美しい初日の出に今年の健康を祈願しました。羽田空港、搭乗ゲートを通過して機体ドアに向かう途中の大きな窓から拝んだ日の出、昨年は雲で隠れて見ることができませんでした。幸先のよい正月台湾旅行です。今年は事務所のボスがバリ島へ、それからの台湾なので一緒の夕食は1月3日のみ、このため1月1日、2日と夜遅くまで気ままな外出を楽しむことができます。
台北のホテルに到着したのは午前11時ごろ、年末からこのホテルに滞在している京都市宇治在住のご夫妻とともに圓山飯店の圓苑へ、ここはライスケーキが美味しいところ、美味台湾が早速始まりました。その後4人で迪化街へ、乾物屋がどこまでも続き、たくさんの人でいつも賑わっています。ここで昔懐かしいポン菓子作りに出会い、あの爆発の瞬間を、子どものころに味わったトキメキ感を思い出しながら見物しました。台湾では多くのところで昔懐かしい日本を見たり感じたりすることができます。夕食は極品軒というところでの上海料理、柔らかい豚の角煮が絶品でした。
2日は前日と同じ4人で十分という町へ、江ノ電と観光提携している平渓線という単線でのんびり走ります。駅では、ランタンという小さな熱気球に願いを書き込み空高く飛ばしました。願いは、今年80歳の傘寿となる事務所のボスの更なる長寿、それで私も長く働ける、という魂胆です。帰りに九ふん(にんべんに分という漢字)に立ち寄り、明りが灯った「千と千尋の神隠し」の町の情緒ある夜景を楽しみました。ボスとの夕食もいいのですが、こうして夜の観光を楽しめるのもいいものです。
人が多くて帰りのタクシーがなかなか捕まらなかったのですが、1時間ほどかかる台北市内まで、ということで何とか確保できました。夕食は江浙(上海)料理の秀蘭、最もお気に入りのお店の一つです。白菜獅子頭鍋をいただきましたが、ボスと一緒のときは大きな鍋なのですが、4人なので小さな鍋でちょっと迫力不足でした。でも、旨味をたっぷりと吸い込んだ柔らかい白菜と大きな豚肉団子はやはり最高です。
3日は陶器の街、鶯歌陶瓷老街へ、またまた同じメンバー4人で。もうすっかり意気投合し、楽しい街歩き仲間となりました。ここにある陶瓷博物館は地上3階、地下2階のモダンで立派な建物、展示内容も充実しており、しかも嬉しいことに入場無料、日本語ガイド端末の無料貸出まであります。台湾の陶器は日本統治時代に進歩した、などと紹介されています。昔の夜市で使われていたという口の大きな丼では、見た目たくさん入るように見えるが、実はあまり入らない、という説明がありました。日本語の解説で当時のイメージが広がり、とても楽しめます。
夕食はいよいよボスからのご馳走、今回はアンバサダーホテルでの北京ダック、丸々と太った2羽を11人でいただくという贅沢ぶりでした。ここは、司馬遼太郎さんが「台湾紀行」で老台北と親しみを込めて呼んだ蔡焜燦(さい こんさん)さんご自慢の北京ダックのお店です。中国嫌いの蔡さんは台北ダックと言い直すらしいのですが。ホテルの料理は専門店に比べるとやや落ちる、というのがボスの感想でしたが、確かに昨年ご馳走になった北京ダックほどの味ではなかったものの、美味しい部類に入ることは間違いありませんでした。
4日は帰国日、宇治のご夫妻は午前中の便で関空へ帰られたので、我々は2人で龍山寺へ、人気の胡椒餅を食べました。狭い路地にある店で、今まで見つけることができなかったのですが、今回も、ダメだからもう帰ろう、と私が言った直後に妻が見つけました。私のGPSよりも、妻の勘の方が優れていたようです。30分後に出来上がる、とのことだったので、龍山寺周辺をぶらぶらして、出来立ての熱々をいただきました。胡椒が適度にきいた美味しい肉まんです。台湾では、店頭や屋台でいろいろなものを売っていますが、どれも美味しく、外れはあまりありません。
午後からは買物をして、夕方にホテルで荷物を受け取って空港へ、ボスからの預かり荷物を含めて5個、当然タクシーという妻の主張を退けて電車としました。ホテルから駅まで600mほど、4つの荷物を抱えた姿を写真に撮ってもらい、根性だね、と妻から褒められています。帰国してからボスに、空港には電車で、と伝えると、とても信じられない、との反応でした。歩ける以上は当然だと思うのですが、価値観の違いでしょうか、体力の違いでしょうか。今年も元気に過ごせそうです。