コピーライターからスポーツライターへそして歴史認識問題などに取り組むジャーナリストへと変遷してきた西村幸祐(にしむら こうゆう:1952年東京都生まれ)氏がご自分の変遷のきっかけを語ってくれた。
学生時代に「三田文学」の編集に夢中となり大学を中退してしまう。その話のとき「このようなこと(中退の経緯)を公の場で話すのは初めてだ」とおっしゃっていた。こういった場はあまり得意ではない様子だ。表情も内容も堅くぎこちない感じがした。しかし内容は、自分をごまかさない実直さがにじみ出た好感の持てるものだった。
コピーライターの時代に広告と連動したF1特集企画を産経新聞に持ち込んだのがスポーツライターとなるきっかけとなった。1989年のことだ。当時、F1をほとんど取り上げない新聞への不満が西村氏を動かした。その後91年の日本グランプリあたりからモータースポーツのブームとなり、世界中を取材してまわる生活となる。2002年の日韓共催サッカーワールドカップの取材経験を機に歴史認識問題などに取り組むこととなる。サッカーの試合中に明らかに不公平と思われることが起きていても、何も報道されない、日韓友好に反するような事実は全く報道されない、それはおかしい。そんな思いが氏を動かした。広告コピー、スポーツ、そして国際問題と書く内容が大きく変るきっかけは西村氏の不満、怒り、疑問であり、そういった思いをごまかさず妥協しない氏の強さが大きな変化を実現したようだ。花田編集長が笑いながら「筆が遅い。納期を守らないんだょ」と紹介していたが、納得した記事が書けるまで粘るためなのだろう。こんな紹介のときにもニコリともせず緊張の様子だった。とても真面目な印象を受けた。