東海道歩き旅

No.024:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮

 10回目の東海道歩き旅、自宅から伊勢神宮まで511kmを14日、1日平均36.5kmで歩きました。会社同期会がある伊東を経由しての歩きなので、いつもより45kmほど回り道となります。中間点を過ぎたころ、もう歩きたくない、と思うほどの疲れを経験し、まだまだ先が長いのに完歩できるのか、と危惧しましたが、原因が「寝不足」らしいと分かり、睡眠時間をできるだけ確保するように工夫し、何とか完歩できました。

 また、足指のマメにも苦しめられました。いつもは1カ所程度なのですが、今年は3カ所も。マメが固まって痛みが無くなったのは最終日で、それまでの疲れの要因のひとつにもなっていたのです。マメができる前に、足指を毎日揉むなどの、足指ケアの重要さを再認識しました。それに猫背がちの歩きの改善も課題です。歩くのが楽なので猫背になりがちなのですが、毎年ひどくなっています。

 歳とともに課題が出てきて、それがクリアできなくなったときが歩き旅を縮小もしくはやめるときかもしれません。

 費用は総額115,138円(同期会会費は除く)で、13泊の宿泊代76,983円(1泊5,922円)、14日間の飲食代26,435円(1日1,888円)、交通費8,510円、お土産3,2106円でした。


自宅から伊勢神宮までの14日間の行程です。<詳細地図を見る>


4月7日(日)午前0時57分自宅発 18時11分鴨宮着 64.78km


歩いて最初に出会う山、心和む平塚の高麗山。<写真へのクリックで拡大できます>

 出発前日、なかなか寝付かれず、もう出かけようとベッドから出ますが、その度に妻に引き留められ出発を断念、4回目ぐらに、妻の制止を振り切って出発しました。後日、友人たちから、遠足前の子どもみたい、と言われてしまいます。夜中の1時前に家を出て、宿泊予定だった平塚に昼の12時過ぎに着き、宿を変更して、17km先の鴨宮まで歩きました。


8日(月)9時50分鴨宮発 17時24分熱海着 27.44km


小田原城の桜が見ごろだった。<写真へのクリックで拡大できます>

 今年の会社同期会会場が伊東のホテルとなり、そこを経由して歩くことにしたので、2日目は熱海泊です。昨日鴨宮まで歩いたので30km以下の楽々歩きでした。


9日(火)5時34分熱海発 15時39分伊東着 32.67km


一大リゾート地の熱海を一望する。<写真へのクリックで拡大できます>

 海岸沿いの道を歩きます。海の眺めは良いのですが、車が多く、排気ガスが気になります。同期会集合時間とほぼ同時に会場ホテルに到着し、みんなからの出迎えを受けました。疲れてくると楽な姿勢の猫背になってしまい、到着時もかなりの猫背で、友人に指摘されています。


10日(水)終日雨の為、熱海にて休息です。


11日(木)4時47分熱海発 18時50分富士市着 48.17km


熱海峠は朝霧の中だった。<写真へのクリックで拡大できます>

 昨日まる1日休養したので、遅れを取り戻すためにも、沼津泊の予定をその先の富士市泊に変更しました。いつもは標高846mの箱根峠越えですが、今回は標高617mの熱海峠越え、でも峠手前の標高400mあたりに峠を貫通する長いトンネルがあり、峠越えではなく楽々峠通過となりました。


12日(金)8時45分富士市発 18時19分静岡市内着 36.94km


桜えびが躍る由比駅前<写真へのクリックで拡大できます>

 いつもは沼津発なので、由比到着が夕刻ですが、今回は昼間、このため桜エビのかき揚を食べずに通過しました。残念です。


13日(土)3時8分静岡市内発 19時35分掛川着 51.75km


旧東海道の宇津ノ谷(うつのや)集落は小さな宿場、休憩場だった。<写真へのクリックで拡大できます>

 今日掛川に到着すれば、熱海での1日雨宿りの遅れを取り戻せるので、夜明け前から歩きました。いつもは藤枝泊、今回はその26km先の掛川泊、このため藤枝市岡部町での美味しい甘酒での休憩はなし、由比の桜エビとともに心残りでした。


14日(日)2時41分掛川発 12時6分浜松着 30.34km


写真中央、信号と信号の間に小さく見える縦長ビルが浜松駅前のビル、直線距離で5km以上あり、歩いても歩いてもなかなか近づかない。<写真へのクリックで拡大できます>

 午後から雨の予報だったので、夜中に出て、午前中に浜松に到着しました。歩き始めて10kmほどでもう歩くのがいやになるほどの疲れ、浜松で十分な休息がとれることだけを励みに、だましだまし何とか歩き通しました。この先、40km超えの日もあるので、完歩できるのか不安になります。


15日(月)6時58分浜松発 19時7分豊橋着 39.77km


浜名湖からの風が心地よい。<写真へのクリックで拡大できます>

 昨日とは異なりまあまあ普通に歩けました。浜松で十分な睡眠がとれたためと思われ、昨日の疲れは寝不足が原因だったようです。完歩できる気になってきました。


16日(火)7時17分豊橋発 16時43分岡崎着 32.63km


豊橋の名前の由来となった豊橋を渡る。<写真へのクリックで拡大できます>

 岡崎手前藤川の道の駅で地元野菜料理をいただきました。いつもの通過時間なので、いつもの所でいつもの食事です。


17日(水)7時35分岡崎発 20時32分知立着 14.27km


岡崎城近くの矢作橋で日吉丸(後の秀吉)と小六が出会った。<写真へのクリックで拡大できます>

 雨の予報なので、名古屋泊の予定を26km手前の知立泊に変更して、7時半ごろ出発、9時前から雨となり、近くの喫茶店で雨宿りをしていましたが、12時ごろから昼食の客が入り始めたので追い出されました。雨のためか空席はまだまだあったのに。喫茶店のお客さんが近くにマックがあることを教えてくれたので、小雨の中を30分ほどかけてマックに移動、雨がやみそうになった18時過ぎまでおいてもらいました。大きなマックで空席が沢山あったので助かりました。


18日(木)7時37分知立発 15時36分名古屋着 27.35km


名古屋港<写真へのクリックで拡大できます>

 知立の旅館で美味しい朝食をいただき、7時30分過ぎに出発、14時に名四国道沿いのいつもの定食屋で昼食兼夕食、15時半ごろ名古屋のトラックステーションに着き、大きな湯船でゆったり、ゆっくりしています。


19日(金)4時19分名古屋発 18時4分鈴鹿着 44.84km


伊勢湾に流れ込む木曽川とこの長良・揖斐川、江戸時代は熱田神宮から桑名までの船で渡っていた。<写真へのクリックで拡大できます>

 今日は40km超えなので、昨日早めに寝て夜明け前に出発しました。12時半ごろ四日市駅前のおにぎりの桃太郎でうどんと稲荷、16時ジョイフルで夕食をとり、18時過ぎに鈴鹿市白子に到着、やはり睡眠を十分にとれば、40km超えでも普通に歩けることが分かりました。伊勢湾堤防沿いのいつもの道では、海を眺めながらの心地良い歩きとなっています。


20日(土)7時32分鈴鹿発 18時0分松阪着 34.27km


旧伊勢街道、雲出川橋には常夜灯があった。<写真へのクリックで拡大できます>

 12時半に500円のカルビ丼で昼食、ワンコイン丼に引かれて入りましたが、あまり美味しくありません。16時横綱ラーメンで夕食、早く寝る為に早く夕食をとるようにしています。


21日(日)7時30分松阪発 14時13分伊勢神宮着 25.8km


伊勢神宮内宮鳥居前に到着。<写真へのクリックで拡大できます>

 伊勢手前でへんば餅を、お伊勢参りの人が宮川の渡しで馬を返して、休みがてらいただいたのがへんば(返馬)餅だそうで、店で出されたお茶とともに美味しくいただきました。14時過ぎに伊勢神宮到着、4日前の17日に天皇、皇后両陛下が伊勢神宮へ在位中最後の訪問をされたためか、大変な人出でした。


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No.023:江戸時代の旅体験-京都から掛川、自宅から掛川 (2018年05月06日)

 9回目の東海道歩き旅、京都三条大橋からお江戸日本橋を目差しましたが、掛川で転倒して右膝をいため一旦帰宅、3日休んで、自宅から掛川までを歩きました。前半が8日、後半が6日の計14日、計500キロで1日平均35.7キロでした。途中3日休んだためでしょうか、後半はあまり疲れることなく、掛川から帰宅後すぐに日々ウォーキングを始めています。昨年は始めるまでに2週間かかりました。9回目は、食事時間、場所、内容を書き残します。

No.022:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2017年05月30日)

8回目の東海道歩き旅、お伊勢さんまで466キロを13日1日平均35.8キロで歩きました。12泊というスローペースは初めて、最速で9泊、雨での連泊があったり、2回に分けての完歩のときもせいぜい11泊でした。2年前の、身体が傾いて春秋2回で完歩したり、昨年の、気分よく歩けるときが少なかったりで、1日50キロ以上は歩かない計画としたのです。  確かに、気分よく歩けるときが昨年よりも少しは増えた気がしますが、歩く日数が増えた分、全体の疲労度は変わらないようにも思います。よれよれで帰宅しており、日々のウォーキングを再開したのは昨年同様帰宅後2週間後でした。疲労のためか、起き上がると回転性のめまいと吐き気がする、「良性発作性頭位めまい」と推定される様態にもなっています。このよれよれ度を今後改善すべく、歩き、食事、睡眠がどうなっていたかをここに記録しておきたいと思います。理想を言えば、帰宅の翌日から日々のウォーキングを始めることができるくらい、疲労の残らない歩き旅にしたいのですが・・・・。  費用に関しては、総額90,724円(昨年は87,744円)、1日平均6,979円(昨年は7,058円)でした。内訳は、12泊の宿泊代が59,870円(昨年11泊で57,700円)、1泊平均4,989円(昨年は5,245円) 、飲食代が22,564円(昨年は21,754円)、1日平均1,736円(昨年は1,813円)、帰りの交通費が8,290円(昨年と同額)でした。

No.021:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2016年05月04日)

 7回目の東海道歩き旅でした。毎日の行動は、午前6時前に起床、宿でしっかり朝食をとり午前7時に出発、昼食は軽く牛乳とクッキー、午後3時から4時で夕食、午後6時に宿に到着、洗濯と入浴し、午後8時過ぎに就寝、といったところです。疲れをとるために、9時間以上は寝るようにしていて、夕食が苦労の種となります。午後3時か4時には夕食をとりたいのですが、この時間に営業している店が少ない上に、幹線道路を避けて歩いているので店そのものがあまりありません。また、食事に時間がかかるとそれだけ寝る時間が削られるので、どうしてもファーストフード的なものとなります。改善すべき大きな課題なので、今回はどのような夕食だったのかをここに記録しておくこととしました。

No.020:江戸時代の旅体験-伊勢神宮から島田- (2015年11月14日)

 春のお伊勢参りが202km歩いて島田で頓挫したので、残りを秋に、伊勢神宮から島田まで268kmを歩きました。6回目の東海道歩き旅完歩です。ところが今回は、歩いているうちに身体が左横に傾き、後ろから見ると逆「く」の字になってしまうようになりました。このため3日歩いて帰宅、1週間ほど休んで、また4日歩いての完歩でした。原因は分からず、このままだと来年の7回目はありません。どのような状況だったのか、ここに記録しておきます。江戸時代にもこんな人がいたかもしれません。

No.019:江戸時代の旅体験-自宅から島田- (2015年05月25日)

 今年のお伊勢参り450km歩き旅は島田202kmで頓挫し泣く泣く帰宅の途につきました。原因は初日にできた足のマメ、潰れてからも歩き続け6日目の朝ついにギブアップしたのです。この秋に何とか続きを歩けたら、と考えています。 

No.018:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2014年05月15日)

 今年の東海道はお伊勢参り、463キロを9日で歩きました。平均で1日51キロです。初日4月28日が75キロ歩いて箱根湯本泊、29日箱根を越え34キロ歩いて沼津で雨となり宿泊、30日雨で沼津に1日足止め、5月1日から6日まで、静岡56キロ、掛川53キロ、湖西(浜名湖の西)56キロ、知立58キロ、四日市54キロ、松阪53キロと、6日間連続で1日50キロ超を歩きました。最後の7日は伊勢神宮までの25キロです。今年も元気で歩いたお伊勢参り、連日の50キロ越えでひとつの自信がつきました。以下、今回どのように歩いたのか、GPS記録を見ながら振り返ってみました。今後の計画立案に役立つデータが一つできたような気がします。

No.017:江戸時代の旅体験-名古屋から伊勢神宮- (2013年11月11日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、春に8日間367.8km歩いて名古屋に到着したところで中止となり残念な思いをしました。続きをこの秋に、ということで名古屋から伊勢神宮までを3日間108.8km歩きました。これで4回目の東海道歩き旅完歩です。

No.016:江戸時代の旅体験-自宅から名古屋- (2013年05月23日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、11日間で455kmの予定でしたが、8日間367.8kmで中止して名古屋駅から新幹線で戻りました。転んで足首を強く打ったためです。8割ほどの行程で打切りとなり、4回目の東海道歩き旅完歩は来年に持ち越されました。

No.015:江戸時代の旅体験-自宅から京都- (2012年05月24日)

 川崎の自宅から京都までの歩き旅、11日間で498.2km、1日平均45.3kmでした。今年は3日目に足裏にマメができてしまい苦しい歩きとなり、もう歩けない、と思った瞬間もあります。現代では、何かあればいつでも帰ることができますが、帰るに帰れない江戸時代、場合によっては大変な思いをした人も多かったのではないでしょうか。なお、合計498.2kmは、持参したGPS機で記録された距離です。地図上の計画ルートでは478.5kmなので4%ほど回り道などをしたことになります。

No.014:江戸時代の旅体験-自宅から京都- (2011年05月05日)

 川崎の自宅から京都まで11日間連続で歩いて合計510kmとなりました。歩きが少々辛かったのは4日目のみ、その他の日々は疲れはするものの、翌朝にはとれてまた元気に歩ける、京都に着いたときも、まだまだ歩ける、といった感じでした。日常よく歩いていた江戸時代の人にとっての歩き旅は特別なことではなかった、そんな気がしています。江戸時代実感の旅です。


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