友人

No.038:大都会のナイトライフ

 横浜みなとみらい万葉倶楽部に宿泊したときのことです。夜中の12時過ぎだというのに200席以上ある大広間に人々があふれ、みなさんそれぞれに食事やお酒を楽しみ、従業員たちもキビキビと働いています。その活気には圧倒され、びっくりもしました。若い女性客も多く、初めて見る風景、とても不思議な真夜中の光景でした。
趣味

No.037:リタイア組スキーヤー

 昨年の「25年ぶりスキー」の楽しさに味をしめて今年も行ってきました。昨年の話を聞いて今年はおれも行く、と言ってきた友人と二人、共にリタイア組、月曜日午前9時30分東京駅集合です。
Iさんのひとりごと

オリンピックの合間に

 バンクーバーオリンピックは時差の関係でライブで見れるので我々リタイア組は堪能できるが少々疲れ気味だ。メインの女子フィギアーのSPとフリーの空いた一日に気分転換で早咲きの松田町の河津桜を見に行った。車は混むので電車で行ったらどう見ても行き先が同じような初老のご夫婦や中年のご婦人グループがいっぱい乗っていた。駅に着くとやはり目的地は同じでした。河津桜と菜の花が満開でオリンピック疲れが吹っ飛んだ。ちょっと寂しいがあと数日でオリンピックも終わり、また平穏ないつもの生活に戻る。「オリンピックは四年に一度 これでいいね」 
家族

No.036:母のこと

 「沼津の学校に行くかい?」、母が尋ねたのはわたしが小学生のときです。電車の中でした。外の景色をドアのガラス越しに見つめながら「うん」と同意したのを覚えています。虚弱体質の子どもや知恵遅れの子どもを寄宿舎生活で鍛える沼津の学校と知っての返事でしたから、それ以前に母から説明を受けていたのでしょうが、このときのことしか覚えていません。子ども心にも、それだけ深刻な決意の瞬間だったのでしょう。
家族

No.035:実家に続く道

 実家間近にある線路沿いの細い道、毎週、電車から眺めています。ここを過ぎるとやがて下車駅、以前であればその駅から実家へとここを歩くのですが、いまは別の電車に乗り換えて母が入居している施設に向かいます。もうほとんど歩くことがなくなった、懐かしい、とさえなりつつある道、電車が減速し駅に入り始めるころには見えなくなるのですが、それでも目で追いかけているときもあります。さまざまな思いを抱きながら歩いた道です。
友人

No.034:校歌

 気がつくと校歌を口すさんでいる、そんな日が続きました。卒業してから30年間歌った覚えはなく、在学中もあまり歌わなかった校歌、久しぶりに母校を訪問した先日以降のことです。
暮し

No.033:天地人

 叔母が大切にとっておいてくれた26通の絵葉書、アメリカ駐在中に旅行先からわたしが送ったものです。丁寧な保管状況からは、葉書が届くたびに目を細めて読んでいる叔母の姿が想像できます。駐在3年半で26通、だいたい1ヶ月半に1通という頻度、多い時には毎月のように旅行していたことを思い出しました。残業や休日出勤はなし、休暇は1週間から2週間、それが当たり前、という時間に恵まれた暮らしのなかで旅行に精がでるのは当然だったのかもしれません。
暮し

No.032:よく噛むと痩せる

 体重が3キロほど減りました。率でいうと4.6%減、6月ごろから減り始め、ズボンがかなりゆるくなっています。最も増えたアメリカ生活での体重と比べると13キロ、17%減で、今や20代のころに戻った感があります。まあ、体重だけですが。
趣味

No.031:”マスコミの学校”再開校

 久しぶりの学校です。2006年末から中断していた「マスコミの学校」がまた始まり、その再開校記念講演会、計4回講演が開催されているので受講しています。この記念講演会後に本格開校となります。3年前に受講したこの学校がきっかけで、いまの仕事や仲間があるわたしにとっては、たいへんお世話になった母校です。受講の楽しみと、懐かしい人に会える期待で申し込みました。
趣味

No.030:マメのできない靴

 足のマメは困ります。足指にできるのはまだしも、足裏にできると歩くのがつらく、以前に1週間近くウォーキングを中断したことがあります。わたしの経験では、20kmほど歩くとマメができる危険性が高まるようです。江戸時代の旅は毎日40km程度歩くとのことですが、マメはできなかったのでしょうか。
タイトルとURLをコピーしました