いよいよ高齢者の仲間入り、まだ前期高齢者ですが、市から「すこやか福寿手帳」が届きました。気分悪いなぁ、と思いつつもめくってみると毎月1日は銭湯が無料とあります。早速、行ってきました。
自宅から300mほどのところにあり、どんな銭湯なのか前から興味があったのです。夕方だったので全員、といっても3,4人ですが高齢者、後期高齢者とおぼしき方もおられます。広い湯船で手足を伸ばして、のんびり、ゆったり、心身ともにリラックスして、夕食のビールがおいしかったこと、いやー最高でした。
でも65歳は高齢者じゃないよなぁ、と思っていたら、「高齢者『65歳以上』見直しを、内閣府の有識者検討会」(2月23日産経ネットニュース)の見出しが。65歳以上を高齢者と決めた50年ほど前の平均寿命は男性63.60歳、女性67.75歳(1955年)でしたから違和感はなかったのでしょうが、いまは男性79.64歳、女性86.39歳(2010年)と、65歳といえどもまだまだ元気で、高齢者と呼ばれるのには抵抗があります。
このニュースの見出しに我が意を得たりと記事を読むと、これが結構深刻な内容でした。世界に前例のない少子高齢化社会に突入した日本、社会保障制度で支えられている高齢者も支える側にまわらなければいけない、ということなのです。15歳から64歳の現役世代が65歳以上の高齢者を支えると考えた場合、50年ほど前は高齢者1人を11.2人が支えていた(1960年)のですが、いまは2.8人(2010年)、将来は1.3人(2055年)になると見込まれています。
65歳以上でも働く、稼いで社会保障制度を支える側にまわる、そんな意欲は多くの高齢者が持っているはずなのですが、実現は難しい。暑い日も、寒い日も、雨の日も、雪の日も、朝早くから満員電車に乗って通勤し、夜遅くまで、休日もろくにとらずに働き、嬉しいことも多いが、ときには胃が痛むほどの深刻な事態にも陥る、それが「働く」イメージです。それに耐えうる体力と気力は残念ながらもうありません。体力や気力に応じてマイペースで、楽しくできる仕事があったとしても収入は少なく、社会保障制度を支える側にまわるのは難しいでしょう。
いまの生活を支えてくれている年金、もともとは自分で積み立てたお金、という部分はあるものの、多くはいまの若い人たちが働いて稼いでくれているお金です。そうでなければこの高利率や生涯での支給は無理でしょう。支えられている身の上であることは確かなのです。だからといって「働け、稼げ」と言われても、「働き蜂」以外の働き方を知らない年代にとってはそう簡単ではありません。65歳になっても「働き蜂」となって働き体調不良となった友人がいます。いまは週休3日でややマイペースとなっていますが、悲しいかな、仕事を続けている限りは再び「働き蜂」となってしまう可能性は大でしょう。仕事である以上、手を抜く、ということがなかなかできないのです。
でも、65歳以上の高齢者1人を1.3人で支えなければならないという少子高齢化社会では、65歳以上も働き手とならざるを得ないでしょう。そのときには「働く」ことが、「楽しい」「面白い」「幸せ」で「高収入」となっていてほしいと願います。それが無理であれば、「支える」のは無理としても「支えられる」ことをできるだけ軽くする、可能な限り自立することを考え、「高収入」ではなく「低収入」である代わりに、楽しく働く、という選択肢になりそうです。
今月はスキーを楽しみました。気ままな友人たちと、朝の新幹線でビール、スキーで運動して、温泉でゆったりして、帰りの新幹でまたビール、ここ数年の年中行事となった至福の1日です。近年にない寒さで、リフト上では顔が凍傷になるのでは、と心配になるほどでしたが、雪の上を滑る快感は十分に満足できるものでした。支えられている高齢者であっても、こんな楽しみがあってもいいでしょう。健康を害したら、もっと支えてもらうことになるのですから、健康維持のためのスキーとでも考えればいいでしょう。
明日1日は銭湯無料の日ですが、友人たちと東京で勉強会&会食です。食事前にいつも銭湯に行くのですが、川崎市の「すこやか福寿手帳」は東京では通用しないようです。念のため手帳を確認しました。残念です。