定年退職後は「キョウヨウ」と「キョウイク」が大切、と言われたことがあります。「今日、用がある」と「「今日、行くところがある」で、「やることがある」が大切、ということです。
「(皆既日食の撮影で)ワイオミング州のキャスパーに行く」とのメールが届きました。皆既日食やオーロラなどの壮大な天体ショーを撮影するために、何回も海外に出かけている友人からです。いつも素晴らしい写真を撮ってきます。「皆既の時間は2分28秒、この瞬間のために半年も前からあれこれ調べたり、撮影機材の準備をしています」ともあり、嬉々とした気分が伝わってきます。今月の記録的な長雨で「撮影のリハーサルをしようと思っているのですが太陽が出てくれません」とありましたが、メール以降、太陽が顔を出したときがあったので、リハーサルもきっとできたことでしょう。
彼の写真は雑誌や新聞に掲載されるほどの高い完成度で、まさにその道を究めつつあるかのようです。純粋な「興味」とか「感動」から一歩を踏み出し、追い求める、素敵な「やることがある」と言えるでしょう。何ごとも「興味」から始まるのでしょうが、それが「お金」や「必要性」につながらなければ続かない私にはとても羨ましい「やることがある」です。
私も「旅行」にはよく出かけますが、それは、夫婦二人の日々の暮らしに潤いと刺激が「必要」だと考えているからです。妻が行かなくなったら、私も行かないでしょう。その程度のこと、何かに魅了されてどうしても行きたいから行く、ということではありません。
毎日ウォーキングは「健康」のために「必要」、しかも勤務先まで歩けば370円の「節約」になります。週2日の勤務は「お金」と、一応は仕事をしているという姿勢のために「必要」なのです。お伊勢さんまで毎年歩くのは、毎日ウォーキングの目標として「必要」、アスリートが日々頑張るためにオリンピックという目標が「必要」なように。芭蕉が詠んだ「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」といった旅への愛着ではありません。
何か味気ない感もありますが、全て熱心に取り組んでいて、自分としては、「やりたいこと」「楽しいこと」なので、まあまあ「やることがある」いい暮しだと言えるのではないでしょうか。「お金」や「必要性」から続けていくうちに「やりたいこと」「楽しいこと」になった、ということなのかもしれませんが。
私の人生には、「やりたいこと」「楽しいこと」しかなかった、と勝手に思っています。「やりたくないこと」「楽しくないこと」もあったかもしれませんが、熱意がわかないまま続かなかったか、別の道を選んだか、記憶に残らない程度のことだったか、なのでしょう。幸せな人生です。
追:友人が皆既日食の写真をブログに掲載しました。–>こちらでご覧ください。