東海道歩き旅

No.016:江戸時代の旅体験-自宅から名古屋-

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、11日間で455kmの予定でしたが、8日間367.8kmで中止して名古屋駅から新幹線で戻りました。転んで足首を強く打ったためです。8割ほどの行程で打切りとなり、4回目の東海道歩き旅完歩は来年に持ち越されました。


自宅から名古屋までの8日間の行程です。<詳細地図を見る>


4月25日(木):自宅1時2分発、小田原17時11分着、65.5㎞

写真
自宅近くの神社で旅の安全祈願

 初日に65キロほど歩いて小田原まで行き、翌日は箱根を越えて三島へ40キロほど歩くこととしました。初日にを箱根泊とすれば楽なのですが、寝るだけの宿泊に温泉観光地料金はもったいないのです。このため出発は午前1時でした。夜歩くのは、江戸時代では無理だったでしょうから、現代ならではの東海道歩き旅のスタートと言えるでしょう。


26日(金):小田原時7時4分発、三島18時1分着、39.8㎞

写真
道中一番の難所と言われた橿木坂(かしのきざか)を登りきる

 いつもは3日目に出る筋肉痛が、今回は2日目に出て歩きにくい状況に、昨日の長距離が原因です。でもこの日は比較的短距離だし、しかも、いつもは4日目から次第に楽になるのが、今回は3日目からとなるので、このペース配分は結構良かったのではないでしょうか。とはいうものの、江戸時代には道中一番の難所と言われていた橿木坂(かしのきざか)や、わざわざ歩きにくく作ったという旧街道の石畳には苦労しました。来年は、旧街道の急な下り坂は国道1号を歩くことにします。排気ガス対策のマスク着用とはなりますが、筋肉痛を抱えての石畳の下り坂の危険を考えるとやむを得ません。石畳しかなかった江戸時代はゆっくりしたペースでの箱根越えだったことでしょう。それが幕府の狙いだったのでしょうが。


27日(土):三島7時18分発、興津19時57分着、48.7㎞

写真
美しい富士で上機嫌

 筋肉痛が和らぎ、富士山を間近に見ながらの気持ちの良い歩きとなりました。昨年は三島から由比まででしたが、今年は少し先の興津まで、夕食に由比で桜えびを食べて、そこから3時間ほどで宿に到着です。4回目の東海道となるので、日々のペースが確立してきました。まず、朝6時前に起床、朝食は6時半ごろにホテルでしっかりとり、7時少し過ぎに出発、昼食は軽く、夕食は通りがかりのところで午後5時までにしっかりとる、7時か8時に宿に着いたら洗濯して、風呂に入って8時か9時には寝る、となります。食事や休憩を入れて、1日12時間から13時間ほどの歩きです。明るいうちに宿に着いて食事や風呂を済ませなくてはいけなかった江戸時代は、1日10時間から11時間と推測できるので、現代では1割か2割多く歩けることとなります。1日8里の江戸時代に対して、1日10里の現代、ということになりそうです。

 由比からは山の中腹を進む旧東海道、途中の薩た峠(さったとうげ)ではすっかり暮れて、明かりは手に持っているLEDライトのみ、眼下には暗い海がどこまでも広がり、山と海に挟まれた狭い海岸を通っている国道1号や東名高速の車の明かりが遠くに連なっています。静寂で、幻想的な印象深い風景でした。


28日(日):興津7時14分発、藤枝18時40分着、44.2㎞

写真
輝く朝の駿河湾

 興津での宿は駿河健康ランドというヘルスセンターのようなところで、朝食が豪華、マグロの切り落としなどをとても美味しくいただきました。昨日の夕食は由比での桜えびのかき揚丼、桜えびのおどり食いを出す寿司屋さんでしたが、これもよかった。2食連続しての充実食事はめったにありません。この日の歩きも順調でした。


29日(月):藤枝7時46分発、磐田19時37分着、45.9㎞

写真
のどかな日坂宿

 初日から6日目の浜名湖あたりまで、夏みかんを毎日食べます。通りがかりに住宅の軒先に置いてあるものを買うのですが、100円で2つか3つ、これが実にジューシーで美味しいのです。昼間に買って、夜風呂に入ってから食べることが多いのですが、この日は昼、日坂宿の本陣跡で休憩を兼ねて2ついただきました。2つ食べれば、荷物の空ができて、また次の2つを道中で買うことができます。前日も静岡市内で30分ほど休憩して、確か3つほど食べました。歩き旅の楽しみの一つです。江戸時代の人も同じように楽しんだのかもしれません。この日も順調に宿に到着しています。


30日(火):磐田6時51分発、新所原20時0分着、42.4㎞

写真
東海道中間地点となる天竜川を渡る

 一時雨の予報どおり、浜松駅手前で雨が降り出し、駅隣接のホテルで2時間ほど雨宿り、ついでに昼食を、と考えている矢先に雨がやんで急ぎ出発となりました。昼食や夕食をとる時間がなくなったので、途中でパンを買って、これを歩きながら食べることに、美味しいパンでしたが、さすがに2食ともパンは辛いものがありました。でも、おかげで雨宿りしたにもかかわらず予定通り新所原に到着しています。


5月1日(水):新所原6時43分発、岡崎21時43分着、47.2㎞

写真
強風で豊川にも白波

 気持のよい歩きで、つい調子に乗って予定外の道に入りました。東名のすぐ横を延々と歩くので、排気ガスのない他の道を歩きたかったのです。どころが、進むうちに細い野道となり、焦りもあったのか、ツタのようなものに足をとられて転倒してしまいました。何とか1号線に出て歩きを続け、無事岡崎の宿に到着したのですが、これが名古屋で引き返す原因となりました。転んでから宿までは15キロほど、この日は何の問題もありませんでしたが。


2日(木):岡崎7時17分発、名古屋16時44分、36.4㎞

写真
ところどころに残る東海道の松並木

 翌日、名古屋までの35キロ終盤で、前日にツタを引っかけた左足首の疲れが激しくなってきました。これは疲れではなく、鈍い痛みだったのですが、そのときには気が付きません。宿に着くと、これが最悪の宿、トイレもバスもない小さな畳部屋で、清潔感がまるでありません。ゴールデンウィークのため、いまからとれるのはこんな宿、あと2日半の行程ですが、これを2日にして、残り2泊を1泊にしたくなりました。そこで、夜中の1時か2時に起きて1日半分歩いてしまおうと、午後6時ごろに寝たのです。


3日(金):名古屋6時41分発のぞみ東京行に乗車、8時30分ごろ帰宅

 夜中の1時ごろに起きて、出発の準備をして部屋を出ようとしたときに足首が痛むので、見てみると赤くなって少し腫れています。これで歩いて、来年から歩き旅ができなくなったら困る、というのと、今日も同じような宿に泊まるのがいやだということもあって、帰ることに決めました。少し寝て、地下鉄で名古屋駅に行き、6時41分発のぞみで東京に戻りました。江戸時代であれば足が治るまで足止めとなっていたでしょう。帰宅してからのことは「定年、その後」の5月31日掲載分に書きますが、この日はとても悲しい日となりました。

の記事

No.024:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮 (2019年04月29日)

 10回目の東海道歩き旅、自宅から伊勢神宮まで511kmを14日、1日平均36.5kmで歩きました。会社同期会がある伊東を経由しての歩きなので、いつもより45kmほど回り道となります。中間点を過ぎたころ、もう歩きたくない、と思うほどの疲れを経験し、まだまだ先が長いのに完歩できるのか、と危惧しましたが、原因が「寝不足」らしいと分かり、睡眠時間をできるだけ確保するように工夫し、何とか完歩できました。

No.023:江戸時代の旅体験-京都から掛川、自宅から掛川 (2018年05月06日)

 9回目の東海道歩き旅、京都三条大橋からお江戸日本橋を目差しましたが、掛川で転倒して右膝をいため一旦帰宅、3日休んで、自宅から掛川までを歩きました。前半が8日、後半が6日の計14日、計500キロで1日平均35.7キロでした。途中3日休んだためでしょうか、後半はあまり疲れることなく、掛川から帰宅後すぐに日々ウォーキングを始めています。昨年は始めるまでに2週間かかりました。9回目は、食事時間、場所、内容を書き残します。

No.022:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2017年05月30日)

8回目の東海道歩き旅、お伊勢さんまで466キロを13日1日平均35.8キロで歩きました。12泊というスローペースは初めて、最速で9泊、雨での連泊があったり、2回に分けての完歩のときもせいぜい11泊でした。2年前の、身体が傾いて春秋2回で完歩したり、昨年の、気分よく歩けるときが少なかったりで、1日50キロ以上は歩かない計画としたのです。  確かに、気分よく歩けるときが昨年よりも少しは増えた気がしますが、歩く日数が増えた分、全体の疲労度は変わらないようにも思います。よれよれで帰宅しており、日々のウォーキングを再開したのは昨年同様帰宅後2週間後でした。疲労のためか、起き上がると回転性のめまいと吐き気がする、「良性発作性頭位めまい」と推定される様態にもなっています。このよれよれ度を今後改善すべく、歩き、食事、睡眠がどうなっていたかをここに記録しておきたいと思います。理想を言えば、帰宅の翌日から日々のウォーキングを始めることができるくらい、疲労の残らない歩き旅にしたいのですが・・・・。  費用に関しては、総額90,724円(昨年は87,744円)、1日平均6,979円(昨年は7,058円)でした。内訳は、12泊の宿泊代が59,870円(昨年11泊で57,700円)、1泊平均4,989円(昨年は5,245円) 、飲食代が22,564円(昨年は21,754円)、1日平均1,736円(昨年は1,813円)、帰りの交通費が8,290円(昨年と同額)でした。

No.021:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2016年05月04日)

 7回目の東海道歩き旅でした。毎日の行動は、午前6時前に起床、宿でしっかり朝食をとり午前7時に出発、昼食は軽く牛乳とクッキー、午後3時から4時で夕食、午後6時に宿に到着、洗濯と入浴し、午後8時過ぎに就寝、といったところです。疲れをとるために、9時間以上は寝るようにしていて、夕食が苦労の種となります。午後3時か4時には夕食をとりたいのですが、この時間に営業している店が少ない上に、幹線道路を避けて歩いているので店そのものがあまりありません。また、食事に時間がかかるとそれだけ寝る時間が削られるので、どうしてもファーストフード的なものとなります。改善すべき大きな課題なので、今回はどのような夕食だったのかをここに記録しておくこととしました。

No.020:江戸時代の旅体験-伊勢神宮から島田- (2015年11月14日)

 春のお伊勢参りが202km歩いて島田で頓挫したので、残りを秋に、伊勢神宮から島田まで268kmを歩きました。6回目の東海道歩き旅完歩です。ところが今回は、歩いているうちに身体が左横に傾き、後ろから見ると逆「く」の字になってしまうようになりました。このため3日歩いて帰宅、1週間ほど休んで、また4日歩いての完歩でした。原因は分からず、このままだと来年の7回目はありません。どのような状況だったのか、ここに記録しておきます。江戸時代にもこんな人がいたかもしれません。

No.019:江戸時代の旅体験-自宅から島田- (2015年05月25日)

 今年のお伊勢参り450km歩き旅は島田202kmで頓挫し泣く泣く帰宅の途につきました。原因は初日にできた足のマメ、潰れてからも歩き続け6日目の朝ついにギブアップしたのです。この秋に何とか続きを歩けたら、と考えています。 

No.018:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2014年05月15日)

 今年の東海道はお伊勢参り、463キロを9日で歩きました。平均で1日51キロです。初日4月28日が75キロ歩いて箱根湯本泊、29日箱根を越え34キロ歩いて沼津で雨となり宿泊、30日雨で沼津に1日足止め、5月1日から6日まで、静岡56キロ、掛川53キロ、湖西(浜名湖の西)56キロ、知立58キロ、四日市54キロ、松阪53キロと、6日間連続で1日50キロ超を歩きました。最後の7日は伊勢神宮までの25キロです。今年も元気で歩いたお伊勢参り、連日の50キロ越えでひとつの自信がつきました。以下、今回どのように歩いたのか、GPS記録を見ながら振り返ってみました。今後の計画立案に役立つデータが一つできたような気がします。

No.017:江戸時代の旅体験-名古屋から伊勢神宮- (2013年11月11日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、春に8日間367.8km歩いて名古屋に到着したところで中止となり残念な思いをしました。続きをこの秋に、ということで名古屋から伊勢神宮までを3日間108.8km歩きました。これで4回目の東海道歩き旅完歩です。

No.015:江戸時代の旅体験-自宅から京都- (2012年05月24日)

 川崎の自宅から京都までの歩き旅、11日間で498.2km、1日平均45.3kmでした。今年は3日目に足裏にマメができてしまい苦しい歩きとなり、もう歩けない、と思った瞬間もあります。現代では、何かあればいつでも帰ることができますが、帰るに帰れない江戸時代、場合によっては大変な思いをした人も多かったのではないでしょうか。なお、合計498.2kmは、持参したGPS機で記録された距離です。地図上の計画ルートでは478.5kmなので4%ほど回り道などをしたことになります。

No.014:江戸時代の旅体験-自宅から京都- (2011年05月05日)

 川崎の自宅から京都まで11日間連続で歩いて合計510kmとなりました。歩きが少々辛かったのは4日目のみ、その他の日々は疲れはするものの、翌朝にはとれてまた元気に歩ける、京都に着いたときも、まだまだ歩ける、といった感じでした。日常よく歩いていた江戸時代の人にとっての歩き旅は特別なことではなかった、そんな気がしています。江戸時代実感の旅です。


タイトルとURLをコピーしました