大江戸ウォーキング

No.006:特別編:ニュルンベルク

 クリスマスシーズンのドイツの町々を旅行しました。そのひとつがニュルンベルクで、中世における神聖ローマ帝国(962年 – 1806年)の帝国会議開催の町、そんな帝国の復活をもくろんだナチが党大会を開催した町、そのため第二次大戦で徹底的に破壊された町、中世の建物が最善の形で保存され一大観光都市だった戦前の姿を取り戻すべく戦後の復興がすすめられた町、そんな一面をもつ人口約50万人の都市です。

 復興された中世のたたずまいのある街並みを歩けば、中世へと簡単にタイムスリップすることができます。江戸にタイムスリップするためにはかなりの想像力を必要とする東京とは大きな違いで、昔を歩くというこの「大江戸ウォーキング」の狙いを安直に実現できるのです。最新小型デジカメで、教会の鐘の音を録音したり、クリスマスマーケット全景をパノラマアシストで撮影したりしながらの楽しいウォーキングとなりました。

地図
<詳細地図を見る>


1.フランクフルト中央駅

フランクフルト中央駅
<写真を拡大> <駅のアナウンスを聞く>

 ドイツで最初の鉄道は、1835年、江戸時代の天保6年、日本で鉄道が開通する明治5年(1872年)の37年前、ニュルンベルクと隣町フュルト間約8kmで開通しました。その当時からのシステムなのでしょう、市街道路とプラットフォームとの境がなく、まるで路面電車や馬車に乗る感覚で電車に乗り込みます。1番線から24番線までが横一列に並ぶ広い駅は、高い天井をもち、天井窓からの自然光があふれ、屋外のような開放感をもっています。それは昔からの雰囲気にちがいありません。そんな伝統や歴史を感じさせるフランクフルト中央駅が、中世への旅、ニュルンベルクへの出発点となりました。


2.クリスマスマーケット

教会
<写真を拡大> <教会の鐘の音を聞く>
クリスマスマーケット
<写真を拡大> <教会のパイプオルガンの音を聞く>

 ここニュルンベルクのクリスマスマーケットが世界で一番有名だといわれています。1628年、江戸時代初期の寛永5年には開催されていたという記録がある伝統的なマーケットです。可愛い工芸品を売る屋台が並び、クリスマスを祝うための飾りや人形などを求めて多くの人びとが集まり、そこに焼きソーセージや熱いグリューワインの屋台もでき、お祭り気分があふれます。装飾品を中心とした手作りの品々は一つひとつが微妙に違うので、選ぶ人たちも、自分のお気に入りを見つけようと真剣です。それは昔から変わらない風景なのでしょう。世界で唯一の自分だけのもの、人のぬくもりが感じられるもの、といった手作り品ならではの魅力が、この盛大なクリスマスマーケットを昔から継続させている一つの要因なのではないでしょうか。味付けも何もない素朴な焼き栗がとてもおいしく、昔ながらの味を楽しみました。


3.教会

教会‘)
document.write(‘教会
<写真を拡大>
              <写真を拡大>

 クリスマスマーケットのある中央広場からお城に上がる坂道沿いにある聖セバルドゥス教会には、大戦で破壊された教会の写真が展示されていました。屋根も壁も崩れ落ち、教会内外にがれきが散乱しています。この状態から、がれきを一つひとつ拾い集め積み重ねていく気の遠くなるような復旧作業がおこなわれたのでしょうか。心の拠りどころとなる教会の復旧が、自分たちの心の復旧につながることを信じての作業たったにちがいありません。なにか強い信念や願いがなければとて成し得ない気がします。敗戦で打ちひしがれた人びとの悲しみが伝わってくる写真、困難な復旧作業を見事に成し遂げた人びとの誇りが伝わってくる、戦後60年を経てもいまだに実施される展示、それが心に強く残りました。


4.城

城
カイザーブルクからのながめ
<写真を拡大> <大広間でのガイド説明を聞く>

 旧市街の北の端の岩山に建つ城塞カイザーブルクは、12世紀に神聖ローマ帝国の皇帝居城となったところです。宮殿のような豪華さはなく、頑丈で質素な城塞です。天井や床の重量感ある木材、白壁などに囲まれた皇帝の広間にただよう重々しさ、その窓から見下ろす市街の美しさ、そんなところに立つと、皇帝の権威を感じざるを得ません。機能的な城塞としてだけではなく、人びとの頂点に立つ皇帝の権威をも示す場でもあったのでしょう。


5.デューラーの家

デューラーの家
デューラーの家
<写真を拡大> <中世楽器の演奏を聞く>

 ドイツ・ルネッサンスを代表する画家アルブレヒト・デューラーの家では内部が見学できます。日本語のイヤホンガイドもあり、2階の台所にトイレを作り罰金を取られた、といった生々しい当時の生活ぶりが紹介されています。どういう罰金なのかはわかりませんが、中世ヨーロッパの都市では排泄物を窓などから道路に捨てていたようで、そんなことに関連していたのかもしれません。ほぼすべての排泄物が肥料として回収され再利用されていた江戸に比べると、不快な臭いがただよう町だったのかもしれません。日本語のイヤホンガイドによって、中世のこの町の内面を少しだけ覗けた気がしました。

の記事

No.011:特別編:台湾-望郷の道- (2008年12月13日)

 1895年(明治28年)4月に終結した日清戦争により台湾は日本の領土となり、太平洋戦争が終結する1945年(昭和20年)8月までの50年間、日本によって統治されました。北方謙三氏の小説「望郷の道」(日本経済新聞2007年8月-2008年9月朝刊連載)の主人公正太が九州を追われ台湾に渡ったのが1899年(明治32年)5月で、兒玉源太郎(こだま げんたろう、1852年 - 1906年)総督(1898年-1906年)の下で後藤新平(ごとう しんぺい、1857年 - 1929年)民政長官(1898年-1906年)が、土地改革、ライフラインの整備、アヘン中毒患者の撲滅、学校教育の普及、製糖業などの産業の育成などにより台湾の近代化を推進しようとしているときでした。

No.010:月の岬、高輪台地 (2008年10月15日)

 「月の岬」は月見を楽しむ江戸時代の名所で、徳川家康が名付けたと言われています。現在の高輪台地の一角で、南北に伸びる台地からは東側に迫る江戸前の海(江戸湾)が一望でき、夜の海と月の眺めは格別だったようです。

No.009:伊能忠敬 (2008年07月21日)

 49歳の隠居後に天文・歴学を学び始め、55歳から14年間、日本全国を歩いて精度の高い日本地図を完成させ、当時の平均寿命が40-50歳といわれるなかで73歳の長寿をまっとうした伊能忠敬は、「第二の人生の達人」と言われています。平均寿命が伸び、第二の人生が長くなった現在、この達人に学ぶことは多いのではないでしょうか。

No.008:大山街道-二子<ふたこ>・溝口<みぞのくち>村- (2008年04月09日)

 落語「大山詣り」にでてくる熊五郎、けんかっぱやいので長屋恒例の「大山詣り」への同行を断られます。頼みこむ熊五郎、「けんかは決してしない。もしけんかしたら丸坊主になる」という約束をして、やっと同行できました。それほど、みんなが楽しみにしていた旅だったようです。「大山詣り」の最盛期である江戸中期の宝暦年間(1751-64)には年間20万人が参詣したといいます。7月26日の山開きから8月17日の閉山までの22日間ですから、その間に1日9,000人もの人びとが大山に向い、大山から戻っていったことになります。

No.007:江戸っ子古今亭志ん生<五代目> (2008年02月20日)

 「江戸っ子のうまれぞこないかねをため」とか「江戸っ子は宵越(よいご)しのぜには持たない」という生き方は、貯金がないと不安なわたしのような小心者にはできません。司馬遼太郎は「街道をゆく36 本所深川散歩 神田界隈」(朝日新聞社)で、この生き方は職人のこと、金がいくさの矢弾となる商人のことではない、としています。腕でめしを食う職人が金をためると、腕をみがくことをわすれ、いつまでも腕のあがらない職人となる、といったことなのでしょうか。金よりも腕を大切にする職人の生き様だったようです。

No.005:日和下駄 (2007年11月12日)

 永井荷風の「日和下駄(ひよりげた)」には、大正三年当時の東京市中の様々な風景が描かれています。その美しく臨場感あふれる描写は、「市中の散歩は子供の時からすきであった」荷風ならではのものでしょう。

No.004:徳川慶喜<よしのぶ/けいき> (2007年10月17日)

 80歳になる河合重子さんという方が「謎とき徳川慶喜―なぜ大坂城を脱出したのか」(草思社刊)という、300ページを超える厚い本を今年著しました。史料調査や著作に必要なエネルギーを考えると、80歳というお歳が驚きですが、15歳のときに慶喜フアンとなりそれ以来一貫して慶喜を追い続けてきたということが更に驚きです。

No.003:神田川 (2007年08月13日)

 神田川は、三鷹市の井之頭池を水源として、台東区の柳橋で隅田川に合流する延長25.48kmの1級河川です。江戸時代は神田上水として、また江戸城の外堀の一部として大きな役割を担っていました。

No.002:時の鐘 (2007年06月20日)

 浦井祥子氏(うらいさちこ:日本女子大学講師)が膨大な史料を丹念に解読してまとめた「江戸の時刻と時の鐘」からは江戸時代の時の鐘の実態が生きいきと伝わってきます。史料を多面的に解読し、正確に理解しようとする研究者としての氏の姿勢には、歴史小説のような華やかさやダイナミックさはないものの、信頼感と好感がもて、とても新鮮な印象を受けました。

No.001:たけくらべ (2007年04月15日)

 樋口一葉の「たけくらべ」の舞台となったところを歩きました。明治25年(1892年)7月から約2年間吉原に隣接した龍泉寺町で駄菓子屋を営んでいた一葉は、暖かい眼差しと鋭い観察眼でそこで育つ子供たちを見つめ、その細やかな心の動きを見事に捉えています。物語を読んで、育つ環境は違っても子供たちの発想や思考には違いがないことをあらためて感じました。だからこそ地域や時代を越えた多くの読者が物語の中に自分の子供時代を見つけて共感できるのでしょう。


タイトルとURLをコピーしました