おふくろの買物
夕方になるとおふくろが何人かの仲間と買物から帰ってくる。いっぱい買物をして。きゅうりなどをバケツで買ってくることもあったそうだ。川島通りが安いらしくよく行っていたと思う。川島通りは近所にある高校を過ぎたところにあり家からは800mぐらいある。便利な近くの商店街には行かずに、安い遠くの商店街に行く。子供たちはそんな親の姿をみながら育った。
骨折
小さい頃はよく足を骨折した。小学校への通学時に自転車とぶつかり足の骨を折ったのが2回、姉と相撲をしていて折ったのがたぶん1回、そのたびにギブスをして学校に行った。おふくろは自転車での送り迎え、途中でのトイレさせなどで忙しく学校を往復したようだ。確かに松葉杖をついた記憶があまりない。病院は決まっていて、喉の手術や巨大な耳垢の除去などもやってもらった、甲州街道近くのクロスさんだ。病院でギブスを取ってもらい、軽くなった足で帰るときは最高の気分となる。中学生になってからは骨折しなくなった。
進路
虚弱体質の子供をあずかる施設におれを入れる相談を小学校の担任の先生にしたら担任の先生が自ら指導することを申し出たこと、担任の個人指導を受けるのはおかしいと周りから言われたこと、おれが入学した私立の中学校よりももっと良い中学校を先生が勧めたこと、工業高校付属中学でしかもカトリックの学校だったのでおれを入学させたこと、高校を卒業したら電気屋をやらせようとしたこと、などをおふくろが話してくれた。子供一筋のおふくろのおかげで今のおれがある。
石のお風呂
東京郊外で牧畜と農業を営んでいたおやじの実家には石でできた五右衛門風呂があった。おれが3つになるまではその実家から数km離れたところに我家があって、夕方になるとおれが入った籠を背負っておふくろが実家に風呂をもらいに行く。井戸から何回も水を運び、蒔きで風呂を沸かしてはおれを風呂に入れていた。「一番風呂に入れてもらっていたんだよ」と感謝の面持ちで話すおふくろ。実家との道のりで「いささんは?」とおれに話しかけると「おりこうよ」と背負った籠の中のおれが答えていたそうだ。おふくろの幸せなひと時だったに違いない。