「ここでの暮らし、独身者は必ず脱落する、と言われていました」とのツアーガイドの言葉が印象的でした。長崎港から南西に約19km、縦480m、幅160mほどの小さな細長い島に鉄筋コンクリートの建造物が所狭しと立ち並んでいて、その姿が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている島でのことです。
いまは無人島ですが、かつては海底炭鉱の出入口があり、最盛期には5,400人もの人が住んでいました。明治日本の産業革命を推進した最前線現場、地下1000m、気温30℃、湿度95%という過酷な環境での掘削作業、狭い島での暮らし、それは家族という守るべき人がいる者だけが耐えることができたところだったのです。
長崎旅行を計画したものの、「軍艦島」はあまり関心ありませんでした。ところが、出発数日前の新聞一面ツアー広告に大きな文字で「軍艦島」とあり、これだけアピールしているのだからきっと面白いに違いない、と行くことにしました。インターネットで見ると、数社の「軍艦島上陸ツアー」があるのですが、どこも満員、やはり大人気のようです。やっと予約できたのが旅行2日目午後のツアー、その名も「軍艦島クルーズ株式会社」という社員3人の会社で、小さな高速船を一艇持っています。
当日は小雨、港に行くと大勢のツアー客、小さな船にこんなに乗せて大丈夫か、と妻と顔を見合わせましたが、近畿日本ツーリストのツアー客もいて、それならまあ大丈夫か、と二人で乗り込みました。60分の上陸見物を入れて3時間ほどのツアー、近づく島の姿は確かに「軍艦」でした。風が強い日は上陸できないという小さな桟橋に無事停泊、上陸するとそこは一面の瓦礫と崩れかけた建物の廃墟、これだけでもインパクトがあるのですが、ガイドの方の説明でより印象深い見物となりました。日本最古の7階建て高層鉄筋アパートが建ち、学校、病院、商店、映画館、パチンコホール、海水プール、神社などがあり、電力を海底ケーブルで、飲料水を全長6.5kmほどの海底送水管で供給していたそうです。
痛々しい廃墟となったいま、かつて住んでいた方がツアーで再び訪れることも多いとのことですが、この変わり果てた姿を目の当たりにすると、複雑な思いがこみ上げてくるようで、写真をあまり撮ろうとはしないとのこと。そういう方々みなさんが「一カ所だけ昔と変わらない」と言うのが、炭鉱出入口への階段だそうです。石炭が付着した靴で踏み固められ真っ黒になっています。その黒さが今でも変わらないと。廃墟の中で剥き出しになっている、表が単に黒いだけの階段ですが、過酷で危険な作業から帰ってきた安堵感や喜びの思いが詰まった場所なのでしょう。
旅行1日目のハウステンボスは、軍艦島とは対照的な美しいオランダの風景、人の暮らしの気配や匂いのない所詮は作り物ではありますが、ハウステンボス歌劇団公演、4時間ノンストップダンス、3Dプロジェクションマッピングと、結構楽しめました。3日目の長崎市内観光では、グラバー邸や大浦天主堂でそれぞれの物語を感じることができてとても有意義でしたし、天主堂前に軒を連ねるお土産屋さんでは試食のカステラをたくさんいただき大満足です。長崎中華街でのちゃんぽんや皿うどん、市内をぶらぶらしながらの、名物おじや、一口餃子、角煮饅頭、一口香という外見はお饅頭、中は空洞というお菓子など、いつもの楽しいB級グルメ旅も健在でした。でも何と言っても2日目の軍艦島が最も印象深く、貴重な体験だった、行ってよかった、とつくづく思っています。