リタイア間近組

 
 
リタイア間近組

セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

定年、その後(2019年)  定年後の日々(毎月1日更新)

No.155:タワマンの脆弱さ (12月31日) ページトップへ

 10月12日の台風19号で、近くの47階建て高層マンションの地下室が水没し、停電、断水が何日も続きました。エレベータが使えず、料理はできず、トイレも使えません。囲碁サークルのメンバーに住民の方が数人おられ、階段の上り下りで足がおかしくなった、とのことです。電気システムが地下に集中しているタワマンの脆弱さが露見したと、マスコミにも大きく取り上げられました。

 神奈川新聞(10月15日付)には、「同マンションには止水板の設備がなかった。台風襲来の1週間ほど前には有志の住民らによる防災の勉強会も開かれ、『止水板を導入しないと停電になったときに生活が全部駄目になる』との話も上がったばかりだったという」とあります。実際、周辺が同様に冠水したすぐ横のタワマンには止水板があり、全く浸水していません。

 タワマン全体の維持管理、防犯、防災は複雑で多岐にわたるため、委託管理会社任せになりがちです。委託元の住民による管理組合の理事会は素人かつ片手間なので、プロである管理会社に任すしかないのですが、管理会社は管理組合の指示がないと動けないし、原則、動く必要もありません。このため、難しいこと、面倒なこと、先々のこと、などは決められないままになることがあるのです。地下室が水没したタワマンは築10年以上経っており、その間「止水板」が検討されたことは何回かあったにちがいありません。今のことは人任せ、先々のことは先送り、これこそがタワマンの真の脆弱さなのかもしれません。

 我がタワマンでは、周辺での冠水が無かったので無事でしたが、その可能性が高いことが分ったので、現状検証と対策が必要です。管理組合の理事会をサポートする委員会のメンバーなので、しっかり取り組まなくてはなりません。今回のことで、みんなの防災意識は高まっていると思うので、費用などの合意形成は比較的やり易いのではないでしょうか。「終の住家」として選んだこのタワマン、便利、快適の裏に潜む危さが明るみに出て、「よかった」とも思っています。


今年の総決算です。

1.家族
母の妹、叔母が亡くなりました。96歳、3人姉妹の末っ子で、子どもの頃は体が弱かったらしいのですが、2人の姉よりも長生きしました。小さいころからいつも一緒にいたような、とても身近な存在でした。私の実家に行くと、自転車に果物を積んでやって来ます。八百屋特選の美味しい果物で、甥や姪のためなら金に糸目をつけません。食べろ食べろと嬉しそうに勧め、「美味しい」と喜んで食べているのを楽しげに眺めていました。自分のことを差し置いてでも、甥や姪を喜ばそうとした叔母、そんな人がいて、私も恵まれていたのだ、とあらためて思うのです。

2.友人たち
大学卒業50周年記念の部活同期会を開催し、この歳までよくぞ無事にやってきた、とお互いの健闘を讃え合いました。中・高校や会社の友人たちとの交流も相変わらずで、最近は囲碁仲間との交流が加わりました。初めての地域仲間です。

3.趣味
東海道歩き旅は10回目、会社同期会のあった伊東を経由して伊勢神宮まで、512キロを歩きました。年間を通してのウォーキングは3,355キロ(1日平均9.2キロ)でした。年3,650キロ(1日平均10キロ)に295キロ足りません。記録し始めて12年目、初めての1日平均10キロ割れです。日曜日のウォーキング時間を囲碁サークルで使っているので、年40回ほど、年400キロほどを歩かなかった計算になります。ウォーキングと同じぐらい楽しい趣味がもう一つできつつあるのです。ウォーキングは少しやり過ぎかもしれず、囲碁のほうが歳相応なのかもしれません。

北欧への乗換モスクワで赤の広場のワシリー寺院を見物した<写真へのクリックで拡大できます>

4.旅行
今年は、冬のギリシャと夏の北欧3国でした。同じヨーロッパでも、社会インフラや治安が大きく異なる両者でしたが、それぞれにそれぞれの楽しさがありました。どこであれ、旅に「はずれ」はありません。国内では復興割りでの福岡旅行、大宰府天満宮に参拝し、博多めんたい重、博多うどん、博多水炊きなどをいただきました。友人夫妻との日帰りドライブ、今年は山梨・身延山、栃木・大谷石地下採掘場跡、群馬・吹割の滝に連れて行ってもらいました。感謝感謝です。

5.日々の思い
長兄が入院中に転倒し、脳にダメージを受けて身体が思うように動かなくなり、寝たきりの状態となりました。話しかけても僅かな反応しかなく、意思確認ができません。大きなお金が必要になっても家を売るなどのことができないのです。歳をとったらそんな突然の事態への備えが必要なのだ、と切実に感じています。

6.日々の暮らし
囲碁の占める時間がかなり増えました。暮らしのなかで、やることがなくて辛い、という状況は当分なさそうです。

7.仕事
週2日の勤務は続けていますが、事務所でボスと四方山話をしている時間が多く、「仕事をしています」と胸を張れる状況ではありません。でも楽しい時間だし、10年以上お世話になっているボスのためにも、自分のためにも、許される限り続けていきたいと考えています。

No.154:勉強会 (11月30日) ページトップへ

 幹事会開催の案内メールが届きました。大学卒業50周年記念部活同期会の世話役だった3人で飲もうという誘いです。同期会に一番熱心だった友人からで、東京での市民大学講座のために栃木から出て行くので付き合え、ということなのです。日程調整の結果、講座最終日に新宿で飲むこととなりました。

 当日、私は店に直行、2人は駅で待合せだったのですが、招集をかけた友人から、もう一人が時間になっても来ない、電話の電源が切られていて連絡がとれない、どうしよう、との焦りの電話がありました。念のため私も電話すると、電源が切られているか電波の届かないところにいます、とのアナウンス、奥さんに聞いてみようと自宅の固定電話にかけました。

 ところが電話口に出たのは本人でした。待合せ時間を間違えていたのです。1週間前の時間変更連絡メールに、「了解」と即答していたのに。寒い中、駅で待っている友人に伝えると、エッ!、と少々お怒りのご様子。それもそのはずで、後から知ったことですが、この日は休講となってしまったそうで、それにもかかわらず約束なので出てきたのです。

 飲み放題の2時間制限なので、開始を遅らせてもらい2人で待ちましたが、待ちきれずに飲み始めました。飲んでいても、時計を見ながら、まだかまだかと気が気ではありません。電話は相変わらず通じません。もう着いてもいい時間なのに、徘徊しているのでは、などと心配しているとひょっこり店に入って来ました。

 「ごめん、ごめん」と平謝り、当然です。でも、開始を45分遅らせてもらったので、1時間半ほどを3人で楽しく飲むことができました。飲み足りなかったのか、最終講義で来週出て来るのでまた飲もう、との誘い、さすがに2週連続は、ということで来月同じ店での忘年会となりました。その店の会員だと、誕生月に歳の数だけの餃子が無料で提供されます。早速会員になりました。誕生月の1月には73個の餃子が無料で食べられます。

単なる飲み会から勉強会に昇格しての初回は柴又見学でした。(2007.1.20)<写真へのクリックで拡大できます>

 そこで、他のメンバーにも声を掛けて、1月にみんなで飲もう、ということになり、忘年会はそのための打合せ、となりそうです。他のメンバーはあと3人、大学部活の同期で、定年後に年に何回か集まるようになって10年以上になります。一応「勉強会」という御大層な名称がついていて、見学とか観劇という「勉強」が付きます。1月は私が幹事となるので、「勉強」のネタを考えなくてはなりません。

 この日遅くに、招集をかけた友人から「今日はおかげさまで楽しい酒が飲めました。(中略)お互い老々 ... になりつつありますね (笑)」とのメールが。「老々」とは、単に集まるだけでもままならない老人たち、ということなのでしょうか。気心の知れた、若いころからの大切な仲間です。そんな「老々」のなかでも、楽しい時間をいつまでも共有できることを切に願っています。

No.153:囲碁サークル (10月31日) ページトップへ

囲碁サークルの対局風景(今年1月放送のNHK『TOKYO ディープ!』から)<写真へのクリックで拡大できます>

 「上達しましたね」と私の囲碁対局を取り囲む人たちが口々に褒めてくれました。毎週日曜日の囲碁サークル、終了時間間近で他の対局はすでに終わって、メンバー全員が見守るという中で勝利したのです。ルンルン気分で帰宅しました。この日は2勝1敗、1年間続けて初めての勝ち越しです。9目という大きなハンディをもらっての勝利なのですが、それでも勝てなかった今までと比べると大進歩です。「勉強してますね」とも言われました。

 食事もそこそこに、囲碁ゲームや囲碁本に熱心な日々、そんな囲碁三昧に妻は「そんなに頑張っても(成果がない、勝てない)・・・。才能ないのでは」と、いかにも時間のムダと言いたげで、囲碁三昧を責められているような気がして、焦りが少しあったのですが、このやり方で行こう、と自信をちょっとですが深めました。

 仕事や趣味に熱中する時間をもつと、そのストレスによる精神的な疲労を回復させようと、成長ホルモンの分泌が促されるそうです。成長ホルモンの分泌は、思春期がピークで、70歳代になるとピークの30%以下に落ちるとのこと。分泌の低下は、集中力低下、気力低下、認知機能低下、内臓脂肪蓄積、などなど、まさに加齢の情況に類似しているそうです。成長ホルモンはアンチエイジングの鍵、とも言われています。

 私の囲碁は、熱中というよりも、やることが無くなると辛い、といった少々消極的な意味合いが強いので、アンチエイジング効果はあまり期待できませんが、楽しい老後のための確かなツールにはなりそうです。

 囲碁を昔やったことがある、という友人にお願いして、ネットで対局しています。6目のハンディをもらっているのですが、かなりの大差で敗けます。前々回、初めて勝ったのですが、前回はまた大差で敗けました。友人は敗因を分析し対策を立ててくるので、こちらもそれを上回る対策が必要なのですが、それができれば苦労はありません。対局後、お互いが勉強し、創意工夫を重ねるという、いいサイクルで進んでいる、と勝手に考えています。真のライバルとなるまでかなり遠い道のりのように思えますが、頑張ります。その頑張りが、楽しくもあり、しかも、アンチエイジング効果が僅かでも期待できるのであれば、まさに実益も兼ねた趣味、ということになりそうです。

No.152:叔母の葬儀 (09月30日) ページトップへ

叔母の葬儀<写真へのクリックで拡大できます>

 「お墓を引き継ぐ人がいなければ、納骨はできません。更地にして返していただきます」といきなり言われました。叔母の葬儀をお寺さんに相談したときのことです。親も、兄弟も、子供もいない叔母は、このままでは、夫のいるお墓に入れないのです。お袋の妹で、享年96歳、小さいころから可愛がってもらった我々兄弟で、葬儀をして、姉がお墓を守ることとなりました。

 厳しい現実を目の当たりにして、叔母と同じように子供のいない我々夫婦も「お墓」のことを本気で考えました。結論は、「樹木葬」、両親が眠るお墓があるのですが、そこでは、甥や姪に負担をかけることになりかねません。それに、真っ先にお墓のことを心配し、叔母本人には何の関心も寄せなかったお寺さんに、多少の不信感もあります。叔母のことをほとんど知らないし、また、知ろうともしないお寺さんにお経をあげていただいても、ありがたみを感じないのです。アマゾンの「お坊さん便」と大差ないように思えてなりません。

 戒名をいただくのに大変なお金がかかります。友人のお父様のときは100万円だったそうです。別の友人は、奥さんが亡くなったとき、本で研究し、自分で戒名を考えたそうですが、それでも50万円のお布施を求められた、と不満げでした。施設や病院の費用で叔母の貯金は底をついており、兄弟で出し合っての、お布施や葬儀費でした。質素な葬儀ではありましたが、我々兄弟で、心を込めて送り出せたと考えています。

 私の住む市には、丘全体を覆うような、広い市営墓地があり、そこに合葬墓ができました。平日の午前中、内覧会に出かけましたが、整理券はすでになく、次の内覧日の朝9時から当日分を配布します、とのことでした。多くの人が駅から墓地入口まで連なっていて、係員が同じことを皆さんに説明しています。一様に高齢者で、子どもに負担をかけさせたくない、ということのようです。予想外の反響に、市は内覧人数を1日180人から1000人以上に増やし、3日予定を5日にした、とのこと、現代のお墓事情の一端を垣間見た思いです。

 秋分の日に、四十九日の法要が執り行われ、一連の葬儀が終わりました。叔母が亡くなり、我々兄弟を結びつける人が誰もいなくなりました。バラバラにならないように心がけなくてはなりません。

No.151:北欧夏の旅 (08月31日) ページトップへ

フィヨルドの美しさを堪能した。<写真へのクリックで拡大できます>

 両岸に迫る切り立った岩山の間を縫うように、静かに進むクルーズ船、鏡のような海面に映し出される岩山と青空、朝の清々しい空気とあいまって、神々しいばかりの自然の美しさに心打たれました。この風景だけで、今回の北欧夏の旅に出た価値がありました。ノルウェーのソグネフィヨルド、その最も狭いところを巡るクルーズ、グドヴァンゲンという港を朝8時半に出て、フロムという港までの2時間、心洗われる思いでした。

 前日から、グドヴァンゲンのがらんとした港にポツンとあるコテージに宿泊しました。崖となって迫る岩山に挟まれた谷間、そこを流れる川が、フィヨルドの海に注いでいます。崖からは何本かの細い滝が流れ落ち、氷河が削り取った荒々しくも美しい景観を作り出しています。ぶらぶら歩きながら、美しい景色を堪能しました。

 コテージの屋根には草が生えています。断熱のためでしょうか、この辺りで時々見かけるスタイルです。屋根には大きな窓もあって、外の明かりがもろに入ります。この日の日没は22時13分、その後も空は白く、なかなか暗くなりません。ノルウェーの人はこんな夏の深夜を楽しむそうですが、寝たい私にはたまりません。アイマスクを借りて寝ました。

 ハダンゲルフィヨルドというところもクルーズし、アナ雪でエルサが作る氷の宮殿のモデルとなった木造教会を訪れ、フロムから山岳鉄道に乗り、街歩きでは、モスクワ、ベルゲン、オスロ、コペンハーゲン、ストックホルムを訪れる、といった盛りだくさんの旅、ツアー並み、いやそれ以上の効率のよさで観光してきました。何日もかけて、バス停位置やバス時刻などを根気よく事前調査した成果です。

 北欧はキャッシュレス社会、最初のノルウェーで5千円だけ両替しましたが、現金不要を体験し、デンマーク、スウェーデンでは両替しませんでした。また、日本で購入したデータ通信用SIMも、動きが鈍かったモスクワとは違い、サクサクと気持ちよく動きました。電車やバスの時刻もヨーロッパとしては正確で、冷たい水道水が飲め、社会インフラが高度に整備されている様子です。我々の旅に付きもののトラブルがほとんど無かったのは、そのためだったのでしょう。

 食事では、ノルウエーのサーモン、デンマークの乳製品、スウェーデンの魚介類などを楽しみました。ソフトクリームが、少し大きめではありますが900円、中ジョッキービールが1200円、と物価の高い北欧なので、努めて日本円に換算しないようにしています。換算すると食べることができないものばかりです。

 ストックホルムの地下鉄で乗車ホームを尋ねたとき、いつか日本に行きたい、でも物価が高いと友人から聞いている、と言われました。北欧の人から、日本は物価が高い、と聞くのはちょっとびっくり、そんなことはない、と具体的な価格などを説明しておきました。旅行中、日本人か、と何人かに尋ねられています。とても親日的な印象です。

 日本が酷暑で大変なときに、快適な北欧で過ごすことができ、天候にも恵まれた、思い出深い旅となりました。

No.150:お金の使い方 (07月31日) ページトップへ

 お金の使い方は人それぞれです。年金暮らしの知人は海外に一人で遊びに行きます。一人でお金を使って、との奥さんの不満をよそに、お金は使うためにある、と言いながらいそいそと出かけます。私にはなかなかできません。一緒に喜べる人がいないと楽しくないのです。妻や友人夫妻と旅行したり、食事をしたり、たまには若い人にご馳走したり、とかで、一緒に楽しめることにお金を使います。もっとも、その方は誰とでも仲良くなれるので、旅先で知合った人と一緒に楽しむということなのかもしれません。

 入院中の別の知人は、高額の差額ベッド代を払って個室で1年以上過ごしています。1日2万5千円の自費、そんなお金の使い方も私にはできません。他の患者さんと同じ部屋で寝起きすることが苦痛な方なので、それが生きたお金の使い方なのでしょう。私の場合は、かえって落ち着かず、生きたお金の使い方になりません。

二人での海外旅行も楽しんでいる。(ギリシャ・パルテノン神殿で)<写真へのクリックで拡大できます>

 端末代も月々料金も0円の携帯にしたとき、お金が絡むと頑張るのね、と妻に言われました。確かにそうです。そこが智恵の働かせどころ、結果が良ければ、達成感もあり、嬉しくもあります。お金に執着しているわけではありませんが、使い方には執着します。携帯0円のような芸当は、知人にはなかなかできないことでしょう。そもそも興味もないかもしれません。

 お金の使い方にはその人の価値観が表れます。性格や個性と言えるかもしれません。映画フラガールで主演した蒼井優さんが、結婚の決め手は「金銭感覚が似ていること」と嬉しそうでしたが、価値観や性格が似ていれば、共感することも多く、楽しいことも多いことでしょう。

 東大卒で大手IT企業に勤める30歳の男性は、1日分の栄養が摂れる粉末を水に溶かして3回に分けて飲み、それを日々の食事としているようです。「食事にお金を使うということは、いくらでうんこを買っているのかという話になる。"おいしい"と思う感情もあるが、限られた予算の中で、ひとときの感情のために使いたくはない」とのこと。食べることに強いこだわりと楽しさを求める我が事務所のボスに話してみると、他人のことだからとやかく言わないけど、早死にするね、と一刀両断でした。

 世の中は様々な個性であふれていて、常識など吹き飛ばしている人もいるのです。でも、昔からの、多くの人たちの経験から出ている常識、そこからあまりにもかけ離れているのは、「早死にするね」というボスの言葉にあるように、危険も伴うということかもしれません。常識からあまりかけ離れないようにお金を使う必要があるのかもしれません。

No.149:東京オリンピックのチケット抽選 (06月30日) ページトップへ

事務所から、新宿御苑の緑の先に新国立競技場の上部が見える。(写真中央上)<写真へのクリックで拡大できます>

 勤務先の事務所から見える新国立競技場、新宿御苑の緑の先で頭を出しています。2年前からの何本ものクレーンが姿を消し、工事用の外枠も撤去されて、いよいよ東京オリンピック、という雰囲気になりました。観戦チケットの抽選があり、応募しましたが、当然ながら落選、750万人もの申込IDの中で当たるわけがありません。しかも、競技を選ばないまま締切り前日となり、妻と2人で申し込んだのが開会式と閉会式、おそらく当選確率最低のチケットだったことでしょう。

 「宝くじ、買わなければ当たらない」ということで、とりあえずの申込、ではあったのですが、当選に喜ぶ人をテレビで見ると、ちょっと羨ましい思い。でも、開会式のチケット2枚が当たり60万円です、という声を聞くと、旅行に行った方がいいなぁ、と思ったりもします。いつもの個人旅行で、ヨーロッパ2週間弱を2人で楽しめます。

 チケットの抽選に申し込む、との友人に誘発されて、申し込みました。夫婦でお付き合いいただいている、一緒にいて楽しく、気の置けない友人です。価値観が似ているのか、共感することが多く、それだけでも楽しいことなのですが、参考になることも多いのです。今回も彼のまね事のようなものなのですが、真剣度は全く違います。全競技日程をプリントアウトし、競技への興味と当選確率を考えながら申し込む、とのことでした。申込内容が決まったら教えて、と調子よく頼みましたが、当選確率を下げるようなことはしない、と即座に断られました。結果がどうなったのか、来月夫婦4人で食事をするので、そのときに訊いてみます。結果はそれまでのお楽しみです。

 夫婦二人での海外旅行も頻繁に出かけていて、それを見て、我々も出かけている、ということもあります。食事や旅行といった、人生を楽しむ術を知っているのです。50年近く前の入社直後から長く一緒に仕事をした仲間で、とても頼りになる、得難い友人です。一緒にいて時間の経つのを忘れてしまう楽しさがある、大切なご夫妻、お互い元気で、いつまでもお付き合いいただきたい。でも、オリンピックのチケット、当たっていたらちょっと悔しい。努力が足りない、と言われそうですが。

No.148:長兄の病 (05月31日) ページトップへ

 78歳になる長兄が肝臓癌で大きな手術を受けました。手術は成功し、癌を全て取り除き転移もないとのことでひと安心だったのですが、術後の経過が思わしくありません。もう、1年以上入院しています。手術後、誤嚥するようになり、嚥下機能改善手術を受けたり、転倒で頭を打ち開頭手術を受けたりしているのです。

 兄弟という、身近なところでの大病、喧嘩仲間だった次兄はとりわけ心配そうで、しかも1歳違いなので、次は自分か?とより深刻に受け止めています。私は6歳違いですが、体型は細身の長兄似、考え方や行動にも似たところがあり、当然ながら他人事ではありません。

 転倒は、嚥下機能回復に歩きを勧められ、早朝から院内を歩いて病室に戻ってからのこと。それまでに3回も転倒しており、本人も危ないと思いつつ、早く嚥下機能を取り戻したい一心だったのでしょう。私でも、危ないと思いつつもやはり歩いたかもしれません。そういうところは似ていて、「兄貴は何でもやり過ぎなんだ」という言葉は、そのまま自分自身への言葉でもあるのです。「おれはそんな無理はしない」と妻に言うのですが、信用してくれません。でも、兄貴が身をもって教えてくれたことです、心するようにします。

長兄(左、大学生)と私(右、高校生)<写真へのクリックで拡大できます>

 小さいころ、どこまでやったら怒られるのか分からない長兄は両親によく怒られていました。それを見ていた私は兄貴ほどは怒られずに済んだのです。兄貴を反面教師にして、うまく立ち回ったと言えます。いろいろなことを兄貴から学びましたが、最も感謝しているのは、勉強でも仕事でも、人一倍頑張る姿を兄弟に見せてくれたことでした。おかげで、私も頑張ることができました。

 「友人と飲みに行く」なんて聞いたことがない、と兄貴の嫁さんが言っていました。友人らしい友人がいないようで、「人とのつながり」の無さが健康に影響したのではないか、どのように影響したのかは分かりませんが、そんな気がします。頭を打った影響で、身体が思うように動かない状態で、声も出せません。それまでは、見舞いに行って兄弟喧嘩のような形ちで帰ったこともありますが、今は喧嘩もできません。じゃあ帰るね、と言うと、かすかに手を振ってくれたときがありました。そんなささやかな反応に、希望を見出し、嬉しさを感じるお見舞いとなってしまいました。

No.147:10回目の東海道歩き旅 (04月30日) ページトップへ

 今年で10回目となる東海道歩き旅、川崎の自宅から伊勢神宮まで、512kmを79万6千歩で完歩しました。ここ数年、気持よく歩ける日が少なくなり、歳とともに体力の衰えを実感するようになっています。

 掛川から浜松までの1日30kmほどの行程では、10kmも行かないのにしんどくなって、休み休みの歩きとなり、20kmあたりで、もう歩くのはいやだ、と思うくらいのしんどさとなりました。伊勢までのほぼ中間地点、1日40km代の日もまだ何日かあり、完歩できる自信を失いかけました。ところが、翌日の40kmの行程では、しんどさはあまりなく、普通に歩き通すことができたのです。

 しんどかった原因は、どうやら寝不足だったようです。浜松が午後から雨の予報だったので、午前中に到着しようと午前2時半過ぎに掛川を出発、睡眠時間が5時間ほどでした。浜松には、雨が降る前の午前中に到着し、ホテルで12時間近くの睡眠をとったので、翌日は普通に歩けたようです。

 掛川では、静岡からの52km、午前3時から午後7時半までの歩きのため午後9時ごろの就寝となり、睡眠時間が5時間ほどとなったのです。3日前の終日雨での遅れを取り戻すためでした。このような歩きはいままで何回もあり、その都度しんどかったのかもしれませんが、60代では乗り切れたことが、70代では乗り切れなくなった、ということなのでしょう。

伊勢神宮に無事到着<写真へのクリックで拡大できます>

 疲れの原因は自律神経機能の低下にあるとのことですから、前日に16時間以上歩いて酷使した交感神経を、十分に休ませるための睡眠が必要だったようです。2年前から1日50km以上の行程を組まないようにしていたのですが、これからは睡眠時間も考慮した行程としなくてはなりません。

 浜松以降は、睡眠時間を最優先にして、食事や洗濯の時間をできるだけ短縮したので、ほぼ普通通りの歩きとなり、伊勢神宮到着の最終日は、むしろ気持よく歩いた日となりました。来年も頑張れそう、という気になっています。

 今年もこの時期に、退職した会社の同期会があり、会場である伊東を経由しての歩き旅となりました。このため、箱根峠は通らず、熱海峠を越えています。参加したのは15名、関西在住と関東在住が半々で、お互い1年ぶりとなる友人もいて、大いに盛り上がりました。2日前に足を骨折した奥さんが怪我をおして参加、何が何でも参加したい、そんな友人たちの楽しい集まりです。来年は奈良、このため東海道歩き旅は自宅から京都までとなるでしょう。歩けそうであれば、ですが。

No.146:囲碁サークル (03月31日) ページトップへ

 趣味は「旅行」と「ウォーキング」です。最近、それに「囲碁」が加わろうとしています。実益など求めず、ただただ楽しむ、それが本来の趣味というものなのかもしれませんが、私の場合は実益のない趣味は考えられません。貧乏性なのです。「旅行」は妻と二人、一緒に暮らす智恵を授けてくれます。一人旅はしません、実益が見いだせないのです。毎年の「東海道歩き旅」は一人ですが、これは毎日のウォーキングの励みの元になる、という実益があります。

NHKの『小さな旅』と『TOKYO ディープ!』で我々のサークルが紹介されました。<写真へのクリックで拡大できます>

 「ウォーキング」は健康のため、そして「囲碁」を始めたのも健康のためです。寝たきりになるリスクを低減するためには「人とのつながり」が大切、とのNHKの『ためしてガッテン』を見たあとに、囲碁サークル開設のチラシが入ってきたので、「人とのつながり」を求めて参加しました。それから8ヶ月、生まれて初めての囲碁だったので、続くか心配でしたが、今のところは何とか続いています。

 若いころに「スキー」や「テニス」を始めたときは、面倒見の良い、根気強い友人が丁寧に教えてくれて、みんなと楽しむことができるまでになり、続けることができましたが、今回はそのような友人はいません。みんなと楽しめるようになるには、独学で頑張るしかないのです。本で勉強したり、パソコンゲームで研究したりしています。効果はあまりないように思うのですが、上達が早い、とか、初めてにしては上手だ、などと囲碁サークルの方々におだてられて機嫌よくせっせと通っています。

 日曜日の10時から13時まで、持ち点があって、敗けると減って、勝つと増えます。8ヶ月間ほぼ連戦連敗なので持ち点は誰よりも低く、ハンディとして、碁盤全体がほぼ黒模様になるくらいたくさんの黒石を置かせてもらうのですが、いつの間にか敗けています。弱すぎて、相手は囲碁の醍醐味を楽しめないのではと思うのですが、皆さん気持ちよく相手をしてくださいます。少なくとも表面上は。でも、早く上達しないと、そのうち見捨てられそうです。そうなる前に、相手も楽しめるぐらいには上達しなくてはなりません。

 囲碁仲間と楽しい時間を過ごす、そんなことを思い描きながら、弱くても文句ひとつ言わずに相手をしてくれるパソコンゲームで研鑽を積んでいます。こちらのミスを決して見逃さず、容赦なく攻めてくる、冷酷無慈悲なパソコンに悔しい思いをしながらの修行です。

No.145:卒業50周年記念同期会 (02月28日) ページトップへ

 大学を卒業して今年で50年、この節目を迎えての部活同期の集いを開催することとなりました。積極的に、「やろう!!」いう面倒見の良いのが1人いて、それに引っ張られるように私ともう1人、計3人の世話役トリオでまず連絡先調査から始めました。同期は14名、たかだかこの人数の集まりなのに、事前打合せを3回も、開催当日は2時間前に世話役トリオで集まって最終確認、という念の入れようでした。そのおかげか、14人中12人が参加して、楽しい時間を過ごすことができました。

 連絡先がどうしても分からない1人を除く13人にeメールで開催案内を出すとすぐに返事があり、僅か24時間ほどで全員出席の確認が取れました。母校のある田町での開催、遠方の島根県松江市から1人、後は関東在住ですが宇都宮といった遠くからの人もいるのに何と素晴らしい、と少しびっくりするとともに、みんなの期待の大きさを感じました。

 部活は無線部でした。大学祭の準備やアマチュアTVの送信実験などで大学に泊まり込んだり、春と夏の合宿やそれに続けて同期数人で旅行したり、私は参加していませんが、インターカレッジスキー大会でクロスカントリーコースのいくつかのポイントに立ち雪情況を無線で報告したり、多くの日々で寝食を共にした仲間です。無線、テレビ、オーディオの機器が所狭しと並ぶ狭い部室で、機器製作に奮闘し、その完成に喜び、それに何といっても、部室に行けば仲間に会える、話ができる愉しさがありました。嬉々として部室に通ったものです。おかげで本当に楽しい学生生活となりました。

近代的ビルに変身した母校を訪問<写真へのクリックで拡大できます>

 当日、体調不良の1人を除く12名が田町駅に集まりました。50年ぶりや13年ぶりのため、「誰だろう?」という人もいましたが、徐々に思い出し、近代的ビルに変身した母校を職員の方に案内していただいたり、食事をしながら、学生時代の写真をみんなで見たり近況を語り合ったり、この仲間でしか味わえない懐かしさと楽しさに溢れました。15時から6時間ほど、なかなか語り尽くせないこともあって、こんどは泊まり込みで、という声が出るほどでした。

 後日、みんなからの感謝のメールが届くたびに、やって良かった、と感じています。来週、世話役トリオ+αで反省会をやります。事前打合せも、反省会も所詮は飲むための口実、一番楽しんだのは世話役トリオだったのかもしれません。

No.144:多難なギリシャ旅行でした (01月31日) ページトップへ

 異例の寒波に見舞われたギリシャ、大雪で交通機関が混乱するなかでの観光旅行でした。長距離のバスや電車は通常でも本数が少なくて不便なギリシャ、それが混乱したのですから、ギリシャ語の分からない個人旅行者にとっては不安の多い、多難な移動となりました。

 1日1便のバスが大雪で運休となりそうだったので、確実な電車での移動に急きょ切り替えたときのことです。駅のある町までバスで1時間、バス停から駅まではタクシー、と宿泊したホテルに言われていたので、バス停のカフェで駅までのタクシーを頼むと、そんな駅はない、と言っている様子、ここで不安が一気に広がりました。『地球の歩き方』にもある駅で、その駅でないと予定の電車に乗れず、今日の目的地に行けないかもしれません。訳が分からないまま、とにかく「駅」と言われるところまでタクシーで行くと、ちゃんと『地球の歩き方』にある駅名になっていました。何のことだったのでしょう。お互いが片言の英語のため意思疎通がうまくいかなったようです。

大雪の中でのギリシャ観光。岩の上に立つメテオラの修道院。<写真へのクリックで拡大できます>

 予定の電車に無事乗車しましたが、乗換駅で下車するつもりが、間違って1つ手前の駅で降りてしまいました。乗換駅到着時刻を過ぎていたので降りたのですが、雪のために遅れていたのです。ギリシャ語の車内アナウンスが分れば降りなかったでしょう。そこは、周囲に民家ひとつない無人駅、雪が積もった氷点下の夜、暖房のない冷えきった小さな待合室で2時間後の次の電車を待ちました。次は最終便、もし乗ったのがこの便だったら、この駅で夜を過ごすこととなり、命にも関わることでした。最終便は遅れたものの無事停車、乗り込むと、冷え切った身体が温められ、安堵と喜びをしみじみと味わいました。危ないところでした。

 次の日、昨日の乗換駅で電車を待っていると、遅れていた乗換電車が急に入ってきました。停車したプラットフォームまで慌てて走り、階段でこけそうになって持っていたホットチョコレートをこぼしています。駅に案内表示がなく、ギリシャ語の構内アナウンスのみなのです。

 エーゲ海のミコノス島にフェリーで夜に到着したときは、いるはずのバスが居ませんでした。そのうち、フェリーを降りた客は迎えの車で全て立ち去り、我々二人と港の保安員二人だけが残り、バスが来ないことを確信しました。保安員にタクシーを呼んでほしいと頼むと、タクシー乗場で待っていればそのうち来る、と言います。そんなはずない、と更に食い下がるともう一人が電話でタクシーを呼んでくれました。保安員二人が車で立ち去って、我々二人だけが広い港に取り残されてしばらくしてタクシーが来ました。まるで救助される遭難者のように、大きく手を振ってタクシーに駆け寄っています。

  最終日、アテネ空港に行くと、出発便案内に搭乗予定の便名がありません。尋ねると欠航とのこと、航空会社のスタッフが小一時間ほどで来るからその人に相談しろ、とのことでした。結局、航空会社が手配した空港近くのホテルで1泊して、1日遅れでの帰国となりました。快適なホテルだったので、これは幸運だった、と思うようにしています。空港なので、片言でも英語での意思疎通ができたし、旅行中に直面したいくつかの困難や不安に比べれば楽勝だったといえます。

  言葉が分からない国で、何かあると大変、ということを改めて認識しました。いままで何も無さ過ぎたのかもしれません。

今回の教訓を、今後のために以下に記録しておきます。興味ある方はお読みください。

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1.天候異変のとき、観光地の状況をホテルに確認する。
 大雪の翌日、ホテルからタクシーで1時間かけて修道院見学に出かけましたが、雪で修道院が閉鎖されていました。また1時間かけてホテルに戻っています。天候に異変があるときは、出かける前にホテルで確認すべきでした。通常を知らないので、異変の判断は難しいかもしれません。観光先や移動に問題が無いかホテルを出るときに確認することを心がけたいと思います。ストなどもあるかもしれないし。
 

2.お互い片言での英語が予想される場合、紙に書いたもので話をする。
 バス停となっているカフェで駅までのタクシーを依頼したとき、乗車する駅名、時刻、行先を書いたものがあればお互いの確認がとれて不安を持つことは無かったと思われます。予定ルートであれば事前に印刷してあるのですが、予定外のルートだったので印刷したものがありませんでした。手書きで用意すべきでした。
 

3.途中下車するバスや電車では、乗車する前にGPSを作動させておく。
 乗換駅の1つ手前の駅で誤って降りたときは、GPSが動作していませんでした。GPSは停止した状態で位置検知を開始・完了しておけば、走行中でも位置検知を続けますが、走行中に位置検知を開始すると検知しないときがあるようです。山間部だから、と考えたのですが、海上のフェリー窓際での位置検知もできませんでした。
 

氷点下の無人駅には物欲しげな犬くんが。お互いの不遇を一緒に嘆きたい気分だった。<写真へのクリックで拡大できます>

4.停車した駅名は、現地の人と思われる人に確認する。
 乗換駅を間違って降りたとき、停車した駅名を確認したのがフィリッピンからの旅行者でした。母と娘の二人連れ、この人たちも乗換駅到着時刻を過ぎていたので乗換駅と判断したようで、自信たっぷりに「この駅だ」と言って、一緒に降りました。結局、間違って降りたのは4人だけ、駅舎にある駅名を見て間違ったことに気が付いたときには電車はすでに立ち去っていました。車内で、訊く人を間違えました。現地の人だと思ったのが旅行者だったのです。
 

5.電車の場合、全停車駅を事前に確認しておく。
 全停車駅を印刷、あるいはスマホに入れておけば、乗換駅の前に駅があることも事前に分かり、間違って降りることはなかったでしょう。
 

6.何番ホームから出るのか分からない時は、複数の人に尋ねておく。
 乗換の電車が、いつ、どのホームに来るのか分からなかったので、何人かに尋ねました。そのときの答は「まだ分からない」でしたが、後で、そのうちの一人が、もうすぐ電車が入ってくる、と教えてくれました。おかげで、近づく電車を見つけて停車したホームに走って乗車できました。複数人に尋ねておけば一人ぐらいは教えてくれるということでしょう。それにしても駅の案内が不親切すぎます。
 

7.船のチケットを買うときに、出港場所だけでなく、入港場所も確認する。
 ミコノス島にはオールド・ポートとニュー・ポートがあり、ニュー・ポートだと町までバスかタクシーになります。今回の入港がニュー・ポートと確認していれば、町へのアクセスを事前に検討できました。確認不足でした。
 

8.島の観光は、帰りの船が出なくても日本には帰れる、余裕のある行程にしておく。
 今回は、帰国直前でのミコノス島往復でしたが、天候が荒れることなく、予定通り帰れました。でも、船の欠航などを考えて、余裕のある往復とすべきでした。
 

9.帰りのフライトには余裕を持って出る。
 ドイツのメルケル首相が訪問しており、国会周辺の地下鉄駅閉鎖や道路交通規制がありました。ホテルは国会の斜め前、国会前広場から出る空港行バスの運行をバス停のチケット売場で確認すると、ここからは出ない、とのこと、タクシーがちゃんとバス停で控えています。地下鉄でも空港に行けますが、駅が閉鎖されていて乗れません。タクシーか、と考えていたところに空港行バスが入ってきて、無事空港まで行くことができました。時間的な余裕があったので、バス停でうろうろできましたが、他の旅行客はさっさとタクシーで行ったようで、バスの乗客はまばら、空港で降りたのは我々二人だけでした。チケット売場での確認は何だったのでしょうか。