「運転免許を返納した」と、新たに交付された運転経歴証明書なるものを見せてくれました。大学同期の友人です。便利だが一歩間違うと凶器にもなる自動車、高齢者の運転による事故が社会問題となっているなか、道義心の強い彼らしい決断です。普段走っている道路で間違った道に入った、と決断に至ったひとつのきっかけを話してくれました。その程度のことで、と思えないこともないのですが、そこが彼らしい潔さです。
かく言う私も返納しました。道義心、といった高尚な気持ちのかけらもなく、単に、更新時の視力検査に自信がなかったのです。免許更新時期になったので新しいメガネを作ろうとメガネ屋さんに行くと、度のかなり強いレンズでも運転視力がでませんでした。これ以上強いレンズだと医者の診断書が必要です、と言われました。数日後、目の調子が良さそうなときに別の店に行きましたが、同じ答えでした。そこで、メガネを作るのをあきらめたのです。
ここ数年、近視が進んでいるのを感じてはいましたが、これほどまでになっていたとは。日常生活にはあまり支障ないのでさほど気にしていませんでした。悪化ぶりを目の前に突き付けられた思いです。元気に過ごしていても、静かに、でも確実に老いが進んでいます。
版画家の棟方志功さんは極端な近視で、メガネが板に付くほど顔を近づけて板画を彫ったそうです。制作過程をテレビで見たことがありますが、女性モデルの肌に触れんばかりに顔を近づけていた姿が印象に残っています。制作のためであれば人目もはばからない、目が悪くても自分の目でしっかり確認して描く、そんな気迫に圧倒され、湧き上がるような強い制作意欲を感じました。身体の一部機能が衰えたたときに、どのように暮らすか、で大切なことは、強い目的意識なのかもしれません。私が尊敬する三浦敬三さんも、スキーで滑る、という強い目的意識をもって、100歳近くなっても毎日のトレーニングを欠かしませんでした。先人の生き方や知恵に学びながら、老いへの道を元気に歩んでいきたいものです。
アメリカ赴任を機に取得した運転免許、47歳、23年前でした。歳でもあり、赴任までの期間も短かったため、いくつかの教習所に「無理です」と断られたことや、取得後最初の運転となった赴任先のシカゴで、1台分空いていたところへの駐車がどうしてもできず、同僚に頼んだこと、などを懐かしく思い出しました。アメリカでは、歩いているのはアライグマぐらい、という広くて安全な道を、3500ccの快適な加速、快適な乗り心地の車で、3年半の駐在中、実にいろいろなところに出かけました。日本では一度も運転していません。先日、免許証返納によって発行された運転経歴証明書を受けとりました。免許証そっくりなのですが、「自動車等の運転はできません」と赤字で書いてあります。少し寂しい思いもしています。