東海道歩き旅

No.013:江戸時代の旅体験-静岡から京都-

 江戸時代の旅は毎日9里前後歩く、これを体験しようと昨年は自宅から静岡まで42里を4日間で歩きましたが、今年はその倍の84里弱を8日間で静岡から京都まで歩きました。かかった時間は172時間、費用が57,980円、新幹線であれば1.5時間、9,950円ですから、時間で115倍、費用で5.8倍です。江戸時代のやり方と比べてもあまり意味はありませんが、我々がいかに高い効率の中で暮らしているかを思い知ります。

 江戸時代の旅は1日300文から400文、1文30円とすると9,000円から12,000円、7泊8日だと63,000円から84,000円となり、今回の57,980円は江戸時代ではかなり切り詰めた旅ということになります。お大尽の旅は1日600文、18,000円ともいわれていますので、次回はせめて江戸時代並、できればお大尽並の旅費で楽しみたいと考えています。

*参考:http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J029.htm

*毎日の歩行距離は、歩いた軌跡を自動記録する携帯電話によるGPSトレース実測値です。下図赤線はGPSトレース結果で、結果ファイルから自動作成されました。

地図
静岡から京都までの8日間の行程で、マーク間が1日の行程です。<詳細地図を見る>


1日目:静岡駅前から静岡県島田 歩行距離29.7km 7時間24分(4月17日(土)10:26-17:50)

宇津ノ谷峠付近
宇津ノ谷峠の少し手前、旧東海道でののどかな風景<写真を拡大>

 昨年の終着点、静岡駅が今回のスタートです。静岡は東海道19番目の宿場府中で、ここから53参番目の宿場大津まで34の宿場を経ての京都三条大橋への旅となります。

 朝6時半に家を出て10時ごろ静岡駅に到着、駅前の国道1号を一路西へ進みます。すぐ安倍川を渡り20番目の宿場丸子から山道に入り、標高152mの宇津ノ谷峠を越えて岡部、藤枝の宿場を経て23番目の宿場島田に到着、ここで宿泊です。

 藤枝の手前までは山道ながらも旧東海道のため気分よく歩けましたが、藤枝あたりからは国道1号となり、車の排気ガスを気にしながらの歩きとなりました。


2日目:島田から静岡県浜松 歩行距離49.0km 11時間13分(4月18日(日)2:59-14:12)

金谷の茶畑
金谷の茶畑、霜よけのファンの音が響いていました<写真を拡大>

 午前2時半に起床、3時から歩きました。暗い中で大井川を渡り、24番目の宿場金谷へ、旧東海道で山越え、国道1号のトンネル上あたりで標高216mの峠となり、日坂、掛川、袋井、見附(静岡県磐田市)の宿場を通り天竜川を渡って29番目の宿場浜松に入り、ここで宿泊です。

旧東海道松並木
袋井近くの旧東海道松並木<写真を拡大>

 晴天に恵まれ、ほとんどが旧東海道だったため気持ちのよい歩きとなりました。


3日目:浜松から愛知県豊川 歩行距離46.3km 11時間12分(4月19日(月)3:00-14:12)

浜名湖
浜名湖の北を通る、東名高速の橋が見える<写真を拡大>

 午前3時にスタート、浜名湖北の姫街道を通るため、浜名湖南を渡る東海道の舞坂、新居、白須賀、二川、吉田(豊橋)の宿場は通らず、東海道35番目の宿場御油の手前にある豊川に到着、宿泊です。

 昨日の49kmのためか下りの坂や段差が筋肉痛で辛い歩きとなりました。


4日目:豊川から愛知県知立 歩行距離42.9km 10時間54分(4月20日(火)0:58-11:52)

国道1号の朝
国道1号の朝、のどかな田園風景の中にモーテル、ガソリンスタンド、走るトラックがあります<写真を拡大>

 午前1時に出発、朝6時ぐらいから雨との予報なので、それまでに出来るだけ歩こうという魂胆です。御油、赤坂、藤川、岡崎の宿場を通り、39番目の宿場池鯉鮒(ちりゅう・知立)に午前中に到着、結局雨は終始小降りで当初計画通りの移動となりました。

岡崎公園
岡崎城址にある岡崎公園<写真を拡大>

ほとんど国道1号で、午前中の歩きで交通量のピークは避けることができたものの、それでも排気ガスを気にしながらの歩きとなりました。筋肉痛は昨日よりは和らいでいます。


5日目:知立から三重県鈴鹿 歩行距離72.9km 20時間38分(4月21日(水)2:29-23:07)

木曽川
木曽川はさすがに大きい 橋、中州、橋で各1km程度、渡り切るのに3km程にもなります<写真を拡大>

 午前3時出発、次の宿場鳴海からは国道23号に入りました。このため41、42番目の宿場である宮、桑名は通らず、木曽川を渡って桑名の南に出ます。ここでの予定宿が廃業していたため、仕方なくさらに進むことにしました。どうせ進むならば、翌日が雨の予報なので、できるだけ歩いて翌日ゆっくり休もうとも考えたのです。夕方6時ごろから桑名の南から歩き始め、43番目の宿場四日市を通ったときはすでに暗く、電池を節約して携帯上の地図もよく見なかったため道を間違え鈴鹿市街に入り込んでしまいました。仕方なくここで宿泊です。この日は72.9km歩き、午後11時過ぎのホテルチェックインとなりました。

国道23号
国道23号はトラック街道<写真を拡大>

 伊勢湾に沿った国道23号は、その北を走る国道1号のバイパスともいえる国道でトラック街道、この日が最も排気ガスを吸い込んだことでしょう。市街地では高架になっていて、下の道を歩くので排気ガスを避けることができるものの、高架下通路が途切れて大回りしたり、広い道と交差するときは歩道橋だけが横断手段だったりして、歩きにくいのです。この道は二度と歩かないぞ、と思いながらの歩きとなりました。


6日目:鈴鹿から三重県亀山 歩行距離14.2km 3時間49分(4月22日(木)10:49-14:38)

 朝から雨、ホテルでゆっくり朝食をとり4時間ほどで東海道46番目の宿場亀山へ移動し、宿泊としました。これで雨でも日程遅れなしとなります。昨夜間違えて東海道ルートを外れたので44、45番目の宿場である石薬師、庄野は通りませんでした。

 小雨になることを期待して出かけたのですが、結構本降りのままでした。出来るだけトラックの通らない農道のようなところを通り、車の跳ね水を避けようとしましたが、ホテルに到着する直前に後ろから来たダンプに頭から水をかけられました。また、池のような大きな水たまりが多く靴はずぶ濡れです。翌日足裏にマメができました。短距離だからと甘くみた観があり、「無理はしない」ことの大切さをあらためて思い知ったのです。


7日目:亀山から滋賀県栗東 歩行距離49.1km 12時間56分(4月23日(金)7:48-20:44)

鈴鹿峠への旧東海道
鈴鹿峠への旧東海道<写真を拡大>

 翌最終日が30km程度の予定なので、この日もホテルで朝食をとってからゆっくり出発です。関、坂下、土山、水口、そして51番目の宿場石部を通り次の宿場草津の手前にある栗東で宿泊です。

鈴鹿峠
鈴鹿峠では桜が<写真を拡大>

 亀山や関から奈良・大阪に抜ける国道があるためか、国道1号の交通量はさほどではなく、しかも鈴鹿峠へは旧東海道があって気持ちのよい歩きとなりました。しかし鈴鹿を越えて土山、水口と進むうちに足裏に痛みを感じるようになり、水口の町を過ぎた午後6時ごろ夕食としたときにチェックすると足裏にマメができていました。痛みで明日は歩けないかもしれない、それならせめて琵琶湖が見えるところまで行こうと決め栗東まで歩いたのです。


8日目:栗東から京都府京都 歩行距離29.9km 6時間50分(4月24日(土)7:29-14:19)

見えてきた京の街並み
見えてきた京の街並み<写真を拡大>

 朝8時、マメの痛みで歩けなくなったら電車で京都まで行こうと覚悟して出発し、52番目の宿場草津、最後の宿場大津を通過し、午後2時20分ごろ京都三条大橋に無事到着しました。

 マメの痛みのある辛い歩き、最終日だからこそできました。まだ先があるとしたら中止して帰るしかなかったかもしれません。来年の自宅から京都までの長旅への大きな課題となりました。

の記事

No.024:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮 (2019年04月29日)

 10回目の東海道歩き旅、自宅から伊勢神宮まで511kmを14日、1日平均36.5kmで歩きました。会社同期会がある伊東を経由しての歩きなので、いつもより45kmほど回り道となります。中間点を過ぎたころ、もう歩きたくない、と思うほどの疲れを経験し、まだまだ先が長いのに完歩できるのか、と危惧しましたが、原因が「寝不足」らしいと分かり、睡眠時間をできるだけ確保するように工夫し、何とか完歩できました。

No.023:江戸時代の旅体験-京都から掛川、自宅から掛川 (2018年05月06日)

 9回目の東海道歩き旅、京都三条大橋からお江戸日本橋を目差しましたが、掛川で転倒して右膝をいため一旦帰宅、3日休んで、自宅から掛川までを歩きました。前半が8日、後半が6日の計14日、計500キロで1日平均35.7キロでした。途中3日休んだためでしょうか、後半はあまり疲れることなく、掛川から帰宅後すぐに日々ウォーキングを始めています。昨年は始めるまでに2週間かかりました。9回目は、食事時間、場所、内容を書き残します。

No.022:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2017年05月30日)

8回目の東海道歩き旅、お伊勢さんまで466キロを13日1日平均35.8キロで歩きました。12泊というスローペースは初めて、最速で9泊、雨での連泊があったり、2回に分けての完歩のときもせいぜい11泊でした。2年前の、身体が傾いて春秋2回で完歩したり、昨年の、気分よく歩けるときが少なかったりで、1日50キロ以上は歩かない計画としたのです。  確かに、気分よく歩けるときが昨年よりも少しは増えた気がしますが、歩く日数が増えた分、全体の疲労度は変わらないようにも思います。よれよれで帰宅しており、日々のウォーキングを再開したのは昨年同様帰宅後2週間後でした。疲労のためか、起き上がると回転性のめまいと吐き気がする、「良性発作性頭位めまい」と推定される様態にもなっています。このよれよれ度を今後改善すべく、歩き、食事、睡眠がどうなっていたかをここに記録しておきたいと思います。理想を言えば、帰宅の翌日から日々のウォーキングを始めることができるくらい、疲労の残らない歩き旅にしたいのですが・・・・。  費用に関しては、総額90,724円(昨年は87,744円)、1日平均6,979円(昨年は7,058円)でした。内訳は、12泊の宿泊代が59,870円(昨年11泊で57,700円)、1泊平均4,989円(昨年は5,245円) 、飲食代が22,564円(昨年は21,754円)、1日平均1,736円(昨年は1,813円)、帰りの交通費が8,290円(昨年と同額)でした。

No.021:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2016年05月04日)

 7回目の東海道歩き旅でした。毎日の行動は、午前6時前に起床、宿でしっかり朝食をとり午前7時に出発、昼食は軽く牛乳とクッキー、午後3時から4時で夕食、午後6時に宿に到着、洗濯と入浴し、午後8時過ぎに就寝、といったところです。疲れをとるために、9時間以上は寝るようにしていて、夕食が苦労の種となります。午後3時か4時には夕食をとりたいのですが、この時間に営業している店が少ない上に、幹線道路を避けて歩いているので店そのものがあまりありません。また、食事に時間がかかるとそれだけ寝る時間が削られるので、どうしてもファーストフード的なものとなります。改善すべき大きな課題なので、今回はどのような夕食だったのかをここに記録しておくこととしました。

No.020:江戸時代の旅体験-伊勢神宮から島田- (2015年11月14日)

 春のお伊勢参りが202km歩いて島田で頓挫したので、残りを秋に、伊勢神宮から島田まで268kmを歩きました。6回目の東海道歩き旅完歩です。ところが今回は、歩いているうちに身体が左横に傾き、後ろから見ると逆「く」の字になってしまうようになりました。このため3日歩いて帰宅、1週間ほど休んで、また4日歩いての完歩でした。原因は分からず、このままだと来年の7回目はありません。どのような状況だったのか、ここに記録しておきます。江戸時代にもこんな人がいたかもしれません。

No.019:江戸時代の旅体験-自宅から島田- (2015年05月25日)

 今年のお伊勢参り450km歩き旅は島田202kmで頓挫し泣く泣く帰宅の途につきました。原因は初日にできた足のマメ、潰れてからも歩き続け6日目の朝ついにギブアップしたのです。この秋に何とか続きを歩けたら、と考えています。 

No.018:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2014年05月15日)

 今年の東海道はお伊勢参り、463キロを9日で歩きました。平均で1日51キロです。初日4月28日が75キロ歩いて箱根湯本泊、29日箱根を越え34キロ歩いて沼津で雨となり宿泊、30日雨で沼津に1日足止め、5月1日から6日まで、静岡56キロ、掛川53キロ、湖西(浜名湖の西)56キロ、知立58キロ、四日市54キロ、松阪53キロと、6日間連続で1日50キロ超を歩きました。最後の7日は伊勢神宮までの25キロです。今年も元気で歩いたお伊勢参り、連日の50キロ越えでひとつの自信がつきました。以下、今回どのように歩いたのか、GPS記録を見ながら振り返ってみました。今後の計画立案に役立つデータが一つできたような気がします。

No.017:江戸時代の旅体験-名古屋から伊勢神宮- (2013年11月11日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、春に8日間367.8km歩いて名古屋に到着したところで中止となり残念な思いをしました。続きをこの秋に、ということで名古屋から伊勢神宮までを3日間108.8km歩きました。これで4回目の東海道歩き旅完歩です。

No.016:江戸時代の旅体験-自宅から名古屋- (2013年05月23日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、11日間で455kmの予定でしたが、8日間367.8kmで中止して名古屋駅から新幹線で戻りました。転んで足首を強く打ったためです。8割ほどの行程で打切りとなり、4回目の東海道歩き旅完歩は来年に持ち越されました。

No.015:江戸時代の旅体験-自宅から京都- (2012年05月24日)

 川崎の自宅から京都までの歩き旅、11日間で498.2km、1日平均45.3kmでした。今年は3日目に足裏にマメができてしまい苦しい歩きとなり、もう歩けない、と思った瞬間もあります。現代では、何かあればいつでも帰ることができますが、帰るに帰れない江戸時代、場合によっては大変な思いをした人も多かったのではないでしょうか。なお、合計498.2kmは、持参したGPS機で記録された距離です。地図上の計画ルートでは478.5kmなので4%ほど回り道などをしたことになります。


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