暮し

No.076:モモくん、ありがとう。

 5月3日、我が家の愛犬モモが亡くなりました。あと2週間で14歳でした。口の中にメラノーマという悪性腫瘍ができ、4月初めに見つかった時にはもう手遅れで、取り除くのは無理と獣医さんに宣告されたのです。完全に取り除けない以上、またすぐ再発すると。10年以上お世話になっているトリマーの方も、手術で死んでしまう子も見てるし、美味しいものを食べさせてあげた方がいい、という意見で、我々夫婦もそれを選択しました。でも、覚悟はしていたものの、いざいなくなると寂しさの中に沈みがちです。

 進行の早い悪性腫瘍で、見つかってから1ヵ月ほどで亡くなってしまいました。私は、4月25日早朝に「お伊勢参り」への歩き旅を始めたのですが、そのときのモモは食欲もあってまあまあ元気でした。5月1日、自宅から320キロほど歩いた岡崎の手前で、ツタを足に引っかけて転びました。その日の宿である岡崎まで15キロほど、痛みもなくいつもの歩きで到着したのですが、翌2日の名古屋までの35キロでしだいに痛みを感じるようになり、3日早朝に出かけようとすると足首が赤く、少し腫れていました。ここで無理をして、東海道歩き旅が今後できなくなるのはいやだ、と「お伊勢参り」を中止して地下鉄で名古屋駅に向かいました。朝6時41分発のぞみ東京行に乗ってまもなくの7時ごろ、妻から電話があったのです。

 夜中に鳴くので、午前2時ごろから抱いている、と。こんなに鳴くのは初めてで、抱いてやると鳴き止むそうです。家に着いたのが8時半ごろ、玄関まで妻が出てきたとき、今まで聞いたことのないモモの悲しそうな鳴き声がリビングから聞こえてきました。床に寝かせると鳴く、抱いてやると鳴き止む、そんな状況でした。レンタルの酸素吸入器を手配して、家に運び込んだのが午後3時過ぎ、そのころには、床に寝かせても鳴かなくなっていました。でも苦しそうな様子ではなく、すやすや寝ているように見えます。そのまま夜になり、午後10時ごろ、突然息をしなくなったのです。さっき足を上げたのに、と妻がモモの体を揺すりますが、もう動きません。

 前日、散歩に連れて行ったときに、歩きませんでしたが、立ったままで排尿はしたそうです。最後の日は寝たきりで、家で排尿してしまったものの、最後の最後までぎりぎりまで頑張った、と褒めてやりたい気持ちです。どれだけ痛い思いをしたかの本当のところは分かりませんが、様子を見ていた限りではそんなに長時間は苦しまなかったのではないでしょうか。

 帰宅したその日にモモが亡くなるという、妻に言わせると、モモが帰らせたのよ、とのこと、私もそんな気がします。ツタで転んだのも、この道を行ったらどうなるのか、と予定外の道を歩き始めて、しだいに細い野道に入り込んでしまった結果です。間違え以外で、予定外の道に入るなんていままでありませんでした。

モモくん、ありがとう。
モモくん、ありがとう

 翌4日、火葬、納骨をお願いした深大寺動物霊園からのお迎えが来て、内装が霊柩車のような車で運ばれたときには、もうモモの姿を見ることができないことを何度も自分に言い聞かせながらの見送りとなりました。送り出す前に、いつもの散歩用バッグに入れて、10年来の散歩コースを「最後の散歩」として歩きました。トリマーの方の家にも寄って、最後の別れをしていただき、もう動かなくなったモモを前に、妻と3人で、おとなしい犬だった、癒された、などとしみじみと語り合っています。

 6日、深大寺動物霊園にモモのお参りに行きました。ゴールデンウィーク最終日、調布の深大寺は大変な賑わいでした。骨となって骨壺に収められたモモに手を合わせて、これまでの感謝の気持ちを語り、これからは見守っていてほしいとお願いしました。

 我が家のリビングにあったモモのケージを片付け、動物病院とトリマーの方から手向けられた花をそこに飾りました。トリマーの方は、大きな花束を抱えてわざわざ家まで来てくださったのです。美しい花を見ていると、気持が和らいで、悲しみがうすらぎます。それは、花を手向けていただいた人たちの我々への温かい気遣いを感じるから、ということでもあるのでしょう。兄弟や友人からは心配のメールや電話をいただきました。モモを紹介してくれた会社の同僚には、「大切にしてくれて、モモちゃんも幸せだった」と電話で慰められ、思わず大粒の涙がこぼれ、言葉が出なくなりました。そんな皆さんの気持ち、ありがたいことです。

の記事

No.203:人生の転機となった学校 (2023年12月31日)

 「授業中もぼんやりしていることが多い」とか、「教科書を忘れて来る」、「えんぴつも持たずに登校する」とかを小学校の通信簿連絡欄に書かれていた私ですが、中学に入ってからは少しまともになりました。

No.198:睡眠は改善したものの・・・ (2023年07月31日)

 スマートウォッチによる睡眠の質が「良し」となる「睡眠スコア80以上」の日が続いています。記録し始めた昨年7月から、30日移動平均が75から80の間で上下していましたが、今年6月から80超えで安定し、現在82超えとなっています。ですから免疫力には少々自信があったのですが、7月に帯状疱疹になってしまいました。年金生活者にとって、健康維持は大切なお仕事、お務めのようなものですが、いろいろ努力しても歳には勝てない、ということなのかもしれません。

No.197:帯状疱疹になりました (2023年06月30日)

 痛みが一日中治まらず、夜眠れずに痛み止めを飲みました。原因は帯状疱疹だったのですが、痛み出してから1週間ほど経って首に発疹が出て初めて分かったのです。眠れないほどの痛みは数日でしたが、一日中の痛みは3週間ほど続き、その後も若干の痛みが1週間ほど続きました。

No.193:睡眠スコアその後 (2023年02月28日)

 今月、スマートウォッチの睡眠スコアが63になった日がありました。89~80が「(睡眠の質が)良い」で、79~60は「やや低い」、59~は「低い」なので、「低い」に近いスコアです。気のせいかもしれませんが、スコアが高いと体調が良いし、低いと寝不足感があります。

No.187:睡眠スコア (2022年08月31日)

 睡眠の質が「良い」の睡眠スコア80を越える日が増えました。睡眠スコアはスマートウォッチを着けて寝ることで測定します。今月前半2週間では、80を超えたのが2日、平均74.6でした。それが、後半2週間では80越えが6日あり、平均80.3と、平均で5.7ポイント上がりました。前半2週間は暑さのため昼間のウォーキングをやめており、後半2週間は、ジムマシンでの屋内昼間ウォーキングを始めています。運動量の違いが、睡眠の質の違いになった、ということだと思います。

No.183:帝国ホテル特製フレンチトースト (2022年04月30日)

 京都、横浜、シカゴ、銀座など、「おしゃれ」を連想させる地域が勤務地でした。そして今、内幸町の帝国ホテル東京となり、「高級」という響きが加わりました。おしゃれや高級とは最も縁遠い私が、そんなところで働くなんて、不思議なめぐり合わせです。最近暑くなってきて、半そでTシャツでの出勤、そんな恰好だと帝国ホテルに入れてもらえないわよ、と妻に言われながら出かけます。

No.182:マンションの売却 (2022年03月31日)

 貸していたマンションを売却しました。入院中の長兄が自宅を売ろうとしたのですが、そのうち物事の判断ができなくなり、売るに売れない状況になりました。家が売れたのは長兄が亡くなってからです。そんなことがあって、80歳までには売却しておきたいと考えていました。

No.181:勤務先は帝国ホテル (2022年02月28日)

 事務所のボスが事務所兼自宅を売却して新しいマンションを購入しました。マンション完成まで2年弱あるので、それまでを帝国ホテル東京で過ごすと決め、昨年の12月からホテルに住んでいます。このため、私の勤務先が帝国ホテルとなり、それまで歩いていた自宅から新宿が、自宅から内幸町となりました。

No.175:囲碁三昧の日々 (2021年08月31日)

 「何で(事務所に)来ないの!!」と事務所のボスに責められぎみです。事務所への往きは歩きなので、感染の危険は渋谷スクランブル交差点付近ぐらいですが、帰りは電車なので、小さいとはいえ感染リスクがあります。感染力の強いデルタ株で感染が爆発しており、どこに感染者がいるか分かりません。それに、感染したら自宅療養、という切迫した医療状況なので、避けることができるリスクは避けるべきでしょう。

No.174:月を眺めるひととき (2021年07月31日)

よく出会う80代と思われるお二人、ご夫婦に違いなく、女性は杖代わりのように男性の腕をつかんでゆっくりゆっくり歩いています。お二人に出会うのは夕食後の妻との散歩のとき、我々の10年後を想像してしまいます。どちらかを杖代わりにして散歩しているでしょうか。お二人の歩きはおそらく健康のためでしょう、敬意をもって見つめています。


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