文章がすんなり頭に入ってこない、何が飛び出してくるのか予測がつかず、まるで混ぜご飯を食べているようだ。というのが会社の同僚の感想だった。何の前触れもなく、しかもまるで前述の人名のように新しい人名が出てくる。1つの段落に1つの主題、という原則も崩れている。
最初の文章は、犬と暮した女の子が成長して、世間でも認められるアーティストとなったこと、子供のころの犬との思い出、
現在の作品に犬が描かれていることなどが関連付けすることなく並べただけになっていて、段落間でのつながりがない混ぜご飯状態となっている。また、「タローは昨年暮れ、タローを選んだおばあちゃんのお葬式のその日に18年間の生涯を閉じました。」と、それまで一言も触れていなかったおばあちゃんがいきなり出てくる。印象に残った話なので無理やり入れたのだが、このため段落内でも混ぜご飯状態となった。
まずテーマを「犬が感受性豊かな子供を育てる」に絞った。並べた各事象とこのテーマとの関連を考察し、テーマに関連した事象を補強していく。テーマと関連付けできない事象は捨てる。そして残った事象をつないで1つの文章として仕上げる。それは料理のようでもある。テーマ選択が最も大切で、お寿司にするのかステーキにするのかといった選択となる。取材事象は食材で、執筆がその調理ということになる。どれが欠けても読者には喜んでもらえない。
山田ズーニー氏の
「おとなの小論文教室。-Lesson110 汚しのある表現-」にも、取材後に悩む氏の友人からのメールが紹介されている。私のレベルはこのような高度なものではないが、共感できるメール内容だ。
*****「Lesson 139」からの抜粋*****
取材から帰ってくると私は毎回、書けなくなります。
取材前は自分なりの仮説があって、原稿の構成もだいたい決まっている。
でも取材に出ると、仮説からそれた情報(魅力的な!)をわんさともらってしまって、より書けなくなる。
書くために取材に行くのに、取材に行くと書けなくなる。
そしてそこからが一番苦しい勝負です。
この情報(事実)の中から何と何を選んで、何を捨てて、どんな物語を引き出すのか。
冷蔵庫の中を見てこの材料で何をつくろうか?
というのと似ています。
こう組み合わせると3品できるけど、どれもメインにはならない。
これを組み合わせるとメインになるけどあまりに平凡だとか。
そして何とか献立が決まるのですが、他にもありえた献立を思って、いつもさみしくなります。
レストランの食事ではあるけど栄養バランスのよい家庭の食卓ではない、美しすぎてホンモノじゃない感じなのです。
まぁ、新聞が雑多な情報だと読者が忙しいですけど・・。
整理しつくすと、途端に自分にとってもう魅力的でなくなってたりもしますし。
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