国内旅行

No.092:長崎・軍艦島

 「ここでの暮らし、独身者は必ず脱落する、と言われていました」とのツアーガイドの言葉が印象的でした。長崎港から南西に約19km、縦480m、幅160mほどの小さな細長い島に鉄筋コンクリートの建造物が所狭しと立ち並んでいて、その姿が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている島でのことです。

 いまは無人島ですが、かつては海底炭鉱の出入口があり、最盛期には5,400人もの人が住んでいました。明治日本の産業革命を推進した最前線現場、地下1000m、気温30℃、湿度95%という過酷な環境での掘削作業、狭い島での暮らし、それは家族という守るべき人がいる者だけが耐えることができたところだったのです。

 長崎旅行を計画したものの、「軍艦島」はあまり関心ありませんでした。ところが、出発数日前の新聞一面ツアー広告に大きな文字で「軍艦島」とあり、これだけアピールしているのだからきっと面白いに違いない、と行くことにしました。インターネットで見ると、数社の「軍艦島上陸ツアー」があるのですが、どこも満員、やはり大人気のようです。やっと予約できたのが旅行2日目午後のツアー、その名も「軍艦島クルーズ株式会社」という社員3人の会社で、小さな高速船を一艇持っています。

軍艦島
長崎・軍艦島<写真をクリックで拡大>

 当日は小雨、港に行くと大勢のツアー客、小さな船にこんなに乗せて大丈夫か、と妻と顔を見合わせましたが、近畿日本ツーリストのツアー客もいて、それならまあ大丈夫か、と二人で乗り込みました。60分の上陸見物を入れて3時間ほどのツアー、近づく島の姿は確かに「軍艦」でした。風が強い日は上陸できないという小さな桟橋に無事停泊、上陸するとそこは一面の瓦礫と崩れかけた建物の廃墟、これだけでもインパクトがあるのですが、ガイドの方の説明でより印象深い見物となりました。日本最古の7階建て高層鉄筋アパートが建ち、学校、病院、商店、映画館、パチンコホール、海水プール、神社などがあり、電力を海底ケーブルで、飲料水を全長6.5kmほどの海底送水管で供給していたそうです。

 痛々しい廃墟となったいま、かつて住んでいた方がツアーで再び訪れることも多いとのことですが、この変わり果てた姿を目の当たりにすると、複雑な思いがこみ上げてくるようで、写真をあまり撮ろうとはしないとのこと。そういう方々みなさんが「一カ所だけ昔と変わらない」と言うのが、炭鉱出入口への階段だそうです。石炭が付着した靴で踏み固められ真っ黒になっています。その黒さが今でも変わらないと。廃墟の中で剥き出しになっている、表が単に黒いだけの階段ですが、過酷で危険な作業から帰ってきた安堵感や喜びの思いが詰まった場所なのでしょう。

 旅行1日目のハウステンボスは、軍艦島とは対照的な美しいオランダの風景、人の暮らしの気配や匂いのない所詮は作り物ではありますが、ハウステンボス歌劇団公演、4時間ノンストップダンス、3Dプロジェクションマッピングと、結構楽しめました。3日目の長崎市内観光では、グラバー邸や大浦天主堂でそれぞれの物語を感じることができてとても有意義でしたし、天主堂前に軒を連ねるお土産屋さんでは試食のカステラをたくさんいただき大満足です。長崎中華街でのちゃんぽんや皿うどん、市内をぶらぶらしながらの、名物おじや、一口餃子、角煮饅頭、一口香という外見はお饅頭、中は空洞というお菓子など、いつもの楽しいB級グルメ旅も健在でした。でも何と言っても2日目の軍艦島が最も印象深く、貴重な体験だった、行ってよかった、とつくづく思っています。

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No.214:80歳の壁 (2024年11月30日)

 会社仲間の集い、あわら温泉での宴の翌日、車3台で観光に出かけました。一緒に宿を出たのですが、内1台が集合場所に現れません。電話で、「どこにいるの?」と尋ねると、「第1駐車場」との答、ここの駐車場は1つ、第1も、第2もありません。結局、「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」集合を「一乗谷朝倉氏遺跡」集合と思い込んでいたようです。事前に決めた行程が狂い、「行程表を見ていない」と、幹事は少々お怒りでした。

No.213:大人の休日倶楽部パスの旅ーその後ー (2024年10月28日)

 年3回発売されるJR東日本5日間乗り放題パス「大人の休日倶楽部パス」を初めて使ったのは2012年9月の角館でした。その後は毎年、最近は発売ごとに年に何回も使っています。お得なパスなので、行かなくっちゃ!!、ということなのですが、それだけではありません。

No.211:東北の祭 (2024年08月31日)

 高さ12m・重さ50kgの46個の提灯を吊るした竿燈280本が大通り一杯に揺らめく秋田竿燈まつり、幅9m・奥行7m・高さ5m・重さ4tの巨大灯籠「ねぶた」が大通りを練り歩く青森ねぶた祭、5つの絢爛豪華な吹流しで飾られた長さ10mの笹3千本が商店街を埋め尽くす仙台七夕まつり、この東北三大祭に加えて、高さ23m・重さ19tの巨大な立佞武多がゆっくりと進む五所川原立佞武多、棟方志功も描いたことがある弘前ねぷた、を一気に見物しました。5泊6日の欲張り旅でした。

No.209:「ありがとう 秀吉さん」の長浜 (2024年06月30日)

 今月は長浜へ、秀吉が初めて一国一城の主となり、城を造り、城下町を作りました。周辺から商人を集め、楽市楽座などの施策で町の経済を発展させた秀吉は、町衆に慕われ続けていたようです。天下人となって作った城下町、大阪の原点とも言える町なのでしょう。

No.208:名古屋観光 (2024年05月31日)

 今月は名古屋1泊での観光でした。名古屋と言えば名古屋城、そして金の鯱、本丸広場から大天守を見上げると、頂で黄金に輝く鯱が大天守を守っています。城に隣接した飲食店街・金シャチ横丁には実物大のレプリカがありました。本丸広場には、かつてそこにあった本丸御殿が、9年かけて復元され、6年前に完成公開されました。真新しく、美しく、きらびやかに、当時の姿を鮮やかに伝えています。

No.207:睡眠スコアその後のその後 (2024年04月30日)

 大谷翔平さんは睡眠を大切にしていて、遠征に寝具を持ち込んだり、日々の睡眠データを計測しているそうです。超ビッグな大谷さんを引き合いに出すのはおこがましいのですが、私も睡眠データを計測しています。私のデータは、睡眠の質を示すスマートウォッチの睡眠スコアです。それが、30日移動平均で、昨年7月28日の、100点満点中83をピークに、どんどん低下し、今年3月19日には70にまで下がってしまいました。

No.206:日本海に蟹を食べに行きました (2024年03月31日)

 「(福井県の)小浜に蟹を食べに行くけど・・・(行かないか?)」と京都在住の友人からメールが届きました。京都に住んでいた若いころ、日本海での蟹といえば、蟹、蟹、蟹の蟹尽くしのイメージがあって、しかも、今回のメンバー5人全員が会社の元同僚で、内2人は私と同じ大学、これは行かなくては、と即決しました。

No.205:長崎ランタンフェスティバル (2024年02月29日)

 旧正月を祝う長崎ランタンフェスティバルを見物してきました。旧正月のランタンフェスティバルといえば台湾、無数のランタンが夜空に舞い上がる風景が有名ですが、長崎も負けてはいません。無数の光るランタンが広場や通路の頭上にあり、人物や動物のオブジェや高さ10mにもなる大型オブジェが市内中心部のいたるところで輝いています。

No.204:年末年始は今年も京都 (2024年01月31日)

 年末年始は京都でした。3年連続ですが、どこを歩いても楽しく、街歩きに飽きることはありません。今回は、嵐電1日パスでの名所巡り、大津、宇治に足を延ばしての「紫式部ゆかりの地」巡りでした。6日間で11.5万歩、二人でぶらぶら歩いた楽しい旅でした。

No.202:北陸の旅 (2023年11月30日)

 カニ漁の解禁が今月初め、しかも今年は豊漁とのこと、カニへの期待を膨らませて金沢に3泊した旅でした。ズワイガニを目の前で茹でててくれる居酒屋でいただきましたが、期待が大きすぎたためか、少し物足りなさを感じました。カニといえばカニカマ、という普段の生活なので、あの大きさと食感がないと満足できないようです。でも、お寿司屋さんでは、のどくろやガスエビといった北陸の美味しさに大満足、同じ店に2日出かけ、「たくさん食べていただきありがとうございます」とお礼を言われました。美味しいお寿司をたくさん頂きました。


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