実家間近にある線路沿いの細い道、毎週、電車から眺めています。ここを過ぎるとやがて下車駅、以前であればその駅から実家へとここを歩くのですが、いまは別の電車に乗り換えて母が入居している施設に向かいます。もうほとんど歩くことがなくなった、懐かしい、とさえなりつつある道、電車が減速し駅に入り始めるころには見えなくなるのですが、それでも目で追いかけているときもあります。さまざまな思いを抱きながら歩いた道です。
1971年に社会人となり実家を出てからほぼ40年、いったい何回この道を歩いたことでしょう。ここまで来ると家はすぐそこ、おやじやおふくろがどんな顔をして迎えてくれるかが楽しみでした。就職先は京都、東京にある実家には出張や正月のときに帰ります。おやじに相談するために帰ったことが1度だけありました。入社数年後でしたが、研究職から営業職への異動の内示を突然受けたときです。不本意な異動への怒りと不安を胸にこの道を実家に向かいました。京都に戻って数日後、「営業の心得」という本だったと思うのですが、おやじが手紙とともに送ってきました。父親として何かできることはないか、考えた末のことだったと思います。離れて暮らしているだけに心配もひとしおだったにちがいありません。結局この内示は取り消しとなり、本は読まずじまいでした。
京都に家を買う報告で帰ったときは、この道を誇らしげに歩いていたでしょう。その後の新婚旅行では成田到着後すぐに実家へ、和食に飢え、おふくろの美味しいおでんを欠食児童のようにがつがつと食べ、旅行の疲れですぐに寝てしまいました。翌日、独りの時は帰すのが嫌だったけど二人なら安心だよ、と言うおふくろの笑顔を後にこの道を駅へと歩いています。いままではいつ何があってもすぐ京都へ行けるようにたんすにお金を入れておいたんだよ、とも聞きました。2軒目の自宅を買ったときは、駅に隣接した新築マンションだったので、自慢げに説明書を持参しています。
1991年に、所属する研究部門が横浜に移転し横浜住まいとなります。そのときの両親の喜びようは大変なものでした。京都に永住、と決めて就職し、両親も覚悟していたのですが、20年後の思いがけない横浜、同じ仕事での、同じ仲間とのロケーション移動でわたしも嬉しく、息子が喜んで首都圏に戻ってきて、両親としては嬉しくかつ心強く感じたことでしょう。そんな報告の往き帰りにも通った道です。横浜に住むようになってからは、京都時代の年数回を挽回すべく月数回通いました。時間に遅れがちな妻と険悪なムードでこの道を歩いたのもたびたびです。
1994年に赴任したアメリカ・シカゴからは年数回帰りましたが、おやじが入院がちだったこともあって、会う楽しみだけでなく不安もありました。シカゴに戻るときは、おふくろが食料品を目いっぱい詰め込んでくれた大きな麻のバックを持ってここを歩いています。あまりの荷物に、成田エクスプレスの新宿ホームまでおふくろが見送ってくれたこともあります。駐在中におやじが亡くなり、知らせを受けてから数時間後に乗り込んだ成田行きの飛行機で「もうおやじとは話ができないんだ」と沈み込み、いよいよ実家間近となるこの道では「落着かなくては」と自分に言い聞かせていたように思います。
おやじが亡くなった年にシカゴから横浜に戻り、数年後にいまの自宅を購入し入居しました。しかし、以前のような高揚感はあまりありません。3回目の自宅購入ということもあるのでしょうが、自慢したいおやじがいないことも影響していたのでしょう。入居の年に出向というかたちで別会社に移りましたが、このときも淡々とおふくろに報告しています。まもなく仔犬のモモをもらい、おふくろを喜ばせようとせっせと連れて行きました。3年半ほど前におふくろが脳内出血で倒れてからはこの道を歩くことはほとんどなくなり、電車の窓から眺めるだけとなっています。
こうしてふり返ってみると、ほとんどのことが会社とつながっています。会社なしの生活はあり得ず、深い感謝の気持ちは言葉では簡単に表現できません。その会社を来月退社します。39年間お世話になりました。いろいろなものに出会い、そして過ぎ去っていく、いままでも、これからも。この道からも会社からも離れたその先には、どんな出会いがあるのでしょうか。良い出会いがあるように頑張らなくては、と心新たにしています。
12月なので、今年の総決算として、ウォーキング結果を報告します。地図上で距離を確認した公式記録で4,739km、1日平均13km、昨年と比べると1%ダウンです。昨年のNo.017で紹介した歩数計「日本一周歩数計の旅」では、羽田を出発して海岸に沿って、本州太平洋側、北海道、本州日本海側と進み、現在は新潟県直江津を歩いています。557日目で8,451km、今年分だけですと365日で5,551km、1日平均15kmとなります。日本一周は18,880kmなので、2011年11月には羽田に戻れそうです。
今年は海外旅行はありませんでした。7月から妻が大忙しで海外どころではなく、来春までは忙しそうです。今年はどこも行かなかった、と義理の母がつぶやいていたとのこと、来年はまたみんなで旅行を、と考えています。