よく出会う80代と思われるお二人、ご夫婦に違いなく、女性は杖代わりのように男性の腕をつかんでゆっくりゆっくり歩いています。お二人に出会うのは夕食後の妻との散歩のとき、我々の10年後を想像してしまいます。どちらかを杖代わりにして散歩しているでしょうか。お二人の歩きはおそらく健康のためでしょう、敬意をもって見つめています。
初めてお二人に気付いたのは妻から言われてです。それまでもよく出会っていたとのことでした。小さいころから周りのことに気付かないことが多く、これでよくここまで無事やってこれた、と思うときがあります。
散歩途中の小さな広場にいくつかの綺麗な石が並んでいるのを見つけたのも妻でした。近寄ってみると、両手で持てるぐらいの石に、可愛いクマモンやアマビエなどが描いてあります。楽しい絵柄で、何日か後には全て無くなっていました。街の何カ所かに置かれていたようで、後日、地域のタウンニュースが取り上げ、誰が何のために、の情報提供を呼び掛けていますが、いまだに謎のままのようです。
橋のたもとに植えられた瓢箪も妻が興味を持ち、子供のこぶしぐらいの大きさだったころから、20~30センチの大きさになるまでの成長を見守りました。月も眺めるようになりました。いづれも、私一人であれば興味を持つことはなかったでしょう。
毎日ほぼ同時刻に散歩するので、月の位置が変わり、今日はどこだ、と捜すときもあります。剣のように鋭い三日月、お盆のように丸い満月、毎月繰り返される月の満ち欠けで、時の流れを感じています。
月は部屋からも眺めるようになりました。低い軌道を通る夏は見やすく、街の夜景と一体化してとても美しく、癒されます。小林一茶が「名月を とってくれろと 泣く子かな」と詠んだように、優しい月の姿は、子供から大人まで、時代を越えて人々の心を魅了しています。コロナ禍が厳しさを増す中でも、静かに月を眺めることができるひとときがあります。感染することなく、元気だからこそでしょう。健康はもちろんのこと、あらゆることに感謝、感謝です。