趣味

No.003:”たけくらべ”の浅草

 樋口一葉の「たけくらべ」の舞台となった浅草吉原界隈を、物語の場面を想像しながら歩いてみました。読書とウォーキングという好きなことを組み合わせて、それぞれを倍楽しもうという魂胆です。おかげで、最後まで興味深く読み、何気ない風景も楽しみながら歩くことができました。

地図
「たけくらべ」の舞台と母が生まれ育った実家

 母が生まれ育った浅草は義理人情の下町、という漠然としたイメージでしたが、「たけくらべ」によって私のなかでより鮮明なものとなりました。『お前の父さんは馬(付け馬:客に付いて回る遊興費の取立て役)だね』(『』内は「たけくらべ」より)と子供でも知っているほど、親の仕事ぶりや家族の暮らしぶりがみんなに筒抜けで隠し事ができない町、『一軒ならず二軒ならず』多くの家族が酉の市の熊手作りに関わり『住む人の多くは廓者《くるわもの》(吉原で働く従業員)』と、みんながどこかでは仕事でつながっている町、祭りとなれば子供といえども『そろひの裕衣《ゆかた》』と団結力が強く、『帶は腰の先に、返事は鼻の先にていふ物と定め、にくらしき風俗』の子供でも鳶(とび)の頭の子であれば子供組の大将となる序列のはっきりした町、そんな町だったようです。義理人情は、そういった環境で人々がうまく暮らしていくための知恵だったような気がします。人々の暮らしぶりや関係が変わってきた現在では、義理人情も薄らいでいるのではないでしょうか。

 母が生まれたのは物語の20年ほど後ですが、同じような様子だったに違いありません。近所は熊手作りではなく鼻緒作りで、母は鼻緒のミシン縫いをしていて結婚当初は父よりも稼いでいたというのが母の自慢でした。米や醤油がなくなれば隣に頼るのは当然だった、近所何軒かの分業で鼻緒を作っていた、祭りのためにみんな仕事をしていたようなものだった、鼻緒作りの元締めは大切だった、などという叔母の話と「たけくらべ」とが微妙に重なります。とても身近な物語として興味深く読むことができたのです。

 ウォーキングで最も興味深かったのは美登利が住んでいた大黒屋寮のあった場所です。時雨の中、鼻緒を切って難渋している人を大黒屋寮の家の中から見かけた美登利が布の切れ端を持って門のところまで出て行き、その人が想いを寄せる信如であることを知って立ち尽くす、信如も後ろに美登利がいることに気づき動けなくなる、顔を合わすこともなく、言葉を交わすこともなく時間だけが過ぎていく美しく切ないシーンはこの物語のクライマックスともいえます。その舞台となったところです。


大黒寮

写真中央やや右の三角地に松大黒寮があった  <写真にマウスを置くと説明が表示されます>

 大黒屋寮のモデルだといわれている松大黒寮は吉原の揚屋町の跳橋近くにありました。当然のことながらその場所に当時の面影は微塵もありません。吉原を囲っていたお歯黒どぶ、それに架かる跳橋、簡素な格子門のある寮などを想像し、浅草田町の姉のもとへ行くとき、通らなくてもすんだ大黒屋寮の前の道をわざわざ歩いていた信如のいじらしさを思い、中田圃(なかたんぼ)にある太郎稲荷に朝参りしていた美登利も通らなくてもすんだ信如の住む龍華寺前の道をわざわざ歩いていたかもしれないなどと考えながらたたずんでいました。いつものウォーキングにはない楽しさが加わったのです。

 物語の舞台の多くは一葉が営んでいた駄菓子屋の近所にあり、身近な人々を見つめながら「たけくらべ」を書いていることがわかります。また、一葉宅跡裏手にある一葉記念館には、いくつかの異なる構成での下書き原稿などが展示されていて、一葉がいかに考え抜いてこの物語を創ったかが実感できます。完成後1年もたたずに病死した一葉は、まさに命を削りながらこの作品を創り上げたのではないでしょうか。このような名作で、自分のルーツともいえる母が育った環境を垣間見ることができ、ウォーキングを楽しむことができたのは幸運でした。

の記事

No.177:試し歩き (2021年10月31日)

 コロナ禍で2年間中断している東海道歩き旅、来年春には行けそうなので、事前の試し歩きをしてみました。毎日、日帰りで32キロ、5日間、雨のため1日だけ23キロだったので合計151キロ、自宅から静岡までの160キロの少し手前相当の歩きとなります。歳と共に低下する体力、それに加えての長い自粛生活でどうなるのか心配でしたが、何とか来年行けそうな感じです。

No.171:アンクルウエイトを重くしました (2021年04月30日)

 歩くときのアンクルウエイトを片足0.5kgから1.5kgに変更しました。1.5kg2個が入った袋を持った妻は、「こんな重いものを足に付けたら田園調布の坂を越えられないわよ」と心配しています。田園調布の住宅街は高台にあり、川崎の自宅からはそこそこの坂を上るのです。

No.169:コロナ禍最強の趣味 (2021年02月28日)

 「やることがなくて毎日が辛い。(あなたは)どうしてる?」と勤務先事務所のボス、「散歩と囲碁で過ごしています」と答えると、「そう・・・」と羨ましそうな感じでした。緊急事態宣言で在宅勤務、というよりも、仕事がないので勤務はなく、単なる在宅となっていて、ボスとは電話でときどき話をします。人好き、話好きなボスのこと、ストレスがかなり溜まっていることでしょう。

No.164:新たな囲碁の先生 (2020年09月30日)

 囲碁の先生が一人増えて二人になりました。新しい先生からのメールには、私のレベルに合った、大切と思われる詰碁問題と共に「目で5~10秒以内くらいで解ける」ように、との指示が付いています。つまり、詰碁が解けるだけでは駄目で、完璧に身に着けろ、ということなのです。囲碁も武術や柔術のように鍛錬こそ大切、ということでしょうか。

No.163:夏休みは囲碁三昧 (2020年08月31日)

 突然のこと、事務所のボスが2週間のホテル住いとなりました。どうやら、都心にある超一流ホテルに避暑、ということのようです。その間、私も思いがけない夏休み、どこかに行こうかと一瞬考えましたが、所詮はコロナ禍、結局囲碁三昧となりました。

No.162:オンライン囲碁対局 (2020年07月31日)

 地域の囲碁サークルで毎週日曜日にオンライン囲碁対局を始めて8週目となりました。皆さんご高齢なので参加されるか否か、提案者としては不安でしたが、始めてみるとみなさん熱心で、毎回10名ほどが参加されています。いままでの実対局でも、8名から多くても15名の参加でしたから、まずまずの成功、と言えます。

No.153:囲碁サークル (2019年10月31日)

 「上達しましたね」と私の囲碁対局を取り囲む人たちが口々に褒めてくれました。毎週日曜日の囲碁サークル、終了時間間近で他の対局はすでに終わって、メンバー全員が見守るという中で勝利したのです。ルンルン気分で帰宅しました。この日は2勝1敗、1年間続けて初めての勝ち越しです。9目という大きなハンディをもらっての勝利なのですが、それでも勝てなかった今までと比べると大進歩です。「勉強してますね」とも言われました。

No.147:10回目の東海道歩き旅 (2019年04月30日)

 今年で10回目となる東海道歩き旅、川崎の自宅から伊勢神宮まで、512kmを79万6千歩で完歩しました。ここ数年、気持よく歩ける日が少なくなり、歳とともに体力の衰えを実感するようになっています。

No.146:囲碁サークル (2019年03月31日)

 趣味は「旅行」と「ウォーキング」です。最近、それに「囲碁」が加わろうとしています。実益など求めず、ただただ楽しむ、それが本来の趣味というものなのかもしれませんが、私の場合は実益のない趣味は考えられません。貧乏性なのです。「旅行」は妻と二人、一緒に暮らす智恵を授けてくれます。一人旅はしません、実益が見いだせないのです。毎年の「東海道歩き旅」は一人ですが、これは毎日のウォーキングの励みの元になる、という実益があります。

No.135:東海道歩き旅で転倒しました (2018年04月30日)

 一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。あっ、という間の転倒、自転車とのすれ違いざまでのことです。なかなか起き上がることができず情けなく、立止まった自転車の女子高校生から「大丈夫ですか」と声を掛けられ恥ずかしくもありました。


タイトルとURLをコピーしました