マスコミの学校

佐野眞一氏:取材力④<いい話をどう引き出すか>

佐野眞一氏

 正力松太郎、中内功といった昭和の怪物たちを描いているノンフィクション作家佐野眞一(さの しんいち:1947年東京生まれ)氏は、厳格な頑固親父といった風貌をもち、静かで気迫に満ちた語りで受講生をひきつける。氏ご自身も怪物で、怪物が怪物を描いたとさえ思う。

 「正力は新聞やテレビをマス・メディアに仕上げ、野球やプロレスを国民的スポーツに押し上げた。我々は今でも正力の手のひらの上で過ごしているようなものだ。『巨怪伝 : 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(1994 文芸春秋社)で正力を書いた後に、渡辺恒雄を書いて欲しいといわれた。ふざけるな!!渡辺が悪いというわけではないが(格が違う)」と一刀両断に切り捨てる言葉には、自分の仕事を『知の格闘技』と位置づけ、格闘しがいのある人物や事件を長年追ってきた佐野氏の一徹さが感じられた。

 佐野氏が現在執筆中の「齋藤十一(2000年12月86歳で没)」は特に思い入れのある作品となるようだ。新聞社の週刊誌が圧倒的強さを誇っていた時に雑誌社から初めて発刊された『週刊新潮』、これをトップクラスの週刊誌にまでに育て上げた辣腕編集長、『週刊新潮』の「法王」とも呼ばれた齋藤十一氏の物語だ。彼は、瀬戸内寂聴氏など多くの作家を世に送り出した反面、その何十倍もの作家を葬ってきた。面白くないと大家の連載でも一回で打ち切ろうとする。血も涙もないと言われた齋藤氏のもとで多くのライターや作家が血のにじむような努力をしてきた。佐野氏もその一人だ。「人間は誰でもひと皮むけば、金と女と名誉心が大好きな俗物」と公言し、好きとか嫌い、良いとか悪いとかを超越した人間の真実に迫ろうとする文学活動のようなジャーナリズムには多くの異論もあるが、佐野氏は「齋藤のおめがねにかかったことは、私の誇りだ」と胸を張る。

 表題の「いい話をどう引き出すか」は一言ではいえないが、最も大切なことは「聞き手の立ち位置」だ。「他人のことは考えるな。自分が何が欲しいか、自分が何を知りたいかだけを考えろ」というのは齋藤編集長がスタッフに飛ばしていた激だが、こういった聞き手の確たる『立ち位置』がなければ話は引き出せない、と佐野氏は説明する。聞き手の資質、力量によってどんな話が引き出せるかが決まるといったことも話していた。花田編集長から与えられた表題を真正面からとらえて説明しようとする佐野氏に、真面目さとプロ根性をみた。

の記事

修了式 (2006年03月25日)

 卒業課題の最優秀賞は「ヒマラヤを越える子供たち」となった。中国のチベット支配の実態レポートで、WiLLに掲載される。私は皆勤賞として白川静氏著「常用字解」をいただいた。花田編集長から「もうお持ちかもしれませんが」と言われて手渡されたときは、知らない辞書だったので内心恥ずかしかった。出席さえすれば誰でももらえる賞だが嬉しい。

江川紹子氏-特別講演- (2006年03月24日)

 日本だけでなく世界でも名の知られたジャーナリスト江川紹子(えがわ しょうこ:1958年東京生まれ)氏は簡素な服装で、言葉を選びながら静かに語る。TVでの印象そのままの人だ。麻原彰晃について語ったときは「彼はオウムの被害者をつくっただけでなく、加害者もつくった」「『救う会』で一緒に活動した方の息子さんがオウムでの実行犯となり死刑判決を受けた。複雑な気持ちだ」と激しい口調となり、今でも怒りが納まらないという印象を受けた。ジャーナリストとして、また坂本弁護士という友人を殺された当事者として当然なのかもしれない。

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田口久美子氏:書店員から見た売れる本づくり (2006年03月18日)

 今までであれば本など読まないような女の子や男の子が本を買っていく、と日本一の広さを誇るジュンク堂池袋本店の副店長 田口久美子(たぐち くみこ:1947年東京生まれ)氏は書店での最近の傾向を語る。それは必ずしも喜ばしい現象ではない。売れる書籍の内容やレベルが、コミックと同じようになり、コミックコーナーに置いたほうが売れる書籍すらあるのだ。また、本から多くを学ぼうという人をあまり見かけなくなったということでもある。本を売る現場で長年働いてきた田口氏にとっては残念なことだ。コンビニやブックオフ、Amazon.comなどで大きく変わりつつある書店業の現状を伺うことができた。 <全文です>

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有田芳生氏:ノンフィクションを書く (2006年03月17日)

 有田芳生(ありた よしふ:1952年京都府生まれ)氏は統一教会、オウムだけでなく、都はるみやテレサテンなどの人物ノンフィクションにも取り組んでいる。花のある人を書くときはディテールが重要という。そのときに窓の外は雨だったのか晴れだったのか、といったディテールだ。また、私が共感する山田ズーニーさんの書籍を有田氏が読んだというのを聞いて親近感が持てた。新鮮な感じもした。花田編集長と本屋で偶然出会い、今回の講座を依頼され、花田さんでは断れない、と引き受けた。「話はなんでもいいんだよ」と言われて今日来たらテーマが設定されていて少し戸惑ったようだ。本学校が成り立っているこうした花田編集長の人脈に感謝だ。 <全文です>

山田ズーニー氏:文章力③<私のWillを表現する> (2006年03月11日)

 山田ズーニー氏文章力ワークショップ3回目、最終回だ。1回目(11月12日)が「自分の想いを表現する」、2回目(1月21日)が「一人の人に伝える」、そして3回目は「多くの人に伝える」が主題となる。最終講座が近づき、卒業課題の提出も終わったためか受講者が前回よりも少なかった。こんな貴重な講座なのにとても残念だ。

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篠田博之氏:最近の出版界事情 (2006年03月04日)

 ここ数年で本の概念が変わるのではないか。従来であれば評価されないような作品でも、TV、映画との連動による話題性だけでメガヒットとなるし、あまり考えずに先へ読み進むことができるケータイ小説もヒットしている。「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一著)「Deep Love」(Yoshi著)などのヒットがその実例なのだろう。月刊「創」(つくる)編集長篠田博之(しのだ ひろゆき:1951年茨城県生まれ)氏は本の内容や質以外のものがヒットの条件となっている現状から「本の概念が変わる」と考えているようだ。

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西村幸祐氏:言論の自由/表現の自由 (2006年03月03日)

 コピーライターからスポーツライターへそして歴史認識問題などに取り組むジャーナリストへと変遷してきた西村幸祐(にしむら こうゆう:1952年東京都生まれ)氏がご自分の変遷のきっかけを語ってくれた。

大下英治氏:作家になるまで (2006年02月25日)

 「なさけない」と送金指示メール問題での民主党永田寿康衆院議員、前原誠司代表への憤りから始まった作家大下英治(おおした えいじ:1944年広島県生まれ)氏の、開講式(2005年10月15日)に続く2回目講座は前回同様に氏の凄みを強く感じるものだった。政治は血を流さない戦争(毛沢東)であり、殺るか殺られるかの世界だ。そんな認識がなければ手ごわい金正日などと戦えない。政治は学問ではないのだ。と30分にわたり一気にまくし立てた。やくざや政治家を多く見てきた大下氏の言葉だけに迫力がある。

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品田英雄氏:ヒットメーカーに学んだ、仕事の取り組み方・捌き方 (2006年02月24日)

 事実を述べるだけの文章では商品価値は上らない、自分の考えを入れた文章こそ商品価値を上げる、つまり自分の立ち位置によって商品価値が上る。「日経エンタテイメント」発行人品田英雄(しなだ ひでお:1957年東京都出身)氏は「商品価値」といったビジネス用語を使い、受講者によるロールプレイングなども取り入れたユニークな講座を展開した。「この講座が終わった時に、受講者みんなが『明日から頑張ろう』という気持ちになるようにしたい」と、話す内容ではなく、話す目的を最初に述べたのも印象的で、編集者であると同時に大きな組織で働くビジネスマンといった感じだ。

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奈良原敦子氏:女性誌の現場、その仕事 (2006年02月18日)

 「TOKYO★1週間」「KANSAN 1週間」の編集長奈良原敦子(ならはら あつこ:1960年名古屋生まれ)氏は道なきところに道を作るような逞しさと知恵をもっているようだ。「KANSAN 1週間」の創刊では関西での事務所探しやライター募集から始めて、2年間で軌道に乗せた。講談社社内では「変わっている」と言われるらしいが、社内の常識ややり方に捉われない発想や行動がそう言わせるのだろう。


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