました。いいときに購入したのです。

No.106:初体験、格安航空会社(LCC)便 (11月30日) ページトップへ

LCC便 機体もタラップも小さめのバニラエアー「台北」行き(成田第3ターミナル)

 夜の成田空港第3ターミナル内を、スーツケースとショルダーバックの合計10kgを持って走り抜けました。格安航空会社(LCC)バニラエアー台北発が成田に到着して、搭乗口が開いたのが予定から15分遅れの22時25分、10分後の22時35分発東京行バスに乗ろうと、タラップを降りて、階段を上り、長い通路を走り、入国審査、税関審査を通り、航空会社のカウンター横を走り、バス停に着いたのが22時33分、8分という快挙でした。タラップを降りるときは15番目ぐらいでしたが、入国審査前からはトップを独走、境内を走る西宮神社の福男選びの気分です。このバスに乗らないと、東京駅発最終電車に間に合わない可能性が大なのです。

 台北を離陸してベルト着用サインが消えると同時に、搭乗したときに目をつけていた搭乗口近くの空席に移動しました。有料オプションの座席指定をとっていないためか、割り当てられた席は搭乗口から遠い機体の奥、このままでは搭乗口が開いてから降りるまで5分か10分かかり、バスには確実に間に合いません。8分の快挙のための私なりの工夫です。他にも、荷物は機内持ち込みのみとし、出てくるまで時間がかかる預入荷物は無しとしました。まあ、預入荷物が有料、ということもありましたが。

 台北2泊3日ツアー19,700円、実際は空港税などが追加されて23,240円ですが、それにしても安い、京都2泊3日といった感覚です。使う便はLCC、泊まるのは8人部屋のドミトリーですが、結構楽しめました。でも今回の便にはもう乗りません。帰りの成田到着時刻だけではなく、往きの出発時刻も問題なのです。朝7時15分発のため成田前泊が必要でした。成田空港内にあるカプセルホテルでしたが、廊下との境はカーテンのみ、足音が聞こえ、隣の音もときどき響きます。それでもほぼ満室のようでした。カプセルホテル初体験は、経験はないものの、空港ターミナルで一夜を明かす「タミ寝」よりはまし、といったところでしょうか。

 往きの便はほぼ満席でほとんどが若者、それも圧倒的に女性多数、学生らしき人も多く、オジサンは気後れしてしまいます。帰りは空席が若干あって、夜遅い到着のためか若い男性が往きよりは多く、私ぐらいのオジサンもちらほら、同年配と思われるご夫婦も数組おられました。でも基本は「若者のためのLCC」のようです。186人乗りで、モニター画面もリモコンも無いやや狭い目の座席、客室乗務員は4人で、飲食は有料、アルコール類の持ち込みは禁止です。サービスには全く期待していないので、乗務員に丁寧に対応してもらっただけで、最初は感激してしまいました。

 2泊したドミトリーは、ラウンジを挟んで、男性と女性に別れ、それぞれに8人部屋がいくつかあります。ラウンジでは夜遅くまで若い男女が楽しそうに話しており、受付も若くとても親切です。置いてあるノートには、「こんな、すてきな宿にもめぐりあえました。」との書き込みもありました。ここも若者の世界です。

 台北は3ヶ月ぶり、今回は仕事半分なので妻は家で留守番、私一人だったためか地下鉄で若者から席を譲られました。初めての経験、日本ではそんな経験ありません。台北在住の日本人によると、台湾の若者は条件反射的にお年寄りに席を譲ります、それが当たり前で日本とは違います、とのこと。勤務している事務所のボスによると、日本と違って家庭教育がしっかりできている証拠、ということです。食事や買物、街歩きなどの安心感もあって、年寄にも住みやすい国なのでしょう。

No.105:大きな課題が残った東海道歩き旅 (10月31日) ページトップへ

 名古屋港湾岸を走る伊勢湾岸自動車道、片道3車線の広い産業道路、夜10時過ぎ、周囲に民家は無く、人通りも全く無いなか、次から次へと迫ってくる車のヘッドライトを見ながら、草の生えた狭い歩道を一人歩いていました。

 排気ガスを避けて、農道などで回り道する箇所なのですが、一刻も早く宿に着きたかったのです。この日、10kmほど歩いたところで身体が左に傾き始め、夕食をとった35km付近では完全に傾いてほとんど歩けなくなりました。宿まであと10km、100歩歩いては休み、100歩歩いては休みの、今まで経験したことのない苦しい歩きとなりました。でも宿に着くためには歩くしかありません。結局10kmに5時間ほど、いつもの2倍もかかるという、辛い体験となったのです。

 東海道歩き旅、足のマメが悪化して3日で中断した春、残りを歩いたこの秋もまたまた3日で中断して、すごすごと戻ることとなりました。1日目は、早朝の新幹線と在来線、バスで自宅から伊勢神宮まで移動し、そこから松阪までの25kmほどを歩きました。秋晴れのなかを気持ちよく歩いたのですが、宿に到着してから、25kmにしてはちょっと疲れたな、という感じでした。2日目は鈴鹿サーキットに近い白子までの32km、途中20kmほどのところから身体が左に少し傾き始めました。最初は、あれ、何だろう、どうしたんだろう、と思っていただけでしたが、傾きが次第に大きくなり、歩くと疲れるようになったのです。3日目は名古屋までの45km、10kmぐらいから傾き始め、35kmほどの長島スポーツランドではかなりの傾きとなりました。長島で夕食と休憩をとり、歩き始めたのが午後6時、そこから10km先の宿まで5時間ほどが、最初に述べた夜の苦行となったのです。

 4日目朝、名古屋から帰宅し、1週間ほど休憩、疲れもとれたので、試しに1日32kmを2日連続で歩いてみました。なんともありません。2日目から身体が傾き出したのはいったいなんだったんだ、と思いながら、残りを歩こうと、翌々日の朝1番の新幹線で名古屋に出かけました。どおりで帰ってからリュックを片付けないと思った、と妻が呆れていましたが。

モンブランケーキ「朱雀」 最後の力を振り絞って渡った大井川、GPS器には4時55分、264km(秋2回の合計距離)とあります。

 1日目の岡崎までの33km、2日目の浜名湖までの55kmは順調でしたが、3日目の掛川までの45kmで、最初の15kmあたりから身体が左に傾き始めたのです。結局3日目は予定を変えて袋井までの37kmとし、できるだけ身体を休めることとしました。4日目は島田までの28km、春の中断地点で、今回のゴールです。十分に休んだためか、最初は順調、気持ち良い歩きのときすらあったのですが、10kmほどから傾き始め、15kmほどのところではかなりの傾きとなってしまいました。東海道三難所「小夜(さよ)の中山」に入る手前では、後ろから自転車で来た高校生とおぼしき男の子がわざわざ立ち止まって、大丈夫ですか、と声をかけてくれるほどに悲惨な歩きとなっています。中山峠を越えて、長いながい、1km以上もある大井川の橋をやっとのことで渡り切り、島田駅に到着したときはもうヘロヘロでした。

 一応お伊勢さん歩き旅は完結しましたが、新たな、大きな課題が残りました。これが解決しないと来年以降の歩き旅はありません。いまは原因が分からないので手の打ちようがないのですが、とにかくどないかしないといけません。実はもう一つ、買ったばかりのスマホを落として壊してしまいました。泣く泣く同じものを注文、明日届く予定です。これはお金で解決できることではありますが、大きな痛手です。とほほ・・・・。

No.104:信州での秋休み (09月30日) ページトップへ

 長野の小布施に「朱雀」という大人気のモンブランケーキがあると聞き出かけました。作りたてを提供するため、朝8時半から朱雀券(整理券)を売り出し、9時半から給仕を始めます。

 朝8時25分に我々夫婦が着いたときにはすでに長い行列ができていて、並んだ後にも続々と人々がやって来ます。1日限定400個なので少し心配になるほどの行列でした。結局我々は200人目前後で、11時30分からの整理券を無事購入することができました。

モンブランケーキ「朱雀」 朱雀

 小布施といえば栗、それをふんだんに使ったケーキを、大きな古民家で、庭を眺めながらいただきます。確かに、栗の美味しさが存分に味わえる逸品でした。なにしろ、このために北陸新幹線で出かけ、長野駅前で前泊したのですから。でも、月曜日だというのに受付間もなくで売り切れてしまう人気ぶりには本当にびっくりしました。

 お昼近くになると町は観光客で溢れてきます。観光バスで大挙して押し寄せて来るのです。栗やリンゴで作る美味しいスイ―ツ、北斎館などの美術館、蔵などがある古い町の景観、民家の丹精込めた庭を通る小路、などで人気のようです。そんな町をぶらぶらしながら食べ歩いた焼栗や栗ソフトはとても美味しく、自慢の栗を食べてもらおうと工夫を凝らす町の人々の心意気を感じることができました。

 長野駅前のホテルで2泊、着いた日は長野市内の善光寺や東山魁夷美術館を訪れ、夜は妙高高原にあるギネス認定の世界一の壮大なイルミネーションを楽しみ、2日目は小布施での食べ歩きと蔵の町・須坂の見物、3日目は戸隠神社の奥社から鏡池そして中社と散策して戸隠そばをいただきました。黄金色の田んぼや色づいたリンゴの木々、爽やかな妙高高原からの明るくて大きな中秋の名月、少し紅葉し始めた戸隠神社周辺の山々、などなど、味覚だけでなく景色でも秋を楽しんでいます。

 モンブラン「朱雀」を食べたい、との妻の一言から始まった今回の旅、観光は「おまけ」という、我々夫婦としてはちょっと変わった、贅沢とも言える旅でした。勤務先の事務所のボスによると「色々な条件が揃わないとできない旅よ」とのこと。確かに、二人の好みや価値観がある程度一致し、共に健康で、時間があって、そこそこのお金もある、といったいくつかの条件が必要でしょう。今だからこそできるのかもしれない旅、一つひとつを大切にして、楽しみたいと思います。

No.103:台北での夏休み (08月31日) ページトップへ

 亜熱帯気候の台北での夏休みでした。勤務先事務所のボスが台湾に行くというので、その間事務所はお休み、北海道へでも行こうかと妻と相談したのですが、我々も台湾に行ってマンゴーかき氷を食べよう、ということになりました。7回目の台湾ですが、初めての夏、マンゴーの季節です。もちろん、台湾育ちのボスにご馳走になろう、という下心もありました。

 3泊4日の台北、到着初日は明福台菜の台湾料理、2日目は秀蘭小館の上海料理、3日目が兄弟大飯店・蘭花廳(庁)の台湾料理とボスにすっかりご馳走になりました。明福は相変わらずの美味しさで、日本から事前に注文した仏跳牆(ぶっとびすーぷ)と紅麹肉(べにこうじ浸け豚肉)はもちろん、初めていただくタケノコ、いつものカキ天ぷらや台湾風焼きそばなど、日本では味わえない台湾料理を堪能しました。秀蘭は初めて食べたときの感動以上の美味しさがありました。いろいろな鍋料理ですが、同じ白菜や魚でも季節の違いで美味しさが異なるのでしょうか。白菜獅子頭や豚の太ももなど最高です。蘭花は初めて、司馬遼太郎の「台湾紀行」に登場する老台北こと蔡焜燦(さいこんさん)さんお気に入りのレストランとのこと、いろいろな具が入っている台湾風フカヒレスープなど初めて体験する美味しさの数々でした。次から次へと出される料理、後半で「もう食べられない」と思っていたところに出てきた鶏料理、少しだけと思って食べたのがかなりの美味しさ、思わずたくさん食べてしまいました。鶏一羽をさっぱり味で仕上げていて、肉はジューシーで旨み十分、皮はぱりぱりして美味、台湾の鶏の美味しさは格別ではないでしょうか。なにしろ街の市場で生きた鶏を売っている土地柄ですから。

 亜熱帯気候の夏ウォーキングも実現しました。台北市内のホテルから温泉地の北投までの16km、朝6時ごろに出発して、10時頃到着、亜熱帯気候での夏ということで少し緊張しましたが、午前中ということもあってか、日本で歩くのと変わりありません。東京で猛暑日が8日間続いたときに、毎日20km以上歩いていましたが、そのときの方が汗だくで大変でした。ちなみに、8日間は猛暑日連続新記録なので、私も猛暑日連続ウォーキング新記録樹立ということになります。

マンゴーかき氷 マンゴー尽くしのかき氷

 ところで、台湾行のきっかけとなったマンゴーかき氷ですが、3種類いただきました。まず、東京・表参道にも出店しているアイス・モンスターのマンゴーかき氷、マンゴー・ジュースの氷のかき氷にマンゴー、マンゴー・アイス、マンゴー・シロップと、まさにマンゴー尽くしの豪華版、やはり一度は食べておくべきかき氷でした。次が冰讃、これは普通の氷のかき氷でその分マンゴーが沢山入っており、こちらの方がマンゴーを食べた、という気がします。最終日が黒岩 古早味黒砂糖cuo冰、ここは濃厚な黒砂糖シロップが美味しく、マンゴーもたくさん入っています。最後なので、黒岩八寶冰という、八つの具の入ったかき氷もいただきました。この店が一番美味しかったように思います。飛行機の時間が迫っていたので、昼食をあきらめてのかき氷でしたが、正解でした。初日だけかき氷を食べることができなかったのが唯一悔やまれます。台北到着後の昼食で、鼎泰豐での小籠包を食べ過ぎ、豪華な夕食が迫っていることもあってかき氷をあきらめたのです。その後の昼食はかき氷分をセーブするようにしました。

 豪華な夕食はボス持ち、かき氷など手軽な食べ物だけが自腹、といういつもの台湾旅行、観光や遊びが一切無い旅行でしたが、大満足です。

No.102:歩き旅の必需品になりそう (07月31日) ページトップへ

 スマホを買いました。東海道歩き旅で、メール送受信やインターネット閲覧が必要になりそうなので。WiFi(無線LAN)専用で使います。電話会社との契約はなく、通信費は一切かかりません、そこが大きなポイントです。

 使ってみるとその機能の多さに驚きます。WiFiがつながらない所でも、地図を確認したり、ラジオ英会話を聴いたりできます。WiFi無料接続サービスが多くのコンビニにあるので、そこでインターネット閲覧ができます。先日も、ウォーキング途中のコンビニで雨雲が迫っているのを知り、急いで引き返したりしています。夏らしい風景に出会って写真を撮ることもできます。それぞれが、歩き旅には嬉しい機能です。

 一番嬉しかったのは、歩き旅に欠かせないGPS器と同じ機能があることでした。GPS器が壊れたらそれ以上歩き続けることができないので、前から予備器が欲しかったのです。思わぬところで確保できました。早速東海道歩き旅のルートをスマホに登録し、その周辺地図を何日かかけてダウンロードしました。この機能は海外旅行でも大いに役立ちそうです。

スマホ キーボードにスマホをつないでパソコンに

 海外旅行では、勤務している個人事務所宛メールに返信したり、受信メールをまとめて事務所にFAXで送る必要があるので、キー入力をやり易くするためにキーボードも購入しました。これで小型パソコンを持って行かなくても済みそうです。しかも海外でプリペイドSIMを購入すれば電話としても使えます。こんな優れものが1万円程度で購入できるのですから、世の中便利になったものです。

 このように自分に必要な機能を揃えることが出来るのは、アプリの品揃えが豊富だからです。今回購入したアンドロイドでは約143万本ものアプリがあります。メール関連だけで249本、地図関連で250本あってそれぞれが独自の機能を備えています。ラジオ番組自動録音やインターネットニュース自動ダウンロードなどもあります。ハードがいくら小型軽量高性能となっても、アプリというソフトがなければ何の役にも立ちません。スマホの普及がアプリ数を増やし、それがまた更なるスマホの普及につながる、ということなのでしょう。

 今や全世帯の60%(内閣府2014年度調査)がスマホを保有しているとのこと、我家もその1世帯となりました。まあ、電話としては使わないので少し特殊かもしれませんが、一応スマホ族となり、若者の仲間になった気分です。購入してからいろいろなアプリを試したりして暇があればいじっているので、妻からは「いいオモチャができたわね」と冷やかされています。確かに、オモチャのように楽しい遊び道具にもなりつつあるのですが。

No.101:頓挫した今年の東海道歩き旅 (06月30日) ページトップへ

 今年の東海道歩き旅はスタート間もなくで頓挫、秋に望みを託してすごすごと帰宅しました。原因は足のマメ、初日、小田原までの67kmで雨に降られ足が濡れてマメができ、潰れたマメの痛みのなか、2日目箱根越え、3、4、5日目は痛みと雨で1日30km程度のスローペースとなったのですが、痛みは治まらず6日目の朝ついにギブアップ、JR島田駅から電車で帰宅したのです。帰宅した日に診ていただいたお医者さんは、こりゃひどい、と一言、右足の小指が大きく腫れて爪もとれています。楽しむための歩き旅なのに、こんなになるまで頑張ることなかったなぁ、と自分自身が情けなくもなりました。

 今年は事務所のボスがヨーロッパに出かけている間に歩こうと出発はいつもより1ヵ月ほど遅い5月15日夜となりました。雨の予報でしたが、小雨だから大丈夫、とタカをくくって。梅雨間近だけに雨が多いだろう、そして日程上雨でも歩かざるを得ないだろう、と靴の防水カバーを購入して、これで何とかなるだろう、と。これがとんでもない判断ミスでした。小雨といえども時々普通の降りとなり、かつ防水カバーはほとんど役に立たず、足はしっかり濡れ、何カ所かにマメができました。濡れるとマメができるのは、いままでも散々経験しています。

富士川 痛みをこらえて渡った富士川

 たかがマメ、明日には楽になるだろう、と思いつつ歩き続けての頓挫でしたが、歩いているときは麻痺するのか耐えられるものの、信号などで立ち止まって歩き始めるときなどは一歩一歩が辛いものとなり、食事などで少し長く休んだ後は通常の歩くペースになるまで5分から10分は必要でした。帰宅して病院に行くとき、一歩一歩を辛そうに歩く私に、よくそんな足で毎日何十キロも歩いたわね、と妻が呆れかえっています。1日40kmから50kmを10日以上歩き通すこの東海道歩き旅、僅かなことでも中止に追い込まれるような厳しい旅だったのだ、特に私の歳では、と改めて思い知りました。何とかなるだろう、といった甘い考えは禁物でした。

 5月21日に帰宅してから30日までの9日間、外出できず暇を持て余しました。レンタルビデオの映画を観ても、じっと座っているのが苦痛になるし、図書館で借りてきた本を読んでもすぐ眠くなって、やることがなく本当に困りました。歩く以外に何の趣味も無い辛さを改めて思い知ったのです。

 今月は義父の納骨があり、京都に出かけました。久しぶりに家族全員がそろって、東本願寺での納骨と京都観光です。久々の金閣寺の華麗さもさることながら、初めて行った泉涌寺がとても落ち着いたたたずまいで観光客も少なく予想外の良さでした。夕食をみんなと2回、京都の友人夫妻と1回、それぞれ京都らしい料理で楽しく過ごすことができ、京都の繁華街を何十年かぶりに夫婦二人でぶらぶらとゆっくりしたりして、満足の京都となりました。

No.100:何事も大きく頑丈そうなロシアでした (05月31日) ページトップへ

 ゴールデンウィークでの海外旅行は2回目、1回目は37年前の初めてのヨーロッパでした。それから何回も出かけているヨーロッパですが、今回はフィンランドのヘルシンキ、エストニアのタリン、ロシアのサンクトペテルブルク、と初めての国ばかりです。映画「かもめ食堂」の舞台となったヘルシンキを観光し、ムーミンのマグカップを購入、街中が中世のテーマパークのようなタリンを楽しみました。サンクトペテルブルク、旧レニングラードはヘルシンキから高速鉄道で行けることが分かり、急きょ計画に組込み、世界三大美術館であるエルミタージュ美術館や美しいエカテリーナ宮殿を見物しました。

ロシア 広場の向こうに建つ大きなエルミタージュ美術館が小さく見える広大な宮殿広場、翌日メーデーの予行演習中

 ロシアの印象は広くて大きい、ということ。歴代皇帝の冬の宮殿だったエルミタージュ美術館、その広さは驚くばかりです。名画の数々を鑑賞しましたが、2日間、1日3時間ほどかけてもまわり切れない広さでした。建物だけでなく、道路も広く、繁華街のメイン通りは片道3、4車線、歩道も2車線ぐらいの幅があります。道に挟まれた1つのブロックも200mから300m幅と大きく、それだけ歩かないと横断歩道がありません。

 日露戦争で出陣したバルチック艦隊の護衛巡洋艦、オーロラ号がネヴァ川に係留されているはずだったので、気の進まない妻を連れて見に行きましたが、このときも横断歩道で苦労しています。大通りを進んで三叉路を曲がるのですが、大通りに横断歩道が無く曲がれません。しかたなく、通り過ぎた十字路まで戻って横断歩道を渡り三叉路を曲がりました。このためGPS記録で570m、10分もの回り道をしています。大通りを渡る横断歩道は、三叉路には無し、十字路には1つ、交差する道側に2つ、というのが基本のようで、広い歩道に人があふれている繁華街でも例外ではありません。歩行者には不便ですが、車には便利、繁華街でもかなりのスピードでスムースに流れています。車優先の社会です。結局、苦労してたどり着いたところにオーロラ号はありませんでした。きっと翌日のメーデーの祭典で移動していたのでしょう。これで二人ともどっと疲れました。

 地下鉄の駅間隔が1km以上あり、駅に行くのも、駅を出て目的地に行くのもかなり歩きます。オーロラ号のときも、地下鉄下車駅から係留地まで、回り道となった570mも含めて2.3km、34分ほど歩きました。帰りは地下鉄の駅に戻らず次の観光スポット「血の上の救世主教会」まで歩きましたが、同じ2.3kmほどでした。乗換えも駅によっては数百メートル以上歩きます。しかも地下鉄が走っているのは地下百メートルほどの深い硬い地盤、ホームに行くのにエスカレーターで2分、駅によっては3分以上かかります。地下鉄車両も頑丈そうで、ダークグリーンのその色合いともあいまってまるで軍用車両です。何事も広大かつ頑丈、のお国柄のようです。

 でもロシアの人々の親切はありがたかったです。ヘルシンキからの高速鉄道でサンクトペテルブルクに到着、地下鉄の入口を探してうろうろしていると男性が行き方を説明してくれましたが、通じないと知ると小雨の中を傘も差さずにわざわざ連れて行ってくれました。エカテリーナ宮殿では、帰りに乗ったバスが逆方向、日本人がこの方向に乗るわけがない、と機転を利かせた運転手さんが乗るべきバス停の場所を説明するのですが、ここでも通じないと知るや、乗るべきバス停が分かるところまで、それは次のバス停でしたが、料金も取らずに乗せてくれたのです。その間、乗客の人たちもどうにかしてやりたい、という顔つきでした。街中でも、分かりにくい地下鉄駅入口を親切に教えてもらったりしています。ロシア文字、科学記号のような見慣れない文字で最初は違和感があったものの、だんだん可愛らしく見えてきた、と妻が嬉しそうに話すほど親近感の持てる街となりました。これも旅の醍醐味、出かけてみるものです。

No.099:京都・東山トレール (04月30日) ページトップへ

 会社の同期を中心としたメンバーで、年一回の1泊旅行があります。若いときからの、家族ぐるみの付き合いなので奥さん方も参加して賑やか、夜遅くまで話は尽きません。関西在住と関東在住に分かれているので、会場は交互もしくは中間ということで、9回目となる今年は京都、桜見物の賑わいが落ち着きモミジの新緑が美しい今月中旬に「エクシブ京都 八瀬離宮」という素敵なホテルに集まりました。メンバーのうち2人が欠席して、15人での宴、楽しい仲間ぶりは全く変わることがありません。

 昨年の鎖骨骨折で皆に心配をかけている、あるいはバカな奴だと思われている、と考え、まだ骨癒合してはいないが元気、というところを見せようと、京都市南の伏見稲荷から北の八瀬まで歩いてホテルにチェックインすることにしました。京都一周トレールというのが整備されたと聞いたので、これで行こうと。朝9時08分京都駅着、9時40分伏見稲荷、15時20分ホテル着で5時間40分かけて18.6kmを歩きました。

将軍塚 将軍塚からの眺望<写真をクリックで拡大>

 伏見稲荷から蹴上までが京都一周の一部である東山トレールです。京都には20年ほど住んでいましたが、東山の山中を歩いたことはありません。木々に囲まれた山道が気持ちよく、時々眼下に現れる京都の町並みの景色も素晴らしく、地図無しでも歩けると思えるほどのトレール案内の充実ぶりで、大いに楽しむことができました。ただ、普段は平地を歩いているので、大小5回ほどの登りと下り、それに雨の後のぬかるみのところもあって、若干疲れましたが。最後の登りは将軍塚、ここは40年以上前、入社してまもなくして同期の連中と来て美しい夜景に感動したところ、車でないと来れないので、今回で2回目のはず。何かとても懐かしい思いで市内を一望しました。

 将軍塚から下りると蹴上、そこからは東山トレールを離れて市街地へ。若い頃に新端末の共同開発でお世話になった京都銀行、そのときに調査訪問したと思われる支店の前を通り、世界初の端末を創ると張り切っていたころを思い出していました。そんなことの積み重ねで今がある、と少々感傷的にも。優雅な京都の風景に欠かせない三方を囲む優しい山々を見ながらの街歩きも素敵でした。東大路を上がるとやがて高野川、川沿いに八瀬へ。誰一人としていない半そで姿でのチェックインは、恥ずかしくもあり、誇らしくもあり少々複雑な思いでしたが、まあ一種のパフォーマンスでもあるわけで、元気さをアピールできたのではないでしょうか。「本当に歩いてきたん!!」と褒めているような、呆れているような仲間には、たいしたことないよ、という顔をしながらも内心喜んだりしています。

 東京に戻ってから、仲間からの写真やアルバムが届きました。楽しい思い出が詰まった写真です。パフォーマンスを見せたい仲間がいる、だから頑張れるという一面もある、とても幸せなことです。

No.098:男の料理教室2回目 (03月31日) ページトップへ

写真 料理レパートリー3つ目予定の「カクテキ」

 男の料理教室、今年も参加し、料理のレパートリーが1つ増えました。と言っても、全てを1人で料理したわけではないので、まだ準レパートリーといったところですが。料理は「カクテキ」、大根のキムチです。料理教室の翌日、友人宅に持って行って一緒に食べ、翌々日、昨日ですが、自宅で食べて、発酵はまだ不十分ながらもさっぱり味で美味しく、これから更に美味しくなる手ごたえを得ました。復習を兼ねて一人で全てをやって、完全なレパートリーにしようという気になっています。

 でも、レパートリーが1つ増えるといっても、昨年の「肉団子のスープ」とその後作ってみた「ミートソーススパゲティ」に続く3つ目なので、1年間の進歩はわずかなものです。また、今回、「カクテキ」」以外に、韓国春雨と野菜や牛肉を甘辛く炒めた「チャプチェ」と「牡蠣の炊き込みごはん」もあったのですが、先生の実演だけで実習がなかったので、愛着がわかず、作る気になりません。まあ、本気度が足りない、ということなのでしょう。この道、必要に迫られないとなかなか進みそうにありません。

 生徒は14人ほど、昨年ご一緒した81歳だった方も参加されており、今年81歳という方も新たに参加されていました。お二人とも、奥様が亡くなられたりご病気になったりしたのがきっかけで料理を始めたとのことです。昨年81歳だった方は、耳が少し遠くなった感じでしたが、元気さは相変わらずで、どこどこの魚が新鮮で美味しい、どこどこのしゃぶしゃぶ店が美味しくてゆっくり楽しめる、と一人暮らしの気楽さのなかで活発に動いておられる様子が伺えました。

 今年81歳の方は、料理教室に5年も通ったベテラン、いちょう切りの意味が分からなかった私が、大根を輪切りのままにして置くと、いちょう切りですからそれを4等分するんです、と教えてくれました。日本を代表する大手電機メーカーを60歳で定年退職され、67歳まで子会社で働き、その後は毎年のように海外旅行を楽しんでいるとのこと。「ヨーロッパなどの遠方は大変でしょう、時差ボケは大丈夫ですか?」と尋ねると「大丈夫です。ビジネス席ですし」との答え、エコノミー席での旅は70歳前までだったそうです。既婚の2人の娘さんも同行されるとのことで、家族4人のビジネス席の旅、全員分出す、とのことなのでかなりの出費でしょう。優雅な年金生活です。

 齢を訊かれて、68歳です、と答えると、一番いい時期ですよ、と励ましてくれました。時間があり、体力もあり、お金もそこそこある、今の時期、やはり人生のゴールデンタイムなのでしょう。これからも海外旅行などを大いに楽しむこととします。ただ、私の場合、エコノミー席での旅が大前提なので、長時間のフライトや時差ボケに耐えられない体力になったら、近くで時差の少ない国々への旅行に切り替えることになります。それはそれでまた楽しいかもしれません。

No.097:自律神経の乱れ (02月28日) ページトップへ

 自律神経のバランスが崩れていると感じています。顔が火照ったり、「顔が赤い」などと妻から言われるときがあるからです。自律神経のバランスが取れていないと免疫力が低下して病気になりやすくなる、実際今年になってから、風邪と思われる下痢や発熱がありました。自律神経を整えるためには、昼は日光を浴びしっかり動いて交感神経を活性化させ、夜は暗いところでぐっすり寝て副交感神経を活性化させる、ということのようですが、これがなかなか難しいのです。

 「昼しっかり活動する」は自分の意志でなんとかなるとしても、「夜ぐっすり寝る」のはどうしたらよいのか分かりません。「自律神経を整える10の方法」を見ると全項目とも「ぐっすり寝る」ために大いに役立ちそうです。まあまあ出来ているかな、と思われるのは「身体を動かす」「よく噛む」「就寝3時間前までの夕食」の3項目、「たくさん笑う」は副交感神経を活性化して免疫力を高めるとのことなのですが、なかなかできていません。免疫力を弱めてしまうストレスを克服するためにも一番大切なことなのかもしれませんが。「規則正しい生活」「朝の散歩」「朝の日光浴」の3項目を意識して、朝7時起床-夜11時就寝の7-11の規則正しい生活と、散歩のときに積極的に日光を浴びるようにしています。「ゆっくり入浴」「就寝前にテレビやパソコンを見ない」「就寝前に腹式呼吸」の3項目は面倒そうなので、気に留める程度にしています。まあ相変わらずのいい加減ぶりではありますが。

 自律神経のバランスが崩れたままで、免疫力が落ち込んでいくと、大きな病気になりかねません。例えば、癌を防ぐのは免疫力だ、と言われています。我々の体内で発生する癌細胞は、1日5千個ほど、並べると5センチから10センチもの長さになるそうです。毎日です。それでも癌にならないのはひとえに我々の免疫力のおかげなのです。手術や薬に頼らず、免疫力だけで末期癌を消滅させた(【癌ブログ】末期がんを免疫療法で克服)、といった報告もあります。

写真 散歩で我々夫婦の健康に貢献してくれていたモモ君

 今まで、風邪をひかないというのが自慢でしたが、もうあまり自慢できなくなりました。歳のせいもあるのでしょうが、生活の変化が大きく影響しているのではないかと考えています。2年前に現在のマンションに引越して、すぐに愛犬モモが亡くなって、暮らしぶりが変わりました。駅直結のマンションで歩く機会が減り、自宅が2割以上も狭くなって家での動線が短くなり、テレビの前にリクライニングチェアーを置いたのでそこでの時間が増え、モモの散歩が無くなったので日光に当たる機会が少なくなったのです。生活が変化してから数年後に影響が出てくる、ということなのでしょう。

 人間ドッグの白血球分布データから自律神経のバランスを見てみると、8年前の60歳のときからの6回受診では、現在の個人事務所に勤める前の2回はバランスが崩れていて交感神経過剰、勤務開始後の3回はバランス範囲内、引越半年後はまたバランスが崩れて副交感神経過剰となっています。やはり、仕事や生活の変化が自律神経のバランスに影響しているということのようです。ちなみに36歳から43歳までの7年間4回受診では、4回ともバランスをほぼ崩しており、交感神経過剰と副交感神経過剰が交互に出ています。若い頃はバランスを崩して免疫力が下がっても風邪をひくぐらいで済んでいたのでしょうが、還暦を過ぎるとそうはいかなくなるでしょう。昼はしっかり動いて、夜はぐっすり寝る、自分のペースで暮らせる今であればそれができるはずです。自分次第だからこそ難しいという面もありますが。

No.096:南仏の旅 (01月31日) ページトップへ

 1月1日元日の午前0時30分羽田発でパリ経由南仏ニースへ。搭乗するとすぐに「いつもエールフランスをご利用いただきありがとうございます」とプレミアム・エコノミーにグレードアップしてくれました。妻と2人で10万円以上相当のプレゼント、幸先の良い年明けです。

 ニース到着は同じ1月1日の午前8時45分、快晴、東京では見ることができない紺碧の空で、気温も東京よりも暖かく感じる絶好の観光日和、8日の午後7時25分にニースを発つまでのまるまる8日間、最終日まで初日同様の良い天気が続く、天候に恵まれた旅となりました。

 ニースを中心に、コート・ダジュール沿いの、鷲の巣村のエズ、F1のモナコ、映画祭のカンヌ、ルノアールが晩年を過ごしたカーニュ・シュル・メールを観光し、プロヴァンス地方に移動して、アヴィニヨン、ローマ時代の水道橋で世界遺産のポン・デュ・ガール、南仏の美しい村々、アルル、マルセイユ、などを観光、個人旅行としては盛りだくさんで、天気良し、景色良し、人は親切、と大満足の旅でした。

写真 絵画の風景に出合う旅ともなりました。

 人の親切で特に印象に残ったのはアルルです。郊外にある「ゴッホの跳ね橋」の見物にバスを利用しましたが、観光案内所やバスのチケット売場の人がとても親切で、定期ルートにはない、橋への直行直帰ルートのタクシー並みのサービスを手配してくれました。定期ルートだとバス停から20分ほど歩くので、往復1時間半はかかるところを、40分もかからずに、しかもゆっくり橋を見物できたのです。乗客は我々2人のみ、料金は1人1ユーロ、運転手さんがカメラのシャッター押しまでやってくれて。持参した「地球の歩き方」には記載のないサービスで、2人とも大喜びでした。

 アルル駅では、親切なお婆さんが片言の英語で「フォローミー、フォローミー」と手招きしてくれました。乗車予定だった電車が到着直前に人身事故で止まってしまい、駅で待機していて1時間以上経ったときに、振替バスが出るので一緒に乗ろうと誘ってくれたのです。お婆さんも我々と同じマルセイユ行き、というのが分かっていたので安心して一緒にバスに乗り込みました。ミラマという町で別の路線の電車に乗換えて、2時間遅れでマルセイユに無事到着、フランス語を聞き取れない、読めない、何もわからない我々にとっては、心強い助っ人でした。カップスープを2つ持っていたので、ジャパニーズ・フーズ、と差し上げたらとても喜んでくれて、お礼を何回か言われました。

 パックツアーとは違い、とにかくよく歩きました。終盤では疲れも出てきて、マルセイユの丘の上の大聖堂への登り坂などは休みやすみ歩いています。満席の観光用トラムが2回も追い越して行き、帰りはこれに乗る、と妻が語気を強める一幕もあって、帰りは結局バスとなりました。でも、最終日のニースでは、マティス美術館に行くのにバスを使った以外は1日中、6時間以上歩いています。旅の間中常に歩きだったので、慌ただしかったり、車窓が多かったりのパックツアーではなかなか経験できない、現地の空気や人々の暮らしにより触れることができた気がします。さんざん歩くにも関わらず、やはり個人旅行がいいね、と二人で話しています。

 残念だったのは、日本で事前に調べたレストランには1軒も行くことができなかったことです。オフシーズンで2ヵ月休み、だったり、始まりが夜7時半、だったりしたためです。夕食が遅い時間になると、寝るのが遅くなり、翌日早朝に起きられずに、予定の電車やバスに乗れなくなります。多くの日が朝5時か6時起きでしたから。ちなみにこれは、パックツアーよりもハード、という妻のぼやきの元ともなっていました。

 帰りのパリ発エールフランス、乗客が少なかったので座席を3つも占有して横になり、ぐっすり寝ることができました。往きも広いプレミアム席でぐっすり寝たので、今回は、現地でも帰国後も時差ボケに悩まされることはほとんどありませんでした。いい旅でした。