散歩好きがエスカレートしています。銀座での新年会に、電車であれば1時間前に自宅を出れば間に合うのに、4時間前に出て自宅から銀座までの約20kmを歩きました。また、会社のある築地まで、友人との待合せの浜松町まで、やはり自宅から3、4時間かけて歩いたのです。
時間があり、金も使わず、体力のあるわたしとしてはある意味自然なのですが、大切な時間をそんなことに使う人はあまりいないので、変なおじさんの部類に入りつつあるといえるのかもしれません。
決して無理はしていません。浜松町まで歩いたあとに東京タワーの大展望台への階段を上り下りしても、翌日に残るような痛みや疲れはありません。妻からは「歩いた分の電車賃を貯金したら」という、ありがたいアドバイスをもらっています。実行していませんが。
今年の年賀状に「昨年は3,200km歩いた」と書いたら、「それは日本縦断の距離だ。なんでそんなに歩けるか?風邪気味の日も歩くのか?メリットはなにか?」との友人からの質問メールが入ってきました。風邪気味の日は歩きません、でもそんな日は昨年はありませんでした、風邪をほとんどひかなくなったのがメリットでしょうか、などと返信を書きながら「なんでそんなに歩けるのか?」を考えました。
健康維持を目的に歩き始めたのが、習慣となり、やがて好きになった、という感じなのですが、「なぜ好きなのか」がうまく説明できません。
わが家のお犬様モモの散歩大好きと同じで、外に出て歩くことを身体が喜んでいるのでしょうか。わくわくするような楽しさがあるわけではないのですが。人びとが歩かなくなったのは40年ぐらい前から始まった車社会になってからで、それまでの1万年以上は歩くことが当たり前だったわけですから、身体が喜ぶと考えてもおかしくはないのかもしれない、などと考えているときに、プロスキーヤー三浦雄一郎さんがゲストのTV番組をみました。
お父様のプロスキーヤー三浦敬三さんが99歳のときの毎朝のウォーキング映像をみながら、雄一郎さんが「(父は)好きですから」とポツリと言ったのです。75歳になっても毎日のトレーニングを欠かさないご自分の素直な気持ちでもあるのでしょう。共感し、納得した一言でした。
「好きだから歩ける」それだけで十分なようです。それ以上のことを考えても後付け理由だけがでてくる気がします。
スポーツとは違って、特別な支度も、相手も必要なく、思い立ったときにすぐ歩ける、しかも自分のペースで無理なくできる、そんな気楽で自然な歩き、これからも末永いお付き合いとなりそうです。