5月3日、我が家の愛犬モモが亡くなりました。あと2週間で14歳でした。口の中にメラノーマという悪性腫瘍ができ、4月初めに見つかった時にはもう手遅れで、取り除くのは無理と獣医さんに宣告されたのです。完全に取り除けない以上、またすぐ再発すると。10年以上お世話になっているトリマーの方も、手術で死んでしまう子も見てるし、美味しいものを食べさせてあげた方がいい、という意見で、我々夫婦もそれを選択しました。でも、覚悟はしていたものの、いざいなくなると寂しさの中に沈みがちです。
進行の早い悪性腫瘍で、見つかってから1ヵ月ほどで亡くなってしまいました。私は、4月25日早朝に「お伊勢参り」への歩き旅を始めたのですが、そのときのモモは食欲もあってまあまあ元気でした。5月1日、自宅から320キロほど歩いた岡崎の手前で、ツタを足に引っかけて転びました。その日の宿である岡崎まで15キロほど、痛みもなくいつもの歩きで到着したのですが、翌2日の名古屋までの35キロでしだいに痛みを感じるようになり、3日早朝に出かけようとすると足首が赤く、少し腫れていました。ここで無理をして、東海道歩き旅が今後できなくなるのはいやだ、と「お伊勢参り」を中止して地下鉄で名古屋駅に向かいました。朝6時41分発のぞみ東京行に乗ってまもなくの7時ごろ、妻から電話があったのです。
夜中に鳴くので、午前2時ごろから抱いている、と。こんなに鳴くのは初めてで、抱いてやると鳴き止むそうです。家に着いたのが8時半ごろ、玄関まで妻が出てきたとき、今まで聞いたことのないモモの悲しそうな鳴き声がリビングから聞こえてきました。床に寝かせると鳴く、抱いてやると鳴き止む、そんな状況でした。レンタルの酸素吸入器を手配して、家に運び込んだのが午後3時過ぎ、そのころには、床に寝かせても鳴かなくなっていました。でも苦しそうな様子ではなく、すやすや寝ているように見えます。そのまま夜になり、午後10時ごろ、突然息をしなくなったのです。さっき足を上げたのに、と妻がモモの体を揺すりますが、もう動きません。
前日、散歩に連れて行ったときに、歩きませんでしたが、立ったままで排尿はしたそうです。最後の日は寝たきりで、家で排尿してしまったものの、最後の最後までぎりぎりまで頑張った、と褒めてやりたい気持ちです。どれだけ痛い思いをしたかの本当のところは分かりませんが、様子を見ていた限りではそんなに長時間は苦しまなかったのではないでしょうか。
帰宅したその日にモモが亡くなるという、妻に言わせると、モモが帰らせたのよ、とのこと、私もそんな気がします。ツタで転んだのも、この道を行ったらどうなるのか、と予定外の道を歩き始めて、しだいに細い野道に入り込んでしまった結果です。間違え以外で、予定外の道に入るなんていままでありませんでした。
翌4日、火葬、納骨をお願いした深大寺動物霊園からのお迎えが来て、内装が霊柩車のような車で運ばれたときには、もうモモの姿を見ることができないことを何度も自分に言い聞かせながらの見送りとなりました。送り出す前に、いつもの散歩用バッグに入れて、10年来の散歩コースを「最後の散歩」として歩きました。トリマーの方の家にも寄って、最後の別れをしていただき、もう動かなくなったモモを前に、妻と3人で、おとなしい犬だった、癒された、などとしみじみと語り合っています。
6日、深大寺動物霊園にモモのお参りに行きました。ゴールデンウィーク最終日、調布の深大寺は大変な賑わいでした。骨となって骨壺に収められたモモに手を合わせて、これまでの感謝の気持ちを語り、これからは見守っていてほしいとお願いしました。
我が家のリビングにあったモモのケージを片付け、動物病院とトリマーの方から手向けられた花をそこに飾りました。トリマーの方は、大きな花束を抱えてわざわざ家まで来てくださったのです。美しい花を見ていると、気持が和らいで、悲しみがうすらぎます。それは、花を手向けていただいた人たちの我々への温かい気遣いを感じるから、ということでもあるのでしょう。兄弟や友人からは心配のメールや電話をいただきました。モモを紹介してくれた会社の同僚には、「大切にしてくれて、モモちゃんも幸せだった」と電話で慰められ、思わず大粒の涙がこぼれ、言葉が出なくなりました。そんな皆さんの気持ち、ありがたいことです。