そのときマンション5階の自宅でパソコンに向かっていました。激しく揺れて、照明が消え、部屋がギシギシと音を立てています。さほどの恐怖感はないものの、大きな揺れが一向に収まらないので、テーブルの下へと移動、近くにいた愛犬モモを引き寄せて一緒に地震が通りすぎるのを待ちました。
揺れが止まってからすぐに携帯でTVをみると宮城県沖を震源地とした巨大地震、余震も何回かやって来ます。銀座にいた妻から電話があり、無事とのこと、TVの地震情報を伝え、電話中にも余震があったので、早く安全なところに避難するように言いました。携帯が通じたのはそのときが最初で最後です。外に出てみると信号も消えています。明るいうちに懐中電灯を買っておこうと近くの100円ショップへ、かろうじて売れ残っている小さなLEDランプを購入しました。みんな電池をたくさん買っています。駅周辺地域には電気がきていたので、携帯の充電場所を探しました。唯一の情報源であり連絡手段である携帯がバッテリー切れになると、目も耳もふさがれた状態になってしまいます。
電話会社のショップに行くと、今日はもう閉めます、と入れてくれません。こんな時こそ開けてみんなの役に立つべきでは、と思いつつ歩いているとありました、充電できるところが。マックです。カウンターテーブルに電源コンセントが付いています。初めて知りました。でも食べたいものは何もない、かろうじて食べれそうな100円のパンケーキを買って充電させてもらいました。マックさん、ありがとう。
充電が終わって外に出るとすでに暗くなっており、食事をしようとしましたがどこもたくさんの人が並んでいます。充電前は行列などどこにもなかったのに、完全に出遅れています。行列に並んでラーメンを食べて家に戻りました。散歩をせがむモモを連れて真っ暗な中で階段を下りるときの危うさはもう経験したくはありません。我が家はガスコンロからIHコンロにしたばかり、お湯も沸かせません。お風呂も、電話も、TVもだめ、寝るしかありません。寒さの中で携帯を枕元に置いて眠りに着きました。
電気が復旧した翌日以降、TVの映像は悲惨さを日々増していき、日本国中を悲しみのどん底に叩きつけました。どうしたら良いのか分からない、そんな感じを多くの人が持ったのではないでしょうか。こんなときこそ生きるための日々の営みをしっかりやる、強い人はその強さを維持して、家族を失い、家財を失って弱者となってしまった人たちを助ける、さほど助けにならない人はせめて人の邪魔はしない。とにかく、元気な人までも落ち込まない、それが大切なのではないでしょうか。わたくしはどちらかいうと「あまり助けにはならない」方です。ですからいまできることは、節電する、買占めしない、そして義援金を出す、といったところでしょうか。