20年ほど住んでいた京都ですが、お正月を過ごした覚えがありません。そのため、年末年始の京都、とても楽しみでした。12月31日朝早くから家を出て、1月5日夜に帰宅、5泊6日の比較的ゆったりした京都滞在です。いたるところが観光スポットで、行くところに困ることは無く、美味しいものもたくさんあります。
大晦日にはホテル近くの頂法寺(六角堂)で除夜の鐘を撞かせてくれる、というのでその気でしたが、ホテルでお風呂に入りビールを飲んだら外出する気力がなくなりました。いたるところで除夜の鐘の音が聞こえる京都、ということでしたがホテルの部屋では聞こえず、撞けなかっただけでなく、聞くこともできませんでした。
でも元旦の朝は、京都のおせち、白みそのお雑煮、お酒などがホテルのレストランに用意され、ビュッフェ形式なので、1膳目、2膳目、3膳目と食事とお酒がすすみました。お正月に実家に集まった兄弟と、話をしながら、おせちで延々とお酒を飲んでいた楽しいひと時を思い浮かべ、ついつい飲みすぎました。実家に集まらなくなってからは、海外での元旦が多く、日本のような特別感は味わえません。このホテルにしてよかった、と思えるひとときでした。
いろいろ観光しましたが、予想外だったのは将軍塚青龍殿です。大舞台から京都の町が一望できるのですが、すぐ近くの市営展望台と大して差はないだろうと高をくくっていたのですが、これが大間違い、一望できる範囲が京都市街ほぼ全て、境内にある別の展望台からは大阪も望めるというスケールの大きさで、大満足でした。
御金(みかね)神社も印象に残りました。「おかね」と書くだけのことがあって、拝殿の鈴は黄金の巾着に包まれ、垂れ下がった太い鈴緒も金色、標石の文字も鳥居も金色でした。金色の鳥居なんて初めて、今年の金運は期待できそうです。
雪まじりの日もあって、温かい蕎麦やうどんで身体を温めています。就職して初めて関西に住んだときは、うどんの味になじめず、東京に行ったときは必ずうどんを食べていましたが、いつの間にか関西味の美味しさが分かるようになりました。二人以上の世帯当たりのパン消費量日本一の京都、そんなパンも食べてみたかったのですが、お正月休みで買うことができませんでした。残念です。
帰宅した5日、京都でのコロナ感染者数が前日比3倍の92人と急増、その後も急激な増加が進み、29日には過去最大の2,754人となりました。第5波と今回の第6波の間隙をぬっての旅行でもあったのです。
以下は観光と食事の備忘録です。
■初日大晦日:まず清水寺へ、12年間に及んだ「平成の大改修」で屋根を葺き替え、舞台も張り替えています。知恩院では、今夜の除夜の鐘を何人かの僧で撞く大きな鐘を見物しました。八坂神社は屋台が並び相変わらずの賑わいでした。昼食は「京菜味のむら」湯葉丼、夕食は「権太楼」年越し蕎麦でした。
■2日目元旦:友人宅で昼食をご馳走になり、その後三十三間堂へ、本堂内に並んだ千体の千手観音像はやはり圧巻でした。朝食、昼食ともにご馳走だったので、夕食はホテルでカップラーメン、美味しかった。
■3日目:バスで東山を上り将軍塚青龍殿へ、京都を一望する大舞台から京都の街並みや、それを取り囲む山々をしばし眺めました。帰りは、東山トレイルを下って、京都最古の宮「京の伊勢」日向大神宮へ、さらに、琵琶湖疎水の運航船を運んだ蹴上インクラインを歩き、南禅寺まで。昼食を食べ損ね、夕食は「いづう」鯖寿司となりました。
■4日目:石清水八幡宮に参拝、その後、奈良の大仏よりも大きかったといわれる豊臣秀吉建立の大仏があったという豊国神社で、大仏を支えた巨大な石で組まれた石垣を見て、六波羅蜜寺で教科書で見たことがある口から六体の阿弥陀が現れる空也上人像を拝観し、建仁寺では金澤翔子さんの力強い書や鳥羽美花さんの美しい襖絵を楽しみました。この日も昼食を食べ損ね、早めの夕食で「平野屋本家」いもぼうをいただきました。
■5日目:上賀茂神社に参拝、平安時代の陰陽師「安倍晴明公」をお祀りする晴明神社で、境内に再現された、死者が蘇ったという一条戻橋を渡り、出町の飛び石で鴨川を渡り、旧三井家下鴨別邸を見物しました。昼食は「祇園 権兵衛」のっぺ(あんかけうどん)、デザートに「鍵善」くずきり、夕食は丹後地方網野の名物「とり松」ばらずしでした。
■最終6日目:御金(みかね)神社に参拝、その後、雪景色となった貴船神社を参拝しました。昼食は「冨美家(ふみや)」鍋焼きうどん、夕食は、前日の「とり松」ばらずしが美味しかったので、再度買い求め、新幹線車内でいただきました。