リタイア間近組

 
 
リタイア間近組

セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

定年、その後(2013年)  定年後の日々(毎月1日更新)

No.083:スイスのクリスマス (12月31日) ページトップへ

 スイスのチューリッヒを拠点に各地のクリスマスマーケットを巡りました。クリスマスマーケットは6年前の2007年にドイツのフランクフルトを拠点に周ったとき以来です。アメリカのシカゴに駐在していたころ、家々や街を飾り立て、人々が買物に出かけるクリスマスシーズンの楽しい雰囲気が好きでした。前回のドイツは9日間で6都市を訪れましたが、今回は6日間で7都市、ツアーだったのでかなり効率よく周ることができました。その分駈足ではありましたが。

スイスのクリスマス シンギングクリスマスツリー

 チューリッヒでのシンギングクリスマスツリー、広場に設けられた大きなクリスマスツリーの形をした舞台で、おひな様のように並んだコーラスグループのメンバーが歌います。メンバーがツリーのオーナメントのようで、見ただけで嬉しくなります。歌う人も聴く人もとても楽しそうです。子供たちのコーラスグループのときには、子どもが舞台から聴衆の中の両親に大きな声をかけたり手を振ったりしています。

 各地のクリスマスマーケットではグリューワイン(温かいワイン)や焼きソーセージなどの軽食の屋台にたくさんの人たちが集まっていて、みんなご機嫌な様子です。フランスのコルマールという都市は、第二次世界大戦の戦禍を免れたため木枠の古い家がたくさん残っていて、なかには600年ほど前のいまだ現役の家もあり、街歩きもとても楽しいところ。U字型に流れるアーレ川に囲まれたスイスのベルン市街には500年近く時を刻み続ける時計台があり、仕掛け人形たちが1時間ごとに動きます。日本の室町時代に作られたものとは思えません。この時計を日々眺めながら、アインシュタインは時間と光との関係を考察し相対性理論を生んだと言われています。チューリッヒ中央駅構内のクリスマスマーケットにはスワロスキーのクリスタルで飾った大きなクリスマスツリーがありました。世界で最も豪華なクリスマスツリーかもしれません。

 1日フリーの日があったので、チューリッヒから電車で1時間ほどのザンクト・ガレンというところへ行きました。世界遺産である修道院図書館があります。1200年以上前から集め始めた蔵書が17万巻、中世における世界最大級の図書館で、250年ほど前に建てられたバロック調の華麗な閲覧室があり、天然資源の少ないこの地方の人々が「知識」をいかに重要視していたかを感じるとることができます。

 前回のドイツ同様、今回も焼き栗を毎日いただきました。スイスの焼き栗は粒が大きく甘みがあり、焼き方なのか簡単に剥くことができます。何カ所かで食べましたが、みんな同じです。粒が小さく剥き難かったフランスとはかなり違いました。前回のドイツでもそんなに大きくなかったように記憶しています。スイスの焼き栗が一番、のようです。ツアーは朝食のみなので、昼食、夕食はだいたいをクリスマスマーケットの屋台ですませました。スイス名物のラクレット(溶けたチーズをかけた茹でジャガイモ)や焼きソーセージはまあまあですが、揚げたポテトやリンゴはいまいちでした。ホテルに帰ってから、日本から持参したヌードルやスープはるさめなどでお腹をなだめています。最高気温が0℃から4℃ぐらい、最低気温が-2℃ぐらいですが、防寒服で、風がなければさほど寒さは感じません。

 寒い中でのB級グルメの旅でしたが、今年春のパリ同様とても楽しい旅となりました。ヨーロッパはいつ行ってもいいものです。


我家の十大ニュース
①義父亡くなる
2月18日に亡くなりました。84歳でした。一緒に旅行した、アメリカ、ヨーロッパ、ニュージーランド、韓国、台湾、北海道、楽しい思い出がたくさんあります。寂しくなりました。

②愛犬モモ亡くなる
5月3日に亡くなりました。あと2週間で14歳でした。元気だったころの写真や動画を毎日見ています。

③転居
駅近の高層マンションに引越しました。モモのためにも日当たりの良い部屋を、ということで隣の高層マンションの影が届かない27階にしました。冬になり暖かい日差しが部屋に入り込んでいますが、そこで日向ぼっこをするモモはもういません。

④叔母が施設に入居
一人暮らしだった91歳になる叔母が動けなくなり施設に入居しました。家に帰りたい、とさかんに訴えますが、1人ではトイレにも行けないので帰れません。できるだけ行って一緒の時間をとるようにしています。

⑤年3回の海外旅行
正月に台湾、春にパリ、冬にスイスと出かけています。年3回は最多、幸せなことです。

⑥お伊勢参り
遷宮で賑わう伊勢神宮まで歩きました。4回目の東海道完歩です。

⑦農家のおやじさんと仲良しに
散歩コースが変わって、住宅街のなかで大きな畑を耕しているおやじさんに出会い、仲良くなりました。散歩に出て、おやじさんがいるとその場で野菜を採ってくれます。スーパーよりも安くて新鮮、重宝しています。

⑧スキーが恒例に
大学時代の友人との日帰りスキーが年中行事となりつつあります。私一人で行ったのがきっかけで翌年から友人と、通算で5年となり、まだまだ体力のあることをお互いに誇示し合っています。

⑨ウォーキングが1日10キロぎりぎりに
年3,678キロで1日10キロをかろうじてクリアーしました。引越しが影響したのか、2,3,4月が低迷しています。

⑩我家のアベノミクス
新居購入の資金作りのために売却予定だった株を売らずに済みました。関西の貸家が1年早く空いたので新居購入前に売却できたからです。その後、株価は3倍近くに高騰しました。アベノミクス様さまです。

No.082:お伊勢参り (11月30日) ページトップへ

 名古屋までで中止したこの春のお伊勢参り歩き旅、残りのお伊勢さんまでをこの秋、11月に歩きました。始発のひかりで名古屋に行き、途中1泊して2日間で伊勢市駅に到着しています。その後、東京を後から出た妻と一緒に、式年遷宮で賑わうお伊勢さん、東海道宿場町の面影が最も残る関宿、日本一のイルミネーションショーと言われる「なばなの里」を観光しました。

 3日目の朝11時過ぎに伊勢市駅に到着した妻と合流して、外宮をまず参宮し、バスで内宮へ。外宮も内宮も、次から次へと人が途切れなく列をなし、式年遷宮で新しくなった社殿に参拝しています。27年前の秋にも二人で来ていますが、これほどの人出ではなかったような気がします。新しい社殿はさすがに清々しく、心打たれました。しかも、ここは全国神社の本宗、正式名称を「神宮」とする最高の格式、格別な御利益が期待できます。いつもは100円のお賽銭がつい500円となりました。

お伊勢参り 賑わう「おはらい町」

 内宮参拝後は門前町の「おはらい町」へ、そこは大変な賑わいです。この町の訪問者は昨年2012年で年452万人、式年遷宮の今年は更に増えていることでしょう。ところが、江戸時代のお伊勢参りは年200万人から400万人とのこと、人口がいまの3分の1ほどの、新幹線などない歩き旅の時代に現代に迫る人出というのは驚きです。江戸時代からの伊勢神宮の人気ぶりが伺えます。名物のふくすけ「伊勢うどん」、太くて柔らかい麺は私好みでした。赤福の「ぜんざい」も、虎屋の「ういろう」も、焼きたての大アサリも美味しくいただきました。食べ歩き、お土産屋さんをのぞきながらのゆったりとした時間を楽しんでいます。

 この日は亀山で宿泊し、翌日、東海道五十三次の47番目の宿場町、関宿を見物しました。毎年の京都への歩き旅でいくつかの旧宿場町を通りますが、江戸時代の面影がここほど残っているところはありません。いつも脇目も振らずにひたすら歩き素通りするだけなので、一度ゆっくり歩きたいと思っていました。

 朝、亀山駅から隣の関駅へ。駅構内の観光案内所で「関宿お楽しみ得とくマップ」を500円で購入し、付いているクーポン券で、関宿名物地酒「鈴鹿(すゞしか)」を一杯ひっかけ、関宿名物「志ら玉」を食べ、小さな民家の土間で抹茶をゆっくり楽しみ、更に昔なつかしいお菓子、あたり前田のクラッカー、と伊勢茶をいただいています。1キロ弱続く古い町並みをゆっくり歩き、飲んだり食べたりして、江戸時代気分を味わいました。

 午後からは長島駅に移動して、そこからバスで「なばなの里」へ。東京ドーム約7個分というスケールの大きな植物園で、ベコニアで埋め尽くされた温室はサッカー競技フィールドの1.26倍の広さ、コスモスやダリアが一面に広がっている花広場は何と6倍、LEDが敷き詰められたイルミネーションメイン会場が3.8倍です。ベコニアの温室も、広大なコスモス畑も見応え十分でしたが、暗くなってからくり広げられるイルミネーションショーは圧巻でした。来てよかった、と思える壮大なショーです。

お伊勢参り 夜空に浮かぶ富士山

 日が暮れて、教会の鐘がなり、それが止むと同時に園中央の大きな池の水上イルミネーションが点灯します。歓声が一斉に上がり、日本一のイルミネーションショーの始まりです。200mもある長い光のトンネルをゆっくり進むと、その先にイルミネーションで輝く巨大な富士山とそのすそ野が現れます。サッカー場の4倍近い広さのメイン会場です。今年のテーマは「祝・世界遺産 富士」、10階建マンションに相当する高さ30mもの富士山がそびえ、100m以上離れた観賞用通路との間に「富士のすそ野」が広がります。暗闇の中で、無数のLEDが繰りひろげる幻想的な光景は思わず息をのむ美しさです。富士山頂から昇る初日の出から始まる1年間の、季節とともに移り変わる風景を存分に楽しみました。

 帰りは、名古屋駅新幹線ホームで、評判のきしめんをいただいてから東京行のひかりに乗車しています。二人でぶらぶら歩きながら、参宮し、名所を訪れ、名物をいただいた、楽しい2日間でした。

No.081:リタイア貧乏 (10月31日) ページトップへ

 「老後のぜいたく程々に リタイア貧乏が待っている」という記事(日本経済新聞電子版9月9日)に、38歳の会社員が66歳の父親から、家計が苦しいから少し援助してくれ、と頼まれたとあります。家計再生コンサルタントなる人が調べてみると、収入以上に使っている、という単純な図式でした。

 父親母親の二人暮らしで、支出が月30万円、退職後5年間はアルバイト収入のみで月10万円、年金が出るようになったら体がきついのでアルバイトをやめて年金収入のみの月20万円、という家計内容でした。このため、退職時に1900万円あった退職金などによる貯金は、5年間で1300万円ほど減って600万円ほどとなり、その後も年120万円づつ減っています。そこで息子へのSOSとなりました。

 こうなるまでにどうして対策を立てなかったのかが不思議、バカだなぁ、と他人事のように言えるのかもしれませんが、明日は我が身かもしれません。「オレオレ詐欺なんかには絶対引っかからない」と断言する人が、まんまと騙されている現実があるわけで、誰しもがどこかに愚かさを持っているのです。コンサルタントのヒヤリングによると、「いままで仕事も子育ても頑張ってきたんだから、少しくらい楽しんでもいいだろう」という"ごほうび"の誘惑に駆られ、旅行に行ったり、いい食べ物にこだわったり、友達付き合いに力を入れたり......、ということでした。

 確かに、退職して自分の時間が大幅に増えると、要するに暇ですから、楽しみを求めて旅行、食事、友人、趣味などにお金を使うようになりがちです。現役時代であれば、使おうにもそんな時間はありませんでした。また、退職とともに社会との関わりが薄くなる寂しさから、社会や人とのつながりを求めて出費を重ねる人もいるでしょう。この両親は、「友達付き合いの一環で、漬物をたくさん作って配っていた」そうです。また孫たちのために毎月3万5千円も使っており、可愛さからだけではなく、そんな寂しさから、というのもあるのかもしれません。

 収入を超える支出で暮らす人が身近にもいます。叔母は一人暮らしで、気兼ねなく世話をしてもらえる人を遠方から呼んで、新幹線代を含む交通費と数日分の日当を出しています。月に2回来てもらうこともあって、叔父の遺族年金では足りずに貯金を取り崩していました。姉さん女房で、叔父に対して威張って暮らしていたためでしょうか、世話をしてもらうのは威張れる人でないとだめなようなのです。その人は昔のご近所さん、叔母をよく理解し、我儘をしっかり受け止めてくれます。最近あまり呼ばなくなったようですが、貯金が残り少なくなってきたことがその理由の一つのようです。退職とか、伴侶との死別とかで失ったものを穴埋めしようとお金を使う、そして貯金が底をついてきて初めて対策を考える、そんな人が多いのかもしれません。だからリタイア貧乏が話題になり始めているのでしょう。

 対照的なのが、奥さんと二人暮らしの友人、とても几帳面で計画的な人です。退職とともに、貯金や年金などを確認して、生活に必要なお金を先々まで計算し、小遣いや好きな旅行に毎年いくら使えるかを割り出しています。その収支を奥さんに見せて、だから旅行に行こう、と誘います。お互いの小遣いも決めていて、小遣い専用の財布を二人とも持っているそうです。その財布に、気が付くとほとんどお金がない、というのが奥さん、友人はおそらく、いくら入っているか常に把握していることでしょう。名コンビ、リタイア貧乏とは無縁の素敵なご夫妻です。

リタイア貧乏 年1回京都まで500kmほど歩きます

 そこまでしっかりはできないまでも、将来どうなるかを大まかには捉えておく必要はありそうです。そして何よりも、「老後のぜいたく程々に」ということでしょう。幸い私の趣味はウォーキング、お金がかからないどころか、時には交通費を節約できるし、何時間も楽しめて健康に良い、とまさに良いことづくしで、リタイア貧乏には陥らないで済みそうです。歩けるかぎりはですが。

No.080:ついてます (09月30日) ページトップへ

 「定年後もついてるね」と妻に言われます。勤めている事務所のボスに大切にされているからです。

猛暑日ウォーキング 今年は葡萄も豊作

 週2日の勤務にもかかわらず、年2回のボーナスまであります。給料もさることながら、ボーナスは嬉しいものです。それに全国から事務所に送られてくる美味しいもの、高級果物などを惜しげもなく分けてくれます。大きくて立派な桃が今年初めて届いたときは、甘くて美味しいね、我が家の桃はこれが最初で最後だな、などと妻と二人で味わったのですが、その後も何回か事務所に届いて、我家では桃の豊作年となりました。料理をする人が事務所に来る日は、美味しい最上級牛肉などでの昼食があるし、お正月の台湾旅行は妻も含めて旅費から食費まで全て出してくれるし、妻が言うようにまさに、ついてる、のです。「お金持ちに大量に触れて初めて気づいた8の共通点」というインターネットページには、「お金持ちは周りを大切にする」とありました。これこそボスのことです。

 お金持ちのその他の共通点は、「親切」「無駄遣いしない」「お金を使う」「勉強する」「語るより聴く」「挑戦する」「短期的にネガティブ、長期的にポジティブ」で、これもとても良く当てはまります。例えばこんな具合です。気に入った人には、ご馳走したり面倒見たり、ときにはお節介と思えるほど「親切」、節電などに熱心で「無駄遣いしない」、40人以上を自宅に招いて美味しい料理を振舞ったりしてかなりの「お金を使う」、大きい書斎が本で埋まるほど「勉強する」、自慢話などで時間を無駄にせず「語るより聴く」、前向きでツッパリなので行く手に次々とハードルが現れ、それに正面から果敢に「挑戦する」、目の前のことには慎重で「何とかなる」といった楽観的な見方はしないが、将来のどうなるか分からないようなことには楽観的で「短期的にネガティブ、長期的にポジティブ」だ。

 こういった行動で使うお金は半端ではないものの、直接ではなくそのつながりでもっと大きなお金が返ってくる、というのが5年以上間近にいての実感です。この生きたお金の使い方は、頭がよく志も高いからできるのでしょう。とにかく、反応も決断も速い、しかもその多くは正しいのです。ですからこの行動原則を真似ても、頭も志もそこそこの私ではお金持ちにはなれません。もっとも、歳も歳ですし。でも私なりにできるだけ真似てみようと考えています。この行動原則は、お金以外にも何か良いことをもたらしそうなのです。ボスを見ているとそんな気がします。

 まずは、家族や仲間といった「周りを大切にする」、ウォーキングでの喉の渇きは公園の水道で潤し「無駄遣いしない」、若い人にご馳走して「お金を使う」といったことでしょうか。ボスの近くにいて、こんなことが実地で学べる、これこそが、ついてる、最たるものなのかもしれません。ボスと出会えて幸運でした。

No.079:猛暑日ウォーキング (08月31日) ページトップへ

 8月10日東京最高気温37℃との天気予報、体温よりも熱い気温はめったに体験できないと、自宅と渋谷駅の往復23キロほどを歩きました。熱中症で死ぬ人がいるというのに、(ウォーキングなんて)とんでもない、との妻の声を背に、自宅を出たのが朝8時半、強い日差しで気温はすでに31℃でした。

 渋谷駅に到着したのが11時ごろ、気温は35℃、折り返して自宅に帰ったのが13時半、気温は37℃になっていました。もう汗びっしょり、早速シャワーでさっぱりして、冷えたビールで喉を潤し、ほろ酔い気分で昼寝、ささいなことながらも達成感があって、なんとも言えない心地良さでした。今年最高気温での猛暑日ウォーキングだった、と喜んでいたら、翌11日に東京の最高気温が38℃を超えて今年最高気温をあっさり更新してしまいました。ちょっと悔しい。

 17日には信州安曇野を30キロほど歩きました。義父の新盆で妻の実家に行った帰り、糸魚川駅から安曇沓掛駅まで大糸線に乗り、そこから松本駅まで、車を避けるために、田んぼの中の農道を多く歩いています。強い日差しのもとで力強く伸びている稲、それがどこまでも続いています。北アルプスの山々を右手に見て、農道側溝の豊富で激しい流れの農業用水の音をを聞きながらのウォーキングです。この日の最高気温は穂高観測所(大糸線穂高駅近く)で34.5℃、猛暑日に0.5℃足りない真夏日でしたが、田んぼの中なので日陰はないものの、風は心地良く、都会のコンクリートによる反射熱もないので、汗はさほどかきませんでした。農作業の人に会うこともほとんどなく、延々と続く農道を独り占め、ときどき近づく普通道路の脇に自動販売機を見つけては飲み物を買いに出かけてまた農道に戻っています。

 この日、妻の実家を出たのが朝4時半、糸魚川駅までの5キロほどを歩いて、6時4分の大糸線始発に乗ろうとしたのですが、夜明け前の暗さのなかでGPSの歩行ルートデータを消去してしまったため、実家に戻ってデータを入れ直してから再度出発しました。乗ったのは糸魚川駅8時15分発、何と2時間以上後、なにしろ1日9本の電車しかないのです。このため40キロの歩き予定を30キロに変更しました。

 安曇沓掛駅到着が11時、下車したのは私一人、民家もまばらな寂しい駅でした。そこから30キロほど、松本駅に到着したのは午後6時、そろそろ暗くなってくる時間です。全くの手ぶらで、懐中電灯などないので、暗くなる前に、と昼食は歩きながらのビスケットでした。でも松本手前の午後5時ごろ、さすがに空腹には勝てず、産直販売所で20分ほど休んで稲荷寿司を食べました。これが実に美味しかった。揚げも、お米も、それに水も。水はお店の人に何杯もお願いして少し恥ずかしい思いをしています。松本6時35分発の特急「スーパーあずさ」に乗車しましたが、お楽しみのビールは乗車前に飲んでしまいました。自由席を確保するために松本駅ホームで並んでいるときに、我慢できずに。自宅に着いたのは午後9時半ごろ、都会では味わえない、自然の中でのウォーキングでした。

猛暑日ウォーキング プロジェクションマッピングでドッグヤードの壁に投影される窓、壁の凹凸、草木、人々

 30日は自宅・横浜みなとみらいの往復30キロほどを歩きました。みなとみらいドックヤードでのプロジェクションマッピングを見物しようと整理券をもらいに行ったのです。朝10時からの発券なので、6時前に自宅を出て、9時半前に横浜ランドマークタワーに到着、10時の発券を並んで待ち、午後7時半開演分の整理券をもらって、また歩いて帰りました。自宅には13時半過ぎに到着、シャワーを浴びて、冷えたビールを飲み、昼寝し、午後5時ごろに再びみなとみらいへ出かけています。2回目は往復とも電車です。この日の横浜は最高気温34.6℃の真夏日、往きはまだ家々の日陰があって涼しかったのですが、帰りは太陽が真上で日陰はなく、日差しも強く結構体力を消耗しました。途中、スーパーで購入したスポーツ飲料の1リットルを一気に飲み干しています。プロジェクションマッピングは友人夫妻と4人で見物、なかなか見応えがありましたが、わずか7分の上映です。7分のために、往復で7時間、真夏日の中を歩きました。

 このように、今年の夏もせっせと歩いています。もちろん、毎日の10キロ以上ウォーキングも欠かしません。要するに、暇、ということでしょうか。他にやることはないのか、との声が聞こえてきそうです。

No.078:モモの四十九日法要 (07月31日) ページトップへ

モモの四十九日法要 モモの成仏を祈って

 愛犬モモの四十九日の法要がしめやかに執り行われました。お骨を納めている深大寺動物霊園での合同法要です。深大寺のお坊様にお経を唱えていただき、成仏を願いました。成仏する、つまり悟りを開いて仏様になる、というのはあのボケーとしたモモからは想像しにくいのですが、犬といえども亡くなれば仏様になるということでしょう。

 散歩では、他の犬には無関心で、ひたすら匂い嗅ぎに熱中し、家では、私が帰宅しても知らんふりしている、そんなマイペースだったモモのこと、いまごろ広い天国をうろうろしながらあちこちの匂いを嗅ぎまくっているか、どこかで寝ているかで、仏となって我々を見守ろうなどという殊勝な心がけは期待できません。でも、我々のことをときどきは思い出してくれているのではないでしょうか。13年以上も連れ添ったのですから。

 合同法要には19組の家族が参列し、亡くなったばかりのペットたちを偲んでいます。ほとんどの方は普段着姿ですが、なかには黒い服装で数珠を持った夫婦もいて、祭壇に向かって手を合わせ、涙目と思われる方もおられました。祭壇には、大小さまざまな骨壺が綺麗な骨袋に入って並び、それぞれに可愛いお塔婆を立てて供養しています。モモのところには写真も置きました。2枚を貼り合わせて両面写真とし、ラミネート加工したもので、1枚は我が家にやってきたばかりの13年前、もう1枚は3年前です。見比べると歳をとったのが歴然としており、我家に来てから亡くなるまでの、長いような短いようなその歳月を思い起こしてくれます。

 緑に囲まれた霊園中央に高くそびえる慰霊塔、そこに奉られたご本尊の前にモモたちのお骨が並び、若く凛々しいお坊様がお経を唱えます。朗々としたお経、分かりやすい説法で、とても立派なお坊様でした。さすが由緒ある深大寺です。説法もしない、手抜きと思わざるを得ないようなお寺もあるというのに。お経の間に、各家族がお焼香して、最後に各ペットの戒名?が読みだされます、「もも号どの」と。ほとんどが犬で、猫が数匹、鳥、ウサギが1羽づつでした。それぞれが家族の大切な一員だったのでしょう。法要が終わり、写真と一緒にお骨を納骨堂に戻してから、深大寺門前でお蕎麦を二人で食べました。これで2回目ですが、同じ深大寺蕎麦でも、お店が違うと味も違うものです。池を見渡せる大きなお蕎麦屋さんで、お斎(おとき)に使う大きなお座敷もあり、休日ということもあってか、大変な賑わいでした。

 四十九日を過ぎて、成仏したはずのモモが、彼なりに我々を見守ってくれていることでしょう。モモに止められた、に違いない今年のお伊勢参り、来年の道中はモモがしっかり守ってくれる、と信じています。

No.077:パリは美の都 (06月30日) ページトップへ

パリは美の都 ノートルダム大聖堂の塔からの眺め

 事務所のボスがイギリス、ドイツでのオペラ三昧を決め込んだので、その間を利用して妻と二人でパリに行ってきました。パリ到着が午前4時、6泊して、7日目のパリ発が午後11時半、みっちり7日間で、途中1泊2日で世界遺産の町、リヨンへ行っています。ツアーではないので、自分たちのペースで旅を楽しめます。ノートルダム大聖堂の塔にも上がりました。並ぶので時間がかかり、いままでの慌ただしいツアーでは上がれませんでした。

 リヨンでは丘の上の教会の塔に上がりました。塔の保護のために個人は午前と午後の2回の少人数ツアーでしか上がれません。1日目に時間と入口を確認し、2日目の午前の時間に入口へ行きました。ところが、我々以外には誰もいなくてツアーが成立しません。午後のツアーに来なさい、と言われ困っていると、先に入った予約済み団体ツアーに紛れ込ませてくれました。フランス人ってなんて親切、と感激しながら、大喜びで上がっています。おかげで、聖堂天井の美しいモザイク画を間近に見ることができ、塔上からの素晴らしい眺望を楽しむことができました。

 今回、モンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院の塔や凱旋門にも上りました。なにしろ、階段が厳しく、次に行くときには歳で上がれないかもしれないので。いくつかの美術館をゆっくり見て歩き、名画の前で写真を撮り、たくさんある寺院にも入り、建物の荘厳さやステンドグラスの美しさに感心しています。百貨店もなかなかのものです。歴史があり、建物も、ディスプレイもあか抜けています。まあ、衣服などは高級すぎて私の想像を超えた価格でしたが。

 ルーブル美術館は4時間ほど見て回りました。ここには3万5千点ほどの展示があり、1点10秒としても100時間弱かかります。でも、4時間以上は無理、名画の数々に最初は感激していたものの、しだいに感じなくなり、最後は駈足状態でした。見るだけでも大変なのに、これらを創り、描き、集め、維持するためのエネルギーの大きさやこだわりの強さは相当なものです。フランス人の美へのこだわりや憧れの強さを感じます。ムーランルージュやリドのキャバレーでくり広げられる美しいパリジェンヌたちのナイトショーにもそんな美への願望や称賛を感じるのです。

 パリは今回で4回目、今までほとんど気が付かなかった犬の糞や物乞いの多さが気になりました。二人で何日も歩き回ったからでしょうか。地下鉄の乗換の不便さも感じました。路線間が結構離れているのです。スリも多いとのこと。リヨンの地下鉄車内では楽器を演奏した子供がお金を集めに来ます。レストランも高い、昼食に2人で4千円ほどかかるし、ごく簡単に済ませても3千円はかかります。ビールも気軽には飲めません。清潔、安全、便利、それに手ごろなレストランもある東京の良さを改めて認識しています。

 ホテルへの通り道にいた物乞いは小さい犬を飼っていて、その犬が狭い場所でいつも丸まってじっとしていました。とてもけなげで、やはりおとなしかったモモを思い出してしまいます。成田からの帰りの電車では、モモがいないと帰る張り合いがない、などと妻と話したり。いるときは何かと足手まといだったモモがいなくなって、二人とも戸惑っています。

No.076:モモくん、ありがとう。 (05月31日) ページトップへ

 5月3日、我が家の愛犬モモが亡くなりました。あと2週間で14歳でした。口の中にメラノーマという悪性腫瘍ができ、4月初めに見つかった時にはもう手遅れで、取り除くのは無理と獣医さんに宣告されたのです。完全に取り除けない以上、またすぐ再発すると。10年以上お世話になっているトリマーの方も、手術で死んでしまう子も見てるし、美味しいものを食べさせてあげた方がいい、という意見で、我々夫婦もそれを選択しました。でも、覚悟はしていたものの、いざいなくなると寂しさの中に沈みがちです。

 進行の早い悪性腫瘍で、見つかってから1ヵ月ほどで亡くなってしまいました。私は、4月25日早朝に「お伊勢参り」への歩き旅を始めたのですが、そのときのモモは食欲もあってまあまあ元気でした。5月1日、自宅から320キロほど歩いた岡崎の手前で、ツタを足に引っかけて転びました。その日の宿である岡崎まで15キロほど、痛みもなくいつもの歩きで到着したのですが、翌2日の名古屋までの35キロでしだいに痛みを感じるようになり、3日早朝に出かけようとすると足首が赤く、少し腫れていました。ここで無理をして、東海道歩き旅が今後できなくなるのはいやだ、と「お伊勢参り」を中止して地下鉄で名古屋駅に向かいました。朝6時41分発のぞみ東京行に乗ってまもなくの7時ごろ、妻から電話があったのです。

 夜中に鳴くので、午前2時ごろから抱いている、と。こんなに鳴くのは初めてで、抱いてやると鳴き止むそうです。家に着いたのが8時半ごろ、玄関まで妻が出てきたとき、今まで聞いたことのないモモの悲しそうな鳴き声がリビングから聞こえてきました。床に寝かせると鳴く、抱いてやると鳴き止む、そんな状況でした。レンタルの酸素吸入器を手配して、家に運び込んだのが午後3時過ぎ、そのころには、床に寝かせても鳴かなくなっていました。でも苦しそうな様子ではなく、すやすや寝ているように見えます。そのまま夜になり、午後10時ごろ、突然息をしなくなったのです。さっき足を上げたのに、と妻がモモの体を揺すりますが、もう動きません。

 前日、散歩に連れて行ったときに、歩きませんでしたが、立ったままで排尿はしたそうです。最後の日は寝たきりで、家で排尿してしまったものの、最後の最後までぎりぎりまで頑張った、と褒めてやりたい気持ちです。どれだけ痛い思いをしたかの本当のところは分かりませんが、様子を見ていた限りではそんなに長時間は苦しまなかったのではないでしょうか。

 帰宅したその日にモモが亡くなるという、妻に言わせると、モモが帰らせたのよ、とのこと、私もそんな気がします。ツタで転んだのも、この道を行ったらどうなるのか、と予定外の道を歩き始めて、しだいに細い野道に入り込んでしまった結果です。間違え以外で、予定外の道に入るなんていままでありませんでした。

モモくん、ありがとう。 モモくん、ありがとう

 翌4日、火葬、納骨をお願いした深大寺動物霊園からのお迎えが来て、内装が霊柩車のような車で運ばれたときには、もうモモの姿を見ることができないことを何度も自分に言い聞かせながらの見送りとなりました。送り出す前に、いつもの散歩用バッグに入れて、10年来の散歩コースを「最後の散歩」として歩きました。トリマーの方の家にも寄って、最後の別れをしていただき、もう動かなくなったモモを前に、妻と3人で、おとなしい犬だった、癒された、などとしみじみと語り合っています。

 6日、深大寺動物霊園にモモのお参りに行きました。ゴールデンウィーク最終日、調布の深大寺は大変な賑わいでした。骨となって骨壺に収められたモモに手を合わせて、これまでの感謝の気持ちを語り、これからは見守っていてほしいとお願いしました。

 我が家のリビングにあったモモのケージを片付け、動物病院とトリマーの方から手向けられた花をそこに飾りました。トリマーの方は、大きな花束を抱えてわざわざ家まで来てくださったのです。美しい花を見ていると、気持が和らいで、悲しみがうすらぎます。それは、花を手向けていただいた人たちの我々への温かい気遣いを感じるから、ということでもあるのでしょう。兄弟や友人からは心配のメールや電話をいただきました。モモを紹介してくれた会社の同僚には、「大切にしてくれて、モモちゃんも幸せだった」と電話で慰められ、思わず大粒の涙がこぼれ、言葉が出なくなりました。そんな皆さんの気持ち、ありがたいことです。

No.075:桜を見る会 (04月30日) ページトップへ

 安倍晋三首相からの「桜を見る会」の招待状を事務所のボスからもらい妻と二人で行ってきました。会場は新宿御苑、もうすっかり葉桜ですが、新緑が輝いていて、花とはまた違った春の風情です。御苑に入るのは何十年ぶりだろう、という妻の言葉に、私もそうだと気付きました。事務所から一望できる御苑はとても身近な存在ですが、こうして中を歩くのは何十年ぶりかです。木々の息吹を直に感じて、事務所から眺めるのとはまた違った味わいがありました。

 定刻の朝8時半に入ったにもかかわらず、園内は人でいっぱい、みなさん着物や背広で正装されています。招待客は1万人とのこと、園内にはロープが張ってあり、内側が首相や著名人、外側が我々一般人です。園内に点々と置かれたテーブル上の軽食をつまみ、団子の行列に並び、樽酒をのんでからロープのところまで行きましたが、すでに厚い人垣で、確保できた場所からはどんな著名人が来ているのかよくわかりません。

恒例の半日スキー 芸能人に一般の人は大はしゃぎ

 でも10時頃、安倍首相が帰られるときに、近くを通りました。さすがに大人気、安倍さん、安倍さん、の声がかかり、首相もそれに笑顔で応え、握手などをしています。続いて帰る著名人たちが通るのですが、名前はすぐ出ないまでも、顔は知っている、という人が多く、妻は名前もよく知っているようで、いろいろと教えてくれました。北島三郎さん、由紀さおりさん、菊川玲さん、片岡鶴太郎さんなどなど、私が知っているだけでも挙げるときりがありません。一般の人たちは大はしゃぎ、さすがの私も気分高揚、楽しいひとときとなりました。輝いている人を間近に見て刺激を受けることはいいことです。

 やがてお開き、御苑で体が冷えたので何か温かいものを飲もう、お腹が空いたので何か食べよう、とか言いながらも先に買い物、新居の表札を作ってもらい、絵を飾るためのワイヤーなどを見て回りました。新宿に二人で来ることなどほとんどないので、この機会に買い物です。それが終わると、雨が降る前に早く帰ろう、ということになり、3月から相互乗り入れした地下鉄副都心線と東横線を使って、新宿三丁目から直通20分で帰ってきました。とても便利になりました。

 こうして、飲まず食わずで帰宅することの多い二人の外出、しかも今回は、いただいたお団子が家での昼食でした。これだから新居が買えたのかもしれません。まあ、楽しい一日でした。

No.074:高層マンションへの転居 (03月31日) ページトップへ

 3月1日、新居に引越しました。新築の高層マンションで、駅に隣接し、半径200メートル以内にスーパー5つ、ショッピングモール1つ、大学病院2つ、それに市最大の図書館があり、来年以降ですが、医療モールや更なるショッピングモールができます。歳をとって体力が衰えてもできるだけ人様にご迷惑をおかけしない、可能な限り自立していたい、との思いから購入したものです。

 引越しの日、疲れて夕食をとる元気もなかったのですが、夜お腹が空いてきたので、買い出しにでかけ家で簡単な食事をとりました。キッチンが未整理だった数日は外食などもしています。エレベータを降りるとすぐスーパーや食事処なので、これなら体が弱ってもそこそこ暮らしていけそうだ、狙い通りだ、と嬉しく思いました。

恒例の半日スキー 朝日に映える街並み<写真をクリックで拡大>

 38階建の27階南向きの部屋です。安心できる下の階の方がいいのですが、近くに高層マンションがいくつも立っているので、冬の日当たりを考えるとこの階になってしまいます。眺望への期待はなかったのですが、住んでみると、朝日に輝く街並みや、夜景はなかなか見応えがあります。いままでよりも20%以上狭くなるので、狭くなる、狭くなる、と事前に考え続けてきたためか、住んでみると意外と広く感じたりもしています。まあ、大きな食器棚やソファーは大型ゴミで廃棄し、捨てることができなかった桐の和ダンス、整理ダンスは妻の実家に運んだりしているので、そこそこ広く感じるのは当然なのかもしれませんが。おかげで妻の実家はいい迷惑です。広い家で蔵もあるので、これまでも引越しのたびにいろいろなものを持ち込みました。アメリカ駐在から戻った時も、アメリカで購入した食器棚などを持ち込んでおり、純和風の家には似合わないながらも使ってもらっています。

 社会人になって42年、今回が9回目の引越しとなります。1回目は卒業して就職したとき、東京の実家から京都のアパートへ、四畳半一間の部屋でドアの向こうは外廊下、冬起きると室内の水がしばしば凍っていました。それでも、仕事があり、お金があり、仲間との飲み会や旅行があって、それは楽しい日々でした。2回目は会社の近くに買った中古の一戸建へ、広くなったので仲間との飲み会の場に、その2年後に結婚したときには、空の酒瓶が室内で大量に積まれていました。3回目は、滋賀県に職場が変わったのでその近くの新築マンションへ、これも購入したものです。初めてのマンション暮らし、冬の暖かさは格別で、もう一戸建てには住めない、と感じました。

 4回目は、職場が横浜に移り、会社が借りた中古マンションへ。就職して京都に行くときには思ってもみなかった、関東への出戻りです。5回目は同じマンション内での移動、6回目はアメリカ赴任、シカゴ郊外の一戸建へ。広くて冷暖房完備で、ときどきウサギやリスが庭にやって来る、という映画のような暮らしとなりました。7回目は日本に戻っての横浜の中古マンション、これも社宅です。8回目は川崎の新築マンションへ、実家まで電車1本で行けるので購入しました。初めて、仕事都合よりも自己都合を優先させた購入となりました。そして今回の9回目、すでに退社しているので当然ですが、100%自己都合、将来を考えての購入です。

 東日本大震災以来、高層ビルでの長周期地震動が注目されています。新宿の超高層ビルでは10分以上にわたり最大1メールも床が揺れたとか、我が家であれば家具が襲いかかることとなります。マンションの部屋には地震警報が流れるようになっていて、震源地震度3以上の地震で警報が鳴ります。それもかなり大きな音で。いままで3回の警報がありました。実際に揺れたのは1回、震度2での揺れ、免震構造のためかとても緩やかでした。でも1キロほど離れた前のマンションではかなり揺れたそうです。他の2回は遠方での地震で、30秒後に地震が来ます、といった警報でしたが実際には揺れませんでした。この警報システムがあれば、長周期地震動の場合は揺れが来るまでに時間があるので、家具のない安全な部屋に避難できそうです。

 老後を考えての今回の転居ですが、当然、現時点での暮らしをも快適にしてくれています。気懸りは、すでに高齢の愛犬モモが新しい環境に戸惑っている様子で、元気がないこと。モモの精神的なケアーが必要なようです。

No.073:恒例の半日スキー (02月28日) ページトップへ

 毎年恒例となったガーラ日帰りスキー、今回はちょっとだけ滑って、後は温泉でゆっくりする、と友人が往きの新幹線で宣言しました。健康診断でいろいろと悪い数値がでている、このままではそのうち通院が必要になる、と脅かされたようです。前回も同じような数値なのに何も言われなかったのに、とぼやいていましたが。実際に、力を入れると腕が痛くて、ストックもうまく操作できそうにない、とのこと。

 そういう年頃なのか、と複雑な気持ちで聞いていたのですが、スキー場に着くとこの友人が一番元気でした。午後半日のスキー、いつもは少し長めの休憩を途中に入れるのですが、今回は全くなしで最後までしっかり滑っています。最初はあまり自信なかったようですが、数回滑るうちに、調子よくなった、と。身体を動かすことの大切さを改めて認識しました。でもあれだけ滑りに滑って、筋肉痛が数日間は続いたのではないでしょうか。メールで具合を尋ねても返信がないので分かりませんが。

 スキー場では77歳の男性に出会いました。3人乗りのリフトで、「体を動かしてこそ命は維持されるんだ」といったことを友人と話していたら、この話に共感されたのか、「私は77歳ですよ」と話しかけられました。健康そのものといった感じの精悍な顔つきの方で、スキーがお好きで、スイスにも仲間と出かけるそうです。その仲間には80歳を超えた人もいるとのこと。リフトを降りるまでの数分でしたが、印象に残る会話でした。10年後、自分もこんなふうにスキーを楽しめたらいいなぁ、と。こういう元気な人を目の当たりにして、頑張ろう、という気になりました。

恒例の半日スキー 前期高齢者の二人

 到着したときは快晴、ガーラでこんなに晴れたのは初めてです。リフトで上がると、青い空と雪の山々がどこまでも広がり、これぞスキー、と嬉しくなります。中国語や韓国語のアナウンスが昨年まではあったのですが、今年は聞かなかったような気がします。もう日本に来なくなったのか、地元が相手にしなくなったのか、わかりませんが、いいことです。また、スノーボーダーがかなり増え、スキーヤーは少数派となりました。スノボーの方が運搬が楽で、滑り降りる快感は同様なのでしょう。

 滑っているうちにしだいに曇って来ました。雪がちらほら降ってきたころに、2.5キロメートルの下山コースでガーラ湯沢駅へ。スキーウエアや靴を脱いで、温泉に入る、いつものことながらこの解放感は最高です。前期高齢者3人でのスキー、今年も何事もなく楽しく終わりました。このまま77歳まで続けたい、と願いつつ帰路についています。

No.072:今年もいい年になりそうな気配 (01月31日) ページトップへ

 「お正月は今年も台湾美食の旅」と自慢げに年賀状に書きました。連日豪華な食事となる楽しみの旅行、しかも昨年同様、フライト、宿泊、食事、全てが事務所持ちです。去年の1月にも書いたので繰り返しませんが、ひとつだけ、昨年は行かなかった「明福」というお店のことを。

 ここの名物は佛跳スープ、「あまりに美味しそうな香りに修行僧ですら塀を飛び越えてやって来る」という詞が名前の由来だそうで、アワビやフカヒレ、冬虫夏草(とうちゅうかそう)という珍しいものなど、高級乾物が溢れんばかりに入っています。仕込みや調理に数日かかるので事前の予約が必要です。このスープ以外の料理も実に美味しく、魚の煮つけにしても、薄味で魚本来の味がよく引き出されています。ごく普通の食堂、といった感じのところで、これほど美味しい料理が出る、そこが台湾の食文化の凄いところでしょう。

 ホテルは昨年と同じホテルですが、今回はワンランク上の部屋、その広さが今度引越す我が家とほぼ同じという、嬉しくもあり、悲しくもある、複雑な心境の宿泊でした。こんなに広い部屋を二人だけで使うというのも気分の良いものです。

 パッケージツアーなので、旅行代金は結構リーズナブル、元旦出発で、年末出発のツアーと比べるとかなり安く、その上、羽田7時20分発という早朝の便でさらに安くなります。羽田集合が2時間前の5時20分となるので電車はなく、タクシーで行くか、羽田近くに前泊するしかない、というツアーです。ところがここでも元旦出発が幸いしていて、年に1回だけある終夜運転の電車に乗れるのです。

 昨年もこれに乗って羽田まで行ったのですが、朝3時起床、自宅を出るのが4時となります。電車は年越しコンサートの帰りとおぼしき若い男女でいっぱいです。羽田へのモノレールは「初日の出号」、旅行客に混じってそれらしき若者や親子が乗っています。羽田は改札を出るとそこが出発ロビー、昨年よりも旅行客が多い。大震災で自粛していた人たちが旅行し始めた、ということなのでしょうか。せっかくなので初日の出を拝もうとしましたが、上空は晴れているのに、日が昇る地平線に雲がかかっていて見えません。東京上空からのテレビ中継の初日の出を参拝して飛行機に乗り込みました。

今年もいい年になりそうな気配 美しい富士

 機上から眺める東京、さすが世界有数の大都市、建造物が果てしなく続き、その一つひとつが朝日を受けて輝いています。その先には富士山、近づくにつれてその立派さが際立ちます。広大な緑の中でまぶしいほどに白く輝き、そびえ立つ富士山があるのです。美しい。すぐ南側の上空を通過したので、窓からの風景はまさにベストアングル、しっかり写真を撮って大満足でした。素晴らし新年のスタートです。今年もいいことがたくさんあるに違いありません。