「お墓を引き継ぐ人がいなければ、納骨はできません。更地にして返していただきます」といきなり言われました。叔母の葬儀をお寺さんに相談したときのことです。親も、兄弟も、子供もいない叔母は、このままでは、夫のいるお墓に入れないのです。お袋の妹で、享年96歳、小さいころから可愛がってもらった我々兄弟で、葬儀をして、姉がお墓を守ることとなりました。
厳しい現実を目の当たりにして、叔母と同じように子供のいない我々夫婦も「お墓」のことを本気で考えました。結論は、「樹木葬」、両親が眠るお墓があるのですが、そこでは、甥や姪に負担をかけることになりかねません。それに、真っ先にお墓のことを心配し、叔母本人には何の関心も寄せなかったお寺さんに、多少の不信感もあります。叔母のことをほとんど知らないし、また、知ろうともしないお寺さんにお経をあげていただいても、ありがたみを感じないのです。アマゾンの「お坊さん便」と大差ないように思えてなりません。
戒名をいただくのに大変なお金がかかります。友人のお父様のときは100万円だったそうです。別の友人は、奥さんが亡くなったとき、本で研究し、自分で戒名を考えたそうですが、それでも50万円のお布施を求められた、と不満げでした。施設や病院の費用で叔母の貯金は底をついており、兄弟で出し合っての、お布施や葬儀費でした。質素な葬儀ではありましたが、我々兄弟で、心を込めて送り出せたと考えています。
私の住む市には、丘全体を覆うような、広い市営墓地があり、そこに合葬墓ができました。平日の午前中、内覧会に出かけましたが、整理券はすでになく、次の内覧日の朝9時から当日分を配布します、とのことでした。多くの人が駅から墓地入口まで連なっていて、係員が同じことを皆さんに説明しています。一様に高齢者で、子どもに負担をかけさせたくない、ということのようです。予想外の反響に、市は内覧人数を1日180人から1000人以上に増やし、3日予定を5日にした、とのこと、現代のお墓事情の一端を垣間見た思いです。
秋分の日に、四十九日の法要が執り行われ、一連の葬儀が終わりました。叔母が亡くなり、我々兄弟を結びつける人が誰もいなくなりました。バラバラにならないように心がけなくてはなりません。