友人

No.063:中学の同窓生

 中学同窓生との会話が予想外に楽しい。45年間ほとんど交流がなかった割には、共感や納得が多々あるのです。考え方や生き方が似ているためかもしれません。2年前から飲み会を始め、今月初旬に3回目がありました。初回は少しぎこちなさがありましたが、3回目となると最初から本音トーク、それも楽しい一つです。そのうちの一人は大学教授で、大学院を出て就職した大学で今も頑張っています。特に彼と話が合うのですが、それは私も、大学院を出て就職した会社で定年まで務めた同じような道のりだったからかもしれません。

 彼が若いころにやっていた予備校講師のアルバイト、それは厳しいものだった、との話がありました。受講する生徒の数で収入が決まる、人気のない講師は収入も少なく、不人気が続けば辞めざるを得ない、そんな中で、友人の授業は受講待ちができるほどの、いわいる行列のできる授業だったそうです。教えることには自信がある、と言い切ります。

 大学の先生になったときに、研究分野ではなく教育分野で勝負しようと考えたそうです。研究では勝てないと。そんな彼にとって、予備校講師の経験はいい経験だったと言います。自分の居場所を確保するために頑張るのは誰しも同じでしょうが、競争の激しい団塊世代はその思いがより強いような気がします。椅子取りゲームのようなもので、取れそうな椅子があればすかさず取る、それも遠くにあるリスクの高い椅子よりも、近くの確実な椅子を。私も、就職するときに、これなら勝負できるという会社と職種を選びました。関東ではほとんど知名度のなかった関西の電機メーカーでしたが、やっていることの将来性と、ここなら自分の実力を十分に発揮できる、勝負できると考えたのです。彼同様に、確実な椅子を取りに行ったのです。

 工業高校だったので、大学受験のための授業はありません。助けてくれる先生がいたものの、基本は自分自身で受験勉強するしかないのです。そんな経験を経て大学で教えるようになった彼は、授業への出席よりも、生徒自身でどれだけ勉強したかを重要視しています。自分で勉強さえすれば、授業には出なくてもいい、と生徒に言っているそうです。大学受験の成功で得た自信がそんなやり方を取らせているのではないでしょうか。そのとき得た自信の大きさが、同じような環境下で受験経験をした私には想像できるのです。私の場合は、そういった自信がその後の人生を前向きなものにしてくれました。彼にもそんなことを感じるのです。

 大学教授の定年は70歳、1コマ90分授業などはなんともなかった若いころとは違い、最近はしんどい、と言いつつも、早期に退職した同僚が辞めて数年後に亡くなったのをみて、やはり現役を続けよう、と考えているようです。私も、週2日といえどもまだ働いているので、まだまだ彼と同じような道を歩んでいるのではないでしょうか。これからも共感や納得のできる会話が楽しめそうな気がします。楽しみです。

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No.212:LINEグループ (2024年09月30日)

 LINEグループが便利です。中・高校同期と大学同期の2つのLINEグループがあり、日常的に話をしています。たわいもない話ですが、それぞれの暮らしの断片が見えたりして、参考になるときもあります。話題に無理に入る必要はなく、聴くだけのときもあり、逆に、言うだけで反応のないときもあり、どちらも、気心の知れた数人の仲間なので気楽に楽しんでいます。

No.210:友人が帯状疱疹になりました (2024年07月31日)

 先月、友人から「顔の右半分に何ヶ所か疱疹ができておりこれがかなり痛い」とのLINE報告、受診したとき「帯状疱疹ですか?」と訊ねると、「いえ、単純疱疹です」と明言されたとのこと。でも、1ヶ月経っても治まらないので別の病院で診てもらったら、「帯状疱疹です。いまからでは薬の効果はないので、自然治癒を待つしかありません」と言われたそうです。最短であと1ヶ月はかかるとも。

No.209:「ありがとう 秀吉さん」の長浜 (2024年06月30日)

 今月は長浜へ、秀吉が初めて一国一城の主となり、城を造り、城下町を作りました。周辺から商人を集め、楽市楽座などの施策で町の経済を発展させた秀吉は、町衆に慕われ続けていたようです。天下人となって作った城下町、大阪の原点とも言える町なのでしょう。

No.206:日本海に蟹を食べに行きました (2024年03月31日)

 「(福井県の)小浜に蟹を食べに行くけど・・・(行かないか?)」と京都在住の友人からメールが届きました。京都に住んでいた若いころ、日本海での蟹といえば、蟹、蟹、蟹の蟹尽くしのイメージがあって、しかも、今回のメンバー5人全員が会社の元同僚で、内2人は私と同じ大学、これは行かなくては、と即決しました。

No.201:14回目の会社同期会 (2023年10月31日)

 同期入社を中心とした、かつての遊び仲間が岐阜・下呂温泉に集まりました。関西在住6名、関東在住6名の12名のうち、今回は8名、同伴奥さん4名で計12名の参加でした。会社在籍中から家族ぐるみでの付き合いです。

No.200:恐山と奥入瀬渓流 (2023年09月30日)

 友人夫妻との旅行、今回は恐山と奥入瀬渓流でした。我々夫婦だと電車、バス、徒歩での旅行なので、車を運転する友人との旅行は、車でしか行けないところ、あるいは車でないと便が悪いところ、となります。今回は、新幹線と在来線で下北半島のむつ市に、そこからレンタカーで、霊場恐山、本州最北端大間崎、下風呂温泉、車で南下して、ミシュラン・グリーンガイド二つ星の奥入瀬渓流、カルデラ湖の十和田湖、田沢湖近くの国見温泉、そして盛岡から新幹線で東京、という行程でした。

No.196:伊豆大島G7 (2023年05月31日)

 今月、伊豆大島にG(爺)7が集結しました。大学同期の部活仲間7人、島を観光し、椿油での贅沢なフォンデュをいただき、濃厚な大島牛乳やそのアイスを味わい、夜の勉強会では2人の真剣な議論を子守歌に4人が眠りに陥りました。昨年11月の新潟県松之山温泉での53年ぶりの合宿、その楽しさがまたまた再現されたのです。

No.190:53年ぶりの合宿 (2022年11月30日)

 大学同期の部活仲間との53年ぶりの宿泊旅行です。卒業後はほとんど会うことがありませんでしたが、定年間近になってから数カ月に1回程度会うようになりました。そのころ始めたこのブログ、名前「リタイア間近組」はこの仲間のことです。コロナ禍では、オンラインでの飲み会を毎月のように開催していました。3年ぶりのリアル飲み会、しかも泊り、です。

No.161:会社仲間とのオンライン飲み会 (2020年06月30日)

「この中で、誰が一番早く(10万円の特別給付金を)受け取るか、楽しみだ」、行政の効率の悪さ、IT化の遅れをみんなで嘆いていたときの一言です。会社仲間とのオンライン飲み会でのこと。毎週金曜日、夜6時から10時頃までの4時間ほど、いろいろな...

No.159:オンライン飲み会 (2020年04月30日)

 人から人に感染する新型コロナウイルス、無症状の感染者がいるので、自分も含めて、人はコロナ、だと思っての行動が必要です。このため、日々のウォーキングで人と1m以内ですれ違うときは息を止めています。数秒で、ソーシャルディスタンスの2mは確実に離れます。ジョギングしている人のときはもう少し長く息を止め、かつ道の反対側に移動します。


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