子供時代を心豊かに暮らすために、なくてはならないもののひとつが友達でしょう。定年後も同じような気がします。充実感を得る糧が、仕事から遊びや趣味に移り、子供時代のように時間を忘れてそれらに熱中するには、一緒に遊んでくれる友達や趣味の価値を分かちあえる友達が欠かせないからです。
そんな遊び仲間に大学時代の友人たちがいます。卒業してから定年間近までの30年以上の間は一緒に遊ぶことなどほとんどなかったのですが、最近は数か月に1回のペースで遊び、飲むようになりました。東京大空襲を思い浅草へ、下町情緒を楽しもうと巣鴨へ、とらさんの世界を見ようと柴又へ、戦前戦後の暮らしを知ろうと昭和館へ、最先端のプラネタリウムで宇宙を学ぼうと科学未来館へ、富士山に沈む夕陽を見ようと東京タワーへ、そして先日は、懐かしい電車に乗ろうと交通博物館へ出かけました。それらのあとの飲み会が主な目的ではあるのですが、一応はテーマを決めて行動します。そこが団塊の世代らしいところでしょうか。
子供時代の友達がそうであるように、興味や生活環境が似ていないと遊び友達にはなりにくく、大学時代の友人はまさにぴったしなのです。同じような歳、職業歴、経済感覚で、クラブも一緒で、学生時代を家族と同じぐらい長い時間一緒に過ごした仲間で、友達としてのルールができていてリラックスできます。少しは我慢しなければいけないこともありますが、そこは子供時代の遊び仲間と同じです。
先日もちょっとした事件がありました。交通博物館の後は近くにある大宮大成鉄道村での飲み会でしたが、まず風呂に入ってから飲み、いい気分になったところでもう一度風呂に入りました。飲んだ後だから風呂はやめるという慎重派1人が残り、その他の楽天派3人が風呂に行ったのですが、1時間半経っても戻らず、心配した慎重派が探すと、なんと3人はすぐ近くでぐっすり寝入っていたのです。さんざん待たされた慎重派の怒りが爆発したことはいうまでもありません。でもそこは我慢、3人へのきつい説教でその場は落ち着きました。
他の場面では、別の人が我慢することになります。若いころを一緒にすごした、我慢するに値する大切な友人たちだと考えているからこそでしょう。ところでこの慎重派、酔って風呂に入る危険性をホームページで翌日早々訴えていました。楽天派3人はホームページでも説教されたわけです。でも、そんなことも楽しい思いとなってしまう、そんな仲間なのです。