多摩川の土手に長く続く桜並木、葉がかなり落ちて心地よい木洩れ日です。夏は葉が生い茂り、涼しい木陰を作ってくれ、秋はこうして適度に暖かい日差しを通してくれます。あと数キロで叔母の家、朝8時前後に自宅を出て歩いて20キロほど、ここを通るのは正午から1時ごろ、1日で最も日差しの強い時間帯に、季節に応じた心地よさを提供してくれる桜並木です。平均すると月3回ほど叔母を訪ねていて、ここまで来たときの足の運び具合でそのときのウォーキング度を知ります。疲れて少しもつれ気味のときは「最近歩いてない」、疲れを感じることなく軽やかなときは「よく歩いている」と。
1年を平均すると1日13キロ歩き、ウォーキング道にまい進しているわたくしに、妻が教えてくれた新聞記事は「てくてく地球2周分 宮城さん(71)毎日20キロ17年」(琉球新報2010年11月17日)。上には上がいるものです。地球2周分は8万キロ、毎日20キロはかなり大変、「歩いてます」などと少し自慢げに話していたのが恥ずかしい。しかも早朝出かけて午前10時ごろには歩き終わって、ガーデニングや読書、絵、カメラなど好きな趣味に没頭する、とあります。歩く以外にさして趣味もないわたくしとは、ここでもえらい違いです。継続の秘訣は「無理をしないこと」で、「自分に対し厳しくすることなく、楽しむことが大切」だそうです。
妻が見せたもう一つの新聞記事、これはもっと壮絶で、わたしからすると雲の上の更にその上の人です。天台宗大阿闍梨・酒井雄哉さん(84)、比叡山廷暦寺で千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という荒行を2回も成し遂げています。この修行は1000日で4万キロ歩きます。年100日間、年度によっては200日間、7年間かけての1000日、最後の7年目は200日で、前半100日は毎日84キロ、こうなると睡眠時間は1日2時間だそうです。記事の中で、「なぜ2度も?」との問いに、「ほかに何もすることがなかったの」「2度目もどんどん歩いているうちに、いつの間にかおしまいになった」(日本経済新聞2010年10月2日)とことなげにおっしゃっています。この壮絶な荒行に、「いつの間にかおしまいに」とは驚くべきコメントです。1回目が54歳、2回目が61歳と20年から30年も前のことで、荒行直後であればまた違ったコメントになったのかもしれませんが、沖縄の宮城さん同様に「楽しむ」気持ちがどこかになかったらこの感想には決してならなかったでしょう。
お二人の言葉の気負いのなさに圧倒される思いです。偉業を成し遂げる人の持続力の凄さを感じるからでしょうか。「無心」になることや「楽しむ」ことの大切さがひしひしと伝わってきます。余計なことは考えずにひたすら歩く、楽しみとして歩く、というわたくしのウォーキング道に似ている、と思ったりもして、お二人のような偉業を成し遂げることはないものの、このままで頑張ればいいんだ、と励まされたおもいもします。