名古屋港湾岸を走る伊勢湾岸自動車道、片道3車線の広い産業道路、夜10時過ぎ、周囲に民家は無く、人通りも全く無いなか、次から次へと迫ってくる車のヘッドライトを見ながら、草の生えた狭い歩道を一人歩いていました。
排気ガスを避けて、農道などで回り道する箇所なのですが、一刻も早く宿に着きたかったのです。この日、10kmほど歩いたところで身体が左に傾き始め、夕食をとった35km付近では完全に傾いてほとんど歩けなくなりました。宿まであと10km、100歩歩いては休み、100歩歩いては休みの、今まで経験したことのない苦しい歩きとなりました。でも宿に着くためには歩くしかありません。結局10kmに5時間ほど、いつもの2倍もかかるという、辛い体験となったのです。
東海道歩き旅、足のマメが悪化して3日で中断した春、残りを歩いたこの秋もまたまた3日で中断して、すごすごと戻ることとなりました。1日目は、早朝の新幹線と在来線、バスで自宅から伊勢神宮まで移動し、そこから松阪までの25kmほどを歩きました。秋晴れのなかを気持ちよく歩いたのですが、宿に到着してから、25kmにしてはちょっと疲れたな、という感じでした。2日目は鈴鹿サーキットに近い白子までの32km、途中20kmほどのところから身体が左に少し傾き始めました。最初は、あれ、何だろう、どうしたんだろう、と思っていただけでしたが、傾きが次第に大きくなり、歩くと疲れるようになったのです。3日目は名古屋までの45km、10kmぐらいから傾き始め、35kmほどの長島スポーツランドではかなりの傾きとなりました。長島で夕食と休憩をとり、歩き始めたのが午後6時、そこから10km先の宿まで5時間ほどが、最初に述べた夜の苦行となったのです。
4日目朝、名古屋から帰宅し、1週間ほど休憩、疲れもとれたので、試しに1日32kmを2日連続で歩いてみました。なんともありません。2日目から身体が傾き出したのはいったいなんだったんだ、と思いながら、残りを歩こうと、翌々日の朝1番の新幹線で名古屋に出かけました。どおりで帰ってからリュックを片付けないと思った、と妻が呆れていましたが。
1日目の岡崎までの33km、2日目の浜名湖までの55kmは順調でしたが、3日目の掛川までの45kmで、最初の15kmあたりから身体が左に傾き始めたのです。結局3日目は予定を変えて袋井までの37kmとし、できるだけ身体を休めることとしました。4日目は島田までの28km、春の中断地点で、今回のゴールです。十分に休んだためか、最初は順調、気持ち良い歩きのときすらあったのですが、10kmほどから傾き始め、15kmほどのところではかなりの傾きとなってしまいました。東海道三難所「小夜(さよ)の中山」に入る手前では、後ろから自転車で来た高校生とおぼしき男の子がわざわざ立ち止まって、大丈夫ですか、と声をかけてくれるほどに悲惨な歩きとなっています。中山峠を越えて、長いながい、1km以上もある大井川の橋をやっとのことで渡り切り、島田駅に到着したときはもうヘロヘロでした。
一応お伊勢さん歩き旅は完結しましたが、新たな、大きな課題が残りました。これが解決しないと来年以降の歩き旅はありません。いまは原因が分からないので手の打ちようがないのですが、とにかくどないかしないといけません。実はもう一つ、買ったばかりのスマホを落として壊してしまいました。泣く泣く同じものを注文、明日届く予定です。これはお金で解決できることではありますが、大きな痛手です。とほほ・・・・。