中学生のときに大好きだった国語の先生、平山先生が5月に亡くなりました。享年85歳、わたしが中1のときは34歳ということになります。とても優しい先生で、国語の時間が楽しみだったのを覚えています。
数年前、40年以上も会っていないわたしをみて「よう、XX君」と名前を呼んで話しかけてくれました。生徒一人ひとりをしっかり見つめてきた先生、あのころ大好きだった理由が少し見えた気がしたものです。そのとき先生が特攻の生き残りであることを知りました。先生の教育に対する真摯な姿勢の根元には、カトリック信者ということとともに特攻経験者ということもあったにちがいありません。そんな先生の教え子だったわたしは幸運でした。
そのとき知ったもう一つのこと、それはわたし自身に関係したことで、幸運だったという思いをさらに強くするものでした。カトリックのサレジオ会が運営していた工業高校の付属中学に入学したわたしは卒業後そのまま工業高校へ、卒業したら就職、と考えていた母の思いをよそに、大学を目指すようになります。50人ほどのクラスで進学希望者は数人、専門教育中心の工業高校に受験教育などはありません。そこで倉本先生という方が受験勉強のための私塾を開いてくれました。週何回か先生のご自宅に伺い数人で指導を受けます。これがなかったら大学受験にはおそらく失敗していたでしょう。この私塾、平山先生が倉本先生にお願いして実現したということを数年前のそのときに知りました。中学を卒業して担当から離れた後も、高校で学ぶ我々をしっかり見つめていてくれたのです。深い感謝の念とともに、大好きになったのは当然だったとも思えるのです。
先日、学校跡地にいまも残る教会で追悼ミサがとり行われ、360名もの参列者で満席となりました。ミサ終了後、教会に隣接した会館での追悼集会となり、みなさんが亡き平山先生の思い出を語ります。わが校の有名人に水戸黄門うっかり八兵衛役の高橋元太郎さんがいて、仕事の都合で参列できないと思っていたが、突然時間ができたので出先から駆けつけた、先生に歌をやれと言われ、リサイタルを来年開くはこびとなったが、先生にぜひ来ていただきたかった、と会場をしんみりさせました。真の教育者であることをあらためて感じる集会でした。
この集会で45年ぶりに再会した友人と、同じ仲間だったあと2人が集会に参加していなかったので、この2人を誘ってミニ追悼集会をやろうということになりました。4人の都合で、9月開催となりそうですが、とても楽しみです。お互い家に遊びに行ったりした仲間ですが、高校卒業後の交流は途絶えており、ここにきて再開となりそうです。「また仲良くやれ」と平山先生がおっしゃっているのかもしれません。