家族

No.004:両親のこと

進学率

 「団塊格差」(三浦展著、文春新書)を読んで両親への感謝の気持ちが更に強くなりました。団塊世代の大学卒業者は22%だそうです。文部科学省「2006年学校基本調査報告」では、私が大学進学した1965年の高等教育機関(大学・短大・専門学校)への進学率は18%程度で、現在の76.2%(2006年)とは進学状況に大きな違いがあったのです。兄2人が大学に進学しており、それを当たり前のように考えていましたが、世間一般以上の両親の努力があったことをあらためて知りました。

 息子3人全員を大学に進学させたときに「いったいどこにそんなお金があるの」と同じような暮らしぶりの近所仲間から言われたそうです。仕事や家事の目的は子育て、自分たちのお金や時間は子供たちのために使う、そんな子供一筋の両親だったと思います。父は10年前に他界し、母は90歳で健在ですが、1年前に脳内出血で倒れてからは身体の自由があまりきかなくなっており、記憶力や思考力もかなり低下しています。それでも気になるのは子供たちのことのようで、横でうたた寝している私に気がつくと、不自由な身体にもかかわらず自分の布団を掛けてくれたりします。「(子供たちを育てるのが)大変だなんて一度も思わなかったよ。楽しんで育てたんだよ」とも言います。

 「団塊格差」では「団塊世代で定年後比較的裕福な人は27%」(注1)と分析しています。私の兄2人の世代も団塊世代に近いので同じような%でしょう。そうであれば、両親が育てた息子3人全員が各世代の比較的裕福な27%に入るのです。裕福といった実感は私にはありませんし、このデータが実態を正確に表現しているとは思いませんが、3人全員が少なくとも平均以上であることは推測できます。両親からもらった教育機会や、体力、気力が平均以上のものだったということなのでしょう。もし「素晴らしい両親」というデータがあったならば、上位27%に入るはずの誇るべき両親なのです。

 「団塊格差」で浮き彫りになった格差(注2)は、還暦後の暮らしぶりが様々に枝分かれすることを予感させます。「60前はみんな同じようだったが、60を過ぎると様々な暮らしぶりに分かれる」と65歳をすぎた従兄弟が実感を込めて話してくれました。これからが本当の自分、裸の自分が試される時期なのかもしれません。そんなとき、人生の選択や方向付けで影響を受けてきた両親の生き様や考え方は大きな拠りどころとなるでしょう。誇るべき両親であれば、その拠りどころは確たるもののはずです。

注1:「下流社会」の著者三浦展氏の株式会社カルチャースタディーズ研究所が文藝春秋の協力を得て行った「団塊世代2000人調査」(2006年3月、1947年1月ー1949年12月生れの男女2,156人(有効回答数)にインターネット調査)結果を分析した氏の著書「団塊格差」によると、夫婦の貯蓄1,500万以上、退職金予定2,000万円以上、遺産相続予定1,000万円以上で3つとも該当する人は男性の7.2%、2つに該当する人が19.3%と合わせて26.5%、いづれにも該当しない人は43.2%となっています。氏は2つ以上に該当する人26.5%を「定年後比較的裕福」としています。

今回のサンプルは大卒以上54%、中卒2%と、団塊世代の実態である大卒以上22%、中卒30%以上とはかなりかけ離れています。しかもインターネットアンケートということもあって、団塊世代の実態にどれだけ迫れているかは不明です。しかし大まかな参考にはなりそうです。

注2:「団塊格差」で浮き彫りとなった団塊世代の男性間格差は、夫婦の貯蓄2,000万以上19%/500万未満39%、退職金予定2,000万以上28%/500万未満47%、遺産相続予定2,000万以上17%/なし38%となっています。その他に「子供の自立」「人生の満足度」などについても格差という観点から分析しています。

の記事

No.176:兄弟仲 (2021年09月30日)

 「おにいちゃん、おにいちゃん、、、、」と叫びとも泣き声ともとれる悲痛な響きが、マンション廊下側の少し開いた窓から聞こえます。お隣玄関ドアのところからのようです。男2人兄弟、新学期初日で学校に行く小1の兄を、3歳下の弟が引き留めようとしている様子です。夏休みでずっと一緒だったおにいちゃんが出かけるので、寂しかったのでしょう。

No.158:長兄の死 (2020年03月31日)

 長兄が亡くなりました。79歳、平均寿命に届かない早すぎる死です。2年前の手術で肝臓癌を100%摘出し、「命拾いした」と喜んでいたのですが、術後も嚥下機能改善手術を受けるなどして入院が続き、1年前に病室で倒れて脳を損傷、自分の意思では身体を動かすことができなくなりました。手をわずかに動かせる程度です。見舞いの帰り際、長兄が手を振るしぐさをするだけで、みんなが喜ぶ、そんな闘病の日々でいくつかの臓器の機能が低下し、先日亡くなりました。

No.152:叔母の葬儀 (2019年09月30日)

 「お墓を引き継ぐ人がいなければ、納骨はできません。更地にして返していただきます」といきなり言われました。叔母の葬儀をお寺さんに相談したときのことです。親も、兄弟も、子供もいない叔母は、このままでは、夫のいるお墓に入れないのです。お袋の妹で、享年96歳、小さいころから可愛がってもらった我々兄弟で、葬儀をして、姉がお墓を守ることとなりました。

No.148:長兄の病 (2019年05月31日)

 78歳になる長兄が肝臓癌で大きな手術を受けました。手術は成功し、癌を全て取り除き転移もないとのことでひと安心だったのですが、術後の経過が思わしくありません。もう、1年以上入院しています。手術後、誤嚥するようになり、嚥下機能改善手術を受けたり、転倒で頭を打ち開頭手術を受けたりしているのです。

No.113:実家の売却 (2016年06月30日)

 部屋に入るなりいきなり、「タヌキはどうしたの!!」と驚いたように姪が尋ねました。背丈70センチほどの信楽焼きのタヌキ、実家の玄関に26年間鎮座し、来訪者を歓迎していましたが、いなくなったのです。実家の売却が決まり、取り壊されることとなり、兄貴家族全員と我々夫婦が実家に集まったときのことです。

No.110:小学生時代の通信簿 (2016年03月31日)

 「幾分気が弱いのではないかと思われる。そのために栄養も良くない。つとめて健康に留意されたい。勉強の方はあまりあせらずにいてよいと思います」、小学1年1学期の通信簿通信欄での記述です。私は、虚弱体質で勉強のできない子でした。最近実家で見つかったこの通信簿を見ながらつくづく思うのは、よくぞここまで無事これたものだ、ということです。今は、健康に恵まれ、今のところお金に困ることもなく、生活を楽しんでおり、まあまあ幸せな日々と言えます。

No.036:母のこと (2010年01月31日)

 「沼津の学校に行くかい?」、母が尋ねたのはわたしが小学生のときです。電車の中でした。外の景色をドアのガラス越しに見つめながら「うん」と同意したのを覚えています。虚弱体質の子どもや知恵遅れの子どもを寄宿舎生活で鍛える沼津の学校と知っての返事でしたから、それ以前に母から説明を受けていたのでしょうが、このときのことしか覚えていません。子ども心にも、それだけ深刻な決意の瞬間だったのでしょう。

No.035:実家に続く道 (2009年12月31日)

 実家間近にある線路沿いの細い道、毎週、電車から眺めています。ここを過ぎるとやがて下車駅、以前であればその駅から実家へとここを歩くのですが、いまは別の電車に乗り換えて母が入居している施設に向かいます。もうほとんど歩くことがなくなった、懐かしい、とさえなりつつある道、電車が減速し駅に入り始めるころには見えなくなるのですが、それでも目で追いかけているときもあります。さまざまな思いを抱きながら歩いた道です。

No.015:渋谷のお子様ランチ (2008年04月30日)

 渋谷駅がよく見える窓側の席でお子様ランチを喜んで食べていました。50年以上昔の渋谷食堂でのことです。わたしの弱視を診てもらうために母に連れられて行った病院からの帰りでした。

No.005:時間感覚 (2007年06月30日)

 「遅かったじゃないか」、5時からの食事会に5時少し前に現れた姉に叔母が文句を言ったそうです。叔母は4時前から会場で待っていたのです。叔母の姉である私の母も同様の時間感覚で、一緒に旅行するときに待合せ時刻の1時間ぐらい前から待っていたときもあります。周りが迷惑です。そんな母の不思議な時間感覚を理解するのは難しいのですが、歳とともに母の性格を引き継いでいる自分を発見しつつある私としては気になるところです。


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