二ヵ領用水は川崎を縦断する全長189.4kmともいわれる巨大な人工農業用水路で、江戸時代の川崎領の米生産を飛躍的に高めた。戦後は工業用水路となり、その後生活排水によってどぶ川となったが、現在は整備され、鳥や魚、そして人々が集まる憩いの場となっている。多くが蓋渠や暗渠となり水面を出しているのは32kmで、地図を頼りにそのうちの27kmを歩いた。(下図の赤線)
江川せせらぎ遊歩道 2003.10.5(日)
自宅から江川せせらぎ遊歩道(上記地図の青い屋根の自宅の西(左手)の堀)起点まで4.9km歩く。どぶ川として嫌われていた江川が親水公園として生まれかわっている。
渋川 2003.10.4(土)
川崎掘から分流して矢上川にでる渋川(上記地図の青い屋根の自宅すぐそばを流れる堀)を往復して5.2km歩く。川岸には彼岸花が咲いていた。
大師掘 2003.9.27(土)
自宅から下平間小学校で下水に流れ込むまでを5.1km歩く。都会の中で小さな流れとなった大師堀(上記地図で川崎市内に伸びる最後の部分)が子供の遊び場になっているのが印象に残る。
宿河原線 2003.9.27(土)
下平間小学校の後、久地の合流点から宿河原(下河原)取水口(上記地図で東名道と交差する付近の2つの堀の合流点から東側(右手)の堀の多摩川取水口)までを2.7km歩く。宿河原取水口堰堤の東京側川岸で1974年に台風による19戸流出事故があり、「岸辺のアルバム」(山田太一)の題材となった。
上河原線 2003.9.23(火)
久地から上河原(中野島)取水口(上記地図上で最北の多摩川からの取水口)までを7.5km歩く。二ヶ領用水が三沢川の下をくぐっている。
久地円筒分水 2003.8.31(日)
自宅から久地までを8.7km歩く。二ヵ領用水が平瀬川をくぐったところ(上記地図で東名道と交差する付近の2つの堀の合流点の少し下流)に4つの堀への分流設備、久地円筒分水がある。