「幾分気が弱いのではないかと思われる。そのために栄養も良くない。つとめて健康に留意されたい。勉強の方はあまりあせらずにいてよいと思います」、小学1年1学期の通信簿通信欄での記述です。私は、虚弱体質で勉強のできない子でした。最近実家で見つかったこの通信簿を見ながらつくづく思うのは、よくぞここまで無事これたものだ、ということです。今は、健康に恵まれ、今のところお金に困ることもなく、生活を楽しんでおり、まあまあ幸せな日々と言えます。
身体も頭も弱かった私を母は心配し、沼津の特殊学校に入れたい、と小学校の担任の先生と相談しています。そこまでする必要はない、というのが先生の意見だったようですが。将来はおまえたちが面倒見るんだよ、と兄たちに言い聞かせてもいたようです。近視だった私が一番前の席に移ったのは、母が先生に相談した結果でした。黒板の字がはっきり見えるようになり、少しづつ勉強意欲が出てきました。通信簿でも、「授業中もぼんやりしていることが多い」(3年1学期)だったのが、次の2学期では「前学期に比べ目立って学習意欲が出てきました」(3年2学期)、更に1年後は「努力のあとが見られます」(4年2学期)となり、2年後「仲々がんばって勉強するようになりました」(5年3学期)、卒業直前には「学習態度はりっぱであり すすんで研究するようになった」(6年3学期)となっています。
とはいうものの、5段階評価中最高の「まさる」は6年間で2つ、社会と理科、最低の「おとる」が4つ、体育が3回と図画工作、という成績、大学はもちろん高校受験も無理だろうと考えた母は、私を工業高校付属の私立中学に進学させました。中学受験では分厚い参考書が薄汚れてしまうほど勉強しています。入学後、3年間のほとんどが100人中10番以内という成績で、ここで大きな自信をつけました。バス、電車で片道1時間以上かけての通学では往復3km以上歩き、身体も丈夫になりました。この時期に今の基礎ができたのだ考えています。母のおかげです。
ダウン症の女流書家金澤翔子さんの、2015年3月20日ニューヨーク「世界ダウン症の日記念会議」でのスピーチをテレビで見ましたが、母親への感謝の気持ちであふれていました。ダウン症の我が子の将来を案じるお母様の努力が翔子さんの今日の成功をもたらしたようです。次元やレベルは全く違いますが、私と少し重なるところがある、と思いながら番組を見ていました。「『うまく書こう』とか『だれかと比べて』などの欲がないから(素晴らしい書となる)」とお母様の泰子さんがおっしゃっていますが、ダウン症のため多くを望まなかったお母様の気持ちが、そんな翔子さんに育てた、という気がします。翔子さんは天真爛漫でとても幸せそうです。「欲のない」「ありのままの自分」でいられるからなのでしょう。心理学者アドラーは「ありのままの自分を認める勇気を持つことが幸せへの第一歩」といった主旨のことを言っています。
期待されなかった、注目されなかった私は、「人から良く思われたい」とか「人に褒められたい」といった欲はあまりありません。他人の価値観や見方はあまり気にならないのです。自分自身で考え、「ありのままの自分」で生きてきたように思います。勤務先の個人事務所のボスは、私を「素直」だと評します。だから仲良く仕事ができる、と。「ありのままの自分」を直視し、「ありのままの境遇」、「ありのままの他人」を直視している、そいう意味合いもあるような気がします。電機メーカーの研究開発に30年近く従事し、53歳で、何のつながりも無い広告代理店に出向して10年以上務め、ボスとも今年で9年目、歳をとってからの異分野勤務が長く続いたのは、「素直」さがあったからなのかもしれません。
「教科書を忘れて来る時が非常に多いので注意願います。えんぴつも持たずに登校しています」と小学4年3学期の通信簿連絡欄にあり、その傾向は今もあまり変わりません。そんな私がここまでこれたのは、母のおかげで「人生の基礎」ができたことと、「素直」さががあったからだと改めて思います。その「素直」さも母のおかげだったのかもしれません。母の強い思いに、翔子さんと同様、ひたすら感謝です。