コロナ感染の第六波が来ないうちに温泉に行こうと友人夫妻と出かけました。旅行は1年ぶり、同じメンバーです。1年前は、旅行から帰ったとたんに第三波が急激に立ち上がり、ぎりぎりのタイミングでした。その後第四波、第五波と立て続けに襲来し、やっと落ち着いてきたので出かけたのです。
行先は大井川上流にある寸又峡温泉、旅行口コミサイト・トリップアドバイザーで「死ぬまでに渡りたい世界の徒歩吊り橋10」に選ばれた「夢の吊り橋」があります。湖面がエメラルドグリーンのダム湖に架かる全長90mの吊り橋で、風が強かったので揺れ、4人でこわごわ渡りました。紅葉が少し残っている中、一応「死ぬまでには渡った」実績を作ることができました。吊り橋を渡ると304段の急な上り階段、足にかなりきます。これでビールがうまいだろう、などと考えながら旅館に入りました。
吊り橋の前に、同じダム湖にある「奥大井湖上駅」に立ち寄りました。ここはフジテレビの「ザ・ベストハウス123」で「日本の不思議な駅ベスト1」に選ばれ、番組で映し出された、エメラルドグーンの湖面から490mのところに架かる、長さ500mほどの鉄道橋の中央にある駅の風景が一躍有名になりました。駅は中央にある島の上にポツンとあるように見えますが、島ではなく突き出た陸地です。
鉄道橋の狭い歩道で駅まで行くと、1日5往復しかないトロッコ列車がちょうどやって来ました。4人とも大喜びでしたが、駅に止まった列車が動き出すと、友人は客車には目もくれず、列車の下をのぞき込んでいます。傾斜90パーミル(1kmで高低差90m)という普通鉄道日本一の急坂が途中にあり、今では日本で唯一となったアプト式列車で上り下りするので、その構造を見たかったようです。残念ながら急坂のところだけアプト式列車を接続するので、この駅ではその構造を見ることはできません。
翌日は安倍川河口の登呂遺跡、東京ドームの広さ(9万9千平米)に弥生時代の集落と水田が広がっています。刈り取りは終わっていて、一部の稲が稲架(はさ)で天日干しされていました。集落が粘土質で埋まっていたので、木製品などが腐らずに残り、当時の生活を伝えている、と博物館の方がおっしゃっていました。出土品からは、丸木船で漁に出て、機織具で機を織り、琴のような楽器を奏でていた2000年前の暮らしを想像することができます。
その後、日本初の有料トンネルだった宇津ノ谷峠の明治のトンネルや、江戸時代には橋がなかった大井川に明治になって架けられた蓬莱橋などを見物して帰路につきました。大井川上流の山奥への往復、曲がりくねった、車がすれ違えない狭いところもある山道を友人一人で運転、いつものことながら、感謝感謝です。