中学同窓生との会話が予想外に楽しい。45年間ほとんど交流がなかった割には、共感や納得が多々あるのです。考え方や生き方が似ているためかもしれません。2年前から飲み会を始め、今月初旬に3回目がありました。初回は少しぎこちなさがありましたが、3回目となると最初から本音トーク、それも楽しい一つです。そのうちの一人は大学教授で、大学院を出て就職した大学で今も頑張っています。特に彼と話が合うのですが、それは私も、大学院を出て就職した会社で定年まで務めた同じような道のりだったからかもしれません。
彼が若いころにやっていた予備校講師のアルバイト、それは厳しいものだった、との話がありました。受講する生徒の数で収入が決まる、人気のない講師は収入も少なく、不人気が続けば辞めざるを得ない、そんな中で、友人の授業は受講待ちができるほどの、いわいる行列のできる授業だったそうです。教えることには自信がある、と言い切ります。
大学の先生になったときに、研究分野ではなく教育分野で勝負しようと考えたそうです。研究では勝てないと。そんな彼にとって、予備校講師の経験はいい経験だったと言います。自分の居場所を確保するために頑張るのは誰しも同じでしょうが、競争の激しい団塊世代はその思いがより強いような気がします。椅子取りゲームのようなもので、取れそうな椅子があればすかさず取る、それも遠くにあるリスクの高い椅子よりも、近くの確実な椅子を。私も、就職するときに、これなら勝負できるという会社と職種を選びました。関東ではほとんど知名度のなかった関西の電機メーカーでしたが、やっていることの将来性と、ここなら自分の実力を十分に発揮できる、勝負できると考えたのです。彼同様に、確実な椅子を取りに行ったのです。
工業高校だったので、大学受験のための授業はありません。助けてくれる先生がいたものの、基本は自分自身で受験勉強するしかないのです。そんな経験を経て大学で教えるようになった彼は、授業への出席よりも、生徒自身でどれだけ勉強したかを重要視しています。自分で勉強さえすれば、授業には出なくてもいい、と生徒に言っているそうです。大学受験の成功で得た自信がそんなやり方を取らせているのではないでしょうか。そのとき得た自信の大きさが、同じような環境下で受験経験をした私には想像できるのです。私の場合は、そういった自信がその後の人生を前向きなものにしてくれました。彼にもそんなことを感じるのです。
大学教授の定年は70歳、1コマ90分授業などはなんともなかった若いころとは違い、最近はしんどい、と言いつつも、早期に退職した同僚が辞めて数年後に亡くなったのをみて、やはり現役を続けよう、と考えているようです。私も、週2日といえどもまだ働いているので、まだまだ彼と同じような道を歩んでいるのではないでしょうか。これからも共感や納得のできる会話が楽しめそうな気がします。楽しみです。