静岡までの168kmを4日で歩きました。1日平均42kmです。江戸時代には495.5kmの東海道を12日から15日かけ、1日平均40km前後で旅したそうで、それにならっての歩き旅、次は「京都まで」が狙えそうです。
川崎の自宅から中原街道(45号線)を茅ヶ崎まで40km、そこから国道1号線沿いを静岡まで128km、合計168kmの地図上での距離を、歩いた軌跡を自動記録する携帯電話のGPSトレース実測で175.5km、1日平均43.9km歩きました。1日30kmほど歩いたことはありますが、40km超えは初めてで、しかも4日連続です。江戸時代の東海道15日間歩き旅が将来できるか否かの試金石となる旅でした。
「40km超え」の課題は初日にクリア、自宅から茅ヶ崎の旅館までの実測43.8kmを、想像していたよりも楽に歩いたことで自信がつきました。課題が残ったのは「毎日」です。最終4日目、太ももの筋肉痛で、階段を普通に降りることができず、1段1段休みながらゆっくり、となりました。もし5日目があったら、少し休養が必要で、同じペースでの継続は無理だったでしょう。
箱根越えで太ももを酷使したのが主な原因のようです。2日目の約10kmにわたる嶮しい上りと3日目の約20kmにわたる長い下りで、4日目の筋肉痛となりました。箱根・橿木(かしのき)坂の説明パネルには「『東海道名所日記』には、けわしきこと、道中一番の難所なり、おとこ、かくぞよみける。『橿(かし)の木の さかをこゆれば、 くるしくて、 どんぐりほどの 涙こぼる』」とあります。長い石段を、手すりにつかまりながら、足を休め、荒々しくなる息遣いを鎮めるために立ち止まり立ち止まりしながらやっとのことで登りました。峠までそんな個所がいくつかあり、峠からは自然と踏ん張っての4時間余りの歩きとなり、普段とは違う太ももの使い方となったのです。天下の嶮、箱根越えはゆっくりと、その後の休養も考えて、というのが次回への反省点となりました。
反省点は他にもあります。箱根では関所跡を、三島では湧水で有名な柿田川公園を目の前にしながらも素通りしています。歩くこと以外に楽しみのない旅でした。次回は事前調査をしっかりして、寄り道のある旅としたいものです。トラックや乗用車が切れ目なく走る幹線道路を歩くのも問題です。排気ガスのなかを歩くのは精神的にもよくありません。次回は、これも事前調査をしっかりして、時間がかかっても脇道を歩きたいものです。帰った翌日、痰がからんで困りましたが、排気ガスが原因にちがいありません。
もちろんいいこともありました。1日目、30kmほど歩いて昼食と休憩に立ち寄った神社では、屋根の下の涼しいベンチで1時間ほどゆっくりしましたが、人の姿はまったくなく、木々に囲まれた広い境内を一人占め、あと10kmで宿という安心感もあって、普段味わうことのないのんびりした、嬉しい時間となりました。1日目の、30kmほど歩いて昼食、休憩、10kmほど歩いて宿、のペースがこれからの基本となりそうで、まだ暗い朝4時頃出発し、11時頃昼食、まだ日の高い午後3時ごろ宿入り、5時ごろ夕食、8時には就寝となります。まさに、江戸時代気分の旅といえるでしょう。歩きながら迎える夜明けはすがすがしく、ときに幻想的ですらあり、日の高いうちから宿に入り風呂で手足を伸ばす爽快さは、歩いた達成感とともに、非日常的なものです。江戸時代の人々も味わった楽しさだったのかもしれません。
今回の旅で、自分の足だけでかなりのところまで行けることが分かり、ひとつの自信となりました。毎日のウォーキングのおかげです。将来の東海道15日間歩き旅をめざして、また毎日を励むこととします。(もう少し詳細と数枚の写真を「大江戸ウォーキング 2009年」に掲載しています。)