朝10時に京王線八幡山駅に集合し大宅壮一文庫へ。
1944年に大宅壮一氏がここに居をかまえマスコミ活動と共に雑誌を集めだしたのが文庫の始まりだ。大宅氏は「本は読むものではなく、引くものだよ」と、本は必要な時に検索できて読めることこそ大切だと説いた。その想いを継いだ大宅壮一文庫では年間2万冊の雑誌・書籍の保管、検索データ作成・入力・維持、記事閲覧サービスなどを45名のスタッフで進めている。
大宅氏が70歳で亡くなった1年後の1971年に、20万冊の氏の蔵書をもとに設立された文庫は、現在雑誌64万冊、書籍7万冊の蔵書となりマスコミ界にとってなくてはならない存在となっている。マスコミからの検索・閲覧で多いのはインタビュー対象者に関連した記事だそうだ。最近は学生の論文や定年退職者のライフワークなどでの調査利用も増えてきたとのこと。
特別に書庫を案内していただいた。明治・大正からの膨大な雑誌が保管されているのを目の当たりにして、大宅壮一文庫の貴重さを実感する。花田編集長が『マルコポーロ』を見つけ、何冊かの表紙のエピソードを語ってくれた。『週刊文春』で、野球界の長嶋茂雄を思わせるようなスター編集長となっていた花田氏が、周囲からの大きな期待で編集長に就任した『マルコポーロ』、突然の廃刊で文藝春秋社を去るきっかけとなった『マルコポーロ』だ。雑誌を手にした花田編集長はご機嫌だった。