初めてのコカコーラ
新宿の坂の途中にあった喫茶店でコカコーラを1回だけ兄貴におごってもらった。50円。高価な買物であり、後々までこのことを兄貴に言われるはめになる。確かに、飲物に50円というのは破格の値段だ。30円でたぬきうどんが食べれるんだから。
どんなに美味しいものかと期待したが、でてきたものを見てびっくり、さらに飲んでびっくりである。黒土のような色、薬のような味、こんなものにお金を払うなんてどういうことなんだろうと、がっかりするやら、悲しくなるやら。見みると兄貴も同じ思いのようだ。それでも50円の手前全部飲んだように思う。このときに「もう二度と飲まないぞ」と思ったコーラが、その後いつのまにか美味しく感じるようになっている。タバコと同じなんだろう。
氷
我家の前が小さな広場でその向こうがバス通り、バス通りにはこちらを向いて商店が並んでいる。我家の正面は氷屋さんだ。冬は練炭や炭を売っていた。
我家には氷で冷す冷蔵庫があり、この氷屋さんから氷を買って冷蔵庫の一番上の段に入れる。おふくろが氷を買って我家に向って来るのを見ながらじっと待つ、氷が着くやいなや触りに行く、舐めに行く。おふくろも氷が好きなので、冷蔵庫に入れる前に少し割ってみんなで食べる、時には買った半分近くを食べてしまうこともあったそうだ。
氷屋さんの氷は口の中に入れてもなかなか溶けない。冷たい氷を口の中で転がしながら、冷たすぎる口の中と、暑すぎる空気が夏の記憶の一つともなっている。氷以外に冷蔵庫に何が入っていたのか憶えていない。
たぬきうどん
バス通りに面した商店街におそば屋さんができた。TVのプロレスを観るために、たまにうどんを食べに行く。プロレス放送当日に「たぬきうどん食べるの」と母に言うと「たぬきでも、きつねでも食べておいで」と笑いながら30円くれる。それから一目散におそば屋さんに向う。プロレスを観る楽しみだけではなく、外食という楽しみでもある。おそらく誇らしげにたぬきうどんを注文しているはずだ。かけうどんでは寂しく、天ぷらうどんは高くて言えなかったのだろう。母が笑いながらお金をくれたのは、そんなおれの気持を見透かしてのことだったのかも知しれない。みりん味の、家とは違う美味しさがあった。社会人になって京都に住むようになると東京のたぬきうどんが懐かしく、出張などで東京に来ると必ずたぬきうどんを食べた。50年ほど過ぎた今でも天ぷらうどんよりもたぬきうどんが好きだ。
コロッケ
小学6年生のときに担任の先生の自宅で直接指導を受けた。週2回、8ヶ月ぐらい2、3人で通った。この指導のおかげで良い成績で中学に入れたと思う。
家からバス通り沿いに600m程度歩いたところにあるアパートの2階に奥さんと2人で先生は住んでいた。新婚だったそうだ。高い声の奥さんが妙な抑揚で喋るのを聞くたびに可笑しさがこみ上げてきたのを憶えている。2時間の勉強だった。帰りには、バス通りの肉屋さんで売っている5円のコロッケを買って歩きながら食べる。勉強が終った開放感、夕食前の空腹、揚げたてのコロッケ、絶妙のコンビネーションで満ち足りた瞬間だった。コロッケ一つでこれほどの充実感を味わったことはそれ以降なくなった。