定年後毎日2時間以上歩き、67kg台だった体重が64kg台となり、疲れを感じることも少なくなり、歩くことが健康に良いことを実感しています。定年前の通勤時の4.4kmウォーキングに代わり、雨の日は小雨の時間帯を、日差しの強い日は涼しい時間帯を狙っての11kmウォーキングです。この半年で約1,470km、江戸日本橋から京三条大橋までの東海道495.5kmで換算して1往復と往路終点近くまで歩きました。
早いスピードと高い効率が求められる現代では、時間がかかって非効率な歩くという移動手段は極力排除され、趣味の領域となりつつあります。歩くことが主要な移動手段だった江戸時代、人々は東海道を15日から12日で旅したといいますから、毎日33kmから41km歩いたことになります。私にはとてもできません。当時の人々が日々の暮らしの中でもかなり歩いていたからこそできたのでしょう。江戸時代とはいわず、つい最近まで人々はよく歩いていたのではないでしょうか。私の父は約2kmの徒歩通勤だったし、叔母のデートは約6kmの散歩でした。戦時中、叔母は重い荷物を担いで中野から浅草まで歩いたこともあるそうです。1964年の東京オリンピックのころから始まったといわれる車社会、それが本格化したころから人々はあまり歩かなくなったのではないでしょうか。
現代のメタボリック症候群などは、徒歩中心の暮らしであれば社会問題にまではならなかったでしょう。車社会での便利さの代償として失ったものも少なくはないのです。50年にも満たない車社会での暮しよりも、人類誕生以来延々と続いていた徒歩中心の暮しのほうが我々の身体には合っていて、結果として身体に優しい暮らしなのではないでしょうか。人の身体がそんな短期に新しい環境に適応できているとは考え難いのです。ウォーキングを続けるなかでそんなことを感じています。
こう理屈っぽいことを書くと、いかにも深い考えを持ってウォーキングを始めたようですが、きっかけは健康上の不安からでした。いつ痛風になってもおかしくない高い尿酸値が何年も続いたときに、「薬を使わずに(ウォーキングで)尿酸値を下げた」という友人の言葉に引き込まれたのです。それまでウォーキングに興味などありませんでした。結局、1年続けても尿酸値は下がらず薬に頼り始めたのですが、ウォーキングは習慣のようになって残りました。体調が良くなったのを実感していたからです。趣味のような楽しさはないのですが、かといって仕事のような義務感もありません。一つの習慣のように淡々と歩いています。ときどき、歩いた距離を計算したり、無い知恵を絞ってこのような理屈を考えたりして自分自身を励ましながら、さらには「やりすぎよ!いつかころんで怪我するわよ!」との妻の冷ややかな励ましの言葉を受けながら。