リタイア間近組

 
 
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セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

大江戸ウォーキング(2013年)  江戸や明治の町を歩きます

No.017:江戸時代の旅体験-名古屋から伊勢神宮- (11月11日) ページトップへ

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、春に8日間367.8km歩いて名古屋に到着したところで中止となり残念な思いをしました。続きをこの秋に、ということで名古屋から伊勢神宮までを3日間108.8km歩きました。これで4回目の東海道歩き旅完歩です。

名古屋から伊勢神宮までの3日間の行程です。<詳細地図を見る>

10月30日(水):自宅5時20分発、6時新横浜発のひかりで名古屋へ、名古屋築地口駅発8時、鈴鹿(白子)20時3分着、50.1km

写真 ひかり始発で名古屋へ、朝食は式年遷宮記念のお弁当

 春の歩きを中止して帰るときに乗車した名古屋港の築地口駅からのスタートです。ここから揖斐川(いびがわ)を渡り切るまでの約18kmのうち12kmほどがたくさんのトラックや乗用車が走る横を歩くことになります。国道23号線です。旧東海道で「七里の渡し」と言われた宮宿(愛知県名古屋市熱田)から桑名宿(三重県桑名)までの海上の渡しだったところを走る国道1号線、そのバイパスとして作られた23号線は1号線の南、名古屋港湾岸を走っています。桑名で1号線に近づき、四日市を過ぎて旧東海道が旧伊勢街道と別れる日永(ひなが)の追分あたりから1号線から離れて南の伊勢神宮へと向かいます。物流の大動脈のようで、とにかく交通量が多く、自宅からの全行程のうちで最も排ガスにさらされるところ、マスク必着です。朝8時に出発して、揖斐川を渡り切ってこの排ガスから脱したのが12時45分でした。そこから先は23号線に沿った間道をのんびり歩き、鈴鹿サーキット近くの白子というところで宿泊しています。


31日(木):鈴鹿(白子)7時38分発、伊勢市駅21時22分着、54.4㎞

写真 23号線と離れて鈴鹿山脈を見ながらのんびり歩く

 白子から松阪までの25kmほどは23号線から離れた間道で、旧伊勢街道なども通ってのんびりでしたが、松阪から伊勢市までの20kmほどは再び23号線を歩きました。松阪を出たのが16時27分、伊勢市駅に着いたのが21時22分、夜となるなか、途切れなく走る車の横を5時間ほど歩くという、最悪の事態です。初めて東海道を歩いたときに国道1号線を歩いて懲りたのに、初めての伊勢街道で同じ過ちを犯しました。車のなかった江戸時代をうらやましく思っています。この日は伊勢市での宿がとれず、松阪に戻っての宿泊です。


11月1日(金):伊勢市駅8時56分発、伊勢神宮内宮前9時54分着、4.3㎞

写真 内宮に到着

 宿泊した松阪から、昨日の到着地点である伊勢市駅へ、そこから伊勢神宮内宮前まで1時間ほどの歩きでした。東海道中膝栗毛の弥次さん、喜多さんが目指したお伊勢さんに到着です。内宮前で109km、このうち23号線以外での歩きでは、天候に恵まれた気持ちよい歩きとなっています。内宮前からすぐに伊勢市駅に歩いて戻り、妻と待ち合せて外宮、内宮と参拝しています。3連休前の平日でしたが、たくさんの人の流れが絶えることのない大変な賑わいでした。

No.016:江戸時代の旅体験-自宅から名古屋- (05月23日) ページトップへ

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、11日間で455kmの予定でしたが、8日間367.8kmで中止して名古屋駅から新幹線で戻りました。転んで足首を強く打ったためです。8割ほどの行程で打切りとなり、4回目の東海道歩き旅完歩は来年に持ち越されました。

自宅から名古屋までの8日間の行程です。<詳細地図を見る>

4月25日(木):自宅1時2分発、小田原17時11分着、65.5㎞

写真 自宅近くの神社で旅の安全祈願

 初日に65キロほど歩いて小田原まで行き、翌日は箱根を越えて三島へ40キロほど歩くこととしました。初日にを箱根泊とすれば楽なのですが、寝るだけの宿泊に温泉観光地料金はもったいないのです。このため出発は午前1時でした。夜歩くのは、江戸時代では無理だったでしょうから、現代ならではの東海道歩き旅のスタートと言えるでしょう。


26日(金):小田原時7時4分発、三島18時1分着、39.8㎞

写真 道中一番の難所と言われた橿木坂(かしのきざか)を登りきる

 いつもは3日目に出る筋肉痛が、今回は2日目に出て歩きにくい状況に、昨日の長距離が原因です。でもこの日は比較的短距離だし、しかも、いつもは4日目から次第に楽になるのが、今回は3日目からとなるので、このペース配分は結構良かったのではないでしょうか。とはいうものの、江戸時代には道中一番の難所と言われていた橿木坂(かしのきざか)や、わざわざ歩きにくく作ったという旧街道の石畳には苦労しました。来年は、旧街道の急な下り坂は国道1号を歩くことにします。排気ガス対策のマスク着用とはなりますが、筋肉痛を抱えての石畳の下り坂の危険を考えるとやむを得ません。石畳しかなかった江戸時代はゆっくりしたペースでの箱根越えだったことでしょう。それが幕府の狙いだったのでしょうが。


27日(土):三島7時18分発、興津19時57分着、48.7㎞

写真 美しい富士で上機嫌

 筋肉痛が和らぎ、富士山を間近に見ながらの気持ちの良い歩きとなりました。昨年は三島から由比まででしたが、今年は少し先の興津まで、夕食に由比で桜えびを食べて、そこから3時間ほどで宿に到着です。4回目の東海道となるので、日々のペースが確立してきました。まず、朝6時前に起床、朝食は6時半ごろにホテルでしっかりとり、7時少し過ぎに出発、昼食は軽く、夕食は通りがかりのところで午後5時までにしっかりとる、7時か8時に宿に着いたら洗濯して、風呂に入って8時か9時には寝る、となります。食事や休憩を入れて、1日12時間から13時間ほどの歩きです。明るいうちに宿に着いて食事や風呂を済ませなくてはいけなかった江戸時代は、1日10時間から11時間と推測できるので、現代では1割か2割多く歩けることとなります。1日8里の江戸時代に対して、1日10里の現代、ということになりそうです。
 由比からは山の中腹を進む旧東海道、途中の薩た峠(さったとうげ)ではすっかり暮れて、明かりは手に持っているLEDライトのみ、眼下には暗い海がどこまでも広がり、山と海に挟まれた狭い海岸を通っている国道1号や東名高速の車の明かりが遠くに連なっています。静寂で、幻想的な印象深い風景でした。


28日(日):興津7時14分発、藤枝18時40分着、44.2㎞

写真 輝く朝の駿河湾

 興津での宿は駿河健康ランドというヘルスセンターのようなところで、朝食が豪華、マグロの切り落としなどをとても美味しくいただきました。昨日の夕食は由比での桜えびのかき揚丼、桜えびのおどり食いを出す寿司屋さんでしたが、これもよかった。2食連続しての充実食事はめったにありません。この日の歩きも順調でした。


29日(月):藤枝7時46分発、磐田19時37分着、45.9㎞

写真 のどかな日坂宿

 初日から6日目の浜名湖あたりまで、夏みかんを毎日食べます。通りがかりに住宅の軒先に置いてあるものを買うのですが、100円で2つか3つ、これが実にジューシーで美味しいのです。昼間に買って、夜風呂に入ってから食べることが多いのですが、この日は昼、日坂宿の本陣跡で休憩を兼ねて2ついただきました。2つ食べれば、荷物の空ができて、また次の2つを道中で買うことができます。前日も静岡市内で30分ほど休憩して、確か3つほど食べました。歩き旅の楽しみの一つです。江戸時代の人も同じように楽しんだのかもしれません。この日も順調に宿に到着しています。


30日(火):磐田6時51分発、新所原20時0分着、42.4㎞

写真 東海道中間地点となる天竜川を渡る

 一時雨の予報どおり、浜松駅手前で雨が降り出し、駅隣接のホテルで2時間ほど雨宿り、ついでに昼食を、と考えている矢先に雨がやんで急ぎ出発となりました。昼食や夕食をとる時間がなくなったので、途中でパンを買って、これを歩きながら食べることに、美味しいパンでしたが、さすがに2食ともパンは辛いものがありました。でも、おかげで雨宿りしたにもかかわらず予定通り新所原に到着しています。


5月1日(水):新所原6時43分発、岡崎21時43分着、47.2㎞

写真 強風で豊川にも白波

 気持のよい歩きで、つい調子に乗って予定外の道に入りました。東名のすぐ横を延々と歩くので、排気ガスのない他の道を歩きたかったのです。どころが、進むうちに細い野道となり、焦りもあったのか、ツタのようなものに足をとられて転倒してしまいました。何とか1号線に出て歩きを続け、無事岡崎の宿に到着したのですが、これが名古屋で引き返す原因となりました。転んでから宿までは15キロほど、この日は何の問題もありませんでしたが。


2日(木):岡崎7時17分発、名古屋16時44分、36.4㎞

写真 ところどころに残る東海道の松並木

 翌日、名古屋までの35キロ終盤で、前日にツタを引っかけた左足首の疲れが激しくなってきました。これは疲れではなく、鈍い痛みだったのですが、そのときには気が付きません。宿に着くと、これが最悪の宿、トイレもバスもない小さな畳部屋で、清潔感がまるでありません。ゴールデンウィークのため、いまからとれるのはこんな宿、あと2日半の行程ですが、これを2日にして、残り2泊を1泊にしたくなりました。そこで、夜中の1時か2時に起きて1日半分歩いてしまおうと、午後6時ごろに寝たのです。


3日(金):名古屋6時41分発のぞみ東京行に乗車、8時30分ごろ帰宅

 夜中の1時ごろに起きて、出発の準備をして部屋を出ようとしたときに足首が痛むので、見てみると赤くなって少し腫れています。これで歩いて、来年から歩き旅ができなくなったら困る、というのと、今日も同じような宿に泊まるのがいやだということもあって、帰ることに決めました。少し寝て、地下鉄で名古屋駅に行き、6時41分発のぞみで東京に戻りました。江戸時代であれば足が治るまで足止めとなっていたでしょう。帰宅してからのことは「定年、その後」の5月31日掲載分に書きますが、この日はとても悲しい日となりました。