書き手の立ち位置の分からない文章は、冷たく無機質で得体の知れない不安を読み手に与える。最初の文章を会社の同僚に読んでもらったときの感想が「書き手の顔が見えない、感情のない内容」とさんざんな評価だった。
どんな人がどんな想いで書いたのかが見えるようにしないと読んではもらえない。見た事実を淡々と書いた最初の文章から、見た人たちの心の中を自分なりに考察した内容の文章に書き換えた。それは書き手の理解なので、書き手の考え方が当然入ってきて、書き手の立ち位置がある程度見える。
品田英雄氏の「自分の立ち位置によって(文章の)商品価値が上る」(2006年2月24日の講座)、佐野眞一氏「(取材で)最も大切なことは『聞き手の立ち位置』」(2005年12月3日の講座)という言葉と共に、山田ズーニー氏の「おとなの小論文教室。-Lesson 299 立脚点-」にある、書き手の顔が見えることの大切さを実感する。
*****「立脚点」からの抜粋*****
彼女が、どこからきて、なぜ、どんな問題意識を持ち、どんな立場でこの作品を撮るのかが、それ以上でも、以下でもなく、見る人に、よくわかる。
「立脚点」。
作品の最後まで、この、彼女の立ち位置は、ブレることはなかった。
私は、このことに打たれた。
**(中略)**
ともだち(彼女)は、素人として、過酷な挑戦を志したときの、自分の立脚点を、見失わず、よく忍耐してキープして、常にそこから、観客に対してものを言っていた。
だから、彼女の表現は、素直に受け入れられたのだ。
ともだちが、自作に、はっきりと顔を出したことには、どんな自分がこの作品をとるのか、彼女自身ちゃんと知っていて、引き受けていて、そこから逃げも隠れもしない、覚悟の表れだと、わたしにはうつった。
自分が立っているところがわかれば、新人でも、情報発信はできるし、伝わるんだということ。
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