もろもろの話

マスコミの学校

永野啓吾氏:情報収集力~企画力

 ダカーポの編集長永野啓吾(ながの けいご:1953年熊本市生まれ)氏の講座は受講生の多くの質問に答える、実践的な内容となった。
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佐々木弘氏:取材力⑤<週刊誌の取材>

 「週刊文春」の記者として多くの事件を追いかけてきた佐々木弘(ささき ひろし:1936年生まれ)氏の話は、鮮度が命の事件取材における素早い判断力と行動力の大切さを教えてくれた。人生の大半を事件取材に費やし、日本全国はおろか海外50カ国以上を歩き回った氏の記者としての嗅覚は経験と共に磨かれていったようだ。
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喜田村洋一氏:ジャーナリスト編集者に必要な法律知識

 週刊文春などをめぐる裁判を担当している弁護士喜田村洋一(きたむら よういち:1950年生まれ)氏より名誉毀損、プライバシー侵害、著作権について編集者・ライターが知っておくべき法律知識についての講義を受けた。「社会的な評価を低下させた場合に名誉毀損となる、事実かどうかとは別」「他人に知られたくない私事を公開すればプライバシー侵害となる、真実性は問題にならない」とのことで、これらの裁判での主な争点は「報道内容の公共性」となる。著作権侵害にならない「正当な引用」の条件は「公表された著作物であること」「引用の目的上正当な範囲であること」「引用された著作物が従的であること」「公正な慣行に合致すること(出典の明記)」である。個人情報保護法上では「イベント写真などで顔がはっきりと認識できる場合は個人から削除を求められる」可能性がある。といった内容だった。 <全文です>
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猪瀬直樹氏:作家への道

 道路公団民営化委員会委員として注目されたノンフィクション作家猪瀬直樹(いのせ なおき:1946年長野県生まれ)氏の講座は道路公団民営化の成果発表会となった。「七人の侍」と期待されていた7人の民営化委員のうちの5人が「民営化とはいえず、新しい特殊法人が増えただけ」(川本裕子氏)などと発言して辞任する異常事態のなかで踏みとどまった猪瀬氏が民営化の成果を主張する姿はなぜか寂しげに見えた。
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矢崎泰久氏:人脈力①<人脈をどうつくり、維持するか>

 赤いセーターに黒いブレザーとズボンのとてもおしゃれないでたちで、ユーモアをまじえて軽快に話を進めるジャーナリスト矢崎泰久(やざき やすひさ:1933年東京生まれ)氏は、一時は発行部数20万ともなった雑誌『話の特集』(1965年創刊、1995年休刊)の編集長兼出版社社主だ。タバコ『ハイライト』の箱のデザインなどで当時頭角を現していたデザイナー和田誠氏と一緒に、既成の枠にとらわれない新しい創造の場を作家やアーティストたちに提供したことで、 『話の特集』には寺山修司、横尾忠則、立木義浩、竹中労、伊丹十三、谷川俊太郎、三島由紀夫、五木寛之、筒井康隆、植草甚一、永六輔、篠山紀信といった新進気鋭のメンバーが集まってきた。
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田原総一郎氏:ジャーナリストの心構え/知っておくべきこと

 マスコミは時世に迎合する。そうしないと新聞も雑誌も売れず、TVも視聴率が取れないからだ。戦争直前にマスコミが「戦争賛成」となるのも権力からの圧力のためではなく時世に迎合するためだ。とマスコミの危うさや限界を視野にいれつつジャーナリズムの現場で真実を追うジャーナリスト田原総一郎(たはら そういちろう:1934年滋賀県生まれ)氏の話は一つ一つに重みのあるものだった。雑誌「WiLL」も最近右よりだが、それは売れるからであって花田さんが右というわけではない、といった田原氏ならではの発言も面白い。
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佐野眞一氏:取材力④<いい話をどう引き出すか>

 正力松太郎、中内功といった昭和の怪物たちを描いているノンフィクション作家佐野眞一(さの しんいち:1947年東京生まれ)氏は、厳格な頑固親父といった風貌をもち、静かで気迫に満ちた語りで受講生をひきつける。氏ご自身も怪物で、怪物が怪物を描いたとさえ思う。
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永江朗氏:取材力③<インタビューの仕方>

 多くのジャンルの雑誌に取材・執筆しているフリーのライター兼編集者永江朗(ながえ あきら:1958年北海道生まれ)氏は取り扱う範囲も『哲学からAVまで』と広い。AVのような、親に言えない恥ずかしいこともやって傲慢になりがちな自分を戒めている、と話していた。
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福田文昭氏:編集者が知っておくべきこと

 「その場に行かなければ写真は撮れない」と、撮影の苦しさと楽しさを語る福田文昭(ふくだ ふみあき:1946年山梨県生まれ)氏は行動派記録カメラマンだ。全国各地の動物園での動物写真から、三浦友和と山口百恵のツーショット写真までその活動範囲は広い。このツーショット写真は40日もの張り込みの末撮影されたもので、二人の婚約発表のきっかけとなった。「(二人の写真を)撮りたかった」と当時の想いを振り返る福田文昭氏の講座は、ライターや編集者と同様にカメラマンも自らの『想い』が大切であることを教えてくれるものだった。
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大宅壮一文庫見学

 朝10時に京王線八幡山駅に集合し大宅壮一文庫へ。1944年に大宅壮一氏がここに居をかまえマスコミ活動と共に雑誌を集めだしたのが文庫の始まりだ。大宅氏は「本は読むものではなく、引くものだよ」と、本は必要な時に検索できて読めることこそ大切だと説いた。その想いを継いだ大宅壮一文庫では年間2万冊の雑誌・書籍の保管、検索データ作成・入力・維持、記事閲覧サービスなどを45名のスタッフで進めている。
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