叔母が大切にとっておいてくれた26通の絵葉書、アメリカ駐在中に旅行先からわたしが送ったものです。丁寧な保管状況からは、葉書が届くたびに目を細めて読んでいる叔母の姿が想像できます。駐在3年半で26通、だいたい1ヶ月半に1通という頻度、多い時には毎月のように旅行していたことを思い出しました。残業や休日出勤はなし、休暇は1週間から2週間、それが当たり前、という時間に恵まれた暮らしのなかで旅行に精がでるのは当然だったのかもしれません。
住いにも恵まれ、会社まで車で15分、芝生に囲まれ、ときどきウサギやリスが遊びに来るという環境でした。自分の時間と住いに恵まれたこの生活は帰国と同時に失われました。当然と思う半面、少しでも取り戻したいという思いは常にあり、帰国して半年後に職場全体が移動し、新幹線通勤を余儀なくされて1年半後、都内の広告代理店に移りました。
アメリカでの駐在経験は、わたしの人生観を変え、帰国後の人生を変えました。恵まれた生活を体験したというだけでなく、アメリカ人のライフスタイルや考え方を見つめるなかで、会社最優先の考え方も変わりました。それまでは会社への忠誠心も依存心も高い、典型的な会社人間でした。それが一定の距離を置いて会社を見るようになったのです。仕事は生きがいとなっても、会社は必ずしも生きがいとはならない、と。それが正常な姿だ、と考えるようになったのです。視野に入ってきた定年後の生活、そこでの生きがいを考える時期だったこともあります。若いときであれば会社を移ることはなかったでしょう。
広告代理店での仕事は快適でした。忙しさは移る前以上のときもありましたが、少人数で完結する仕事で、自分の能力で給料を得ているという実感と、会社には従属していないという気概を持つことができ、また、いままでのしがらみが全く無く、自分自身の考えで自由に行動することができました。ここでの仕事は世の中と直結しており、自分の能力のうちの何を強化したら世の中の役に立つのか、言いかえると何がお金になるのか、ということを考えるようにもなりました。以前であれば「世の中の役に立つ」ではなく「会社の役に立つ」ということであり、そこには内向きの視野の狭さがあったように思います。
自分の能力を磨くために学校にも通い、そこでの仲間もでき、それが新しい仕事を得るきっかけともなりました。その仕事は更に快適で、広告代理店の仕事も続いていますが、軸足は新しいその仕事に移ろうとしています。天地人というのは、天の時、地の利、人の和、だそうです。大胆にリスクをとることができる定年前後の時、働く場や学ぶ場の多い東京の地の利、学校などで広がる人との輪と和、アメリカからの帰国以降のそんな状況をこれからも大切に生かしていきたいと考えています。