リタイア間近組

 
 
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セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

大江戸ウォーキング(2015年)  江戸や明治の町を歩きます

No.020:江戸時代の旅体験-伊勢神宮から島田- (11月14日) ページトップへ

 春のお伊勢参りが202km歩いて島田で頓挫したので、残りを秋に、伊勢神宮から島田まで268kmを歩きました。6回目の東海道歩き旅完歩です。ところが今回は、歩いているうちに身体が左横に傾き、後ろから見ると逆「く」の字になってしまうようになりました。このため3日歩いて帰宅、1週間ほど休んで、また4日歩いての完歩でした。原因は分からず、このままだと来年の7回目はありません。どのような状況だったのか、ここに記録しておきます。江戸時代にもこんな人がいたかもしれません。

伊勢神宮から名古屋まで4日間、更に島田までの4日間、計8日間の行程です。赤マークがスタート点。<詳細地図を見る>

10月9日(金):伊勢神宮10時48分発、松阪17時12分着、25.1㎞

写真 伊勢神宮内宮鳥居前をスタート(後ろは「おはら町」、GPS機に鳥居が映っています)

 朝6時に自宅を出て、「ひかり501号」で名古屋駅、快速「みえ1号」で伊勢市駅、バスで伊勢神宮内宮鳥居前に10時40分ごろ到着、門前町の「おはらい町」を通って今日の宿、松阪に向かって張り切って歩き始めました。この日は何事も無くいつもの東海道歩き旅でしたが、宿に到着してから「たかが25kmにしてはちょっと疲れたなぁ」という感じではありました。


10日(土):松阪7時1分発、白子(鈴鹿)17時1分着、34.3㎞

写真 実りの秋、春は田植えだった(雲出川を渡って津に入ったところ)

 朝、気持ちよく歩いていたのですが、10km地点あたりから身体が左に傾き始めました。あれ、どうしたんだろう、と思いながら歩き続けると20km地点あたりからかなり傾くようになり、通常4.5kmほどの時速が3.8kmに落ちました。身体を曲げて歩くので腰が痛くなり、30km地点の王将に入った時はカウンターに摑まらないと椅子に座ることが出来なくなっていました。34km地点のホテルに着く直前では大きく傾いています。


11日(日):白子8時27分発、名古屋22時42分着、44.3㎞

写真 四日市の工業地帯

 5kmほどから少し傾き始め、15km地点ではかなり傾き、32km地点の長島温泉で夕食をとるときは、もうこれ以上歩くは無理か、と思われるほどでした。夕食で1時間ほど休んで歩き始めましたが、44km地点のホテルまで100歩歩いては休み、100歩歩いては休みで、時速2.5kmとなりました。


12日(月):名古屋6時28分発、名古屋(築地口)9時6分着、6.1㎞

写真 輝く朝、名古屋港に流れ込む直前の新川で。

 朝歩き始めてすぐに傾きだし、100歩歩いては休み、100歩歩いては休みとなるので、6kmほど歩いたところにあった名古屋市内の地下鉄の駅から帰路につきました。


13日(火)ー20日(火):自宅休養

 5日ほどおとなしく休養していましたが、どうしても納得できず、2日間1日32km歩いてみました。何ともありません。身体は傾きません。あの傾きは何だったんんだ、と思いながら残りを歩こうと、喜び勇んで出かけました。


21日(水):名古屋8時8分発、岡崎17時28分着、35.3㎞

写真 旧東海道松並木(知立)

 朝5時半に家を出て、始発の「ひかり」で名古屋へ、12日に乗車した名古屋市内の地下鉄の駅「築地口」に8時頃到着、張り切って歩き始めました。岡崎までの35km、何事も無く無事完歩です。


22日(木):岡崎4時5分発、浜名湖19時25分着、56.0km

写真 旧東海道松並木(豊川)

 25km過ぎから傾き始めましたが、56km地点の宿まで休まないと歩けない状況にはならないでまあまあ無事完歩。52km地点で丸亀うどんを食べたときには店内を歩くのにも辛い状況ではありましたが。


23日(金):浜名湖7時17分発、袋井18時56分着、36.5km

写真 浜名湖

 16km地点の浜松でモスバーガーを食べるころはすでに傾いていました。この日の宿泊予定は44km地点の掛川でしたが、28km地点で10分ほど休憩して様子をみて、34㎞地点で10km先の掛川泊をあきらめ、2km先の36km地点の袋井泊に変更しました。あと10kmは歩けそうにありませんでした。


24日(土):袋井8時57分発、島田18時3分着、30.6km

写真 大井川を渡る、対岸が島田

 10kmも行かないうちに傾き始め、15km地点では後ろから自転車で来た高校生らしき若者がわざわざ立ち止まって「大丈夫ですか?」と尋ねてくれるほどの傾き歩きとなりました。そこから「「小夜(さよ)の中山」を越えて27km地点の大井川に着いたときにはかなり傾いて、1km以上ある橋を100歩歩いては休み、100歩歩いては休みながら渡りました。渡り切ってから2kmほどで島田駅、18:16発の東海道線に乗車して21:46川崎の自宅最寄駅に到着しました。

No.019:江戸時代の旅体験-自宅から島田- (05月25日) ページトップへ

 今年のお伊勢参り450km歩き旅は島田202kmで頓挫し泣く泣く帰宅の途につきました。原因は初日にできた足のマメ、潰れてからも歩き続け6日目の朝ついにギブアップしたのです。この秋に何とか続きを歩けたら、と考えています。 

自宅から島田までの5日間の行程です。<詳細地図を見る>

5月15日(金)、16日(土):自宅15日(金)22時00分発、小田原16日(土)14時52分着、65.9㎞

写真 いつも心和む平塚の高麗山、今年は小雨

 天気予報が、15日夜中一時雨で、18日、19日も一時雨だったので、とにかく出かけてしまおうと15日午後10時に出発しました。午前2時頃19kmほど歩いたところ(相鉄鶴ヶ峰駅南1kmほどのところ)でパラパラと降り始め、午前9時半頃50kmほど歩いた平塚でほぼ止みました。その間7時間半、午前3時頃24kmほどの相鉄いずみ野線緑園都市駅近くや、午前4時頃28kmほどの横浜地下鉄立場駅近くで雨宿りのチャンスがあったのですが、小雨だったのでそのまま歩きました。平塚で食事をしたときに靴を脱ぐと靴下がしっかり濡れており、右足の小指と薬指それに中指の下の足裏3カ所にマメができていて、小指は皮がペロリと剥けていました。午後3時頃67kmほどの小田原のホテルに到着すると平塚で交換した靴下の右小指のところが血で固まっており、痛さを堪えて靴下を脱いでいます。夜右足小指がズキンズキンと痛んでいました。


17日(日):小田原7時22分発、三島18時47分着、40.8㎞

写真 東海道一番の難所「樫の木坂」を、痛み堪えて登り切る

 痛みを堪えての箱根越えとなりました。


18日(月):三島7時56分発、由比17時32分着、38.6㎞

写真 富士の冠雪は消え、田植えの季節に

 夜雨、との予報があり、足も痛むので由比駅までとして、1駅先の興津駅まで電車で、そこからホテルの送迎バスに乗りました。ホテルには各種天然温泉があるのですが、溶存成分が濃い温泉「炭洞泉」では、右足小指が強烈に痛み入ることができませんでした。


19日(火):由比12時14分発、静岡19時40分着、24.8㎞

写真 朝チェックアウトしたホテルが見えてきました

 夜から降っていた雨がやんでからバスと電車で由比駅に戻り、歩き始めました。ホテルでもらったガーゼを右足小指に巻いての歩き、歩いているときは麻痺しているのか痛みは小さいのですが、信号で止まったりして歩き始めるときは痛みのために普通には歩けません。このため移動平均速度はまあまあですが、全体平均速度はその8割ほどと落込みました。


20日(水):静岡7時51分発、島田15時21分、31.3㎞

写真 安倍川を渡りました

 休むと歩き始めるのが痛くて辛いのであまり休まずに歩きました。島田の先は大井川、そして箱根峠、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所と言われた小夜の中山があり20km先の掛川まで適当なホテルがありません。このため島田泊としましたが、途中で購入した消毒剤とガーゼ、テープで右足小指の手当てをしたとき、爪は取れてなくなり、赤く膨れ上がっているのを見て、明日も痛みが増すようであれば帰ろう、と考えました。


21日(木):島田8時11分発、自宅12時30分頃着、0.8km

写真 電車からの富士川、絶好の歩き日和だった

 35kmほど先の磐田までどうか、ということで歩き始めましたが、やはり痛みは和らぎません。泣く泣く島田駅から電車で帰宅の途につきました。