長兄が亡くなりました。79歳、平均寿命に届かない早すぎる死です。2年前の手術で肝臓癌を100%摘出し、「命拾いした」と喜んでいたのですが、術後も嚥下機能改善手術を受けるなどして入院が続き、1年前に病室で倒れて脳を損傷、自分の意思では身体を動かすことができなくなりました。手をわずかに動かせる程度です。見舞いの帰り際、長兄が手を振るしぐさをするだけで、みんなが喜ぶ、そんな闘病の日々でいくつかの臓器の機能が低下し、先日亡くなりました。
2年間の入院中、長兄の奥さんは病院への不満を何回か爆発させ、お医者さんや看護師さんに激しく抗議しています。脳を損傷してから不満は激しさを増し、兄が亡くなったいま、病院を訴える構えです。妻として心身共に疲れ果てた様子は痛ましいかぎりなのですが、それにしても、やってもらっていることよりも、やってもらっていないことだけに眼がいっているような姿に、こんな人柄だったのだろうか、と思ってしまいます。
感謝よりも先に不満が出る、そんな人と一緒に暮らしていた長兄はさぞかし大変だったろう、それが病気を誘発したのかもしれない、とまで考えてしまいます。NHKの『今日の健康』を読み、規則正しい生活を送って、健康には誰よりも気をつけていた長兄がこれほど早い死を迎えるとは、本人はもちろん、周りの誰も思っても見なかったことです。
次兄は1歳年下、次は俺の番か、とつぶやいていました。小学校、中学校と同じ学校に通っていて、優秀な長兄は全校でも目立った存在だったようです。長兄はTVのプロデューサーとなり、次兄は建設会社の営業となりました。比較され難い、異なる分野で活躍したかったのかもしれません。私が電機会社のエンジニアとなったのも、そんな一面がありました。3兄弟、お互いが強力なライバルなのです。
その先頭を走っていた長兄が一番の頑張り屋でした。だからこそ下の2人も頑張ったのです。その長兄が亡くなったいま、最後に教えてくれたのは、年老いてからのパートナーの肝要さ、だったのかもしれません。
小さいころから映画やTVに興味を持ち、学生時代に憧れていたTVプロデューサーという仕事を得て、仕事一筋で、立派な社会的地位を築いた長兄、退職後は、最初の赴任地である鳥取に家を借り、東京との二重生活で、鳥取の海の幸、山の幸を楽しんでいました。頑張り屋、そして食いしん坊の長兄らしい人生でした。ここ数年は残念だが、それまでの70数年は充実していた、誇れる、とプライド高き長兄は言っていることでしょう。そうだよねぇ、と私は一人で相槌を打っています。