リタイア間近組

 
 
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セカンドライフ 定年準備と定年後の日々

大江戸ウォーキング(2010年)  江戸や明治の町を歩きます

No.013:江戸時代の旅体験-静岡から京都- (04月25日) ページトップへ

 江戸時代の旅は毎日9里前後歩く、これを体験しようと昨年は自宅から静岡まで42里を4日間で歩きましたが、今年はその倍の84里弱を8日間で静岡から京都まで歩きました。かかった時間は172時間、費用が57,980円、新幹線であれば1.5時間、9,950円ですから、時間で115倍、費用で5.8倍です。江戸時代のやり方と比べてもあまり意味はありませんが、我々がいかに高い効率の中で暮らしているかを思い知ります。

 江戸時代の旅は1日300文から400文、1文30円とすると9,000円から12,000円、7泊8日だと63,000円から84,000円となり、今回の57,980円は江戸時代ではかなり切り詰めた旅ということになります。お大尽の旅は1日600文、18,000円ともいわれていますので、次回はせめて江戸時代並、できればお大尽並の旅費で楽しみたいと考えています。

*参考:http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J029.htm
*毎日の歩行距離は、歩いた軌跡を自動記録する携帯電話によるGPSトレース実測値です。下図赤線はGPSトレース結果で、結果ファイルから自動作成されました。

静岡から京都までの8日間の行程で、マーク間が1日の行程です。<詳細地図を見る>

1日目:静岡駅前から静岡県島田 歩行距離29.7km 7時間24分(4月17日(土)10:26-17:50)

宇津ノ谷峠の少し手前、旧東海道でののどかな風景<写真を拡大>

 昨年の終着点、静岡駅が今回のスタートです。静岡は東海道19番目の宿場府中で、ここから53参番目の宿場大津まで34の宿場を経ての京都三条大橋への旅となります。

 朝6時半に家を出て10時ごろ静岡駅に到着、駅前の国道1号を一路西へ進みます。すぐ安倍川を渡り20番目の宿場丸子から山道に入り、標高152mの宇津ノ谷峠を越えて岡部、藤枝の宿場を経て23番目の宿場島田に到着、ここで宿泊です。

 藤枝の手前までは山道ながらも旧東海道のため気分よく歩けましたが、藤枝あたりからは国道1号となり、車の排気ガスを気にしながらの歩きとなりました。


2日目:島田から静岡県浜松 歩行距離49.0km 11時間13分(4月18日(日)2:59-14:12)

金谷の茶畑、霜よけのファンの音が響いていました<写真を拡大>

 午前2時半に起床、3時から歩きました。暗い中で大井川を渡り、24番目の宿場金谷へ、旧東海道で山越え、国道1号のトンネル上あたりで標高216mの峠となり、日坂、掛川、袋井、見附(静岡県磐田市)の宿場を通り天竜川を渡って29番目の宿場浜松に入り、ここで宿泊です。

袋井近くの旧東海道松並木<写真を拡大>

 晴天に恵まれ、ほとんどが旧東海道だったため気持ちのよい歩きとなりました。


3日目:浜松から愛知県豊川 歩行距離46.3km 11時間12分(4月19日(月)3:00-14:12)

浜名湖の北を通る、東名高速の橋が見える<写真を拡大>

 午前3時にスタート、浜名湖北の姫街道を通るため、浜名湖南を渡る東海道の舞坂、新居、白須賀、二川、吉田(豊橋)の宿場は通らず、東海道35番目の宿場御油の手前にある豊川に到着、宿泊です。

 昨日の49kmのためか下りの坂や段差が筋肉痛で辛い歩きとなりました。


4日目:豊川から愛知県知立 歩行距離42.9km 10時間54分(4月20日(火)0:58-11:52)

国道1号の朝、のどかな田園風景の中にモーテル、ガソリンスタンド、走るトラックがあります<写真を拡大>

 午前1時に出発、朝6時ぐらいから雨との予報なので、それまでに出来るだけ歩こうという魂胆です。御油、赤坂、藤川、岡崎の宿場を通り、39番目の宿場池鯉鮒(ちりゅう・知立)に午前中に到着、結局雨は終始小降りで当初計画通りの移動となりました。

岡崎城址にある岡崎公園<写真を拡大>

ほとんど国道1号で、午前中の歩きで交通量のピークは避けることができたものの、それでも排気ガスを気にしながらの歩きとなりました。筋肉痛は昨日よりは和らいでいます。


5日目:知立から三重県鈴鹿 歩行距離72.9km 20時間38分(4月21日(水)2:29-23:07)

木曽川はさすがに大きい 橋、中州、橋で各1km程度、渡り切るのに3km程にもなります<写真を拡大>

 午前3時出発、次の宿場鳴海からは国道23号に入りました。このため41、42番目の宿場である宮、桑名は通らず、木曽川を渡って桑名の南に出ます。ここでの予定宿が廃業していたため、仕方なくさらに進むことにしました。どうせ進むならば、翌日が雨の予報なので、できるだけ歩いて翌日ゆっくり休もうとも考えたのです。夕方6時ごろから桑名の南から歩き始め、43番目の宿場四日市を通ったときはすでに暗く、電池を節約して携帯上の地図もよく見なかったため道を間違え鈴鹿市街に入り込んでしまいました。仕方なくここで宿泊です。この日は72.9km歩き、午後11時過ぎのホテルチェックインとなりました。

国道23号はトラック街道<写真を拡大>

 伊勢湾に沿った国道23号は、その北を走る国道1号のバイパスともいえる国道でトラック街道、この日が最も排気ガスを吸い込んだことでしょう。市街地では高架になっていて、下の道を歩くので排気ガスを避けることができるものの、高架下通路が途切れて大回りしたり、広い道と交差するときは歩道橋だけが横断手段だったりして、歩きにくいのです。この道は二度と歩かないぞ、と思いながらの歩きとなりました。


6日目:鈴鹿から三重県亀山 歩行距離14.2km 3時間49分(4月22日(木)10:49-14:38)

 朝から雨、ホテルでゆっくり朝食をとり4時間ほどで東海道46番目の宿場亀山へ移動し、宿泊としました。これで雨でも日程遅れなしとなります。昨夜間違えて東海道ルートを外れたので44、45番目の宿場である石薬師、庄野は通りませんでした。

 小雨になることを期待して出かけたのですが、結構本降りのままでした。出来るだけトラックの通らない農道のようなところを通り、車の跳ね水を避けようとしましたが、ホテルに到着する直前に後ろから来たダンプに頭から水をかけられました。また、池のような大きな水たまりが多く靴はずぶ濡れです。翌日足裏にマメができました。短距離だからと甘くみた観があり、「無理はしない」ことの大切さをあらためて思い知ったのです。


7日目:亀山から滋賀県栗東 歩行距離49.1km 12時間56分(4月23日(金)7:48-20:44)

鈴鹿峠への旧東海道<写真を拡大>

 翌最終日が30km程度の予定なので、この日もホテルで朝食をとってからゆっくり出発です。関、坂下、土山、水口、そして51番目の宿場石部を通り次の宿場草津の手前にある栗東で宿泊です。

鈴鹿峠では桜が<写真を拡大>

 亀山や関から奈良・大阪に抜ける国道があるためか、国道1号の交通量はさほどではなく、しかも鈴鹿峠へは旧東海道があって気持ちのよい歩きとなりました。しかし鈴鹿を越えて土山、水口と進むうちに足裏に痛みを感じるようになり、水口の町を過ぎた午後6時ごろ夕食としたときにチェックすると足裏にマメができていました。痛みで明日は歩けないかもしれない、それならせめて琵琶湖が見えるところまで行こうと決め栗東まで歩いたのです。


8日目:栗東から京都府京都 歩行距離29.9km 6時間50分(4月24日(土)7:29-14:19)

見えてきた京の街並み<写真を拡大>

 朝8時、マメの痛みで歩けなくなったら電車で京都まで行こうと覚悟して出発し、52番目の宿場草津、最後の宿場大津を通過し、午後2時20分ごろ京都三条大橋に無事到着しました。

 マメの痛みのある辛い歩き、最終日だからこそできました。まだ先があるとしたら中止して帰るしかなかったかもしれません。来年の自宅から京都までの長旅への大きな課題となりました。