歩きの記録と友人のページ

Iさんのひとりごと

立秋過ぎても

 残暑見舞いが猛暑見舞いになっています。数日前友人から「鈴虫」を頂いた。昨夜ようやく我家のベランダに慣れたらしく、疲れないかと思うくらい大きな声で鳴いてくれました。またプランターにはサツマイモの葉がどんどん伸びてこれも目を楽しませてくれてます。まだまだ続く蒸し暑い夏「今夜も鈴虫の鳴き声に期待、その内サツマイモもできるかなー」
Iさんのひとりごと

周遊バスで

 横浜美術館「ポンペイ展」に行った。そのまま帰ろうと思っていたが桜木町駅の前に観光スポット周遊バス「あかいくつ」の停留所が目に入った。ちょっとレトロな雰囲気のバスが来た。「乗ってみるか」と思わず乗車。なんと100円でした。「みなとみらい」「赤レンガ倉庫」「中華街」「元町」「港の見える丘公園」「マリンタワー」「山下公園」「大桟橋」「馬車道」結局どこにも下りずに桜木町駅まで約1時間の横浜周遊でした。見慣れた横浜もこんなバスでノンビリと巡るのもいいものだ。「感謝の100円でした」
東海道歩き旅

No.013:江戸時代の旅体験-静岡から京都-

 江戸時代の旅は毎日9里前後歩く、これを体験しようと昨年は自宅から静岡まで42里を4日間で歩きましたが、今年はその倍の84里弱を8日間で静岡から京都まで歩きました。かかった時間は172時間、費用が57,980円、新幹線であれば1.5時間、9,950円ですから、時間で115倍、費用で5.8倍です。江戸時代のやり方と比べてもあまり意味はありませんが、我々がいかに高い効率の中で暮らしているかを思い知ります。
Iさんのひとりごと

オリンピックの合間に

 バンクーバーオリンピックは時差の関係でライブで見れるので我々リタイア組は堪能できるが少々疲れ気味だ。メインの女子フィギアーのSPとフリーの空いた一日に気分転換で早咲きの松田町の河津桜を見に行った。車は混むので電車で行ったらどう見ても行き先が同じような初老のご夫婦や中年のご婦人グループがいっぱい乗っていた。駅に着くとやはり目的地は同じでした。河津桜と菜の花が満開でオリンピック疲れが吹っ飛んだ。ちょっと寂しいがあと数日でオリンピックも終わり、また平穏ないつもの生活に戻る。「オリンピックは四年に一度 これでいいね」 
東海道歩き旅

No.012:江戸時代の旅体験-自宅から静岡-

 江戸時代の旅は毎日9里前後を歩く、これを体験しようと自宅から静岡までの43里弱を4日で歩きました。毎日10里強の42kmです。朝3時半ごろ起きて、歩いて、昼3時半ごろ宿に入り、夕方5時ごろ夕食をとり、夜8時には寝るといった日々のペースが、歩く距離から自然とできあがります。
大江戸ウォーキング

No.011:特別編:台湾-望郷の道-

 1895年(明治28年)4月に終結した日清戦争により台湾は日本の領土となり、太平洋戦争が終結する1945年(昭和20年)8月までの50年間、日本によって統治されました。北方謙三氏の小説「望郷の道」(日本経済新聞2007年8月-2008年9月朝刊連載)の主人公正太が九州を追われ台湾に渡ったのが1899年(明治32年)5月で、兒玉源太郎(こだま げんたろう、1852年 - 1906年)総督(1898年-1906年)の下で後藤新平(ごとう しんぺい、1857年 - 1929年)民政長官(1898年-1906年)が、土地改革、ライフラインの整備、アヘン中毒患者の撲滅、学校教育の普及、製糖業などの産業の育成などにより台湾の近代化を推進しようとしているときでした。
大江戸ウォーキング

No.010:月の岬、高輪台地

 「月の岬」は月見を楽しむ江戸時代の名所で、徳川家康が名付けたと言われています。現在の高輪台地の一角で、南北に伸びる台地からは東側に迫る江戸前の海(江戸湾)が一望でき、夜の海と月の眺めは格別だったようです。
大江戸ウォーキング

No.009:伊能忠敬

 49歳の隠居後に天文・歴学を学び始め、55歳から14年間、日本全国を歩いて精度の高い日本地図を完成させ、当時の平均寿命が40-50歳といわれるなかで73歳の長寿をまっとうした伊能忠敬は、「第二の人生の達人」と言われています。平均寿命が伸び、第二の人生が長くなった現在、この達人に学ぶことは多いのではないでしょうか。
大江戸ウォーキング

No.008:大山街道-二子<ふたこ>・溝口<みぞのくち>村-

 落語「大山詣り」にでてくる熊五郎、けんかっぱやいので長屋恒例の「大山詣り」への同行を断られます。頼みこむ熊五郎、「けんかは決してしない。もしけんかしたら丸坊主になる」という約束をして、やっと同行できました。それほど、みんなが楽しみにしていた旅だったようです。「大山詣り」の最盛期である江戸中期の宝暦年間(1751-64)には年間20万人が参詣したといいます。7月26日の山開きから8月17日の閉山までの22日間ですから、その間に1日9,000人もの人びとが大山に向い、大山から戻っていったことになります。
大江戸ウォーキング

No.007:江戸っ子古今亭志ん生<五代目>

 「江戸っ子のうまれぞこないかねをため」とか「江戸っ子は宵越(よいご)しのぜには持たない」という生き方は、貯金がないと不安なわたしのような小心者にはできません。司馬遼太郎は「街道をゆく36 本所深川散歩 神田界隈」(朝日新聞社)で、この生き方は職人のこと、金がいくさの矢弾となる商人のことではない、としています。腕でめしを食う職人が金をためると、腕をみがくことをわすれ、いつまでも腕のあがらない職人となる、といったことなのでしょうか。金よりも腕を大切にする職人の生き様だったようです。
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